乱F1ネタ事務所に到着すると、いつもの定位置に凪砂がいるのが見えた。傍らには茨が立っていて、凪砂から何かを手渡されている。茨はそれを確認することもなく無造作にポケットに突っ込んだ。その雑な態度から、石かな、とジュンは思った。凪砂の服のポケットには常に何かしらの石が入っていて、休憩時間に取り出して眺めたり、気分次第では他人に贈与したりしている。
送り先第一位は間違いなく茨だろう。まだEdenではなく、AdamとEveとして活動していた頃から、度々渡されていたらしい。茨はきっちりと制服を着こなすタイプなので、ポケットが不格好に膨らんでいると目立つのだ。出会った当初ジュンは茨に対して悪感情を抱いていたので、気になっても尋ねることはしなかったが、後から事情を知ってあれは石が入っていたのだと理解した。
(閣下のことなので、ひょっとして物凄く価値のある鉱石なのでは、と思って調べさせたこともあるんですが、本当にただの石ころなんですよね…)
指でつまんで石を眺める茨は、珍しく困惑をあらわにしていた。確かに石ころなんて貰ってもどうしようもない。凪砂からの贈り物ならおいそれと捨てることもできないだろう。ちなみにジュンも凪砂から石を貰ったことがあるが、名前のある鉱石を石言葉とともに贈られているので、茨のそれとは意味合いが違った。『価値のない石ころ』をぽんぽん手渡されているのは、多分茨だけなのではないだろうか、とジュンは推測している。
それはともかくとして、凪砂と茨の間には独特の空気感があって、二人が話していると何となく割り込みづらい雰囲気がある。ジュンは茨から呼びつけられているのでさっさと用件を済ませて寮に戻りたいのだが、どうしたものかと迷っているうちに、茨がスマホを取り出して電話に出始めた。
「あー…しまった」
副所長室に戻ろうとしているので、長くなるかもしれない。駄目元で茨の視界に入ろうと手を上げると、気づいた茨が片手で謝罪するジェスチャーをした後、凪砂の方、正確には打ち合わせスペースの方を指差した。待っていろということらしい。ジュンは指で丸を作って返事をする。そのまま行ってしまった茨を見送り、凪砂に近寄る。
「ごめんね。茨と打ち合わせだった?」
「そうっすね。まあ、茨が忙しいのはいつものことなんで、待つくらい別にいいんですけど。ナギ先輩も茨に呼ばれたんすか?」
「ううん。私は茨に会いに来ただけ。仕事じゃないよ」
「相変わらず仲いいっすねぇ…」
以前は茨の方が閣下閣下と付き従っている印象だったが、ESが本格始動してからは凪砂が一人でいるのを見ることも増えた。茨が実質コズプロのトップに躍り出たことで、凪砂の世話を焼く時間が減ったのだろう。
「せっかく茨が仕事でいないんだから、自由にしたらいいのに。前は一人で遊びに行ってましたよね」
「あの頃は一日中茨が側にいてくれたからね。でも今は、私から会おうとしなければ、一言も会話せずに終わる日も多いんだ。寮の部屋も別々だし、茨が動けない分、私個人の仕事も増えてきたしね」
「あぁ、確かに。言われてみればそうっすね。何かAdamの二人はいつもべったりくっついてるイメージだったから、ちょっと意外かも」
ジュンの部屋はしょっちゅう日和が押しかけてくるので、凪砂と茨も似たようなものなのかと思い込んでしまっていた。
凪砂はソファに体を沈め、物憂げに呟く。
「私も、いつまでも茨に負担をかけてばかりではいけないと思っているのだけど。そうやって頑張れば頑張るほど、茨は私に対して手を抜くから、少し複雑」
「はは、茨もナギ先輩離れができてちょうどいいんじゃないっすかぁ?」
