雪兎を作る話 一晩降り続いた雪は、翌日には中庭を見事な銀世界に変えていた。
これに目を輝かせ、身を切るような冷たさもものともせずに飛び出していったのはもちろん裂魔弦で。言霊を繰る珍しい琵琶から、自在に人型へ変化できるいっそう摩訶不思議な琵琶へと進化を果たした彼は、自由に動き回れる手足を得たことで、様々なものへの好奇心を顕にするようになった。
食べ物を目にすれば、器用に箸を操って口に含み、咀嚼することの新鮮さを面白いと笑い。ある時ふつりと糸が切れたように眠りに落ちたかと思えば、電源を入れた絡繰のようにぱちりと目を覚まして、「俺今寝てた?!」と一頻り驚いてはやはり楽しそうに笑い声を上げる。
自由になる身体を得たことで出来ることが増えた分、見聞きし触れるもの全てにこれまでなかった新鮮さを垣間見ているのだろう。琵琶であった頃からわざとらしく子供じみた言動を取ることがあったが、人に似た形を得たことでそれが実を得たような気がするのは、巫謠の錯覚ではないだろう。早い話が、琵琶であった頃より子供っぽい行動が増えた、と思う。
こんもりと雪が降り積もった庭は、一歩踏み出すだけで足先から体温を奪い、冷えた空気は吐き出す息を白く濁らせる。それでも室内に戻ろうとは思えず、巫謠はぼんやりと、なにやら庭中を駆け回っている裂魔弦の姿を見守っていた。
「寒いから浪は中に入ってていいぜ」と、気遣いから齎されたのだろう一言が、かえって巫謠から外に残る以外の選択肢を奪ったことに、はたして裂魔弦は気づいているのだろうか。
自分が屋内に戻ったところで、お前はそうやってひとり、楽しそうに遊び続けるのだろうに。無邪気に雪景色にはしゃぐ男よりよっぽど子供じみている心中を、それとなく裂魔弦は察したらしい。幼少期から巫謠と共に過ごしてきた魔琵琶は、言葉にしない巫謠の心中をいつだって誰よりも的確に聆き取ってくれる。
「ちょいと待ってろよ」――そう言って、一度客桟へ戻った彼は何故か円盆をひとつ借りてきて、その上に掌ほどの雪を楕円形に丸めて置いた。そして今度はああやって庭中を駆け回って、植木の葉を摘み取ったり、南天らしき赤い実をもぎ取ったりと、なんとも忙しない。犬は喜び庭駆け回り、とどこで聴いたとも知れぬ歌の一節が脳裏に過ぎる。
やがて採取した葉やら実やらを抱えて戻ってきた裂魔弦は、楕円形に整えられた雪に、まずはと南天の実をふたつ埋め込む。いくつか摘み取ってきたらしい緑の葉は、椿だろうか。これという形を吟味するようにひとつひとつを検分し、選び取った二枚を慎重にこれまた雪に差し込んでいく。
一対の赤い目と、緑の耳。ただの白い塊に過ぎなかったそれは、あっという間に丸々とした白い兎に変化したのだ。満足そうにひとつ頷いた裂魔弦は、くるりと盆を回して、雪兎の顔を巫謠の方へと向けさせた。ぱちりと、赤い南天の眼差しと鉢合う。
「どうよ、俺様初の雪うさぎ! かわいいだろ?」
差し出す男の見た目には少々そぐわない小さくつたない造形物は、確かに『愛らしい』と表現するのが一番適当だろう。言葉の代わりに首肯で返せば、にんまりと深まった笑顔の下で「だろう?」と得意げな声が上がる。
よし、と気合を入れ直すように両手を打って、裂魔弦は「もうひとつ作るか」と言った。
「――うさぎってのは、さびしいと死んじゃうって言うだろ?」
ひとりぼっちじゃさびしいもんな。そう、当たり前のように紡がれた言葉に、胸の奥に降って湧いた感情は、なんと名付ければいいのだろう。
寒空の下に小さな熾火を見つけたような温かさと、小さな棘でちくりと刺されたかのような痛みとが共存するそれは、なんとなくこの雪景色に似ているような気がした。痛みを覚えるほどにつめたいのに、どこかあたたかい。そんなどこか相反する、切なさを伴った温もりのようなものを与えられた気がした。
ひとりぼっちはさびしい。それは確かにそうだと思う。だけどそれならば、ひとりでこの雪細工を作るお前だって『さびしい』ということではないのか。そんな風に思ってしまえば、ひとりで見守っているばかりの自分もまた『さびしい』のだと気づいてしまって。そうして再び裂魔弦に選択を奪われた巫謠は、こう告げるしかなくなるのだ。
「……俺が、作る」
誰の足跡もついていないまっさらな雪を選んで、掌にすくう。つめたい雪は痛いほどで、けれどすぐに、その感覚も消えていくのだろう。そうして冷え切った指先で触れれば、彼の赤い指先はいつもより温かく、むしろ熱く感じるのだろうか。確かめてみたいと思う。知りたいと思う。子供のような好奇心に似た心で、わかりたいと思う。ひとりぼっちではわからないことを、彼と一緒にわかりたいと思う。
楕円形に丸めた雪を、先んじて生まれた兎の隣に置く。ふたつの南天の目と、緑の耳。少し考えて、指先でつまみとった雪をふたつ、形を整えて、目と耳の間の額にあたる部分に乗せる。
二本の小さな角を生やした新しい雪兎を見て、この日一番の笑顔が咲くまで、あと少し――