声を聴くもの「さあ、観念しな! たったひとりでこの砂漠に入ってくるなんて、命知らずだったな」
「有り金に金目のもの、全部置いていくなら命だけは助けてやる!」
日差しが照りつける砂漠で、典型的な台詞が響き渡る中、追い剥ぎたちに囲まれているのはひとりの青年だった。一応装備は整っているが、のんびりとした外見からは殺気が全く感じられない。しかし身なりはそれなりに良いし、持っている武器もひと目見てわかる一級品だ。
揃いのフードを被り、口元を隠した追い剥ぎたちはいいカモが来たと内心ほくほくとしていた。
戦いの最中はマナの減少により突っ切るのが難しくなっていたカッカラ砂漠だが、戦いの終結と共に気候が変動しオアシスも出現し、多少は行き来がしやすくなった。旅人の通り道や、商品を運ぶルートも復活したのだが、それ故に追い剥ぎたちが狙いをつけた。オアシスのひとつをねぐらにし、行き来する旅人や商人を狙い金銭を巻き上げることを繰り返し始めたのだ。
しかしやりすぎたのか、最近、付近の街や村で噂が広まりつつあり、警戒して道程を変える者たちも多くなってしまった。目の前の世慣れていない旅人は、久しぶりの恰好の獲物だった。
青年は頬をかいて、弱り切った表情をしている。それを追いつめられたが故だと考え、追い剥ぎたちは声を張り上げる。
「なにモタモタしてんだ! 俺たちは別に、水も食料も奪っちまってもいいんだぜ」
「本当に死んじまうだろうがな。この砂漠ではあの聖剣の勇者だって干からびかけたって話だぞ!」
「――もういい」
一番奥にいる、頭ひとつ小柄でフードを目深にかぶったリーダ―らしき人物が舌打ちと共に冷たい声を出した。
「こんなぼうっとしたやつにかまっている時間が惜しい。やっちまえ!」
リーダーの掛け声とともに、追い剥ぎたちは一斉に青年に群がった。
砂漠の砂が撒き散らされる。リーダーは嘆息し、頭の中でこの稼ぎがどれくらいになるかと算用し始める。やがて呻き声がして土煙が収まっていく。しかし、視界が開けたときにリーダ―の目前に現れた光景は想像していたものと違った。
手下の数人が地面に伏している。青年は先ほどまでの様子と全く変わらぬまま、傷一つない。「ご、ごめん。手加減がうまくいかなかったかも」とぶつぶつと呟いている。
リーダーは開いた口がふさがらない。ぽかんとして砂が入ってきて咳き込んだところでようやく現実に意識が戻ってくる。
「なっ……一体何者だてめえ!」
リーダーは思わず叫んでいた。青年はへらりと苦笑すると言った。
「……ええと。ここで干からびかけた者です?」
「ランディすまなかったな。私たち騎士団が出て行くと警戒されてなかなか尻尾がつかめなくて弱っていたところだったんだ。助かった」
タスマニカ共和国の城の一画。頭を下げるジェマに、ランディは「いえいえ」と手を振った。
追い剥ぎの集団たちを一掃したところで、ランディは以前と同じようにサンドシップに遭遇し、タスマニカの騎士団と再会した。周辺住民から彼らの討伐を要請されていたようだが、警戒されて手をこまねいていたところだったらしい。追い剥ぎたちを連行するのを手伝い共和国へやってくると、待っていたのは懐かしい顔のジェマだったのだ。
「ただの偶然だよ。役に立てたならよかった……ところでジェマ、追い剥ぎたちの処分についてなんだけど」
「うむ。まだ年端もいかぬ者たちばかりだからな。なんとか免れさせてやりたいと思っている」
ランディは痛ましげに眉をひそめた。捕まえてみてフードを外してみると、彼らはみな子どもと言っていい年齢の者たちばかりだったのだ。特に、リーダーの少年は十歳程に見えた。
「孤児になった者たちが徒党を組んで追い剥ぎをしていたようだ……境遇を尋ねると、やはり、帝国の侵略やマナの減少の影響で親を失った子どもたちだったよ」
ジェマも苦い顔をしつつ、俯いたランディの肩に手を置いた。
「安心しろ、タスマニカの孤児院に入ってもらうか、里親を探すか手配する。衣食住が保障されれば、いずれ、自分たちの行いについても振り返ることができるようになるだろう」
ランディはジェマの顔を見返すと、ぎこちなく微笑んだ。しかしジェマの「戦争孤児が増えて孤児院もいっぱいになってきているのが、頭が痛いところなのだが……」という言葉に再びランディの表情が曇った。
しかしそのとき、甲高い声が響き渡り、ふたりの会話は中断された。
