白雪の透ける夜想石 棚アイテム「かのぐるみ・パリの少女コーデ」
あなたに憧れる少女がコーディネートした、可愛らしい服装のあなたのぬいぐるみです。
少女からあなたへの誕生日プレゼントです。
飾るとハニートラップの攻撃力がアップ!
七月二十六日
それを取り出して夜空にかざして見るのが、毎年この日の習慣です。
いくつの頃だったでしょう。私はまだ、うちの娘たちよりも小さな子供だったと思います。過剰な資本主義化が進む中、怪盗と資産家との攻防が繰り広げられる時代でした。その中で世間の話題をさらったのが、怪盗ネージュです。
怪盗と言ったら男性が多かった中、彼女は女怪盗として、そして怪盗団を率いるリーダーとして活躍しました。顔を見た者はいないけれども、大変に身軽で、その肢体は非の打ち所のないほど美しかったと言います。
シルクハットに薔薇の眼帯、ピンク色の髪、露出度の高い黒い衣装、ステッキと言った姿が彼女のトレードマークでした。
そんな彼女の姿を写し取ったようなぬいぐるみが、いつの間にかおもちゃ屋さんで出回るようになりました。ある年の誕生日、私はそれを欲しい欲しいと散々ねだり、折れた親に買ってもらったのです。
子供向けということで、衣装のデザインは露出度を抑えたものになっていましたが、それ以外の特徴は世間で言われているものとそっくり同じに見えました。私は、ネージュがうちに来た、と思って嬉しくなりました。
そのうち私は、工作と簡単な手芸を覚えました。仮面やアクセサリーを作り、ネージュぬいぐるみをおしゃれさせて楽しむようになりました。
次の年の誕生日が近付いた頃でした。母が言ったのです。
「何か欲しいものはある?」
私は、母の愛用のミシンを指差しました。
「ネージュにドレスを作って。真っ白で、ひらひらしたレースがたくさん付いてるの」
母は承諾し、その日から作業を始めてくれました。
それから数日経った日、私はいつものようにネージュぬいぐるみを連れて母と出かけました。シルクハットにはたくさんの花を乗せ、ビーズで作った耳飾りに首飾り、腕輪も着けていました。ネージュぬいぐるみを持っている子はたくさんいても、私のネージュは世界にひとりしかいないのだ、と得意になりました。
おもちゃ屋さんの前を通ると、「ネージュぬいぐるみ売り切れ」と書かれたポスターがありました。
母は言いました。
「いろんなところで品切れになっているんですって。オークションでもとんでもない値段になっているから、早くに買っておいてよかったわ」
みんなが欲しがるネージュぬいぐるみを私は持っているのだ、とまた私は得意になりました。
ですが、ネージュぬいぐるみが我が家で過ごしたのは、その日の夜が最後になりました。
朝起きて驚きました。枕元で一緒に寝ていたはずのネージュがいないのです。
泣きながら母と一緒に家中を探しましたが、見つかることはありませんでした。
「もしかして、盗まれたんじゃ……」
母がぽつりと言ったのを、私は聞き逃しませんでした。
「それなら、ネージュに取り返してってお願いしたら帰って来る?」
私は母にすがりつきました。
「こういうときは、まずおまわりさんに届けないと……」
母は困った顔で言いました。
「嫌だ、ネージュに取り返してもらいたい」
そして私は、そのまま机に向かいました。
怪盗ネージュ様へ
お願いがあります。
私のネージュぬいぐるみが、誰かに盗まれてしまいました。
おしゃれをして、とても大切にしていました。
写真を一緒に入れておきます。
どうか、取り返してください。
お願いします。
こんな文面の手紙を書き、封筒に入れて、母のところへ持って行きました。母は相変わらず困った顔をしていました。ですが、私が納得しないのを見ると、仕方なく封筒にある住所を書いてくれました。宛先には、「サンジェルマン新聞社」とありました。
その封筒を一緒にポストへ入れに行った後、母は言いました。
「いい子にして、お祈りをきちんとすれば、きっとネージュは帰って来るからね」
母の言う通り、私は寝る前のお祈りを以前よりも熱心にするようになりました。
