俺のシチロウが今日も可愛い 準備室の窓から見える空は暗く、星空の瞬きが見える。
季節は変わり、準備室に置いてある研究対象であろう草花にも移ろいが見て取れる。
幾度となく目にした、見慣れた光景。
だが、ここだけは時の流れが緩やかで、この部屋の主のように穏やかな時の流れが漂っている。
「上がったよ」
声の主に視線を移してみれば、風呂上がりの濡れた白い絹糸から溢れる水の粒さえも、一滴一滴がシチロウの髪から落ちると思うと、愛おしいとさえ感じてしまう。
「うーん」
「? どうした、シチロウ」
シャワーを浴びて、部屋で髪を雑に乾かしているバラムが悩んでいる様子だ。
気になったカルエゴは、片手に持っていたワインをテーブルの上に置き、視線を移してバラムに様子を訊ねてみる。
すると、バラムが腰を屈めて至近距離まで近づいて、カルエゴの髪に自らの顔を寄せてきた。
(まあ、いつものことだ。これしきのことで今更動じる俺ではない。好きにさせよう)
好奇心旺盛なバラムを気にすることなく彼の好きなようにさせていると、大きな手が頭上に覆い被さってきた。
そして、ワインを手にするカルエゴの紫黒の髪をさらりと撫でながら、グッと至近距離に近づいて、なぜか髪をクンクンと嗅ぐ様子を見せてくる。
「うーん。同じシャンプーを使ったのに、カルエゴくんの方がいい匂いするね。きみの匂いの方が好きだな〜」
「ゴフッ!」
「えっ? カルエゴくん、大丈夫?」
「い、いや。なんでもない」
白銀の髪をごしごしと雑に拭くシチロウは、何気なく言葉を紡いだだけなのだろうが、カルエゴは口に含んでいたワインを盛大に吹きこぼした。
(油断していた! シチロウはこういうヤツだったな)
心配したのか、シチロウがこちらの様子を伺っている。
それと同時に、カルエゴが溢したワインを素早く拭いてくれて、さすが俺のシチロウ! と心の中でガッツポーズをした。
同じシャンプーを使用したのは事実だが、ここは「一緒の匂いがするね」や「同じ匂いで嬉しい」などが常套句だと考えていたカルエゴは、想定以上の嬉しい言葉に不覚にも心乱れてしまった。
「……お前はいつも想定以上の言葉を俺にくれる」
ポツリと呟いた言葉をバラムは聞き逃さなかった。
再びカルエゴの元に戻ってくると、目の前で屈んでみせて「どの言葉かはわからないけれど、カルエゴくんが喜んでくれて嬉しいよ」と目元を緩ませて見せる。
きっと隠れている口元も口角を上げて笑っているのだろう。
こうした、何気ない会話をいつまでも続けていたいと考えていたカルエゴだったが、ふと目についたことがある。
あることに気づいてしまったのだ。
そのことがどうしても頭から離れず、紳士的な思考が一気に揺らぐ。
「カルエゴくん?」
小首を傾げてカルエゴに問いかけるバラムを見てカルエゴは目を泳がせた。
カルエゴは俯いて額に手をやり、ますます目のやり場に困ってしまうと口に出しそうになったところを、なんとか凌いでやり過ごす。
「ねぇ、カルエゴくんってば」
少しだけ拗ねたような声色を出しながらも、特段怒っているわけでもないバラムに対してカルエゴは何も言い出せずにいた。
なぜならば、バラムの着崩しているシャツの襟元から鬱血の跡がチラリと見えたのだ。
(これは間違いなくさっき俺がつけたものだ……! 俺としたことが!)
先ほど愛を確かめ合っていた時、つい夢中になり過ぎたのだろう。
バラムの首筋に鬱血痕がばっちり残っていて、それが一つや二つではないのだ。
いわゆる、キスマーク、というヤツである。自分の欲の象徴が、所有の印がこれでもかと散らされていて、首を完全に覆わないと隠し切れないだろう。
(これは果たして本人に伝えるべきか……。絶対説教されるな。嘘をついても虚偽鈴でバレるし、ここはあえて伝えないでおくか……。よし、そうしよう)
「カルエゴくん?」
再び訊ねられたカルエゴは、コホンと小さく咳払いをすると、「……あー、明日は早いんだろう。今夜はゆっくり休めよ、愛してる」と言ってそそくさと準備室を後にする。
「ちょっと! そう言うときは何か隠してる時でしょ!」と叫んでいるバラムの声は聞こえていなかったことにする。
その後、己の姿を鏡で見たバラムから魔インが入り、速攻で呼び戻されてバラムの機嫌取りに準備室に戻ったカルエゴは、愛するバラムが照れながらも怒っていたため大人しく怒られていた。
愛する悪魔は怒っていても可愛い!
今夜も愛しい悪魔のバリトンに心地よさを感じながら、「俺のシチロウが今日も可愛い」と本音をうっかり口にして、「もう! 全然反省してないでしょ!」と叱られながら、幸せを噛み締めるカルエゴであった。
終わり