善人には向かない意識のない七つの器を、方舟の寝室に敷いた毛布の上に横たえる。床で悪いけど、ベッドは一つしかない。こういうときに誰か一人を特別扱いはできないから、僕が座るのに使わせてもらう。
壊滅した町の瓦礫の下から七人を探して運ぶ作業は毎回骨が折れる。有事の際、彼女たちは一つの場所に固まっていない。一人は入り口のバリケードに、一人は避難所の前に、一人は町外れの家の前に。それぞれ町の人々を助けるために働いていたのだろう。しかし神の審判は絶対である。彼女たちに町を救うことはできない。
僕は清潔な布で体に付着した泥を拭いてやった。細い足から靴を脱がせる。いかにも脆そうな、幼く、小さな体だ。しかし、住民は流され家屋は倒壊し、町が完全に壊滅したというのに、この子たちに残った痕跡はせいぜいかすり傷程度で、大きな怪我は一つもなかった。今は気を失っているだけ。嘆かわしいことに、神様はこの星の命に対して不平等だ。
服を換え、最後に鍵もきれいに拭いた。神に与えられた権能はそのまま彼女たちの命を意味する。失くさないように紐を通し、首にかけてやった。
これですっかり元どおり。
そうしたら、またやり直しだ。
砂時計をひっくり返すように。砂が最後まで落ちたら、またひっくり返す。ひっくり返す。この繰り返しに何の意味がある? 小さな代理人たちは飽きもせず似たようなループを生きていくのだろう。当然だ。前回までの過程も結末も、その一切を覚えていないのだから。
なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。
僕は立ち上がり、ぐっと伸びをした。
代理人たちに仕事を教えたら、ここを訪れるのは最低限にしたいところだ。見飽きた茶番に何度も付き合ってやるほど僕は暇じゃない。
「ヴィタ姉さん!」
「どうして帰ってきてくれなかったの? 僕たちみんな寂しかったんだよ」
そして、たまに来てみればすぐこれだ。
「ごめんねー。仕事が忙しくってさ」
見上げてくるチビたちを宥めていると、他の色も続々集まってくる。ヴィタのネットワークの速さにはいつも感心する。
「ヴィタ姉さん……」
不安そうに僕の顔を窺うのはオレンジの襟のヴィタだ。人の心に敏い、慈愛の子。
「蘊藉ってば暗い顔をしないで。ほら、飴をあげるから」
「飴?」
僕はいつも通り、彼女たちを適当にあしらおうと飴の袋を出し、気づく。そうか。「今回」はこれが初めてだった。
「そう、オレンジ色の甘ーいキャンディだよ。手を出して」
僕はキャンディを一つ取り出し、蘊藉の両手のひらに落とす。
「わあ……」
「一気に食べちゃダメだよ、虫歯になるから。ま、蘊藉なら分かると思うけど……そうそう、君が他のヴィタや町の子どもに配るといい」
僕はそう言って、飴の入った袋を手渡す。
「分かりました。大事にします」
蘊藉は頰を上気させて、飴の袋をぎゅっと抱いた。まるで世界にひとつの宝物みたいに。ああ、たしか「初回」も蘊藉はこんな調子で、飴がなくなるのを惜しんで食べようとしなかったのだった。そういった僕の側にしかない思い出は、今となっては何の意味もない。
「……あのねえ、リアクションが大げさだよ。そんなに甘いものが好きなの?」
僕の茶化しに対して真剣な声が答える。和光だ。
「違うよね、オレンジ姉さん。ヴィタ姉さんがくれたものだから……そうでしょう?」
「そうだよ! ぼくたちの大好きなヴィタお姉ちゃんからのプレゼントってとこが重要なんだ!」
握った両手を上下に振りながら義心が続く。
腰ほどの高さしかない頭を見ながら、哀れな子たちだと思った。彼女たちは「頼りになるお姉さん」の僕を盲目的に信じている。僕があげた取るに足らないものを大切にしまいこんで、心底大事そうに扱うところを見ると、どこか愉快で、そして時々、むしょうに苛々して仕方がなかった。そんな形だけのもの、愛する価値なんてない。全て虚しい茶番劇だ。
そう思うのに僕は、飴の袋を蹴飛ばして踏みつけることも、抱きついてくる彼女たちの頭を撫でてやることも、そのどちらもしなかった。