「はーなーせって! 離せってば!」
「こら、大人しくしろ! 別に牢にブチ込むわけじゃないって言ってるだろ!」
「孤児院に閉じ込められるなんてオイラはまっぴらごめんだからな!」
騒ぎは廊下の先で起こっているらしく、ランディとジェマは顔を見合わせた。様子を見ようとそっと覗き込むと、騎士が数人かがりで暴れる子どもをひとり、抑え込もうとしていた。
桃色の短い髪に、模様が頬に描かれている。その体躯は少年のものだが、喚き散らす力は相当で、騎士たちもたじたじになっている。
この声には聞き覚えがあった。正体を隠すためか、出会ったときには低めに出されていたが、追い剥ぎたちのリーダーのものだ。
「君は……」
ランディが思わず零した声に、少年が反応する。頬に色とりどりの模様がある、まだあどけない少年だった。はっと見開かれた空色の瞳がランディを射抜いた。
「ああっ、オマエ! オマエのせいでっ」
「あっこら」
騎士がランディたちに気を取られた隙をついて、少年がぱっと拘束をほどいて走り出した。そのままランディのほうへと拳を振りかぶって走ってくる。だが、それが振り下ろされる前にランディが彼の腕をとるとくるりと身を翻し、床へと少年を押し付けてしまう。
「あっなんだよこの! 畜生!」
「申し訳ありません、ジェマ様、それにお客人」
騎士たちが駆けてくるが、ランディは彼らに少年を引き渡さず、その耳元に口を寄せた。
「……君は、孤児院に行くのがイヤなの?」
少年は首をひねってきっとランディを睨みつけた。
「当たり前だろ。オイラは月の神殿を探していた帝国に滅ぼされた、砂漠の民の生き残りだ! 一族ずっと、国家に縛られることなく、主を作ることなく、自由に生きてきたんだ! 大人はみんないなくなっちまったけど、その誇りまで失うわけにはいかないんだよっ」
「どこか里親のところにお世話になるのは」
「誰かに縛られて生きていくのがイヤだって言ってんだよ!」
必死の形相で見上げる少年に、ランディは考えるように口元を結んだ。そうして、何かを決めたかのようにひとつ頷くと、「ジェマ、ものは相談なんだけど」と切り出した。
「この子、僕が連れていっていいかな」
「うん?」
「えっ」
ジェマと当の本人の少年が声をあげる。
「君は自由になりたいようだけど、子どもとはいえやってはいけないことをしたことは事実だ。また追い剥ぎなんてしないように一応、監視が必要なのはわかるよね? 孤児院や里親はイヤといってもそこだけは認めてもらわないといけない。ただ、僕は監視役だけれど君の監督者にはならないと約束する。僕と君は対等な旅の連れ。これならどうだい?」
悪い条件じゃないと思うけど、と言うと少年は疑わしそうにランディを見上げた。
「……子どもだからって甘く見てるのか? オイラ、隙を見て逃げようとするかもよ。それってアンタに何のメリットがあるわけ?」
「大人がみんなメリットで動くと思っているところがまだ子どもだなあ」
ランディの言葉に、少年がむっとした表情を浮かべ、ジェマがお前もまだ子どものようなものだろうと苦笑しながら言った。
「こちらはかまわない。彼を捕らえたのはお前だし、何と言っても聖剣の勇者からのお願いだからな」
「えっ」
砂漠で生活して世の中から隔絶されていても、聖剣の勇者の名前は知っていたらしい。少年が顔を青くする。
ランディはにっこりと笑うと、「さて」と呟いた。
「孤児院に行くか、里親に出されるか。それとも元聖剣の勇者の旅の連れになるか。どれがいい?」
少年はきっとランディを睨むと、「畜生!」と罵倒した。
「たまたま狙ったのが聖剣の勇者だったなんて、なんて運が悪いんだオイラ……」
追い剥ぎのリーダーだった少年の名前はロぺといった。頬にあるペイントが、どことなく本人の様子同様、しょんぼりとして見える。ランディの横でうなだれながら、数日が経ったというのにまだショックから立ち直れないでいるらしい。
「ほら、シャキッとして。君は僕の旅の連れなんだから、君の評価が僕にもつながる。レジスタンスのリーダーの前に出るんだよ」
ランディはロペの背中をぱしぱしと叩く。
ふたりは帝国の城下町、ノースタウンの旧レジスタンスのアジトーー今は街の復興や国の立て直しのための便利屋のようなものになっているらしいーーの応接室で、ソファに座っていた。やがて、扉が開き、快活な物腰の女性が部屋に入ってきた。ランディの顔がぱっと華やぐ。
