神室町の床屋1おいぼれの話ですからね。全部まに受けちゃいけませんよ。
うーん、何でも良いから印象に残っているエピソードねぇ。まぁ、場所が場所だから。真っ当にやってる床屋よりはあると思うよ。
そうだねぇ、あのお客さんが初めて来たのはバブルの終わりの頃……年末だったかな……
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「いらっしゃい」
開店と同時に長身の男が入ってきた。その男は、左目に眼帯をつけ、長い髪を後ろで括っていた。着崩したタキシードは生地が摩耗しており、よく見ると肌には無数の傷やあざが見えた。
神室町に店を構えている以上、客の中には訳ありの人間も多い。私はいつもと変わらずに男を迎えた。
「いらっしゃいませ」
「髪切りたいんやけど、いま頼めるか?」
「ええ、大丈夫ですよ。こちらへどうぞ」
関西弁を話す男はあまりこの街の人間の感じがしなかった。クロスをつけながら尋ねる。
「お客さん、よくここをご存知でしたね」
「しばらく蒼天堀におってな。そんで最近戻って来たんや。こっち来て良くしてくれてるおっさんがな、床屋ならここやって教えてくれたんや」
紹介者は顔にこんな傷があると男がジェスチャーを交えて言った。
「それはありがとうございます。今日はどのようにしましょう?」
「おっちゃん、バッサリいってくれや!」
「バッサリですか……」
正直1番困る要望が来た。私はせめて髪型の方向性だけでもと詳しく尋ねようとすると、
「とにかくこの長いの以外だったら何でもええ」と男は言った。
何でも良いわけないだろうと思いながらも、私はやるしかないと腹を括った。
男の髪留めを取り、漆黒の長髪を軽くすく。毛先まで艶があり、よくここまで綺麗に伸ばしたなと切ってしまうのを勿体なく思った。
「……眼帯をお取りしてもよろしいですか?」
「お!こないなってから人に髪切ってもらうの初めてでな」
男は自分で眼帯外して、鏡の前のテーブルに置いた。左目の瞼には痛々しい傷の跡が見えた。
「すまんな、こんなん見せてしもて」
「ここは神室町の床屋です。皆さま大切なお客様ですよ」
「ヒヒッ!ええな!そう言うん好きやで!」
気概を好いてもらえたのは嬉しいが、実際に仕事をするのはこれからだ。楽しみだのと言われるとより胃が痛いが、私は無心でハサミを動かすことに集中した。
「お客さん、お客さん、終わりましたよ」
「ん…あ、すっかり眠ってしもた……あ!!」
私はこれはやってしまったと思った。私自身も少し昔の流行りだとは思ってた節もあり、気に入らなかっただろうか…そうでなくても客の中にはいちゃもんをつけて代金を払わない輩もいる……
「おっちゃん、最高やで!気に入ったわ!!」
鏡越しにテクノカット姿の男がはしゃいでいる。どうやら満足してもらえたらしい。肩の力がふっと抜けた。
「どうもありがとうございました」
「ほんまおおきにな!また来るわ!」
支払いを済ませると男は神室町の雑踏に消えていった。
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それからは5mm伸びるごとにいらしてくださってね。後から知りましたが、その方は嶋野組でね、当時この店は風間組のシマにありましたから、嶋野組の方が来ることは珍しかったですね。ええ、そうです。真島吾朗さんです。
違う髪型も考えていたかって?はは、流石にもう覚えていませんが、彼を見た時にピンときたんでしょうね。これしかないって。
私が引退するまで30年近くも通ってくださいましたよ。ずっと同じ髪型のままでしたね。まぁ、極道の方は一度コレと決めたら頑なに変えない方が多いので。
え、もっと一触即発なのが聞きたい?じゃあ………