「……なら、僕だと思って大事にするといいよ。腐るものでもないしね」
僕はきゅっと口角を上げて、七人を見下ろす。
今度はせいぜい長持ちしてくれよ。なにせ、瓦礫の山の中から君たちを探して引っ張り上げる仕事は、すごく面倒でつまらないから。
「ヴィタさんって、もしかして妹や弟がいますか?」
記憶に沈んでいた意識を明るい声が呼び覚ます。
「……ん? どうして?」
僕は無駄な思考を中止して顔を上げた。見慣れたセントソルトスノーの町並みを背景に、見慣れない客人たちがいる。
声の主は隣を歩く金髪の少女だ。
「町のみんなから頼りにされているヴィタさんは、お姉さんっぽいなあと。それだけですけど、もしかしてと思いまして」
第三惑星ご一行の中でも一際若い彼女は、好奇心に満ちた目で僕を見る。
「あはは、なるほどね。でも残念ながら僕にきょうだいはいないんだ。それに考えてみてよ。僕の自由気ままなところを見ると、逆に一人っ子っぽいと思わないかい?」
「うーん、言われてみればそうかもしれません」
「この中ではゼーレが一番『お姉さん』らしいと思うわよ」
砂糖菓子の子が話に加わる。名前を呼ばれた白蝶は、「実は、よく言われます」と控えめにはにかんだ。
「孤児院にいた頃、よく年下の子たちの世話をしていたので。だから身についているんだと思います」
「へえ。ゼーレは昔から面倒見がいいんだね」
僕が褒めると、彼女は眉を下げた。
「私は孤児院でたまたま年長でしたから……。小さい子が泣いていたら放っておけないでしょう?」
それだけのことで、大したことじゃありません。
「そうだね」と、僕は微笑んだ。
なんて素晴らしい博愛精神なんだろう。彼女の生い立ちは決して恵まれたものとはいえないが、それでも彼女はみなに愛され、みなを愛することができる純白の心を持っている。
べつにうらやんでいるわけじゃない。僕も他者を愛することはできる。ただ、僕は心を尽くす甲斐のないものには関心を向けないだけ。だって僕の時間はあまりにも長いんだ。常に三百六十度にリソースを割いていたら疲れてしまう。
でも、我が愛すべきゼーレ。君がもしこんな僕の本心を聞いたなら、君は僕を軽蔑するのだろうか。
そのあとに会った客人たちの正義感にも驚いた。五万年の人生を経ているというのに、彼女たちはまるで「普通の善人」じゃないか!
聞けば、彼女たちには道を同じくする仲間がいたのだという。方舟の記録なら見たよ。十三人のヒーロー? 第三惑星の人って本当にロマンチストだね。
僕の生は、仕事の度に暗闇の中から起こされては眠る、細切れの時間の継ぎはぎだった。世界の泡での交流は、いつもはじめましてから始まり、たいてい死を以って別れとなる。唯一近いところにいたマーラは僕を嫌っていたし、最後には勝手に逃げてしまった。
共感と信頼に基づく連帯を、想像はできる。きっとそれは僕には向いてないと思うし、僕の欲しいものではなかった。僕はもう自分が何を求めているかを理解している。『自由』だ。
だから僕は、あの者から奪う。姿形と名前の次は、その強大な権能を。
優しいお姉さんの役は得意だった。善人には向いてなかったけど。
破滅は僕の天職だった。趣味ではなかったけど。
では神様の役は――僕にとって面白いだろうか。
眼下で、ポロスの町を小さな代理人たちが歩いていく。幼い声が小鳥のさえずりのように耳に届いた。
『一番美味しい飴はどこで食べたんだろう?』
質問好きのイデアが立ち去ったあとも、彼女たちはお喋りを続けている。平和で平凡な一日の光景だった。
七つの種は、もう波に流されることはない。これで僕もやっとつまらない労働から解放されたわけだ。もしこの先、種が日照りで枯れ、病に萎れようとも僕の知ったことではない。もちろん、一番美味しい飴の在り処だって知るわけがないのだ。
僕は見飽きた町に背を向けた。
そもそも、彼女が首を傾げるその問いに、誰かが答えを与える必要はないのだろう。
『――そんなに考えこまなくても大丈夫だよ。僕たちみんなで一番美味しい飴を作ればいいんだから。』
彼の言う通り、彼らは自分たちで飴を作ることができるのだから。