「クリス!」
「ランディ! 久しぶり、元気だった?」
クリスは動きやすそうな装いは変わらないものの、かつて金色の短かった髪が少し肩にかかりそうになっていた。どこかすっきりと覚悟を決めた顔つきになったクリスを、ランディは眩しいものを見るような目で見つめている。
クリスも再会の喜びに顔を輝かせながらも、ふいとランディの隣にいるロペに目をやった。
「あれ、あなた……」
「ロペって言うんだ。いろいろあって、今は一緒に旅をしている。久しぶりだね、ノースタウンはどう?」
ランディが素早く答えて、そこから話題はかつての帝国の、今の情勢についてに移っていく。ロペは退屈しながら、出された飲み物を行儀悪く飲んで時間を潰した。
長い話が終わり、ふたりはアジトを辞して今日の宿に戻ろうと街中を歩く。皇帝という指導者を失ったものの、混乱から脱した帝国はかつての活気と秩序を取り戻そうと賑わっている。ロペはそれを横目で見ながら、先を歩くランディに投げかけた。
「アンタさあ。あの女、好きなんだろ」
「え!」
「動揺してやんの、図星かよ」
「ちちち違うよ、素敵だなとは思うけど! 僕じゃ釣り合わないし!」
「そうだな、アンタぼけっとしてるもんな。しっかりしてそうなあの女には、かわいい年下の男の子としか見られてなさそうだな〜」
ロペの歯に絹着せぬ言葉にランディはがっくりと肩を落とした。
「いいんだ、本当に……ちょっと憧れてるだけだし……だいたい、クリスは国の立て直しで忙しいし」
「そんなこと言ってるうちに、頼り甲斐のある男とかが現れてかっさわれて終わりだろ。オイラには見える」
ランディは「はは」と苦笑いした。ロペはけっと心中で思う。意中の人なら奪いにいけばいいだろうに。
物腰はやわらかく、口調も優しげ、かなり気の弱そうなこの青年が、聖剣の勇者などとは到底信じられなかった。しかし、若いながらにタスマニカの騎士を束ねるジェマに一目置かれ、レジスタンスのリーダーであるというクリスと気安く話し、何より大人だって一網打尽だと自負していた自分たち追い剥ぎの一団をひとりでのしてしまった実力は確かだ。旅の間にモンスターに遭遇した際も剣であっという間に追い払う様を見たことだし、信じざるを得なかった。
ランディの道行きは特に目的がないようだった。
道すがら知り合いのところに顔を出し、頼みごとをきいてやり、世界の情勢を伺い、その間にモンスターに襲われている人の助けをし、ロペのような孤児や、先立っての戦いで影響を受けた人の住むところや仕事を世話してやり……と実に忙しない。だが、それらのどれもが目的、というほどのものではないようだ。
まあ、自分には関係のないことだろう、とロペは断ずる。
隙をみて逃げてやろうなどと今だに考えていたが、ランディはさすが気配には敏感で全く油断してくれない。
宿も食事も代金はランディ持ちのため不自由することもなく、牙を抜かれている自覚はありつつもとりあえずは大人しく着いていくことを許容する他に、ロペの道はなかった。
行く先々で、ロペがトラブルを起こすこともままあった。
村や町の子どもたちに、ぶつかったぶつかってないだの、視線が生意気だのと言われて、カッとなったロペが手を出そうとし、ランディが慌てて止める、という流れが多かった。
その日、パンドーラ王国の下町で騒ぎが起こったとき、ランディは城で王と謁見していた。「君の連れがケンカをしている」と言われて、王様に早口で謝罪し大急ぎで現場に急行すると、ロペは取っ組み合いのケンカで下町の複数人の不良どもを倒してしまっていた。
砂漠で鍛えられた彼が、所詮は町で大きな顔をしているだけの輩に負けるはずはなかったが、ロペの方もそこそこボロボロである。ランディはため息をついた。
一体どうしたの、と聞こうとした瞬間、倒れ伏した不良たちがロペを指差し言った。
「こいつが、オレの財布を取ろうとしたから反撃しただけだ!」
指を指されたロペは黙ったまま、不良たちを見下ろしている。
その目は年齢に似つかわしくないほど昏い。
周囲の人々も経緯がわからないようで、戸惑ったように不良たちとロペを見比べている。不良たちと言えど街の者と、よそ者だが乱暴に暴れた者とを天秤にかけて、どちらを信用したものかはかりかねているようだった。