ジュンの目から見て、茨の凪砂への過干渉っぷりは異常だった。まるで幼い子どもにするように、と言ってもあの頃の凪砂は子どもと表現しても差し支えないほど未発達だったのだが、とはいえ衣食住おはようからおやすみまで茨の意のままに管理するのはさすがにやりすぎだと思っていた。それが健全な状態に近づくのなら、どちらにとっても良いことだろう。ジュンは軽い気持ちで笑い飛ばす。しかし凪砂は眉を寄せ、難しい顔で唸った。
「離れられると困るのだけど…」
「へ?いや、離れるって言っても、親離れ子離れみたいな意味なんで、バラバラになるとかそういうことじゃないですよ?」
凪砂が予想外に真剣な表情をするので、慌ててフォローを入れる。万が一ジュンの言葉が原因で凪砂が調子を崩すようなことがあれば、茨が鬼の形相で飛んでくるだろう。キレた茨はとにかくねちっこくて面倒臭いのだ。巻き込まれるのは御免だ。
「第一、あの茨がナギ先輩から離れるわけないじゃないですか。プロデューサーさんにだって触らせようとしなかったのに」
ESを統括する機関にいる例のプロデューサーは、事務所横断企画であれば茨よりも強い権限を持つ。にも関わらず、凪砂の専用衣装は茨の案で決定した。プロデューサーが茨に遠慮したのもあるだろうが、あれはそもそも茨が普段から凪砂を囲って情報を外部に漏らさないようにしていたのが原因だ。そんな状態で他人がプロデュースしようとしたところで、納得のいく仕上がりにはならないだろう。
そして凪砂もジュンも日和も、茨が案を持ってきたことも、その中から凪砂の衣装が選ばれたことも、当然のことと思っていた。
「…そうだね。そういえば、プロデューサーさんには悪いことしちゃったかな」
「いいんじゃないっすか?あの人も上がってきた衣装見てはしゃいでましたし」
衣装を着用した凪砂を取り囲んで、茨と二人わいわい騒ぐ姿は、同僚と言うよりは仲の良い兄妹に見えた。
茨も茨で、やれ生地がどうの刺繍がどうのと興奮して語る目がきらきらしていて、話が分かるプロデューサー相手だとああも表情が変わるのかと、普段聞き流しているのが申し訳なくなってしまうくらいだった。
「焼けちゃうよね」
凪砂が微笑む。咄嗟に意味が掴めず、ジュンは曖昧に返事を濁した。
凪砂との会話ではよくあることだ。凪砂は基本的に言葉が足りないので、茨の補足がないと会話が成り立たないことも多かった。今のジュンの反応からして、意図を理解できていないことは伝わっているはずだが、凪砂が自ら説明しようとしないということは特に意味のない呟きだったのだろう。
「あのときナギ先輩が茨に渡してた石、名も無き石だなんて言ってましたけど、実は結構高い宝石だったりするんすか?」
「…そんなことはないけど、どうして?」
「だってすげぇキレイでしたし。それに茨がナギ先輩の専用衣装に石ころ使うかな?って」
「石ころ。ふふ…」
「あっ、すいません!」
人の専用衣装に向かって石ころは口が過ぎた。頭を下げようとするジュンに、凪砂が首を振る。
「私が茨にあの石を使うようにオーダーしたからね。装飾品を用意して、とだけ言っていたら、ジュンの想像通りになっていたと思うよ」
凪砂が何もない胸元を撫でる。専用衣装でちょうど赤い石が下げられている辺りだ。
「あれは本当にただの石。磨いて価値を与えたのは茨だよ。私のことを想って、私だけのためにあつらえてくれた特別なもの。正しく愛の結晶」
「はぁ、そういうもんですかねぇ…?」
聞く人によっては熱烈な告白にも聞こえるのだろうが、一年以上かけてこの手の発言に慣らされたジュンにはあまり響かない。むしろ凪砂の口から出たことでふわふわと実体がなく聞こえる。
「物品の価値は、相対的に決まるもの。欲しがる人が多ければ価値は上がり、誰も欲しがらなければ無価値とされる。人から求められることを、私や日和くんは愛と呼び表すけれど、茨は金銭に換算しているよね。これも貨幣を媒介にした物々交換になるのかな」
「ええと?すいません、よく分からないんすけど」
「茨はお金が大好きという話」
「あれ?今そんな話でした?」