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    fefsui

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    fefsui

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    TOAエンディング後、ルークがオールドラントに戻ってくるのを待っているガイが、TOW2の世界に行ってしまうお話です。

    ガイルク(TOA世界のガイとルーク) + ユリルク (TOW2世界のユーリとルーク)のカップリング要素を含んでいます。

    ※TOW2はプレイした事がなくても、テイルズキャラが出てくる異世界とだけ頭に入れて頂ければ問題ありません。

    君への誓い いつまでも待つよ。
     お前が帰ってくるのを、いつまでだって、ずっと待ってる。



    君への誓い



     エルドラントでローレライを解放してから一年。
     ルークは未だ帰って来ていない。
     執務室のデスクで書類の整理をしていたガイは、区切りがついたところでペンを置いた。
     すっかり凝り固まった体を伸ばそうと、両腕を上にあげ、ゆっくりと下ろす。一息つけば、急にドッと疲れが増した気がした。
     ゆっくりと椅子から立ち上がり、窓辺へと向かう。仕事に集中しているうちに、外はすでに夜の帳に包まれていた。
     すっかり藍色に染め上げられた世界を、白銀に輝く満月が、優しい光で照らしている。
     神秘的な、けれどどこか暖かい光に目を細めてから、ガイはふとエルドラントがあった方角へと目を向けた。
     ここからエルドラントが見えるわけでもないし、タタル渓谷すら見えはしない。けれど、何故かルークが帰ってくるのだとしたら、その方角からだと思った。
    「……もう寝るか……」
     見ていたところで、彼がすぐに帰ってくるわけではない。
     ガイは目を閉じ、自分に言い聞かせるように呟いた。
     自分はただ信じて待つだけだ。ルークは、かならず帰ってくると約束したのだから。
     そう思いながらベッドへ移動し、柔らかい布団に包まれながら、ゆっくりと目蓋を閉じる。
     最後にルークの顔を見てから、もう一年が経つ。せめて夢で良いから顔が見たいと思った。もう、あの明るくて良く響く声を、思い出すことすらできなかった。



     窓から朝日が射している。
     朝を知らせる真っ白な光に瞼をくすぐられ、朝か、とガイはゆっくり目を開けた。と、とたんに想像以上の眩しい光に襲われる。
    「?!」
     慌てて腕で目を遮るものの、その強い光は腕を素通りしているかのように、瞳に突き刺さる。あまりにも強い光にどこか違和感を感じながらも、まだはっきりと目が覚めていない頭では思考もおぼつかない。
     ひとまず状況を確認しなくてはと思ったところで、徐々に光が弱まっていくのを感じた。
     緩くなる光と入れ違うように、ガイは光を遮る腕を徐々にずらしながら、しっかりと目を開いていく。
     そうしてようやく天井が視界に映ったところで、今度はどこか奇妙な感覚を覚えた。
     それは天井だけではなく、体を預けるベッドはいつもより堅く感じ、掛け布団も肌ざわりが荒い気がした。
     違和感を確かめるように視線を周囲に向ければ、朝日を取り入れている窓が、いつも見ている形状とは違う形をしていた。
     ゆっくりとベッドから上体を起こして窓に近づけば、そこから覗く景色も、まったく見たことのない光景だった。
    「えっ……?」
     ガイの口から、思わずそんな声が漏れる。
     窓から見えるのは見渡すかぎりの海。いくら水の都といっても、グランコクマの街並が何処にも見えないなんてありえない。
     一気に目が覚めたガイは、口を開けたまましばらく辺りを見渡した。
     ベッドがいくつか並び、簡単な家具だけが置いてあるシンプルな部屋。見れば見るほど一度も訪れた覚えがないと確信できる部屋に、ガイの顔が青ざめていく。
     わけが分からず頭を押さえて考え込んでいると、キィと部屋の戸が開いた。そしてそこから現れた人物に、ガイは絶句する。
    「ルー……ク?」
     その名前を読んだ事すら酷く久しぶりで、唇が震えた。
     けれど目の前に居るのは間違いなく、あの朱色の髪に緑の眼をした、待ち焦がれていた少年だった。
    「ようやく起きたのか、ガイ。珍しいよな、ガイが寝坊するなんて」
     少年はそう言うとガイに近づき、手にしていた水差しをベッド脇のサイドテーブルに置いた。
    「まだ起きてなかったら、顔にかけてやろうかと思ってた」
     屈託ない笑顔で悪戯が失敗したと笑うルークに、ガイの瞳からなんの前振りもなく、涙が一筋こぼれ落ちる。
     そんな親友の態度に、ルークはギョッと目を見開いた。
    「な、なんだよガイ、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
     自分を心配して慌てるルークに、ガイは余計に涙が溢れ出そうになる。
     ルークだ。間違いない。今、目の前にいるのは、間違いなく自分が求めていた、ルーク・フォン・ファブレだ。
     抑えきれない衝動が湧き上がり、ガイはルークを両手で抱き込んだ。
    「うわっ!」
     突然の事に、ルークの口から驚きの声が上がる。
     ベッドで上半身を起こしただけのガイに引っ張り込むように抱きしめられたルークは、そのままバランスを崩してガイにのし掛かるように倒れこんだ。
     けれどガイは倒れてきたルークの重さでバランスを崩す事もなく、 しっかりと力強く、さらにきつく抱きしめる。
     声を上げる事もなく、ただじわじわとルークを抱きしめる力だけが強くなっていく。
     そんな幼馴染の見たこともない様子に、ルークは不安げに名前を呼んだ。
    「ガ……ガイ……?」
    「……良く、戻ってきたな……。無事でよかった……」
     ガイは腕の中のルークに、そう声をかける。
    「こっちに戻ってきたのはいつなんだ? 昨日か? もうキムラスカの方には顔を出したのか? ティアには? ダアトには行ったのか? ジェイドや陛下に挨拶は済んだのか?」
      一度聞き出すと、いくつもの疑問が口から溢れてきた。
     聞きたいことが山ほどある。こんな風に世話を焼く事をルークは嫌がるかもしれないが、それでも今ばかりは仕方がないと思って欲しい。
    「キムラスカ……? なに言ってんだ? ガイ」
     ギュッとガイに抱きしめられたままのルークは、そう一言ガイに返事をする。
     言われたガイは、怪訝そうにルークの顔を見た。対するルークも、きょとんと不思議そうな顔をしている。
    「とりあえず……、ギルドの任務からは無事に帰ってきたけど……。俺が行って来たの、サンゴの森だぜ……?」
    「ギルド? サンゴの森?」
     今度はガイの方が疑問符を頭に浮かべた。ギルドとは、いったい何のことだろうか。その上サンゴの森なんて聞いたことがない。
    「どうしたんだ、ガイ? やっぱり具合でも悪いのか……?」
     心配そうにガイを覗き込むルークだったが、ガイは現状を把握する事に精一杯で、返事を返す余裕がなかった。
     そして散々頭で悩みぬいた結果、ひとつの答えを搾り出す。見たことのない部屋に、知らない景色、そして聞いたことのない地名。
     まさか、とは思いながらガイは恐る恐るルークに聞いてみることにした。
    「ルーク……。この世界は……、なんて名前だったか教えてくれないか」
    「……本当に大丈夫か? ガイ」
     いよいよ何かの病気ではないかと本気で心配するルークだったが、ガイの目があまりにも真剣だったので、ひとまずその質問に答える事にした。
    「ここはグラニデだろ。そんで、お前はグランマニエ皇国王子の俺の従者」
     思い出したか? とでも言うようなルークの顔を見ながら、ガイはさっと血の気が引いていくのを感じた。
     ここは、オールドラントじゃない。
     突きつけられた現実に、胸の奥から喉元にまで湧き上がっていた感情は一気に抜け落ち、体の中が空っぽになるような喪失感を感じた。半ば放心状態になりながら、再びガイの瞳が揺れる。
     元気なルークの姿を見て嬉しい気持ちと、ここがオールドラントではなかったという事実が、交互にガイの胸を締め付けた。
    (そうか、ここはオールドラントでは無いのか。ルークが帰ってきたわけでは、無いのか……。)



     ガイがオールドラントからグラニデに着て、数日がたった。
     はじめはルークに重篤な病気ではないかと心配され、ジェイドにはルークを狙って密航してきたナディというテロ組織の人間ではないかとガイの偽物疑惑をかけられ、ガイには散々な日々だった。
     けれどどこからどう見ても「ガイ」本人だという事で、原因不明の一時的な記憶喪失が起きていると結論づけられ、最近ようやく疑いの目から開放されることが出来た。
     それでもまだ完全に信用はされていないようだったが、不逞の輩と怪しまれているよりはマシだろう。
     この世界のジェイドも、だいぶ疑い深い人物だなと、ガイは取り調べを思い出しながらため息を吐く。
     この世界にはルークどころか、ジェイドもティアもアニスも、そして「ガイ」も存在していた。生憎、元からいただろう「ガイ」はオールドラントから来たガイに置き換わっているため確認はできないが、全員、外見はまるっきりオールドラントと変わらず、性格もほぼ同じ。
     大きな違いといえば、ルークがレプリカではなく、本当に十七年間この世界で王子として生きていることだ。
     今はマナというエネルギー問題のために各国を親善大使として遊説して回っていると聞いて、不覚にも涙が出そうだった。もし、オールドラントの彼が無事帰って来ていたら、彼もレプリカ問題を解決するために、世界中を駆け回っていただろう。
     そう思うと、似たような姿を見れた嬉しさと、元の世界での話では無いという事実にやるせなさが混ざり合い、胸が締め付けられる思いだった。
    「なぁ、ガイ聞いてくれよ。ジェイドのやつ、また任務に言っちゃだめだって言うんだぜ」
     思いっきり頬を膨らませて不満そうな顔をするルークに、ガイは苦笑する。
     ルークの味方をしたいのはやまやまだが、この世界のジェイドがルークの外出に厳しい事は十分に理解ができた。
     グラニデのルークは、エネルギー問題で対立している、ナディと言うテロ組織に命を狙われているのだ。そうやすやすと出かけられては、守れるものも守れない。
    「ジェイドの言ってる事は解るけどさ、今くらいしか自由に出来る時間はねーのに……」
     そう言って目を伏せるルークに、ガイの胸が痛んだ。
    (今しか……。)
      この世界のルークも王族だ。歳相応に自由に出来る時間は、どれ程限られているのだろうか。ましてやオールドラントの時とは違い、政務に力を注いでいる。
     それもルークにとってはやりたい事であり、大切な事だったとしても、今だけでいい。ガイはルークに外の世界を自由に歩き回らせてやりたいと思う気持ちを止められなかった。
     たとえそれがエゴだと解っていても。
    「……ジェイドの旦那は駄目だと言ったかもしれないが、俺がついていけば問題ないだろ」
     ガイはそういってルークに笑いかける。
     ルークはそんな親友の言葉に、驚いたように目を丸くした。
    「え、いいのか……?」
    「少しくらいいいだろ。いつも頑張ってるんだ。今くらい自由があったって、誰も文句は言わないさ。それに、お前のことは絶対に俺が守ってやるしな」
     悪戯っぽく笑って見せれば、ルークも満面の笑みで答えた。
    「やった! ありがとな、ガイ!」
    「あぁ、その代わり討伐じゃなくて、採掘の任務だからな」
    「それでも行けねぇより全然いいって」
     全身で喜ぶルークを見て、ガイは優しげに微笑んだ。ルークが望むことは、何でも叶えてやりたいという気持ちが止まらない。
     それが自己満足の愛情だと分かっていても、目の前で喜ぶルークの姿に、ガイの心は確かに救われていた。
    「あ、そうだガイ。任務に一緒に行くメンバー、もう一人誘ってもいいか?」
    「あぁ。かまわないが、誰を誘うんだ?」
     喜ぶルークに瞳を綻ばせていたガイがそう尋ねると、ルークの顔がとたんにパッと華やいだ。
     その様子に、ガイの心がざわりと波立つ。
    「ユーリ!」
     くったくない笑顔から発せられる言葉は、予想以上に気に食わなかった。