その年の七月二十五日のことでした。
二十六日は、私の誕生日です。
私は、日付が変わるまで起きていたくて、母におやすみを言った後もこっそりベッドに座っていました。
そのうち、うとうとと眠くなって来たので、頬を引っ張ったり腕をつねったりしていました。
午後十一時五十五分頃のことでした。小さい子供は、さすがに眠くなる時間です。
ですがそのとき、屋根の上で、トン、と音がしたのを私は聞き逃しませんでした。
何だろう。そう思いながら、母の言葉を思い出しました。
ネージュぬいぐるみは盗まれたのかもしれない。
不安になりました。
また、誰かが何かを盗みに来たのではないか。
そうだ、ネージュぬいぐるみのお洋服やアクセサリーを盗りに来たのかもしれない。
トン、とまた音がしました。
今度はベランダの方です。
盗まれないように、今度こそ私が守らないといけない。
勇気を出して、私はカーテンを勢いよく開けました。
「――まあ、びっくりした」
ベランダに立っていた人を見て、私は驚いて動けなくなりました。
シルクハットにピンク色の髪。薔薇の眼帯。レースのついた黒い衣装に、踵の高い靴。
あんなにも憧れた怪盗ネージュが、目の前に立っていたのです。
ネージュは、コツコツと指先で軽く窓を叩きました。
私は慌てて、窓を開けました。
「こんばんは。あのお手紙をくれたのは、あなたね?」
ネージュは、私の目の高さにかがみ込みました。お花のようないい匂いがしました。シルクハットの下の顔は、とても綺麗で、優しそうに見えました。
「あなたのぬいぐるみ……頭にお花を乗せて、イヤリングやなんかをつけて、おしゃれをしていたわよね」
ひそひそとした声で、ネージュは言いました。
私は声を出せずに、頷きました。
「よかった。それなら、これで合ってるかしら」
彼女は、手に持っていた包みを開いて見せてくれました。
わあ、と声を出しそうになって、私は慌てて口元を抑えました。手紙に同封した写真と、そっくり同じ姿のぬいぐるみが、ネージュの腕に抱えられていたのです。花もアクセサリーも、一つも欠けてはいませんでした。
ネージュはにっこりと笑って、私にぬいぐるみを差し出しました。
そのときです。
荘厳な音で、大聖堂の鐘が鳴り響きました。
日付けが変わって、七月二十六日になったのです。
「今日は、私のお誕生日なの。お誕生日に、大好きなネージュに会えて嬉しい」
やっと声を取り戻して、私はもじもじと言いました。
「あら、偶然ね。私も今日がお誕生日なのよ」
「本当?」
それなら、と私は、差し出されたぬいぐるみをそっと押し戻しました。
「このぬいぐるみ、ネージュのお誕生日プレゼントにあげる」
シルクハットの下で、長い睫毛がぱちぱちと上下しました。
「そんな、もらえないわ。あなたの大切なぬいぐるみさんだもの」
「いいの。ネージュに会えたのが、一番のプレゼントになったから。もらってほしいの」
私は、ネージュの胸元にぬいぐるみを再び押し付けました。
ネージュは、根負けしたように笑いました。
「分かったわ。それじゃ、これと交換にしましょう」
ネージュが私に手渡したのは、きらきらと紫色に輝く、小さな小さな石でした。
宝石です。
私は驚いて、ネージュを見上げました。
「これは、夜想石」
「夜想石?」
「そうよ。会いたい人がいる夜には、この石を透かして夜空を見るの」
私は、言われた通りに石を夜空にかざしました。
月の光が、幾重にも交差して見えました。
横で、ネージュがこちらを見ているのが目に入りました。
「本当だ。――会えた」
私が笑うと、ネージュもにっこりと笑いました。
その夜のことを母に話しても、信じてはくれませんでした。
もしそれが本当なら、折角作ったこのドレスはどうするの、と却って叱られたほどです。
覚えているのは、私とネージュと、そしてこの夜想石だけです。
夜想石越しの夜空を見ると、今でも彼女の笑顔がそこに浮かんでいるような――そんな気がして、毎年私はきらきらと光るこの石を眺めています。