休日 午前指定の荷物を待っていた。
オーブンに食パンを2枚入れて時間を設定する。焼けても起きて来なかったら起こしに行こう。そう決めて他人の家の冷蔵庫を開け、食材を見繕う。
他人の家といってもここは留三郎の部屋で、友人のような喧嘩仲間のような間柄だったがつい数ヶ月前に恋人という肩書きも加わった。
今日は恋人となって初めて留三郎の部屋に泊まったわけだが、その夜過ごせた時間は短かった。
「悪い、残業だわ。先何か食っといてくれ」
と連絡が来たのが彼の定時。それから数時間遅れた帰宅時には疲れ切っているようだった。
了解を得て風呂を沸かしておいたのが良かったのか、風呂から上がった留三郎は切れ長の目をさらに細くして眠気を抑えきれないようだった。
「飯食ったか?」
「出前を取った。お前の分あるけど」
「ああ、悪いな。明日食うわ」
眠い、と欠伸を噛みながら俺の前を横切り、クローゼットを開いて上部から何かを取り出そう腕を伸ばしている。
「俺がやる」
「いいから」
「お前はもう寝ろよ」
「俺の方が背高いし」
「……筋肉は俺の方がある」
そう言いながら結局ふたりで客用の布団を取り出して敷いた。ガタイの良い男が二人も要る作業ではなくとも、留三郎は恐らく家主の意地で、俺は留三郎を早く寝かせたい一心でお互い譲らなかった。
それが終わると応酬も途切れ、留三郎が何か言いたそうに視線を寄越したり外したりして、やはりこちらを見て口を開いた。
「お前さ、布団の場所知らなかったか?」
「いや?知ってたが、飯食うなら場所広い方がいいかと思って」
過去に他のメンツも加えて泊まったことがあるので、知っていただろうと言いたいのだと解った。そうか、と言い留三郎は何やら満足げにニヤついたかと思うと俺の胸ぐらを掴み、顔を寄せ口をくっ付けてきた。勢いよくやってきて、離れるときはえらくゆっくりだ。
「ふふ、おやすみ」
「……ああ、おやすみ」
これがおやすみのチューってやつか……?
かろうじて挨拶を返したものの、布団に入ろうと動き出すまでたっぷり5秒はかかったと思う。目の前の家主はご機嫌にベッドに入ったあとだった。
やっぱり好きだ!完敗だ!
叫び回りたい衝動を抱えたまま眠りに就くのに苦労していると「あっそうだ、明日宅配が午前着だから起こしてくれ」と聞こえたので「わかった」と言った。目先の目的が出来ると余計なことを考えなくて済むので助かったと思った。
これまで留三郎を俺の部屋に二回泊めてわかったことがある。
留三郎は朝、起き抜けのキスを嫌がるのだ。
「雑菌とかは知らねえけど普通に臭えだろ、寝起きは」と寝癖が方々に伸びるその頭を掻いて俺から離れながら、事も無げに言われたのが前々回。俺が臭いのかお前が臭いのかと聞き返す前に洗面所から流水音が聞こえてきたから、その日はとりあえず黙っておいた。次の回で俺は早く起きて顔を洗って歯を磨いてから、留三郎の頬を撫でて髪を指で梳かして額にキスをして起こしてやった。思ったよりこいつの覚醒は早く、掛け布団の隙間から右ストレートが飛んで来たが軽々と躱してやった。悔しければ早起きするんだな。
そして今朝。
この男の大胆な寝相は健在だった。
布団と枕はベッドから落ちかかっていたし、留三郎自体も脚が大きくはみ出ているが、これを直そうとすると起きることは判っている。留三郎が妙な角度で寝ているせいで少し空いたベッドの縁に腰掛け、前回とそっくり同じことをした。
喉を鳴らして、薄目を開けてこちらを見た。
そしてもぞもぞと動き出したかと思えば布団で俺の腕を遮って顔を隠した。
「最悪……」
「あ?何だと?」
衣擦れの音に紛れた聞き間違えかと思ったが、続け様に「やめろって言ったじゃねえか」等とぶつぶつとした声が布団越しに聞こえる。
「俺が臭ければそう言え。お前のは気にならん。」