    「でさ、ロイドのやつったら面白いんだぜ」
    「あいつはたまに驚くような発想するからな。で、その後どうなったんだ?」
     メスカル山脈へ三人で向かいながら歩く道中、ルークは楽しそうに話し続けていた。
     そんなルークに応える黒髪の男に、ガイはどうにも複雑な顔をした。
     ルークに親しい友人がいる事は喜ばしいはずなのに、楽しそうに話す相手が自分だけではないことが、親友の座を奪われたように感じられ、あまり面白くはなかった。
      どうにもルークは、自分やジェイドのような年上の人間といる機会が多いせいか、年上の人間に懐くことが多いらしい。その証拠に、この世界に来てからというもの、ユーリと頻繁に一緒に居るところを見かけた。
     同年代のロイドやクレスとも仲はいいようだったが、ユーリは別格だった。その瞳はかつてのヴァンを眺めるような憧れと尊敬を含んでいるように見え、ちくりと胸が痛む。
    「なぁ、ガイ聞いてんのか?」
    「聞いてるさ。で、また結局リッドがみんなの分も食べちまったんだろ」
     それでもまだユーリだけではなく、自分に対してもこうしてかまって欲しいと声をかけてくるのが、ガイは嬉しかった。
    「そうそう、本当あいつ食いすぎだっつの」
     友人との出来事を楽しそうに語るルークに、ガイもユーリも、優しい笑みを浮かべる。
     と、周りの空気が変わるのを、ガイは敏感に感じ取った。
     ユーリも同じく気づいたようで、剣に手をかけ、辺りを警戒している。一歩遅れて気づいたルークも、腰に携えた剣に手を添えた。
     この気配は人間ではないだろう。ナディである心配はなさそうだが、魔物だからといって気を緩めていいわけではない。
     メスカル山脈のいまだ麓とはいえ、相手が弱いとも限らない。ガイはゆっくりと深呼吸をするように大きく肺を上下させ、道の角から近づいてくる気配に集中した。肺にためた酸素を吐いていくほど、ガイの気配が辺りと同化していく。
     そして全ての息を出し切ったと同時に、今度は大きく息を吸い込むと、魔物の気配のする方へ全速力で移動した。読み通り曲がり角から出てきたばかりのローボアを、全力で切り上げる。
     完全に不意をつかれた魔物はそのまま剣の勢いに吹き飛ばされ、体を地面に叩きつけられた。
     それが戦闘開始の合図となり、ユーリとルークも残りの魔物を切り伏せていく。数匹いた魔物は、あっという間に全て片付けられた。
    「よし、全部やっつけたな」
     ほっとした様にそう言うと、ルークは剣を鞘へとしまう。
    「だな。思ったより歯ごたえはなかったな」
     そんな風に言いながらも、確認するように辺りを見回してからユーリは剣を納めた。
     ガイも剣をしまいつつ、周辺に気を配り続けている。
    「お、探索ポイント見つけたぜ!」
     魔物を倒した通路に、今回の任務の目的であるエメラルドの採掘場所を発見したルークは、駆け寄ってマトックを取り出した。
    「怪我すんなよ」
     そう注意するユーリに、ルークはガキじゃねぇっつの、と抗議する。少しばかり不服そうな顔をしながらも、ルークはマトックを持ってカツン、カツンと採掘を始めた。
    「……あっ」
     ガイとユーリが見守る中、数回削ったところで、ルークの体がビクリと震えた。ルークは直ぐに右手の人差し指を口にくわえる。どうやら、マトックで削った部分を手で触った時に切ってしまったらしい。
    「ったく、本当、お前はお約束だな」
     ユーリはしかたねぇなと笑いながら、ルークの手を取り、怪我の様子を見る。幸い怪我といっても、小さな切り傷だった。この様子なら、消毒しておくだけで大丈夫だろう。
     ユーリは持参していた傷薬を取り出して、血を拭った指に塗りつけた。
    「よし、これでいいだろ」
    「ありがとな、ユーリ」
    「礼はいいから、気をつけろよ」
     ルークと一緒に居るようになってから簡単な応急処置の道具を常に持ち歩く癖がついたユーリは、そういってルークの頭を撫でる。
    「頭撫でるのはやめろっつってんだろ」
     その動作は改めて身長差を意識させられるので、あまり高くはない身長を気にしているルークは素直に喜べなかった。ユーリに頭を撫でられるのは嫌いではないものの、どうにも身長コンプレックスを刺激されてしまい、頭を揺すってユーリの手を退ける。
     そんな二人の他愛のないやり取りをよそに、ガイは一人瞬きも忘れるほど、ルークの指を凝視していた。数滴たれていたルークの血が、目に焼きついて離れない。ガイの心拍数は驚くほど跳ね上がっていた。
     オールドラントを旅していた頃、時たまルークの血液が体から離れた瞬間、音素となって空の音譜帯にキラキラと消えながら戻っていくことがあった。
     脳裏に焼き付いていた記憶が呼び起され、背筋が凍る。
     いつか、そうやってルークの全てが空に溶けてしまうのだろうかと、常に感じていた恐怖が呼び起こされていく。
     その傷は本当に大丈夫なのだろうか。何か重要な怪我にはなってしまわないだろうか。
     そんなことを考えながらガイは無言でルークに近づくと、その手をとって、念入りに見回した。
     いろいろな角度から、指の一本一本まで確かに存在していることをガイは丁寧に確認していく。
    「ガ……ガイ?」
     無心で手に触れ一向に離さないガイに、ルークは不安そうに声を上げた。今までルークと雑談をしていたユーリも、怪訝そうな表情で様子を見守る。
    「……あまり無茶をするなよ?」
     ゆっくりとルークの指から手を離したガイは、緑の瞳をまっすぐ見つめたまま、念を押すようにそう言った。
    「あ、あぁ……わかった。」
     その目には有無を言わせぬ圧力があり、ルークはゆっくりと頷く。確かに心配性な部分はある幼馴染だが、いつも以上に神経質な気がして、ルークは驚きを隠せなかった。



     その後も、ルーク達は何度か戦闘と採掘を繰り返した。
     ところがはじめの一戦と違い、ルークが怪我をしてからのガイの戦闘は、明らかにおかしかった。
     よけれる攻撃も最低限しかよけず、自身が傷を負う事もいとわずに、ガイは過剰というほどにルークを気にかけた。
     少しでもルークの死角に敵が入り込めば、自分へ降りかかる攻撃も気にせず、真っ先にルークの近くの魔物を倒す。その代わり自分の体が傷ついたとしても、ガイはまったく気にとめなかった。
     それどころか無事だったルークを見て、満足そうに微笑むのだ。
    「……ガイ、さっきの魔物は確かに死角に入ってたけど、ちゃんと分かってた。俺だってあれくらいよけられる」
     見かねたルークは、ガイにきつい口調でそう告げた。確かに普段からガイはルークを優先するところはあったが、ここまでではない。
     なんだか、最近のガイはおかしい気がする、とルークは妙な胸騒ぎを感じた。
    「そうだとしても、俺がお前を守りたいんだ。だから気にするなって」
     さわやかに笑うガイの顔が、ルークは怖かった。
    「そうやって自分の身も省みずに守られたって、守られた側はなんとも嬉しくないだろうよ」
     ルークがガイを言いくるめられないでいると、助け舟とでも言うようにユーリが口を挟む。
    「別に俺がやりたいだけだ。ルークが気にする必要はない。それに万が一ルークに何かあってからじゃ遅いだろ」
     そう言いながらガイがユーリに向ける目は、ルークに向けるそれとは違いどこか冷たい。その雰囲気の端々から怒りと哀しみを感じる瞳だった。
     表には出さず水面下に隠してはいるものの、そこから覗く感情はきっと隠し切れないほど激しいのだろうとユーリは悟る。
    「何も起きないさ。ルークのことは、恋人の俺がしっかり守ってやるからな」
    「……恋人?」
     そんなガイに物怖じするでもなく、ユーリは飄々とした態度でルークを自分の方へと引き寄せる。想像もしなかった言葉に、ガイの顔がひくついた。
     一触即発とも感じられるほど、一瞬で張りつめてしまったその場の空気に、ルークは慌てて割り込んだ。
    「えっとさ、ガイが……ってか、ティアもジェイドも、俺とユーリの事をよく思ってないのは知ってるけど……。でもそれとは関係なく、ユーリは本当強いんだぜ! だから、ガイばっか無茶して俺のこと守ろうとしなくても大丈夫だって。だからさ」
    「いや、もういいよ。そうか、ユーリなら剣の腕も立つし、安心だ」
     取り繕うルークの言葉を制して、ガイは少しだけ寂しそうにそう言うと、軽く口端を上げて笑った。
    「あ、あのさ、ガイ……」
     急に納得したガイの態度に、かえってルークの方が納得がいかず、思わず声をかける。けれど、次の言葉が続かなかった。
     安心したと言うガイの姿が寂しく見えて、たまらず声をかけたのに、これでは何の意味もない。
    「どうかしたか? ルーク」
     一向に話を切り出さないルークに、ガイはそう問いかけた。
     ルークはガイから視線を外すと、少し間を空けて、なんでもないと首を振る。
    「そうか、ならあと少しだけ頑張ろうぜ」
    「……そうだな、あともうちょっとでエメラルドも集まるし。……だからガイ、無茶するなよ」
    「……わかった、気をつけるよ」
     どうしてガイが寂しそうに見えたのか、その理由が分からないルークには、結局かける言葉は見つけられなかった。
     むしろ逆に気を遣わせてしまったようで、ガイはすぐにいつもの明るい笑顔を浮かべていた。それが申し訳なくて、悔しくて、ルークは下唇を噛む。
     けれどガイにとっては、最愛の主人がそうやって自分を気遣って見せてくれただけで十分だった。
     オールドラントのルークは、恋愛どころではなかったのだ。
     毎日追われるように駆け抜けていく日々で、ようやく芽生えた感情も、いずれ来る別れを思えば誰も口にすることが出来なかった。
     先ほど付き合っていると言われたとき、ガイが一瞬、胸を裂くような痛みを感じたのは間違いない。
     オールドラントでは口にこそした事はなかったが、ガイがルークを想う感情に特別な名前が付いていたのは確かだ。それは打ち明けられることがないまま、今もガイの中に巣くっている。けれど 今、ルークとユーリが付き合っていると聞いても、想像以上に心は乱れることがなかった。
     ルークが他の誰かを愛しているという寂しさよりも、ルークが人を好きになり思い会う時間を持てる環境で生きている喜びの方が大きかったのだ。
     自分の想いの成就よりも、最愛の少年が笑顔で日々を生きている事が、ガイには何より重要だった。



