弔い草木を踏み分けて、鍬の柄を杖代わりに歩いていると、山の中に知らない人間を見つけた。灰色の長い髪と、見慣れない服装で、見るからに余所者だ。その余所者はおれのいる方に背を向ける形で、土の上に膝をついて座っていた。
そいつがいた場所には、死んだ村人を適当に積んであったはずだが、死体は一つもなくなっていた。その代わりに、地面にぼこぼこと山ができている。
「あんたが埋めたのか」
背後からそう投げかけると、そいつは特に驚いた素振りもなく、「ああ」と答えて、振り向いておれを見た。
『見た』とはいっても、そいつは目を閉じていた。長いまばたきかと思ったが、ずっと目を開けない。盲人か、と頭の中で呟いた。この村にも目が見えない婆がいて、見えていないはずなのに、ぴたりと正しくこちらの方向を向くことがあったから、そういうやつなのかもしれない。おれがじろじろと観察していると、そいつは、
「ここの人たちはどうして死んでしまったんだい」と、静かな調子で尋ねた。
どうしてというと、どう話せばいいだろうか。おれは考えながら口を開く。
「体に赤紫色の変な模様が出て、ばたばた死んだ。死ななかったやつは気が狂っちまって、狂ってないやつを殺した」
あれはどれくらい前だったか。体に変な模様が出る病気が流行ってるらしい。最初に噂を聞いてから、あっという間だった。男どもがまず次々死んだ。それから女にも模様が出たが、女の中には、しぶとく死なないやつもいた。しかしそいつは、ある日突然肌が真っ白になったかと思うと、正気を失い、看病していた家族をみんな噛み殺してしまった。
その後、あちこちで似たようなことが何度も起きた。病気になった女を拘束しようにも、男の数が減っちまったもんで、どうしようもなく、殺されてたくさん死んだ。
「死んだのと殺されたのとどっちが多かったか分かんないけど、とにかくそれでほとんど死んだ。変な病気だろ」
びゅうびゅうと風が吹いて、死臭を運んでいる。そいつはただ眉の間に深い溝を刻み、黙っておれの話を聞いていた。驚かないうえに否定もしないから、心当たりがあるのかと思って、「あんた、もしかしてお医者様か」と訊くと、
「ああ……、僕は医者だ」
そいつは間を置いて、噛みしめるように言った。
「来るのが遅くて、すまなかった」
声色には、深い悔恨が沈んでいた。おれは首を傾げる。謝る理由が分からなかった。
「治せる病だったのか」
「……いや、治せない」
重々しく首を横に振る。おれは別に期待もしていないから、失望もない。
「なんだ。ならいい。人は死ぬときは死ぬもんだ」
そうだろ、と同意を求めたが、医者は答えなかった。
「君のほかに生き残った人たちはどこへ?」
「知らない。身を寄せる場所を探してここを去った」
喋っているうちに、立っているのもしんどくなって、おれは護身用に持っていた鍬を放り捨てて、そいつの隣にどかりと座る。
そこでようやく、土の山の数が、ここに積んであった死体より多いことに気がついた。つまり、死体が増えている。
「残っていた女たちは、おまえが殺してくれたのか」
山中には、山へ逃げ込んだ村人を追って、真っ白の化け物になった女たちがうろついていたはずだ。昨日までに二人殺したが、そういえば日が昇ってからは一度も見ていない。
そいつが静かに頷いたもんだから、おれは目を丸くして、改めてそいつをまじまじと見た。
見れば、ちょっと土で汚れているくらいで、目立った傷はどこにも見当たらない。腕だって細っこくて、病人か貴人みたいななりだ。そのくせにまだ五、六くらいは残っていただろう化け物を、ひとりでぜんぶ殺したという。
そもそも、この数の墓を一人で拵えたというのがおかしいのだ。村でいちばん働き盛りの男たちにだって、人を埋められるほどの穴を一晩に幾つも掘るなんて出来やしない。
