傷跡を確かめる話 最近知ったことだが、裂魔弦の腕には『聆牙』にあったものと同じ傷跡が刻まれているらしい。言われてまじまじと見てみれば、なるほど確かに、大小様々な細かい傷跡がいくつか見てとれる。
楽器であり武器である『聆牙』の身体には、どれだけ丁寧に手入れされていたとしても、年月と共に細かな傷が増えていくのは仕方のないことだった。その傷跡が、器物の名残を色濃く残す両腕に反映されているらしい。
そう指摘したのはもちろん巫謠で、当初裂魔弦はそれを『よく見てんなぁ』なんて呑気な感想一つで片付けていた。
それから巫謠は、折に触れては腕の傷に触れてくるようになった。その時の何かを探すような、確認するような眼差しや手つきは、到底戯れなどとは呼べぬ真剣なもので。興味と、一抹の不安を抱いて尋ねてみれば、やはり真面目な顔をして巫謠はこう言った。
「俺の知らない傷がないか確認している」
「浮気調査だったの?!」
裂ちゃんびっくりですわよ。などとふざけてはみるものの、驚きそのものは本物である。巫謠は一瞬そこはかとない不機嫌さを表情に滲ませ、しかしすぐに視線を逸らしてしまった。そのどこかばつの悪そうな顔は『怒っている』というよりもむしろ、
「お前はもう、自由に何処へでも行けるから……」
自分の知らない所で、知らない傷を作ってくる可能性だって、否定はできないのだと。たどたどしく理由を語るその声色も、やはり怒りなどではなく、単に拗ねているだけのようであって。
仕方のないやつだなぁ、と思った。それは呆れであり、同時に愛おしさとでも呼ぶ感情であった。
だってそれって、自由を認めているくせに、許しているくせに、自分の知らない軌跡を残すことを受け入れたくないってことだろう。それって、ずっと自分の知っている『聆牙/裂魔弦』のままでいてほしいってことだろう。本当はずっと、自分の傍を離れずにいてほしいってことだろう。これが嬉しいと、愛おしいと思わずにいられようか。
うずうずと湧き立つ衝動を抑えきれず、がばりと巫謠を抱き締めた。
「だぁいじょうぶだって、浪ちゃん。俺様これでけっこう一途ちゃんなんだわ。心配しなくたって、『聆牙』はずっとおまえさま一筋だよ」
嘘ではない。琵琶が『聆牙』を名乗る前、それは巫謠の母の物だった。だけど、浪巫謠の牙たる『聆牙』として己を定め変化した瞬間から、新生した器物にとって浪巫謠だけが唯一無二の主であり、友だった。『聆牙』から変身を遂げた『裂魔弦』も、それは変わらない。
だから何も心配しなくていいのだ。この腕に刻まれた傷跡は全て、浪巫謠と共に進んできた旅路の中に築かれたものなのだから。そう思えば、なるほど確かにこの傷跡は、触れて、辿って、思い返すように、確かめたくなるかもしれない。そのひとつひとつが全て、巫謠と歩んできた軌跡なのだと思えば、それは紛れもなく『誇らしい』と思えるものだから。
「それでも心配だって言うなら、いくらでも確かめてくれよ。この傷がどうやって出来たか、全部知ってるのはお前だけなんだからよ」
だから忘れないでほしい。浪巫謠が生きる限り、手放さぬ限り、彼のための器物はずっと傍にいるから。ずっと彼のためだけに戦い続けるから。楽師と器物が共に戦ってきた『証』を、ずっと覚えていてほしい。
器物の化身は、そう強く、願わずにはいられなかった。