    「さて、エメラルドも集まったし、もうそろそろ帰るか」
     一時間ほど採掘をして依頼内容を達成した三人は、目的の品を手に山を下り始めた。
     登ってくる途中に何度も戦闘を繰り返した所為か、下りは魔物の気配がない。
     三人とも腕に覚えのある剣士だ。さすがに魔物の方もむやみに飛び出さず、様子を伺っているのかもしれない。
    「あとはバンエルティア号に戻って納品したら終わりだな」
     少しだけ名残惜しそうにルークが言えば、ユーリはくしゃくしゃとかき混ぜるようにその頭を撫でた。
    「またいつでも連れて来てやるから、そんな顔すんなって」
     頭を撫でるユーリの手を払いのけながら、ルークは恥ずかしそうに頬を染めた。
    「……じゃぁ、また明日つれて来いよ……」
     唇を突き出してする命令のようなお願いに、ユーリの口元はたまらず緩んでしまう。
    「笑うなっつの!」
     そんな二人を、ガイは温かい目で見守った。
     ころころと表情をよく変えて楽しそうにするルークを見ていれば、ユーリがルークをどれだけ大事にしてくれているのかが分かる。その笑顔がいつも絶えないようにと、ルークが安心して笑っていられる場所を守ってきてくれたのだろうと安易に想像できた。ルークが心から安心しきって笑っているのが、何よりの証拠だった。
     ユーリは確かにルークの事を大切にしていて、ルークがユーリを必要としているのなら、口を挟む必要は何一つない。
     ガイはゆっくりと口端を持ち上げた。ルークが欲しいと思うものは、全部与えてやりたかった。たとえそれが何であれ。
    「おいガイ、何ボーっとしてんだよ、お前も一緒に来るんだからな!」
     楽しげに話す二人の姿をずっと眺めていたガイは、ルークを目で追うことに集中してしまっていたようだった。気づけばルークが目の前で、ちゃんと話を聞いていたのかと頬を膨らましている。
    「あぁ、悪い悪い。わかった、ご一緒させてもらうよ」
    「絶対だからな」
    「あぁ、絶対だ」
     そんな約束をしたときだった。
     メスカル山脈の麓も見え、もうそろそろバンエルティア号だというのに、けたたましく叫ぶ声が聞こえてくる。
    「いたぞ!」
    「どうやら目撃情報は本当だったらしいな」 
     あまりいい予感はしない会話を大声で交わしながら、こちらの方へ十数人の剣士が走ってくる姿が見えた。
    「ナディか……!」
     ユーリはすぐさま抜刀すると、ルークを後ろに隠すように剣を構えた。
     続けてガイも剣を抜き、走りよってくる男達に切っ先を向ける。
    「見つけたぞ! グランマニエ皇国親善大使、ルーク・フォン・ファブレ!」
     多勢に無勢、人数的に優っているナディ達は、強気に武器を構えると、戦闘体勢へと入った。
     ルーク達三人を取り囲むようにじりじりと間合いをつめて行く。対する三人も、背中合わせになりながら応戦準備を整える。
     そうしてお互いの動きがぴたりと止まったところで、リーダー格の青年が叫んだ。
    「正義のため、死んでもらう!」
     その言葉を皮切りに、ナディ達はいっせいに動き出した。ガイやユーリには見向きもせず、いくつもの刃がただ一人、ルークをめがけて向かっていく。
     もちろんそれを簡単に許すガイとユーリではない。一瞬で動きを見切り、刃を叩き落として切り伏せる。
     ルーク自身も、ガイとユーリに自分がやると合図をして、近づいてきた一閃を躱し反撃を食らわせた。
     数はいれど、ナディの戦士一人一人の戦闘力は高くない。上手くやれば、三人でも戦えるはずだとルークは剣を構えなおした。
     とその時、ヒュッと空気を切り裂く音が鳴り、ルークの頬を、何かが掠めていった。
    「え……?」
     驚いて一瞬固まったルークが自身の頬に手を当てれば、そこからは血が流れ落ちていた。
     落ち着いて状況判断をしなければと何かが飛んできた方向を見れば、弓を構えたナディ達が複数人立っていた。
     どうやら、剣士達と違い遠く離れた岩陰に隠れてタイミングを伺っていたらしい。
     このままでは恰好の的にされてしまう。そう焦ったルークだったが、それは杞憂で終わった。
     矢で打たれた直後、ルークの脇を目にも留まらぬ速さでガイが駆け抜けて行ったからだ。
    片手を頭の前に出し盾代わりにしながら、飛んでくる矢を剣で薙ぎ払う。瞬きする間に弓矢部隊へ到達すると、一瞬でナディ達は地に伏し壊滅した。
     多少矢が当たってもかまわないとでも思っているような強引さだったため、ガイの肩には払いきれなかった矢が一本突き刺さっている。
    「ガ……ガイ……矢が……」
     狼狽するルークを、ガイは静かに眺めた。
     その瞳には頬から血を流すルークだけが映っている。
    「ルークに傷をつけて……、万が一があったらどうするんだ」
     無表情で呟きながら、ガイはビュッっと勢い良く自身の剣を振り払い、刀身についた血と油を飛ばす。そんな親友の様子に、ルークはごくりと唾を飲んだ。
     言葉は淡々と発せられているのに、ガイからあふれ出るピリピリとした空気に、何かタガが外れてしまったような違和感と恐ろしさを感じた。
      ガイは怯えるルークの前を通り過ぎると、カツカツと数歩き、再び勢い良く駆け出していく。目で追えないほどの速さで剣を左右に振ったかと思えば、次々とナディ の戦闘員達が崩れ落ちていく。もともとユーリが数を減らしていたとは言え、瞬きするたびにどんどんとナディは倒れていった。
    「ガイ……」
     見たこともない激しい感情を見せるガイに、ルークは戸惑う。その戸惑いの所為で、ナディの一人が自分の近くに迫っている事にルークは気づけなかった。
     切り捨てられる他の戦闘員を影にしてガイとユーリから逃れた男は、一直線にルークへと切りかかる。
    「!!」
     そこでルークはようやく、剣を構えても間に合わない距離まで詰められていることに気が付いた。
     だめだ、切られる……!
     目の前の刃に、ルークの頭の中は真っ白になる。体は強張り、動かすことが出来ない。頭上の剣を振り下ろされれば、この視界は赤に染まり、自分の人生は終わってしまうのだろうか。
     スゥっと血の気が引き、ルークの顔が真っ青になる。
    「ルーク!!」
     そう呼ぶガイとユーリの声は、どこか遠くに感じた。
     頭の中で自分の名前が反響する。目の前は、真っ赤な色で染められた。
     体には妙に暖かい温もりがあり、剣を振り下ろしたナディは、その剣を振り下ろし切るとゆっくりと床に崩れ落ちた。視界にはユーリが映っている。
     あぁそうか、ユーリが倒してくれたのか……。
     剣を振り下ろされ、地面に倒れた自分の体がどうなったのか確かめようと、ルークは体を動かした。
     そこで始めて、ルークは自分の上に何かが覆いかぶさっている事に気が付く。
    「え……」
     覆いかぶさっているそれを触ってみれば、両手にべったりと真っ赤な血がついた。
    「え……?」
     何度も何度も確認するように触りながら、自分を覆っている温もりが誰のものなのかをルークは理解する。
    「ガイ……?」
     手に触れる温かさは、良く知る男のものだった。
     一瞬で状況を理解したルークは、ガクガクと震える体を叱咤して、大声でその名前を読んだ。
    「ガイ! おい、ガイ! 返事しろよ!!」
     あの目の前に広がった赤は、自分ではなくガイのものだった。
    (どうして……。庇える距離にいたのなら、こんな大怪我を負って庇ってくれなくとも、あのナディを倒すことが出来たはずだ。なのに、どうして……!)
     そんな想いに胸を締め付けられながら、ルークはギュッとガイを抱き締める。
    「ルーク……」
    「ガイ!」
     搾り出すように、それでも愛しそうに名前を呼ぶガイに、ルークは直ぐに返事を返した。
    「なんで……、なんで無茶してまで俺のこと庇ったんだ! お前なら、俺が切られる前にあいつを倒す事も出来ただろ!」
     激昂するルークに、ガイはただ笑って返した。ろくに返事もしないまま、手を動かせる範囲でルークの体の無事を確かめると、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
    「頬に……傷が……ついちまったな……、ごめんな、ルーク……」
    「何いってんだよ! こんなかすり傷ひとつ……」
    「もし……先にあいつを切ったとして……、完璧には、間に合わなかったら……どうするんだ……。ほんの少しでもあの剣がお前に届いたらと思うと……そんなのは、耐えられない……。お前に、かすり傷でもつくのが嫌なんだ……」
    「そんなの、船に戻れば皆が治してくれる! こんな、死にそうな……死にそうな怪我をしてまで庇う事ないだろ!」
    「…………」
     もう返事をする元気もないのか、ガイは満足そうに笑うと、そこで意識を失った。
     ルークの体に、人一人分の重みが、ずっしりと圧し掛かる。
    「ガイ! ガイ!! ユーリ! ガイが……!」
     残った数人のナディの後始末を尽け、ようやく駆け寄ってきたユーリに、ルークは大粒の涙を流しながら声を張り上げた。
     満足そうに笑って目を瞑っている男を、叱って、怒鳴りつけて、二度とこんなことはしないと誓わせたいのに、もうルークが何を話しかけても、ガイは返事を返さない。
    「急いで船に戻るぞ……!」
     ユーリはルークと一緒にガイを担ぎ上げると、バンエルティア号へと急いだ。
     ルークがこんな守られ方をして喜ぶとでも思っているのか。そう思いながら、ユーリはギリッと音を立てて歯を食いしばる。
     ガイがルークを庇ってくれなければ、今頃間違いなくルークは大なり小なり怪我を負っていただろう。
     けれど、こんな結果を選ぶなんて馬鹿げている。自分自身への不甲斐なさもあいまって、ガイを支える手に力が篭った。