そう言って布団を剥がすと同時に左脚が飛んでくる。またも躱す。
「なあ、宅配は」
「まだだ。早くしないと冷めるぞ」
そう言い残してキッチンに戻り、焼けたパンを皿に移していると早々に覚醒した留三郎が姿を見せた。
「え、焼いてくれたのか?やりィ〜」
言いながら洗面所に向かう留三郎に俺もついていった。
「お前、食パンがあるのにジャムが無いのはどういうことなんだ。バターくらいしか……」
「あ?何だよ!?」
いかん、洗顔中だ。だが後に引けない。
「いや、食パンに何塗る気だったんだよ!」
「何でもあるだろケチャップでもマヨネーズでも!」
水を止めて体勢を戻した留三郎が顔をタオルで覆って、これも事も無げに言う。
「お前ケチャップ、いくのか。食パンに…」
「はあ?」
普通だろ、ピザトーストのチーズ無し。と続けて歯ブラシを手に取った。
「ピザトーストはピザソースを使うだろ」
「あえ多くて残うし」
「そりゃどうにかこうにか使い切るんだよ」
「ああ〜?」
歯ブラシをくわえたまま生返事を寄越してくる。「この後どうにでもしてやる」って顔だ。
俺はパンが冷める焦燥感から一足先にキッチンへ戻って、もう一度冷蔵庫内を見渡す。ほらやっぱり何にもないじゃねえかと思ったが、追いついて来た留三郎が俺の肩越しにヒョイヒョイと手に取ったのはケチャップとマヨネーズと、海苔の佃煮だった。
海苔の佃煮……?
「食パンにジャムしか塗ったこと無いのかお前は」
「そんなわけねえだろ」
「あ、そっちの引出しにナイフあるから取ってくれ」
ローテーブルに着いた留三郎にナイフを手渡して、座る前に聞いておく。
「お前1枚で足りるか?もう2枚焼けるけど」
「おっ食う食う~」
もう一度同じようにパンをセットしてタイマーを回しておく。
席に戻るとすでに答えを用意されていた。
「ケチャップマヨと……」
「マヨ佃煮」
おお、と物珍しさに声を出してしまった。
「不味けりゃ俺が食うし」
「いや、頂きます」
手を合わせてから、半分に切られた長方形の、緑の方を手に取った。赤い方は後で頂こう。
「うん、美味い」
「だろ?」
留三郎が満足気に笑う。あ、この顔は昨日どこかで、ああ寝る前に見たなと思った。昨日あれしきで内心大はしゃぎした記憶をさっさと仕舞い込みたくて目先のパンを頬張ると、留三郎がさらに得意気になった。「本当は海苔を塗ってから焼いてマヨかけるのが良いんだ」等と語っている。良いように取ってくれたようだ。それにしても、
「パンに付けてもいいのか……」
海苔の佃煮を、それもマヨと一緒に……。そう感心していると「まあマヨ佃煮はいいとして、ほんとにオーロラソースも知らねえのか」と来た。知ってるに決まってるだろ、今までパンに塗らなかっただけだ。
言いながら手に取った赤い方は何となく想像した通りの味がする。美味い。
留三郎が美味いと言うものは大概美味い。
そう言えばいつもの六人で外食や買い食いをするときに、留三郎とはよく「俺の真似をするんじゃねえ」と言い合っていた。悉くこいつが俺と同じメニューを注文したり同じものを手に取ったりするからだ。
こいつと食のことで、それもその違いで言い合いをするのは初めてなんじゃないかと思い至った。そうか、前泊まったのが二回とも俺の部屋で、俺が朝飯を用意してしまっていたからこれが起こらなかったのか。
「お前、何ニヤついてんだ」
「あ?何でもない」
「何だよ、気色わりいな」
お前と朝飯を食うのが嬉しくてしょうがないって言ってやろうか?
三度目の泊まりで、まだこんなにはしゃいでるってことを。堂々と正面から言ってやろうか。
温めたパンが喉を通った時よりも胸が熱くなって大騒ぎしているが、俺は努めて冷静に言い返した。
「お前もニヤついてるじゃねえか」
「うるせえ」
移ったんだよ、と言い訳のように言われた。
俺は今日だけで何度、白旗を上げればいい。