「……何を言おうと、オマエは負けたんだ。勝ったのはオイラだ」
ロペは殺気を隠そうともせず言い放った。なんだと、と騒ぐ不良たちを、やっと駆けつけてきた王国の騎士団たちがひっ捕えて引きずってゆく。
「こっちの事情聴取は我々が。そちらは、聖剣の勇者の預かりの少年ということで、お任せしていいと王からも言伝っています」
騎士に言われてランディは頷くと、ロペを促して宿屋に帰ろう、と言った。
ロペは頷かなかったが、ランディの前をずんずんと歩き出した。ランディは少し離れてその後をついていく。
宿屋の近くまで来て、ロペは振り返った。
「何もきかねえのかよ。財布本当に盗ったのか、とか」
ランディが困ったように何も言えずにいると、バカにするようにロペは笑った。
「まあ、オイラが勝ったんだから、オイラの言い分が正しいってことでいいよな。オイラは財布を取っちゃいねえ。そういうことで」
「……じゃあ、なんでケンカなんてしたの?」
「知らねえよ。あっちからけしかけてきたんだ」
ロペは殴られて汚れた顎のあたりをごしごしと袖でぬぐう。ランディは途方に暮れた様子で呟いた。
「……勝ったから、正しいなんて、本当にそう思ってるの?」
ぽつり、と溢れたような言葉にロペがカッと目を見開いた。
「はあ!? アンタも同じじゃないか!」
ロペの叫びが町中に響く。道ゆく人々は言い争うふたりを遠巻きにして慌てて逃げるように去っていった。
「帝国の皇帝と四天王をアンタが倒した。だからアンタは世界を救った勇者さまでいられるんじゃねえか。オイラを力づくで屈服させたから、オイラのことを従わせられるんじゃねえか。勝ったら正義だろ、偉そうに説教するんじゃねえ!」
ロペが言葉をぶつけるたび、ランディの樹木の色をした瞳が揺れる。
図星を刺されたときの彼の反応だと、旅をする中でロペはもう知っていた。動揺している、ざまあみろ、と思う。そうだ、もっと傷つけばいいんだ。
「オイラの仲間はみんな、帝国にやられちまった。それだけじゃない、一族の文化も、伝承も、技術も、言い伝えも、全部なくなっちまった。結局、勝ったものの声しか残らないんだ。だったら、オイラだって力で奪って何が悪いんだよ!」
ロペが息を切らしてランディを睨む。彼は何も言えず、ただ愕然とロペを見つめていた。ふたりの間を、冷たい風が吹いていく。
ロペは呼吸が整うと、乱暴に扉を開けて宿へ入っていった。
数日、ランディは何やら考えこんでいた。やがていろいろな場所に手紙を書いたり、人に会いに行ったりし出したが、ロペとの間にまともな会話は発生しなかった。
水の神殿へ行く。
ある日突然そう告げられ、ふたりは森の中を歩いていた。
さすがに交わす言葉は少なくなりながらも、他にどうしようもないロペは大人しくランディに付き従っていた。まだケンカのときについた傷がずきずきと痛むが、痩せ我慢してなんでもない顔で着いていく。
やがてランディは迷いなく、川へと足を踏み入れていく。ロペもおっかなびっくりなんとか後に続く。
しんと静まり返った神殿の奥にいた神官は少女のなりをしていた。二百歳だ、と聞いてロペは冗談だろう、と一笑に伏した。ランディはいつも冗談など言わないのだが、なるほど、そういうセンスがないのだろうと言うと、ランディは頭をかき、ルサ・ルカという神官の少女は渋い顔をしていた。
「……まあよい。ところで、何用だ、ランディ」
「あ、はい。実は、こちらのロペを水の神殿でーールカ様のもとで過ごさせてやってほしいんです。少なくとも、分別のつく大人になるまで」
「えっ」
ロペは目を見開いてランディを見た。
「勝手に決めてごめんね。でも、一応、君がやっていたことから考えて無罪放免で完全に自由に、とはやっぱりいかなくて。監視もできて、外聞も良く、そして君の希望も叶えられる、となるとルカ様のもとしか思いつかなかった」
「……オイラの希望?」
ロペが目を瞬かせると、ランディが頷く。
「ルカ様は、水の神官。水の流れのあるところなら、世界中のすべてを見ていた。だからーー君の一族のことも、知っている」
ランディの言葉に続けて、ルカはにこりと笑った。
「その頬の模様は、お主の一族に特有の文化だったな」
ロペは頬を抑えると、呆然と呟いた。
「……知ってるのか……? 本当に?」
