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    n_lazurite

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    n_lazurite

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    ご都合時空な裂浪小話。
    名前を呼び合って甘え合う話。或いは、欲が芽生える話。

    ##裂浪
    ##ご都合時空

    名を呼ばう話 ――今更、その声音に灯る情を疑ったことは無いけれど、その深さを見誤っていたことは、認めざるを得ない我が身の過失であっただろう。


     西側に設置された窓からは、昼下がりのあたたかな陽光が射し込んでいた。
     多少の行儀悪さは御愛嬌とばかりに窓縁に腰を下ろし、遮るもののない快晴空から降り注ぐ光の熱を浴びてゆったりと寛ぐ浪巫謠の姿は、さながら日向ぼっこする猫のそれだった。
     冬場の冷気を跳ね除けるような日向の心地好さに、瞼が重くなるのは時間の問題だっただろう。別段目的はなく、急ぐ旅でもない。このまま眠ってしまっても巫謠としては一向に構わなかったけれど、いくら暖かくともこんな風の当たる場所で眠っていては、今は姿の見えない旅の連れに小言を喰らうのは避けられないことも理解していた。
     とはいえ、義務感でも、後の面倒を避ける為の予防策でもなく、ただ純粋に心配と気遣いを以て齎される説教を、今の巫謠は案外悪いものだとは思っていなかったりする。なんだかそれは親に構ってもらいたい子供のような心持ちではあったけれど、であるからこそ、その心を『彼』はけっして疎むことはないだろうという、期待と甘えが存在した。
     己にとってさしたる不利益がないのならば天秤にかけて迷い悩む必要もなく、そうして結局巫謠は窓縁に落ち着けた身体を動かすことなく、そっと瞼を下ろした。
     視界を閉ざせば、元より鋭敏な聴覚はいっそう研ぎ澄まされる。陽光を透かした瞼の裏の、あかるい闇の内側で、聴こえてくる音に耳を傾ける。冷気を孕んだ風の音、煽られる木々の葉擦れの音、陽気に誘われた鳥の囀り。何より顕著に犇めくは、階下でざわめく人の声、足音。およそ人の世は静けさには程遠く、未だ馴染み切るには至れない。それでも離れようとは思わない。遠ざけたいとは思わない。そう思えるだけ、自分は確かに成長しているのだろう。 
     やがて耳は一つの足音を探り当てた。弾むような足取りで階段を上がってくるそれは、迷いのない速度で部屋に近づいてくる。ようやっと戻ってきたらしい。
    「――戻ったぜ浪ー! ……って、おいおい、そんなとこで寝ちゃってんのかよ」
     案の定、部屋に入ってくるなり喜色満面の声を上げた『彼』は、窓縁に陣取ったままの巫謠の姿に声色を変えて呆れたように呟いた。なんとなく、巫謠は閉ざした瞼をそのままに、『彼』の動向を窺うことにした。それはちょっとした好奇心であり、ささやかな欲求であった。
     足音が更に近づき、窓縁に座る巫謠を見下ろす位置から声が降ってくる。
    「浪? おい浪、寝るんならそんな風が当たる場所じゃなくて、せめてあっちの長椅子に移動しろって。風邪引いちまうぞ?」
     慣れ親しんだ呼び声が、やさしい忠言を繰り返す。その声をもっと聞きたくて、もう少しだけ呼んでもらいたくて、深く寝入ったふりをして言葉を聞き流す。もちろん、そんな演技に惑わされたり、誤魔化されてくれる相手ではなかったけれど。
    「浪? 浪さん? 浪ちゃんってば。起きてんでしょ? お前さんの耳で、こんだけ近くで騒がれて目が覚めてないなんて有り得ないだろ? 俺様の目は誤魔化せないぞ?」
     確信を持った声は、呆れと、けれど許容を含んだ甘さを伴っている。
     諦めて瞼を上げて視線を向ければ、存外すぐ近くにあった顔と鉢合わせる。驚くでもなく、ただ、ぱちりと同時に目を瞬かせる。鏡に映したような挙動の先で、巫謠の似姿をした彼――裂魔弦はにんまりと満足そうに笑い、そして揶揄うように告げた。
    「よう、狸寝入りちゃん。珍しいな、浪がそういうおふざけをするなんざ」
     明日は雨か雪か、はたまた槍でも降んのかい。楽しそうな声がつらつらと、いつものように余計な、もっと言えば失礼な言葉を紡いでいく。
     これもまたいつものように感じることだが、つくづくよく回る口だと思う。そうやって余計な口を叩きすぎて痛い目に遭ったことは数知れないというのに、まったく懲りたためしがない。ただ、最近になって聆牙/裂魔弦のこういうところは、単なる性分というよりももっと別の意図を持っているではないかとも思うようになった。それが何なのかははっきりとはわからないし、問い質したところで誤魔化されて終わるだけだろう。本当のところなど、巫謠にはわからない。わからないけれど、なんとなく、甘やかされているような気がしていて、それはきっと間違いではないという確信だけがある。
     だからという訳ではないが、巫謠はいつものように折檻の手を上げる気にはなれず、ただ黙って裂魔弦の碧い目を見つめるに留めた。
     そうすると裂魔弦は、一瞬虚を憑かれたような顔をし、しかしすぐに、先程までの揶揄するような楽しげなものではなく、ひどく穏やかな笑みを浮かべて、おもむろにその場に膝を折った。そのまま巫謠の膝に懐くように両腕を乗せ、頭を寄せる様は、それこそ気まぐれに構いにくる猫を彷彿とさせる。そのくせ、落ち着いた眼差しの色は、言葉のつたない幼な子の話を親身に聞き取ろうとする親のそれのようで。
     こんな時は特に、甘えられているようで、実質甘やかされているような心持ちを覚えずにはいられなかった。彼が『裂魔弦』という形を取れるようになってから、そんな風に感じる瞬間が増えた気がする。こうして自らの足で歩み寄り、自らの手で触れることを覚えてしまったからだろう。まるで巫謠を甘やかすことが何よりの喜びで、幸いであるかのように、こんな時の裂魔弦の瞳は、声音は、おそろしいほどに穏やかで、甘ったるいものだから堪らない。そうしていく内に、巫謠自身もまた彼に甘やかされることを快いと思い始めてしまったのだから、本当に、どうしようもなかった。
    「浪」
     言葉一つに、呼びかけ一つに、数多の感情を宿せるということを、巫謠は痛いほどに知っているつもりで、その実理解しきれていなかったのかもしれない。これまでだって、確かな情を持って呼ばれていたことは知っていた。けれどその深さを、理解しきれてはいなかったのだろう。
     巫謠の全てを許し、受け入れ、寄り添おうとしてくれるものがそこにある。表情で、声色で、言葉で、心で、それを示すものがいる。万感の想いを込めて、己の名を呼ばうものが、其処に居る。
     だから、その声をもっと聞いていたいと思った。あともう少し、その声に呼ばれていたいと思った。ささやかでありながら、本来言葉を持たぬはずの器物に託すには大それた欲求。
     落とした視線の先、先程までとは逆しまに、見上げてくる眼差しに促されるように、乞う。
    「――もっと、呼んでくれ」
     他ならぬお前のその声で、名を呼んでほしい。
     ぱちり、ぱちり、と無防備に瞬いた碧が、やがてやわらかく細められて。甘えるように巫謠の膝に懐いたまま、甘やかすようにその口が名を呼ぶ。
    「浪」
     頷く。もっと、と強請るように、或いは褒美を与えるように、膝に乗せられた頭を撫でる。嬉しそうにすり寄ってくる姿は本当に猫のようだ。お互いに、甘えるように甘やかして、甘やかすように甘えている。一方的に与えるのではなく、与え合えることが、それを喜び合えることが、嬉しいと思った。幸いの在処は、こんなにも身近に存在している。
    「浪さん?」
     もう一度頷く。
    「浪ちゃん」
     また頷く。言葉はなくとも、慣れない言葉の相槌よりただその首肯だけで十分だと示すように、理解ってくれているように、裂魔弦は笑う。そうっと、頭に触れていた手に、赤い指先が触れた。肉の器を得た形の中で、唯一器物としての感触を残した掌に包まれ、ゆるく握られる。
     そして、世に二つとない宝物を愛でるような眼差しで、声色で、その音が紡がれる。