     死ぬなよ。
     死んだら絶対に、許さない。



     窓から差し込める朝日が、ガイの瞼をくすぐる。
     暖かく優しい光は顔全体を照らしていて、目は閉じているというのに、ガイの視界は光に溢れていた。
    (朝か……?)
     そう思ったガイは、ゆっくりと瞼を開ける。
     そういえば数日前、同じような体験をしたな、と思い出しながら窓の方を向けば、そこには丸く切り抜かれたガラスいっぱいに広がる海があった。
     まだはっきりとしない頭で、ゆっくりと上半身を起き上がらせると、体に痛みが走り一気に眼が冷めた。背中を壁にあずけ辺りを見回せば、そこにはベッドが数個と、今度は薬品棚や医療品が見て取れる。
     この部屋には見覚えがあった。まだこちらに来てからそこまで時間は経っていないが、ここはバンエルティア号の医務室だろう。
     そうだ、自分はルークを庇って怪我をしたんだ。いや、怪我で済んだのか。
     死をも覚悟していたガイは、そう淡々と生きている自分を案外しぶといもんだと笑った。
    「ガイ!」
     戸を開けて入って来たのは、ガイが守った赤い少年だった。体を起こしたガイの姿を見て感極まったのか、駆け寄ってその体に抱きついてくる。
     ルークに抱きしめられ少し体が痛むものの、ガイを包むルークの腕がガクガクと小刻みに震えていて、とても引き離す気にはなれなかった。変わりに、そっと頭に手をのせて、ゆっくりと撫で続ける。
     その動作に一層ルークは涙腺が緩んでしまい、すすり泣きが本格的な泣き声に変わった。
    「ルーク、大丈夫だったか? どこも怪我はしてないか?」
     ガイが、ちゃんと生きている。
     それを自分の全身で感じ喜んでいたルークだったが、ガイのこの一言で一気に頭に血が上る。
    「ふっざけんなよ!!」
     開口一番に怒鳴られ、ガイは呆然とルークを見る。自分自身が何故今怒鳴られているのか、本気で分からない顔をしていた。そんなガイの態度に、ますますルークの怒りは沸騰していく。
    「俺がいつ、あんなふうに庇えって言った! ガイなら、こんな大怪我をしなくたって、もっと上手く出来たはずだ!」
    「だってそれじゃぁ、お前が怪我をしちまうだろ」
    「したっていい……! 俺の腕が一本無くなったって、それでもみんな無事に生きていられるなら、そっちの方がずっといい……!」
     言いながらボロボロと涙を零すルークに、ガイはそっと手を差し伸べてその雫を拭った。触れる頬が温かい。そこから体中に、ルークの熱が移っていくようだった。
    「ルーク……」
    「今回ガイが助かったのは、本当に運がよかっただけだってみんな言ってた。もしガイがいなくなったら……」
     言葉を詰まらせるルークに、ガイはかける言葉が見つからなかった。
     大切な人が居なくなる痛みを、ルークがいなくなった痛みを、それがどれほど辛い事かを自分は知っている。だからこそ、ルークの言葉を無碍には出来なかった。
    「いいか、ガイ。俺のために死んだりしたら、俺は絶対お前を許さない」
     ガイを貫いてしまうような、真っ直ぐで強い意志のこもった目で、ルークはそう訴えた。
     世界のために、仲間のためにと、お前は消えていったのに……?
     ふと心に浮かんだ何気ない思いに、ガイはハッとした。
     違う、この世界のルークはオールドラントの『ルーク』ではない。限りなく近く、できる限り幸せになって欲しい。そう思う相手で間違いは無いが、自分が帰ってきて欲しいと望んでいるのはまた別の『ルーク』だ。
     心の奥底で、いつか戻ってきてくれると信じる事に疲れ、戻ってこれるか分からない『ルーク』の変わりに、この世界のルークで心を慰めている。
     自分でも気づかないうちに、いつの間にか『ルーク』を重ねてしまっていた事に、ガイは頭を抱えた。
     終わりも分からず永遠と待ち続ける時間に、想像以上にじくじくと心を歪ませてしまったのだろう。盲目になっていた己の行動を振り返り、ガイは大きなため息を吐いた。
    「……わるかった、ルーク。もう無茶はしないよ」
     その声音が、どことなく今までと違う事を敏感に感じ取ったルークは、ジッとガイの顔を見てから、約束だぞ? と小指を出した。
     その小指にガイは自分の指を絡め、約束をする。
     ガイの返事にルークは満足したように笑うと、ほらほら、怪我人はさっさと寝ろよ、と言ってガイをベッドに寝かしつけた。
     こちらのルークも心配性で優しい奴だなと、ガイは一人笑った。
     それから二週間後、今だ痛みは少し残るが、ようやく医務室生活からは開放されたガイは、着替えや軽い荷物をまとめてその部屋をでた。自室へは先にルークが行っており、回復祝いに手料理を食わせてやると張り切って準備をしている。
     初めはあまり得意ではなかった料理は、今では料理上手のユーリに教わり、それなりに作れるようになってきたらしい。医務室で過ごしていたときは、毎日頻繁に訪れては、そんな他愛の無い話をしてくれた。
    「おい、ガイ」
     きっと今日も楽しい話をしてくれるだろうルークの姿を思い浮かべていると、目の前には酷く不満げな顔をした男が立っていた。
    「なんだ? ユーリ」
     呼び止められた理由がわからず、ガイは不思議そうにユーリを見つめる。
    「……今回は、運がよかっただけだからな」
    「そうか、ユーリも心配してくれていたもんな、ありがとう。肝に銘じるよ」
    「……もう敵をあらかた倒してたせいで、俺も油断しちまった。だからお前の怪我には責任を感じてる。けど、お前のやり方も間違ってるからな」
    「律儀だな、俺はルークを守りたいから守っただけだ。お前に責任は何も無いよ。それに、間違いだとは、嫌ってほど気づかされたんだ。次からはもう、あんな無茶はしないよ」
     笑うガイの瞳は、揺らぐことなく真っ直ぐにユーリを見つめた。その様子にユーリは大きく息を吐くと、漸く不機嫌そうだった顔を緩めた。
    「そうかい。ならよかった。いいか、本当にルークの事が大切なら、死に物狂いで生にしがみつく。それくらいやってみろ」
    『おまえはまだ七年しか生きてない! たった七年で悟ったような口を利くな! 石にしがみついてでも、生きることを考えろ!』
     ふと、昔ルークに言った言葉がよみがえる。自分が言われてしまっては世話無いなと、ガイは失笑した。
     と同時に、ユーリなら絶対にルークを幸せにしてくれるだろうとガイは確信する。なんたって、同じ事を言っていた自分が、こうしてずっとルークの幸せをを願っているのだから。
    「次にルークの事を泣かせたら、承知しねぇからな」
    「そうだな、ユーリのことも泣かせちまったみたいだしな」
    「ほぉ、言ってくれるじゃねーの」
     笑うユーリに、ガイも楽しそうに返事を返した。
     部屋ではきっと、ルークが一生懸命料理を並べて待っているはずだ。それをユーリとルークと食べながら、沢山の話をしよう。
     いつかまた『ルーク』と出会えたときに、この世界の事を話せるように。



    「ほら、ルーク。もう朝だぞ」
    「んー……」
     ふんわりと柔らかな日差しがルークの目を優しく撫でていく。けれどなかなか重たいルークの瞼は、それでは持ち上がりはしなかった。
     ベッドで寝がえりをうって惰眠を貪るルークに、ガイは再び声をかける。
    「今日はお前が楽しみに待ってた討伐任務だろ? 早く起きないと、ジェイドの旦那に中止にされるぞ?」
    「それは困る!」
     中止という言葉に反応して、ルークは飛び起きる。基本的には採取任務しか受注させてもらえないルークにとって、討伐任務は特別楽しみなイベントだ。
    「ならさっさと起きろ。ほら、これ着替えな」
    「あぁ、ありがとな、ガイ」
     綺麗に洗濯され、折り畳まれた服を手渡される。少し甘い、気持ちがいい香りがした。ガイが洗濯をしてくれると、必ずと言っていいほど普段よりも心地よい香りと手触りで帰ってくる。
     みんなが使うものとは別の洗剤を、ガイが個人で買ってきているかららしい。
     そこまでしなくていいと、ルークは前に一度伝えた事はあるのだが、好きでやっていることだから、迷惑じゃないなら気にしないでくれ、と言われてしまい、それ以降はガイの負担じゃないのならと受け入れることにしていた。
     ルークは寝間着を脱いでベッドの上に放ると、主人愛の強い使用人兼親友が洗ってくれた洋服に袖を通す。その間に、ガイはルークが脱いだ洋服を畳んだ。
    「あ、ガイ! 俺だって洋服畳むくらいできんだから、やらなくていいって言っただろ!」
    「別に俺が好きでやってるんだって。それに、お前寝坊したから、今は急いでるだろ」
    「う、ぐっ……そう、だけど……」
      痛いところを突かれてしまい、これ以上は言い返せない。初めてバンエルティア号に来た頃はガイに世話を焼いてもらった部分も多々あったが、今はある程度自分でこなせるようになってきたのだ。
     ガイだってそれを見守っていてくれたはずなのに、なんだって最近また世話を焼き始めてくるのかと、ルークは少し不服そうに口を尖らせた。
     そんな見ていられないほど不器用ではないはずだ。それとも、自分では分かっていないだけで、実は上手く出来ていなかったのだろうか。
     ルークがそう不安に思ってきたところで、部屋の戸の近くに体をもたれかけていたユーリが、ため息交じりにそう言った。
    「ガイ、お前があんまり構いすぎるせいで、大事なご主人様が自分は身の回りのこと何も出来てなかったのかって不安になってるぜ」
     ユーリの助け舟に、ルークはすかさず大きく頷く。
    「なぁ、ガイ。俺、そんなにお前が見てられなくなるほど、自分のこと出来てないのか?」
    「出来てない? そうか、勘違いさせちまったな。悪い、ルーク。俺がやりたくてやってるだけで、お前には何の落ち度もないんだ」
     そう微笑むガイに、ルークは口をすぼめて言い返す。
    「ガイはそう言うけど、ロイドやクレスだって、面倒くさがりのリッドだって、自分のことは自分でやってるんだぞ! 俺だけガイにやってもらってたら、恥ずかしいじゃんか」
     年頃の少年らしい悩みに、ガイはクツクツと笑う。笑われてより恥ずかしさの増したルークは、脹れっ面でガイを睨み付けた。
    「悪い悪い、怒るなって」
     ポンポンと頭をなでて宥めるガイに、ルークは子ども扱いすんなと更に頬を膨らます。
     ますます拗ねてしまったルークに、ガイは顎に手を当て困ったように眉を寄せた。
    「子ども扱いなんてしてないさ。ただ、俺も全部仕事を取られちまったら、使用人としてハリがないって言うかなぁ。まぁ、城にいた時みたいに全部はやらないから、大目に見てくれよ」
     悩んだそぶりを見せたものの、結局話は何も進展せず。けれど少し寂しそうに笑うガイに、ルークはそれ以上言い返すことが出来なかった。小さいころからずっと一緒にいた親友の願いは、ルークだってできる限りかなえてやりたい。
     そうしていいように言いくるめらたルークは、髪までとかされて、甲斐甲斐しく世話を焼かれてしまう。
     面白くないのはもちろんユーリで、自分の恋人が愛されているのは嬉しい反面、かすかな苛立ちに似た思いも、腹の底でゆっくりと渦を巻いて主張をしていた。
     けれど一番気に食わないのは、強く断れないルークでもなく、過剰なスキンシップでもない。ルークの世話をすることで、別の何かを満たそうとしているガイが、たまらなくもどかしかった。
     前々から違和感は感じていた。
     今まではルークに対する執着が強すぎて気づくことができなかっただけで、最近は以前よりガイの纏う空気が落ち着いてきたせいもあり、その違和感は顕著になりはじめていた。
     ガイの瞳はルークを映しているようで、実はルークを通して大切な誰かの世話をした気にな理、心を慰めている。そう感じ取れることが、ユーリが顔をしかめる大きな原因だった。
     とはいえ、それが分かったところでいい解決策は浮かばず、今日もユーリは晴れない気持ちを胸に抱えながら、ガイとルークに渋い顔を向ける。
     目の前では、文句を言いつつも満更ではないのか、丁寧に髪を梳くガイに、ルークは気持ちよさそうに目を細めていた。
    「お二人さん、仲が良いのはいいことだが、この後も予定詰まってんの忘れんなよ」
      釘を刺すようにピシリと言い放つユーリに、ルークは小さく肩を震わせる。
     つい言われるがままガイの世話になってしまった。そう後悔したところで今更だった。ユーリの機嫌が、あまり思わしくない。このままではユーリを怒らせてしまうと思ったルークは、椅子から立ち上がり、ガイの手から櫛を奪うと、残っていた部分を自分で粗雑に整えてしまう。
    「おいおい、あとちょっとだったのに」
    「別に女じゃねーんだから、これくらいでいいんだよ! それに、この後任務でいっぱい動いて、髪なんて気にしてる余裕ねーだろうし」
    「それはそうかもしれないが……」
    「な、だからいーのいーの。ほら、さっさと飯食って行こうぜ!」
      ルークは壁に寄りかかっていたユーリの手を引き、部屋の戸をくぐる。ガイは仕方ないなと一息つくと、ルークの後を追った。恋人の機嫌を損ねてしまわないようにと気を配るルークは、どうにもいじらしい。
     くすりと笑いながら、梳かしても跳ねる愛らしい後ろ髪を追えば、ユーリと眼があった。
     その眼はまっすぐに、ガイの瞳を貫いてくる。
     しっかりとした意志に支えられた力強い眼差しに、ガイは軽く身を引き、息を飲んだ。
    「ガイ、別にとやかく言う気はねーが、相手を間違うなよ」
    「……! ……分かってる」
     勘のいい親友の恋人は、どこか異変を感じ取っているのだろう。さすが自分が認めただけのことはある。妙に感心しながら、ガイは目を伏せた。
      頭では分かっている。
     目の前のルークと、自分が待ち望んでいる『ルーク』は別人だと。
     けれど、それでもルークの願いはかなえてやりたいと思うし、できる限りのことをしてやりたいと思ってしまうのだ。
     好きという言葉では表現しきれないほど、大切で、愛しくて、どんな強風からも庇ってやりたいと思っていた待ち人と、違う部分を見つけるほうが難しい、そのルークには。
    「超えちゃいけない線は弁えてるつもりだ。忠告感謝するよ」
     以前までは、それは暴走した気持ちだった。けれどもう『ルーク』と混同してはいない。とはいえ、それで簡単に割り切れるほど、ガイの抱えた気持ちは単純な作りではなかった。
    「……さっさと朝飯食いに行こうぜ。こいつを待ってたせいで、腹減っちまった」
    「うわっ、ユーリ! せっかく整えたのに何すんだよ!」
     頭をぐりぐりとかき混ぜるユーリに、ルークは頭を振って抵抗する。忠告だけで、深く詮索もしないでいてくれるユーリに、ガイはもう一度心の中で礼を言った。言葉で説明するには、とても難しい状況と感情だった。
     ルークが目の前で確かに毎日を生きていて、そのルークの願いを叶えてやれる。それは何にも変え難い、甘い響きだった。
     いっそこちらに来るときに、元の世界の記憶も無くしていれば、こんな胸が裂けるような悲しみも、焦げつく程の熱い幸せもなく、目の前のルークを穏やかに愛することができただろうに。
     そう思ったところで、チラリと姉の顔が頭を掠めた。そして、忘れることの愚かさを思い出す。
     本気で忘れたいなんて、想うわけがない。かけがえのないルークとの思い出は、何一つだって手放すつもりはない。
     けれど知らず知らずのうちに枯れてきてしまった心の枝葉が、水が欲しいと言っている。
     それを止めるだけの気力も、ガイにはなかった。