「ああ。見ていたからな。二百年……お主の両親、祖父母、曹祖父母くらいまでは知っておるし、見てきたよ。……本当に、見ていることしかできなんだが」
ルカは視線を落とした。ロペの一族が滅びていく様子も見つめているしかなかった己を自嘲しているようだった。
「ケンカの原因、頬の模様を揶揄われたからだったんだろう?」
ランディが己の頬を指差しながら言った。
ロペはさっと頬を赤くする。
「なんで……」
「プリム……僕の仲間が、騎士団に顔がきいてね。ケンカの相手が白状したらしいよ。……というかどうも、白状させた、みたいだけどね」
ランディが眉を顰めながらも口もとを笑いのかたちにして言った。
急展開に目を白黒とさせているロペにランディは言った。
「ここで、ルカ様のお手伝いをしながら、君の一族のことを聞いて、知るといい。そして、力じゃなく、知識や記録の力でその声を伝えていって」
ランディはロペの手を取る。
ロペは顔を下げて、己の小さな手と、細かい傷の目立つランディの手をじっと見ていた。
ランディの顔が見られない。
あの、砂漠にはない、森の中に聳え立つ大きく古い樹の色をした瞳に見つめられたら、今自分がどうなってしまうかわからなかった。
「君の手は、力を振るうためだけにあるんじゃないよ」
ランディがそっと囁く。僕にはできないことだから、と付け足された言葉にロペが彼を見たときには、もう手は離されて彼は踵を返していた。ロペは思わず叫ぶ。
「なんで、そんな。連れてくって言ったり、置いてくって言ったり。全部、勝手に決めて……!」
「うん。君の意思を尊重しないまま、勝手に連れ回して、勝手に置いていく。僕が勝ったからね。でも、覚えておいて。君が僕に怒ったように、力を振るえば憎しみを生む。それは新たな力を振るう機会を……争いと滅びを生むだけだ。そうしてまた、小さな声は消えていく。君には、そうならない道を探してほしいと思ってる」
これも勝手だけど、ともう見慣れてしまった困った顔でランディは笑った。ロペはたまらなくなって言った。
「なんでだよ! 本当にもうオイラがいなくてもいいのか?」
すがるかのように咄嗟に出た言葉に、ランディは首を傾げる。
「え?」
「だって……オイラ、誰かの代わりだったんだろ」
背後でルサ・ルカが息を呑む気配がした。ランディはじっとロペを見つめる。
「気づいてないと思ってたのかよ。アンタの知り合い、オイラのことを見るとみんなちょっと変な顔をするんだよ。で、何か言いかける。たぶん、似てるね、とか見間違えた、とか。でも、そういうことを言われる前にアンタは早口で遮るんだ」
「鋭いね……うん、君は、かつての僕の仲間に似てるんだ」
ランディは観念したように言った。
「でも、代わりじゃないよ。似てる気がして、放っておけなかったのは事実だけど。代わりとかじゃなくて、君と旅をしたのは、けっこう楽しかった」
その瞳は揺れていなかった。ロペはふん、と胸を張ってみせる。
「オイラは別に楽しくなかった」
あはは、とランディは笑う。そうしてルカへと向き直る。
「ルカ様。ロペのこと、頼みます」
「ああ。悪さをしないよう、せいぜいこき使おう」
「げっ」
「はは。では、僕はもう行きますね」
忙しないな、泊まっていけばよいだろうというルカにランディは首を横に振る。ルカは仕方ないな、というように頷いた。
「いつでも見守っているよ。今日からは、ロペも一緒に」
「はい」
ランディが去り、やがて水の神殿の扉を閉める重い音が響いた。
その音が消えた後、アイツ、なんで旅してるの、とロペはぽつりとルカに尋ねた。
「アイツ、いろんなことをしているようで、そのどれもが本当の目的じゃない気がしてたよ」
「……お主は本当に、鋭いな。探しているのだよランディは。世界のどこにもいない、そしてどこにもいる、あやつの仲間をな」
ルカの声が、神殿を流れる水音に紛れていく。
ふうん、とロペは返した。意味はよくわからなかったが、それでもよかった。
もう閉じた廊下の先の扉を見ながら、いつか、とロペは思う。
いつか、アイツの声が届くといい。実際に聴こえるわけじゃない。けれど、オイラにはわかる。
ロペは、音がない夜の砂漠をよく知っているから、聴こえるのだ。ずっと、張り上げているランディの声が。
オイラに似ている誰か。なあ、いつか。
ロペは世界のどこかで、聴いているかもしれない相手に向かってそっと祈った。