    「――巫謠」

     とくん、と鼓動が跳ねた。
     雪化粧の上をはね跳ぶ兎のように軽やかに、けれどそこに小さく確かな足跡を残すように違えようもなく、それは巫謠の胸の内に小さな灯火を宿した。
     赤に握り込まれた指先がその口許へと運ばれ、やわらかな感触と共にかすかな温もりを落とされる。
     ぴくりと、反射のように震えが走る。けれど、振り払う気にはならなかった。驚きは隠せず、それでも、嫌だとは思わなかった。愛でるような、慈しむような、その情を拒もうとは思えない。それが不思議でならなかった。
     『愛でられる』ということに良い記憶はなかった。かつてこの身に受けたそれは、鎖で縛り、檻に押し込めるような重圧に似た愛執であり、巫謠の自由意志を認めぬ雁字搦めの執着であった。
     けれど今、指先に触れた口付けは、あの重苦しい『愛』とはまるで似ても似つかない。羽のように軽く、ともすれば児戯にも等しい刹那の接触。拒み振り払うことを許し、それでも受け入れてほしいと許しを乞うような、『いじらしい』と呼ぶしかないその情は、しかしそれもまた『愛』なのだと、埋み火にじわじわと熱を移されていくかのように、理解する。させられる。指先から灯された実感が胸を焼く。
     きゅ、と指先を丸めて、赤い手を握る。受け入れたいと思った。出来得るなら、同じだけのものを返したいとも思うけれど、今の巫謠にはどうしたらいいのかわからない。ただ、『拒まない』という意志を示すことしかできない。それでもやはり、浪巫謠を誰よりも理解する魔琵琶の化身は、それで十分だと謳うように笑う。そうして、迷子に道を示すように乞うのだ。
    「なぁ、俺のことも呼んで」
     お前の声で呼んで、と。それ以上の幸いなど知らぬと言わんばかりの声音で甘える。
     聆牙、と。器物の銘を呼ばう。うん、と短く相槌が返る。
     裂魔弦、と。普段は口にしない人形ひとかたの名を紡ぐ。すこし驚いた顔をして、そうしてすぐに笑顔が咲く。喜びをやわらかく煮詰めれば、きっとこんな表情かおになるのだろう。窓縁に射し込むうららかな光を浴びて輝くその姿は、息が詰まるほどに美しかった。
     与えてやりたいと思った。同じだけ、与えられたいとも思う。もう十分すぎるほどに貰い受けているくせに、それでもと胸の奥に湧いた欲が騒ぎ立てる。
     幸いだけを詰め込んだひと時を、叶うならば自らの手で与えたいと思った。他ならぬ彼の手で、口で、与えられたいと思った。
     そんな、実に大それた欲求を、巫謠はこの時初めて、心に抱いたのだ。
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