    「もう、ちゃんと聞いてるの?」
    「聞いてるって」
    「今のは本当に危なかったのよ? 守られる側のあなたが、私をかばって危ないことをしないで!」
    「次から気を付けるって! だからさ、まずはティアが無事でよかった」
     意外とルークは、天然の人たらしだ。
     赤くなったティアの顔を見ながら、ユーリはまたかと小さな溜息を漏らした。
     戦闘中、前衛のガイ、ユーリ、そしてルークの攻撃をかいくぐり、小さな魔物がティアの前に躍り出た。すでに回復魔法の詠唱終盤だったティアは、前衛の回復を優先した。魔物に邪魔をされる前にと、早口になる譜歌。とはいえ目の前に迫った魔物の一撃を避けるのは不可能で、その一発を食らう覚悟をした代わりに、ティアはみごと譜歌を歌い切った。
     緑の暖かな光が全員を包み込む。それと同時に魔物の牙がティアに襲いかかった。なるべく軽傷で済むようにと腕を前に出し、覚悟していた痛みに備えて、ティアは歯を食いしばる。
     けれど目の前の魔物は、突如赤い色に遮られた。ルークが無理やり二人の間に割って入り、何とか剣でその牙を受け止め、切り伏せたのだ。おかげでティアは怪我を負わずに済んだものの、その代わりに背筋の凍る思いをさせられた。
      攻撃が食らっても、すぐに倒して回復をすればいい。ティアはそう考えていた。
     なのに、そんなことをしたら、怪我を治すまで痛い思いをする事になるとルークは言うのだ。それくらいの怪我を我慢するなんて軍人として慣れているのに、ルークは絶対に良しとしない。それは嬉しいけれど、ティアにはくすぐっく感じられた。
    「次やったら、あなたにだけ回復魔法をかけないから」
     照れ隠しに悪態をついて先に歩き出すティアに、それを鵜呑みにするルークは慌て後を追う。そんな姿を、ユーリとガイは笑いながら眺めていた。
     はらり、とティアを追いかけるルークの手から、何かが落ちる。
    「ルーク、なにか落ちたぞ?」
    「え?」
     ユーリに言われ、ティアから目を離し後ろを振り返る。周囲を見れば、そこには左手の手袋が落ちていた。先ほどの戦闘中に、何かの拍子で切れてしまったようだった。
    「うわ、まじかー……。直すって言っても、これじゃぁなぁ……」
     切れた手袋を見て、ルークは落胆する。剣を握ればその分すり減るだろうし、もう寿命だったのかもしれないが、普段から使っていただけにがっくりと肩を落とす。
    「こうなったら、もう捨てるしかねーだろ。新しいの、俺が買ってやるよ」
    「うん……。ありがと、ユーリ」
     ルークは壊れた手袋を道具袋の中にしまった。船に戻ったら、もったいないが捨てなくては。気に入っていただけに、そう思うと落胆の色は隠せない。
    「ルーク。その手袋、捨てるなら俺にくれないか」
    「え?」
     予想をしない申し出に、ルークは首をかしげて聞き返す。
    「今作ってる音機関の装飾パーツに、丁度よさそうだと思ってさ」
    「音機関の装飾に?」
    「あぁ、もしルークが良ければだけど」
     あまり音機関には詳しくないが、布で装飾された音機関を、ルークは見たことがなかった。それとも自分が知らないだけで、布が使われているものもあるのだろうか。
      しばらく考えていたルークだったが、特にこれと言って思い当たるものはない。とは言え、すでに壊れてしまった手袋だ。その上渡す相手は親友のガイ。渡したところで、何が起きるわけでもない。それどころか、壊れてしまったお気に入りの手袋が、親友の役に立つなら、これ以上のことはないように思えた。
    「こんなのでいいのか?」
    「あぁ、色が丁度よくてな」
    「それなら、俺も捨てるのは勿体なかったし、ガイに役立ててもらえるなら嬉しいよ」
     ルークは大きく口を横に広げて笑い、ガイに手袋を渡した。自分の手の中に納まった手袋を、ガイはぎゅっと握りしめる。その屈託のない笑顔が、頭の中の『ルーク』と重なった。
     一度思い直したはずなのに、ルークと『ルーク』の境界線が曖昧になる。
     もしかしたら、自分は何かの病気で数年の記憶を無くしてしまっただけで、この世界は本当はオールドラントじゃないだろうか。目の前のルークは、ずっと待ち望んでいたルークなのではないだろうかと、都合のいい空想を作り出す。そんなこと、あるわけがないのに。
     ガイは手にした手袋を、大切に自分の道具袋へとしまった。
     音機関の装飾に使うだなんて、嘘だ。
     別物だとは分かっていても、ルークのものが捨てられると思うと、どうしても耐えきれなかった。
     『ルーク』を形作っていた音素も、彼を飾っていた服飾品も、全て消えてしまったのだ。そんな彼の手袋がゴミとして捨てられるだなんて、どうしても黙ってはいられなかった。



     討伐の任務をこなしバンエルティア号に戻ってくると、ガイはすぐにルークたちと別れた。チャットへの報告は任せたと言うと、そのまま足早に自室へと向かう。
     道具袋に入れたルークの手袋を、早く修復したかったのだ。ルークの物が壊れたままであるのが、ガイには忍びなかった。
    「ガイ」
     急ぎ歩く中、後ろから名前を呼ばれガイは振り向いた。誰かは知らないが、今は用事があるから後にして欲しいなと、少し面倒くさそうに後ろを見れば、そこにはユーリがいた。
    「ユーリ……?」
     先ほど船の入り口で別れたばかりのユーリに、ガイは怪訝そうな顔をする。けれどユーリにしては珍しく言い淀んでいるようで、すぐに返事は返ってこなかった。
     いったい、何の用事だろうか。そう思いながら首を傾げるガイに、ユーリはどこかばつが悪そうに顔を顰める。けれど少し頭をかいた後で、ユーリは意を決したようにガイに向き直った。
    「……ガイ、お前……ルークの手袋、どうするつもりだ……?」
    「どうって? さっき言った通り、今作ってる音機関の部品にするつもりさ。……何か問題でも?」
     薄ら笑いを浮かべて話すガイは、目が笑ってはいなかった。ユーリは小さく舌打ちをする。やはりまどろっこしいのは性に合わない。
    「お前のルークを見る目は、違和感があんだよ。ルークを通して別の誰かを見てるような、そんな違和感が」
     ピクリ、とガイの頬が動いた。一瞬だけわずかに揺れた瞳をユーリは見逃さない。
    「……ユーリにしては、些か不躾だな。あまり他人にそこまで踏み込むような真似をするタイプではないと思ってたんだが」
    「こっちだって、お前の事情を根掘り葉掘り聞き出そうとは思ってねぇよ。ただ、お前のルークを見る目はおかしい」
    「おかしい? ずいぶん抽象的なものいいだな」
    「……あんたは俺とルークが付き合い出してから、小姑みたいに事ある毎に口を挟んできたし、いろいろ邪魔をされたりもした。けどそれは、ルークの親友としてだとか、弟のようなルークを守りたいだとか、そんな家族愛からだっただろ。でも、今のお前は違う」
    「違う? 変わらないさ」
     少し、ガイの口調に怒気が混ざった。
     違わない、ルークと『ルーク』を混同はしていない。分かっている、理解している。特別な愛情が向かうのは、自分の世界の『ルーク』一人だ。
    「違うんだよ。今のお前は、あいつに愛情を向けてる。家族愛じゃない、もっと特別なやつをな」
    「それは、君の恋人にそんな目を向けるなという忠告か?」
     苦笑交じりに聞いてくるガイを、ユーリは静かに見やる。
    「そうじゃない。いいさ、お前がルークを好きなら仕方ない。もしそうだとすれば、俺はお前に負けないよう、ルークに選んでもらえるように努力するだけだ。けど違うだろ。お前はルークを見ながら、ルークを見ていない」
      ユーリ自身、抽象的な物言いをしているとは思ったが、これ以上に的確な言葉は見つからなかった。そしてそれは、確かにガイの琴線に触れてしまったらしい。いつも爽やかな笑顔を浮かべる恋人の親友は、今まで見たこともないほど険しい顔をしていた。
     鋭く見開かれ力のこもった眼差しに、きつく結ばれた口元。抑えきれない激情が体内に巣食っているのは、一目で分かった。
    「勘違いだ。それにユーリからルークを奪うつもりは毛頭ない。安心してくれていい」
    「そういう話をしてんじゃねぇんだよ。俺は、ルークを通して別の何かを満足させた気になってるあんたを、見てられねぇって話をしてんだ」
     ガイの顔色が一瞬で濁っていく。真綿で包み、誰にも見つからない場所に大切にしまっていた秘密の宝箱を、鍵も使わず斧で壊され、土足で踏み荒らされてしまったような、そんな気分だった。
     頭の中で、ガンガンと大きな音が鳴り響く。まるで、警告音だ。これ以上踏み入れるなと、頭で考えるより先に、体が拒絶をしている。
    「君は、目の前にルークがいる」
     羨ましい、憎らしい、悲しい。様々な負の感情が折り重なって、ガイの体中を蠢く。その言葉に雁字搦めにされ、頭が上手く働かない。なんて身勝手な感情だと分かってはいるのに、止めることはできなかった。
     何もしてやれないところに行ってしまったのだ。手を貸したり、何かをしてやることはおろか、言葉を交わすことすら叶わない。挨拶の一つもできない。そんな場所に行ってしまったんだ。
     そんな相手とうり二つの存在が今、目の前にいるのに、どうして黙っていられるというのだろうか。
    「君には分からない」 
     ガイは一言ユーリに残すと、あとは一切振り返らずに、その場を後にした。自分のほうが悪いなんて、そんなことは分かりきっている。子供じゃないんだ。ユーリが、ルークで『ルーク』に会えない寂しさを紛らわしている自分を、心配してくれたことくらい分かっていた。
     ユーリは無責任な人間ではない。そうやって聞いてきたということは、一度話を聞いたら、ガイがもうルークを通して「別の誰か」を見なくて済むように、最後まで付き合うつもりで聞いてきたのだ。ルークで誤魔化すのは、何よりガイにとって良くない。そう気遣ってくれた。
      けれどガイは口に出すのが怖かった。頭では理解しているルークと『ルーク』の違いを改めて言葉にすることで、微かに心に抱いた希望を真っ黒に塗りつぶされる気がしてしまうのだ。希望も何も『ルーク』ではないのに何を言っているのかと頭で分かっていても、心はまだ追いついてきていない。
     背後には後ろめたさだけが広がっていた。