もしかしたらこいつもまた、白い女の化け物とは別の、おれの知らない化け物なのかもしれない。──そう思ったが、別に正体はどうでもよかったから、それ以上考えるのはやめた。代わりにもっと気になることを尋ねることにした。
「それ、何をしてるんだ」
おれは土饅頭の上に沿えられた花を指差した。どこからもってきたのか知らないが、それは見たことのない、白い花弁と細長い葉を持った花だった。
「弔いだよ」
「とむらい?」
「死を悲しみ、死者を慰めるのさ」
おれは数秒考えてやっと、この花は死んだ人間に贈ったものなのだと理解した。
「でも、そんなことしたって死んだやつには分からないだろ」
「うん。だから、残された人たちを慰める意味の方が大きいかもしれない」
「残された人って?」
「君や僕のことさ」
おれには、そいつの言うことがよく分からなかった。賢いお医者さまの言うことだから、分からなくても、そういうもんかと思うことにした。
「君は、他の人たちと一緒に行かなかったのかい」
じっと土山を見ていたそいつが、少しおれの方へ顔を向ける。
「ここにいたいって言ったんだ」
おれが迷いなく答えると、そいつはちょっと困ったふうに眉を寄せた。怒ったり諭したりしないのが、おれにはかえってよかった。あれこれ言われたら面倒だ。それに、さっきから頭がぎりぎり痛んで、ちゃんと聞き取れる自信もない。
おれは土の上にごろんと寝転がる。木々の隙間から、冬のからりとした空が見える。体の下にはゴロゴロと石があって痛いけど、打撲や頭の痛みもあって、一つ除いたところで仕方がない。おれは余所者の方へ寝返りを打って、下から覗きこむようにして尋ねる。
「なあ。おれが死んだら、おれにも同じようにしてくれる?」
「……ああ」
おれの体じゅうに走る変な模様は、そいつには見えないはずだけど、なんでかやっぱり全部お見通しらしかった。変なやつだ。だけど、少なくともおれは一人で死ななくていいらしい。
──ああ、おれは一人が嫌で、死体のあるここへ来たのか。
仰向けの視界の端から腕が伸びてくる。そいつはおれの上半身を膝に乗っけた。母親みたいに柔らかくはないけど、石だらけの地面よりずっといい。そして、そいつが手のひらをおれの額にあてると、全身の全ての痛みが、ふっと消えてなくなってしまった。
それが不思議なことだったのか、死ぬ直前によくあることなのかは分からなかったけど。
「おれ、運がよかったな」
霞む視界で見上げたそいつは、おれより苦しそうな顔をしていて、おれのほうが笑ってやりたくなった。
しばらくして、もう一人の生者がそこにやって来た。
「スウ。探した」
「……ケビン」
呼ばれた医者は俯いたまま、友人の名を呟いた。ケビンは墓に目を落とし、少し眉根を寄せる。
「山に入っていたのか」
「小さな村を見つけてね。……もう、ゾンビとこの子しかいなかった」
スウは腕の中の亡骸を、そっと地に横たえる。崩壊に蝕まれた肌は青白く、外傷も酷い。しかしその表情は、眠っているかのように穏やかだった。
「……一つ一つに心を砕いていては身が保たない」
ケビンが低い声で言う。
スウは微かに苦笑を浮かべた。自分だって、感情を捨てたふりをしているだけで、ずっと傷ついてきたくせに。
「僕は大丈夫だ。分かるだろう。君の救世と同じように、これが僕の執念なんだ」
ケビンは口を引き結び、同僚の背中をじっと見下ろして、それ以上は何も言わなかった。
スウがゆっくりと立ち上がる。
「この子を埋葬する。手伝ってくれ」
「……ああ」
山は静かで、ざわざわと草木の揺れる音だけが空白を埋める。生きものの気配がない森は独特の異様な雰囲気の中、二人は黙々と墓を堀った。最後に墓の上に白花が零した花を供え、その地を去った。