    「ガイ! もう用事は終わったのか?」
     ユーリと別れた後、どうにも手袋を直す気分になれなかったガイは、気分転換に食堂へと向かった。
     昼食と呼ぶには遅い時間だったが、依頼をこなしていると良くある事のため、食堂は常に開いてくれている。きっとこの時間に行っても、何か食事を出してくれるだろう。そんなことを考えていれば、通り道でルークと出会した。
    「あぁ……」
     少し歯切れの悪い返事になってしまったのを、笑顔でごまかす。少し距離があったおかげか、ルークは特に気にした様子もなく話を続ける。
    「今から昼飯か? なら、一緒に行こうぜ!」
    「ルークもまだなのか。真っ先に食堂に向かうもんだと思ってたよ」
     少しからかうように言えば、ルークはむすっと頬を膨らませた。
    「俺だって早く飯食いたかったっつの。なのにガイがいなくなった後、ユーリも俺に報告任せてどっか行っちまったんだぞ?! おかげでこっちはその言い訳までチャットにする羽目になって、大変だったんだよ!」
     ギュッと眉間に皺を寄せてぷっくりと膨らんだ頬を携える表情は、怒っているだろうに何だか可愛らしくて、ガイは悪いと思いながらくすりと笑った。体の毒気が抜かれた気がした。
     腹の底を渦巻いていた黒い塊が消え、代わりに暖かくて柔らかい風が、ゆったりと心を満たしていく。
    「なんだよ笑いやがって。あー、なんか甘いものが食いてぇなー」
     唇を突き出してガイをジト目で見ていたルークは、ワザとらしく大きな声でそう言った。
    「はは、いいよ。報告してくれた礼に、何でもご馳走してやるよ」
    「やっりぃ! じゃぁ俺ケーキ食くいてぇ」
    「ケーキか、なら俺が作ってやるよ」
    「え? ガイが……?」
     器用だとは知っているし、料理ができるのも分かっている。けれど、ガイがお菓子を作っている場面を見たことのないルークは、少し不安げに尋ねた。
    「なんだよ、そんな顔して。俺だってユーリに引けを取らないくらいのものは作れるんだぞ」
    「マジで?」
    「おおマジさ。お前が小さい頃の誕生日ケーキだって、俺が作ったことがあるって言っただろ」
    「うっそ! え? いつのだよ!」
     ガイの顔が凍りつく。
     間違った。
     この思い出は、彼との物ではない。そしてルークの反応が、ガイの心の奥底まで、深く突き刺さる。
     『ルーク』には一度話したことがある。そう、元の世界の『ルーク』には……。
     ガイはゆっくりと目を閉じた。
     何度も自分に言い聞かせていた、ルークと『ルーク』は違うということを、改めて痛感する。もう自分を誤魔化すことはできなかった。二人の違いを、はっきりと見つけてしまったのだから。
     薄っすら心にかかっていた靄が溶けていく。目を開けて、ルークを見た。
     限りなく『ルーク』と近いのに、もう等しいものには見えなかった。
     彼は、別人だ。
    「いや、悪い。何でもない。ルークじゃなくて、別の相手に作ったんだったかな」
    「なんだ、面白そうな話だったのに」
    「最近ちょっと記憶力が曖昧でなぁ」
    「大丈夫かよ。疲れてんじゃねぇ?」
    「かもな、まぁ今日は任務も終わったし、ゆっくり休むさ。それより、ケーキはどんなケーキがいいんだ?」
    「んー、迷うなー……。果物のタルトも捨てがたいけど、生クリームのケーキも食いてぇし……」
     ケーキひとつで真剣に悩むルークに、ガイは優しく笑いかけた。
    「両方作ってやろうか?」
    「まじで! あ、でも、ジェイドとかティアに怒られる……」
    「俺の分がタルトで、お前の分が生クリームってことにして、半分にすればいいだろ」
    「それだ!」
     満面の笑みを浮かべるルークを、ガイは寂しげな微笑みで眺める。
    「ガイはさ、本当俺を甘やかす天才だよ。ありがとな」
     楽しそうに鼻歌を歌うルークに、ガイは独り言ちる。
     違う、これは自分のためだ。
     違うと分かっているといいながら、自分の心を慰めるために、ルークの存在をいいように利用した。その詫びをして、自分が楽になりたいだけなんだ。
     この世界のルークに初めてしてやりたいと思ったことが謝罪だなんて、情けない。
     そう思うものの、そんな情けないやつの作ったケーキでも心待ちにしてくれているルークをみて、ガイは自然と心が温かくなるのを感じた。久しぶりに、混じりけのない純粋な笑顔だった。



     その日は、まどろみの中にあるような、ゆったりとした日だった。
     漂う空気はもったりとしていて、一日の流れを遅く感じさせる。目を閉じればすぐに眠りに落ちてしまえそうな、心地いい重みをもっていた。
     ガイは大きく欠伸をした。こんな日の昼寝は気持ちよさそうだ。昼食も終え、午後の用事も特にない。たまにはゆっくり横になるのも悪くないなと、ガイは自室へ向かった。
     金属で作られた無機質な廊下を歩く。任務で人が出払っているためか、カツカツといつもより靴音が響いた。どことなく寂しさを感じる。窓から差し込む太陽の光も鋭さはなく、丸みを帯びて柔らかい。どこもかしこも静かだった。
     ガイは機械音と共に開いた戸を潜る。自室に入ると、ベッドに腰掛けた。昼寝もいいが、その前に剣の手入れをしてしまおうと、腰につけていた剣を外す。ベッドサイドのチェストに手をかけ、上から二つ目の引き出しから、手入れ道具を取り出した。その時だった。
     ドンッ!!
     と、大きな爆発音とともに、船体が大きく揺れた。海上に停泊していたため、墜落なんて事態にはならなかったが、グラグラと揺れる船体はいつ横転してもおかしくないと思うほど大きく揺れている。
     ガイはベッドに腰掛けた状態のまま、船の揺れが収まるのを待った。今立ち上がったところで、どうせ歩くことはできない。
     程なくして揺れが収まると、チャットの声が船内に響いた。
    「みなさん、エンジンルームの故障です! 急いで外に避難してください!」
      眠気を帯びていた頭が一瞬で冷めていく。ガイは急いで立ち上がると腰に剣を戻す。そのまますぐに扉をくぐろうとして、足が止まった。数秒だけ考えてからチェストまで戻ると、今度は一番下の棚を開け、その奥に手を伸ばす。出てきたのは、以前ルークから貰った壊れた手袋だった。ガイはポケットへ 詰め込むと、今度こそ部屋を出た。
     先ほどまで足跡が反響するほど静かだった船内は一変し、ドタバタとした足音と張り上げられた大声で騒がしい。ガイはそんな船内を急いで駆け抜ける。外に出る前に行かなければならない場所があった。
    「ルーク!」
     甲板のドアを開けると、大声でそう叫んだ。剣の稽古をしてくると言った主人は、いつもこの場所にいるはずだ。
    「ガイ……?」
     甲板の先端のほうで蹲っていたルークが、赤い髪を不安げに揺らしながら顔を上げた。
    「どうした、何かあったのか?!」
     床に座り込んだまま立ち上がらないルークに、ガイは急いで駆け寄る。近づくと、ルークの足元が血で汚れているのが分かった。急いでズボンをたくし上げると、左足が切れている。幸い深く切れてはいないが、出血がひどい。
     ガイは自分のシャツの袖を躊躇もせずにむしり取ると、ルークの足を縛り上げた。圧迫され、先ほどよりもほんの少し血が出る勢いが弱まる。
    「悪ぃ、ガイ……。さっきの爆発音があった時、揺れた船にバランス崩して剣落しちまってさ……」
    「仕方ないさ。それに反省は後からだ。今は時間がない」
     ガイはそう言うと、ルークに背中を向けた。おぶされと言うことだろうが、それじゃぁガイが逃げるのが遅くなってしまうとルークは躊躇する。
    「早くしろ、迷ってる時間はないぞ」
    「だよな……。わりぃガイ、頼む」
    「任せとけって」
     背中に確かな重みを感じると、ガイは立ち上がって歩き出す。早く安全な場所へ連れて行かなくてはと思うと、背中の重みを忘れるくらい、自然と足取りは早くなった。



    「ルーク、ガイ! よかった、無事だったんだな。遅いから心配してたんだ」
     船を止めていた海岸から少し離れた平原に、既に避難してきたメンバーが集まっていた。その中からロイドが駆け寄ってくる。
    「ってうわ! その血どうしたんだよ!」
     ガイの黄色いベストの左側が、赤色に代わっているのを見て、ロイドは目を見開いた。そしてすぐに怪我をしているのがルークだと気づくと、大声でゼロスを呼んだ。これで治癒術が受けれると安心したガイは、安堵と共にルークを地面に下ろす。
    「うわ、ひでぇ血だな、大丈夫かよ」
     駆けつけたゼロスは、ルークの様子を見るなり、普段のふざけた様子とは打って変わって真剣な表情で詠唱を始めた。詠唱と共に緑の光が徐々に広がり、ルークを優しく包み込んでいく。
     その様子を目に入れながら、ガイは逃げてきたメンバーを確認していた。今日は大多数が出払っていたはずだ。船について意見を聞きたかったが、それを聞けるような人間はまだ帰ってきてはいないようだった。
     いったい何が原因かは分からないが、一先ず船から出ていれば安全か。ガイはそう考えながら、バンエルティア号を見つめた。
     外観にはこれと言って問題はなさそうに見えるが、故障したと言っていたのはエンジンルームだ。いつ、どう転ぶか分からない。とにかくチャットに様子を聞こうと、当たりを見回す。けれど、あの特徴的な帽子がどこにも見当たらない。何か嫌な予感がして顔が強張る。一筋、冷汗が頬を伝った。
    「み、皆さん……!」
     その声に呼ばれて船の方をもう一度見れば、ピンク色の髪を揺らして一人の少女が走ってくる。息も絶え絶えに全力で駆けてきた少女は、仲間のいる場所まで来ると、膝を折って倒れこんだ。
    「大丈夫か? エステル」
     ロイドに話しかけられ、エステルは大きく顔を上下にさせた。声で返事をするには、まだ息が整っていない。
    「まだ、中に……ユーリたちが……」
    「え?」
     エステルの言葉に、すぐさまルークが反応する。胸の辺りを抑えながら、エステルはゆっくりと深呼吸を繰り返した。暫くしてようやく呼吸が落ち着いてきたエステルは、話を続ける。
    「部屋の扉が動かなくなってしまって、私は部屋の外にいたので出てこれたんですが……」
    「じゃぁまだ中にユーリがいるのか?!」
     切迫した顔で詰め寄るルークに、エステルは目を伏せて答えた。
    「はい……ユーリと、クレスとスタンが部屋の中に……」
    「もしかして、それでチャットもまだ船の中に残っているのか?」
     ガイは険しい顔をしながらエステルに問いかけた。ガイの質問に、エステルはこくりと頷く。
    「何とか扉が動くように修理できないかと頑張ってくれています」
    「ドアを壊すことはできなかったのか?」
    「やっては見たのですが、ドアも窓も、意外と壊れてはくれなくて……」
    「と言うことは、まだ船の中に四人取り残されているってことだな」
    「はい……。私も残ってお手伝いをすると言ったのですが、外に中の様子を伝えてくれと言われて……」
     ガイの問いに答えたエステルは、ギュッと拳を握った。その様子を見たルークは、キツく握られたエステルの拳の上に、そっと自分の手を重ねる。
    「大丈夫だよ、エステル。絶対ユーリたちは助かるから」
    「ルーク……」
     優しく笑いかけるルークに、エステルの目尻が下がる。
    「それに、今から俺も助けに行くし」
     ルークは治して貰ったばかりの足を抑えながら立ち上がった。けれど足にはピリリと痛みが走り、その場に崩れ落ちる。
    「まだ表面を塞いだだけで、治ってねぇっつの」
     ゼロスはルークに近寄ると、治療途中の足を確認する。閉じた傷口が開いたりはしていないようだ。けれどこれ以上無理をしないようにと、ゼロスはルークのブーツを脱がせて取り上げる。
    「足の手当てすんのにも邪魔だし、これは没収な」
    「ルーク、怪我をしたんです?」
    「そうなんだよ、エステルちゃん。こいつの左足無理に動かせないように固定してくんねぇ?」
     ゼロスは持ってきた包帯をエステルへと手渡した。
    「はい、任せてください」
    「ちょ、ゼロス! 靴返せよ!」
    「青い顔してる怪我人はそこで大人しくしてろ」
     ルークの言葉は無視して、ゼロスは靴を持って離れていく。
    「ユーリがまだ中にいるんだ、行かせてくれよ!」
     声を張り上げるルークにも、ゼロスは振り返らなかった。そんなルークの肩にガイが手をのせる。
    「大丈夫さ、ルーク。俺が行ってくる」
    「え……」
     青ざめた顔をしているルークに、ガイは明るく笑ってみせた。
    「機械の故障なら、俺なら何とかできるかもしれないしな。ドアを壊すにしても、足を怪我して踏ん張れないお前より、俺の方がいいだろ」
     それは、確かにガイの言うとおりだ。けれどガイの提案を、ルークは了承できなかった。
    「だめだ、ガイ」
    「大丈夫だって、ユーリ達は俺が必ず助けてきてやるから」
    「そうじゃない! ユーリ達も大事だけど、ガイも同じくらい大切なんだ。危ない所へは送り出せない……!」
     破れていない方のガイのシャツを、ルークは離さないと言うようにしっかりと掴んだ。その手の力強さが嬉しくて、ガイは体の芯が暖かくなるような気がした。
    「危なくなったら、すぐに逃げ出すよ。だから信じて待っててくれ。絶対、無茶はしないからさ」
     ふと、以前ガイがメスカル山脈で大怪我をした日のことを思い出した。あの時のガイの大丈夫は、どこか危うい雰囲気を含んでいたのに、今目の前にいるガイの言葉には、どっしりと落ち着いた雰囲気がある。
    「……約束だぞ。絶対、戻ってくるって」
    「あぁ、約束する」
     力強く頷くガイに、ルークは握り締めていたシャツを離した。それでもまだ不安げな顔をするルークに、ガイは安心させようと微笑みかける。
    「ガイ、中に戻るなら、俺とゼロスも行く。もし修理できなかったとき、扉を壊すんだったら人手はあったほうがいいだろ」
     ロイドの申し出をガイはありがたく受け入れると、三人は急いで船内へと向かった。その後姿を見ながら、ルークは下唇を噛み締める。今出来るのは、ガイを信じて待つことだけだった。



     カツカツと足早なブーツの音が反響する。爆発直後の喧騒が嘘のように、船内は再び静まり返っていた。昼の静けさとは違う、糸がピンと張られたような緊張感がある。ひとまず閉じ込められていると言うユーリ達の部屋の前まで、三人は急ぐことにした。
     船内を駆け抜け部屋の前まで来ると、中からは確かに人の声と、何かを叩く音が聞こえてくる。
    「ユーリ! いるのか?!」
    「ガイか?! 待ってろ、今そっちへ行く」
     窓から脱出できないかとガラスを叩いていたユーリは、そう言うとすぐにドアの前まで移動した。
    「エステルは無事に外に出れたんだな」
    「あぁ、大丈夫だ」
    「他のやつらは無事か?」
    「全員無事外にいるぜ。ユーリ達以外はな」
    「ならよかった。ルークも無事なんだろ」
    「外でお前を待ってるよ」
     自分のことよりも、他の仲間やルークのことに気を取られているユーリに、ガイは苦笑した。本当にユーリがルークの恋人でよかったと思わせてくれる。
    「俺もルークに早く会いたいのはやまやまなんだがな。見てのとおり、扉が開かなくなっちまった。ぶち破ろうにも意外と頑丈で、今クレスとスタンと窓ガラスを割ろうとしてたんだ」
    「チャットはどうした?」
    「あいつはどうにかドアの回路だけでも直せないかって、エンジンルームに行ってる」
    「分かった。なら俺もエンジンルームの方へ行く。ロイドとゼロスも一緒に来てるんだ。両サイドからドアを壊した方がいいか、窓の方がいいか、相談して決めてくれ」
    「ガイ!」
     それだけ伝え、すぐにエンジンルームへ向かおうとしたガイを、ユーリは呼びめた。
    「エンジンルームが一番危ねぇんだ。チャットには逃げろっつっても言うこときかねぇだろ。いざって時は、お前が抱えて逃げ出せよ」
     なるほど、チャットは保険と言うことか。いざと言うときチャットを連れ出すと言うのを口実に、ガイもちゃんと逃げ出せよ、とユーリは念を押してきている。もちろんチャットを逃がせと言う言葉も本心だろうが、予想以上に自分は信用がないらしい。
    「そう思うなら、いざと言う事態にならないよう、さっさとそのドアか窓をぶち破ってくれ」
     ロイドとゼロスにも、いざという時は自分達を置いて逃げろと釘を刺しているユーリに軽口のように返せば、ユーリは一瞬だけ口を閉ざした後、すぐに分かってるよと返事をした。



     再び船内を駆け抜け、チャットのいるエンジンルームの前まで来たところで、ガイは慎重に扉の前に立った。ガイに反応し、自動ドアが動く。気を張ってすぐに動き出せる体制でいたガイを、中からあふれ出てきた熱風が包んだ。
     とっさに顔を庇いながら、中の様子を見る。エンジンから湯気が上がり、水蒸気で室内は薄っすら靄がかかっていた。
    「ガイさん!」
     突然開いたドアに反応したチャットが声を上げる。ガイは急いで駆け寄った。
    「ユーリ達が閉じ込められてると聞いて、戻って来たんだ。状況は?」
    「エンジンの冷却装置が破損してしまったみたいなんです」
     ガイは様子を伺いながら、エンジンを見て回る。確かに冷却装置が上手く動いていないようだ。水路の途中に亀裂を見つけ、これが爆発音の原因だろうと推測する。そのままチャットが見ていた船内の制御回路に目を移す。爆発の衝撃で一部歪んでしまったのだろう。けれど上手くやれば、一時的にでも動かすことは出来るかもしれない。全ての可能性を考えながら、ガイは結論を急いだ。
     エンジンを止め、自然に冷えるのを待てば応急処置にはなるだろうが、冷える前に火災に繋がる可能性もある。エンジンを切ってしまえば、自動ドアで遮られているユーリ達のいる部屋はおろか、船内全てのドアが開かなくなる。となれば、道は一つだ。
    「チャット、今から制御回路を一時的に修復する。その後、エンジンを切って船を出よう」
     ガイは話し始めると同時に工具を手にした。
    「エンジンを切ったときでも外まで出れるように、必要な扉にストッパーをして来てくれないか。そして、ユーリ達に今の案を伝えて来てくれ」
    「分かりました、任せてください。けれど、あの、もし修理が間に合わなかったら……」
    「間に合わせるさ。全員で、生きてここから出るんだからな」
     僅かな迷いもなく言い切ったガイに、チャットはそれ以上は聞くのをやめた。間に合わせると彼は言ったのだから、今の自分がするべきは、言われたとおり退路を確保することだ。
     チャットが部屋を出て行く足音を頭の片隅で聞きながら、ガイは目の前の作業に神経を集中させる。冷却装置の水路は一つではない。早くしなければ、また水蒸気爆発が起きる可能性もある。
     水蒸気で部屋の気温が上がっていく。ガイは顔を伝う汗を袖で拭う。そのくせ上がる気温とは反対に、頭だけはどんどん冴えていくようだった。自分でも驚くほどのスピードで、回路を修繕していく。
     残すはあと二本。
     迂回させ、迂回先を繋ぎ直し、ドアの開閉だけを優先させる。残り一本だ。手にある最後の一本の線を見てから、ガイは体にかかる余分な力を吐き出すように息をする。工具を握る手に、自然と力がこもった。早くしなければ。後はこの一本を繋ぐだけ。
     もってくれよ。
     そう願いを込めながら、ガイは最後の一本を繋ぎきる。ボボボッ、とエンジンが音を鳴らした。冷や汗を垂らしたガイがエンジンの方を振り返る。しばらく様子を伺っていたけれど、もう音は鳴らなかった。ホッと胸を撫で下ろす。後はユーリ達が部屋から出たのを確認したら、エンジンを切って脱出するだけだ。
     直ぐに動けるようにエンジンの近くへ移動する。と同時に、ガイのポケットから、はらりと何かが床に落ちた。
     それは船から逃げ出すときに思わず持ってきてしまった、ルークの手袋だった。ガイはすぐに拾おうと腰をかがめる。
     ゴウンゴウンゴウン
     そんなガイの耳に、うねる様なエンジンの音が耳に入った。
     まずい。
     そう思った時には、もう遅かった。
     ボンッ!!
     と、けたたましい爆発音が響き渡る。その音は大きく、船の外でも嫌というほど耳を貫いた。
    「ガ……ガイ……、ユーリ……」
     カタカタと外で帰りを待っているルークの手が震える。瞬きすら忘れて、ただ船のほうをじっと見ていた。
     隣に座るエステルが、そっとルークの手を握る。けれど震えているのはエステルも一緒だ。気付いたルークが、力強くエステルの手を握り返す。
    「大丈夫だ、必ず戻ってくるって言ったんだ。俺は、ガイを信じてる」
     ルークの言葉に、エステルは大きく頷いた。今出来る自分たちの最善は、信じることだと理解していた。



     もはや懐かしいとさえ思うくらいに、それは待ち望んだ音だった。チャットからの連絡通り、聞きなれた機械音を鳴らし、見慣れた動作で部屋のドアが開く。
    「よかった!」
    「わりぃな、面倒かけた」
     喜ぶロイドとゼロスに、ようやく部屋の中から出てきた三人は礼をいった。後は急いで脱出するだけだ。けれど気がかりなのは、先ほどの爆発音だった。チャットとガイが心配だと、ユーリ達は急いでエンジンルームへと向かう。
    「ガイさん!」
     エンジンルームの入り口で叫ぶチャットを見つけ、ユーリ達は慌てて駆けよった。幸いチャットは、退路を確保しエンジンルームに戻る途中だったらしく、特に外傷は見当たらなかった。
     けれどガイは、爆発のあったエンジンルームに居たらしい。涙を流すチャットをクレスに任せ、ユーリは水蒸気の霧で覆い隠された部屋に目を向けた。
     視界もろくに確保できない部屋に、ユーリは躊躇せずに入り込む。記憶だけを頼りに進んで行くと、エンジンの近くでしゃがみ込んでいるガイを見つた。
     と同時に視界に入ったのは、壁に刺さる大きな鉄片だった。よく見れば、その周りには小さな鉄片も複数突き刺さっている。大きな鉄片から、ぽたりと赤い雫が落ちた。血だ。
    「ガイ……」
     ユーリは腰をかがめて、倒れる人物に声をかける。
    「お前……、よく無事だったな」
    「あぁ、おかげ様でな」
     ユーリは鉄片で切り傷を負った上腕筋を持ち上げ、傷の深さを確認する。特に深い傷でもなかった。切り口が大きいせいで血がぽたぽたと流れ出てはいるが、回復術で直る範囲だろう。
     回路を触る位置にいたら、間違いなく胴体を貫いていただろう大きな鉄片をもう一度見た後で、ユーリは安堵の息を吐く。
    「よく避けれたな」
    「いや、避けたんじゃない。偶然だ」
    「偶然?」
    「あぁ……」
     ガイは手の中にあるルークの壊れた手袋を、ぎゅっと握り締めた。
     あの時、たまたま落ちたルークの手袋を拾わなければ、確実に鉄片に体を貫かれていただろう。ポケットの奥に押し込んでいたはずなのに、手袋はまるで自分を助けるために、意思を持って落ちたよう思えた。
     他の誰でもない、ルークが助けてくれたような、そんな気がした。
    「チャット、退路はどうだ?」
    「準備できています!」
    「よし、じゃぁエンジンを切ってすぐにここから出よう」
    「そうだな、外のお坊ちゃまにも、だいぶ心配かけてるだろうし。お互いに」
     少し力のこもった『お互いに』に、ガイは笑いながら頷いた。



     二回目の爆発音から程なくして、船から出てくる人影があった。
     ルークはまだ痛む足も気にせず立ち上がると、一目散に駆け寄る。
    「みんな、よかった!」
     目に大粒の涙を溜めるルークに、七人は無事に戻ってこれた実感がより沸いた。
     ロイドが軽くルークの頭を撫でる。同年代のロイドに慰められて、ルークは恥ずかしそうに頬を染めている。そんなルークと二、三言交わしたあとで、ロイドはチャットやゼロス達を連れて、ギルドの任務に出ていたメンバーに報告をしてくるとその場を離れた。
     残ったユーリとガイを、ルークは改めてじっと見る。
    「お前、足怪我したんだって? 大丈夫か?」
     船から脱出がてら、ガイの袖が片方ない理由を聞いていたユーリは、かがみ込んで怪我をした辺りを確認するように触る。
    「ゼロスが治してくれたから問題ねーよ。後はちょっと安静にしてれば、すぐに元通りだって」
    「なら良かった」
     気がかりだった恋人の無事を確認して、ユーリはホッと胸が軽くなる。
    「ユーリも……、無事でよかった……」
     ついにボロボロと大粒の涙を流すルークに、ユーリは心臓を潰されるような痛みを覚えた。心配をかけたことへのお詫びとお礼を込めて、優しく抱きしめる。
     慣れ親しんだユーリの温もりと匂いに包まれて、強張っていたルークの顔が緩む。張り詰めていた気持ちが、ようやく解れていく。
    「後は、こっちも心配だったろ?」
     ひとしきり慰めたところで、ユーリは抱き込んでいたルークを、ガイへ促す。ユーリに背中を押されて、ルークはガイに近寄った。一番気になっていた腕の怪我を確かめて、すでに血が止まっている事を確認すると、よかった、と小さく呟きながら破顔した。
     そして、遠慮がちに残っているガイの袖を掴む。
    「ガイ、皆のこと助けてくれて、ありがとな」
    「ちゃんと、無事に帰って来ただろ」
    「うん。俺も、ちゃんと信じて待ってたぜ。ガイは、必ず戻ってくるって言ったから。また爆発する音がしたから、すっげぇびっくりしたけど……」
     言いながらそのときの事を思い出したのか、ルークの肩が小刻みに震える。
    「俺に出来るのは信じることだけだったから、ガイのこと、信じて待ってた。……信じて、よかった」
     今にも泣きそうな顔をしているのに、必死に堪えて笑うルークに、ガイの目頭が熱くなる。ルークの言葉が、じわりじわりと、体に染み込んだ。
     逃げていたんだ。
     待ち続けても『ルーク』が帰ってこない事実が怖くて、不安で、信じることに疲れて逃げたんだ。
     自分には何もしてやれることはないと、勝手に都合のいい理由をつけて、目を背けて気づかない振りをして。
     『ルーク』の言葉を信じて待つことは、いつでまででも出来たはずなのに。今『ルーク』にしてやれる、唯一のことなのに。
    「待っててくれて、ありがとな」
     ガイはそう言うと、ルークを引き寄せる。信じて、託して待っていてくれた自分よりも小さな少年は、大人しくガイの胸に納まった。信じる勇気を思い出させてくれた、大切な親友を抱きしめる。
     また、ルークに教えて貰った。
     『ルーク』ではないけれど、やはり本質は自分が愛した彼と同じだと思った。
     顔も、声も、何もかも瓜二つの少年は、どれだけ似ていてもオールドラントで過ごした沢山の思い出を持っていない。記憶を共有できないたびに胸が締め付けられて、待ち望んでいる『ルーク』ではないと、勝手にすがって落胆をした。身勝手な話だ。
     けれどひと時でもルークと触れ合えて、心が救われたのも事実だった。
     少し窮屈だけれど、こちらのルークも自分の人生を精一杯生きている。そんな姿をまた見れた事が、たまらなく嬉しかった。そして悲しかった。嫌というほど、自分が『ルーク』の事を愛していたんだと思い知らされた。
     『ルーク』が帰ってきたら、今度こそ彼の人生を支えたい。彼と一緒に過ごして、出来る限りのことをしてやりたい。
     最後にもう一度だけルークをしっかりと抱きしめてから、ガイは腕の中から開放した。もうルークにすがるのも、誤魔化すのも、これで終わりだ。
    「俺も信じてるよ、ルーク。一生、変わらずずっと」
    「え……? それって……?」
     不思議そうな顔をするルークに、ガイは笑って答える。
    「お前ならいい外交をしてくれるってな。それより、せっかく皆無事なんだ。いつまでも泣いてるなよ」
    「も、もう泣いてねーだろ!」
     せっかく涙を必死になって止めたのに、それを無下にする親友にルークは声を荒らげる。それに、なんだか話をはぐらかされたようで納得がいかない。
    「もうガイなんか心配してやんねぇ!」
    「そういうなよ、ルークが信じてくれたおかげで無事だったんだからさ」
    「口ではいくらでも言えるからな」
     すっかり臍を曲げてしまった主人の機嫌をとろうとするガイの言葉を、ルークは次々と切り捨てていく。そんな二人のやり取りを、ユーリは笑いながら見ていた。
    「ユーリまで笑うことないだろ!」
    「いや、仲がいいと思ってな。さすが幼馴染の親友だ」
    「まぁな、心の友ってやつだからな」
     親友、と見透かしたように笑うユーリに、ガイもしっかりと答える。ユーリの瞳には、もうどこにもガイを哀れむ様子はなかった。
    「何だよ二人して。もう知らねぇ!」
     むくれたルークが一人ズカズカと大股で先に行く。怪我をしていた事をすっかり忘れていたルークは、強く土を踏みしめて、その衝撃に顔をしかめた。
    「いっ」
     小さく悲鳴を上げながら、ルークはバランスを崩す。前のめりに地面へ崩れていくルークに、ガイは思いきり地面を蹴りつけた。危ない、という間も惜しんでルークを抱え込み、自分の体で地面との接触を遮る。
     ルークへ訪れるはずだった衝撃が、全てガイへと流れていく。地面と背中が擦り合う音が、ガイの頭の片隅で鳴る。
    「ガイ!」
     叫ばれた名前が、最後に聞いたルークの声だった。



     風の音がした。
     ヒュウ、と鳴る音は何処か寂しげで、吹きすさぶ隙間を埋めてくれる何かを探しているようだった。
     目を開ければ、視界一面の紺色と、黄金に輝く満月。
     夜空を彩る星々を押しのけて、誰にも譲らぬ荘厳さで、それは夜空を独り占めしている。
     そんな自由気ままに振舞う夜が、ガイの目の前に広がっていた。
     先ほどまで青色だった空が、一瞬で紺色になるなんてありえない。けれどガイには、その理由がなんとなく理解できていた。耳元で風に揺られた草花が、サラサラと音を立てる。腕の中にあったはずのぬくもりはどこにも無く、寒さに体が震えた。
     ゆっくりと体を起こす。
     そう、ここは、オールドラントだ。
     視界一面に咲き誇るセレニアの花に、ガイは笑った。
     そして後から追いかけるように、涙が零れた。
     もう、手には何のぬくもりも残っては居ない。ガイはゆっくりとポケットに手を入れた。指に触れたのは、ルークの壊れた手袋だった。取り出した手袋を、両手でゆっくりと包み込む。
     破れたシャツに、腕の切り傷。そして壊れた手袋が、あの世界が確かに現実だったと教えてくれる。
     純白の花が月明かりを浴びて燦然と輝き、ガイの瞳を照らす。風に吹かれたセレニアの花が、ガイに寄り添うに揺れていた。

     教えられたんだ。信じる勇気と、信じられる喜びを。
     だからルーク、お前が戻ってくるまで、一生待つと誓うよ。

     もう、二度と逃げたりはしない。
     お前が帰ってくるのを、いつまでだって、ずっと待ってる。





    『待ってるからな。ご主人様のいない使用人ってのも寂しいもんなんだぜ』
    『だから、さくっと戻って来いよ。このまま消えるなんて許さないからな』
     そう最愛の少年へ伝えたのは、もう三年も前になった。
     タタル渓谷でティアの譜歌を聞きながら、今日も変わらず咲き誇るセレニアの花が気持ちがよさそうにたゆたう。
    「よろしかったの? 公爵家で行われるルークの成人の儀に、貴女も呼ばれていたのでしょう?」
     歌い終わったティアに、ナタリアは尋ねる。ティアには、それは別の知らない誰かの話のように聞こえた。
    「ルークのお墓の前で行われる儀式に、興味はないわ」
     自分が待っている彼には、お墓は必要ないのだから。
     さらりと答えるティアに、ガイも大きく頷いた。
     その瞳には、一切の迷いは無かった。
    「あいつは戻ってくるって言ったんだ。墓前に語りかけるなんて、お断りってことさ」

     真っ白な花畑の先で、赤い髪が揺れた。
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