それってつまり… 相談所のドアを開けて中に入ると、応接ソファで兄が所長の顔を黙って見ていた。なんだか目つきが厳しくて、僕が声をかけるのをためらっていたら、兄は表情を少し緩めて僕の方をチラッと見てくれた。
「律が来ましたよ。続けますか?」
「関係ないだろ、これはお前のためなんだから」
「…らしくないですね、いつももっと余裕そうなのに」
「人間には色んな側面がある。相手のことを簡単にわかった気になるな」
え? 喧嘩? 兄さんが霊幻を相手に?
「…なんでいつもそうやって人を遠ざけるのかな」
「なりふり構ってられないんだよ、大人のメンツってのがあるんだから」
「………楽な方に逃げてるだけなんじゃないですか?」
「勘弁しろよ、社会で生き抜くってのはそれだけで大仕事なんだぞ?」
「……………俗世間の中で磨り減っていく生き方を選んでるのは、本人なのでは?」
なんだかピリピリしてるというか、兄さんが苦しんでいる……口を挟む隙がないので、受付席で夜間学校の課題をしていた芹沢さんにコソッと聞く。
「あの……どうしたんですか? あの二人」
「ふふ、ビックリしたでしょ? 影山くんが高校の新しいクラスの人に何か言われたらしいんだけど、反論しようとしたら言葉に詰まってしまったって。それで霊幻さんが『鍛えてやる』って、あの遊びをしてるんだ」
「遊び?」
「よく聞いてるとわかるよ」
振り返って二人のやりとりに耳を澄ます。
「履き違えるなよ、人間ってのは一人で好きに生きていくためにこそ周りの人間を尊重すべきなんだ」
「だからって自分の気持ちを伝える努力をしないのは違う問題です」
「筋を通すってことが自分自身を保つのに一番大事なことなんだよ。他人から見た自分は二の次だ」
「あ! 師匠、連続で『だ』終わりです」
「うわっ! やらかした!!くそっ……」
「律、いらっしゃい。ほったらかしてゴメンね。いまお茶淹れるから」
……しりとり???
「霊幻さんに有利すぎて勝負にならないからって、霊幻さんだけ縛りが多いんだよ」
「よう、律。しかしこんな早く負けるとはな……」
霊幻はうなだれて首を傾げながら、こちらに手を力なく上げている。あれで挨拶のつもりらしい。
「どうもこんにちわ霊幻さん。ビックリしましたよ、ふざけた遊びは勘弁してください。なんでしりとりなんですか」
僕はカバンを床に置きながら、兄さんが居た席に腰をかけた。
「いやいや、言葉尻を捕まえるのはレスバの基本だぞ。怒りで頭が真っ白になった時は相手の発言の語尾を引っ張ってきて適当に何か話し始めるといい、相手が何を言ってたかを再確認できるしな」
人差し指を僕に向けてそれらしい事を語っている。おい、誤魔化せると思ってるのか?
「……なるほど、言葉の上だけで言い負かすことしかできないあなたらしいやり方ですね。でも兄さんはあなたと違い、相手に自分を理解してもらうために努力できる誠実な人間なので(中略)そもそも兄さんは他人を攻撃するような器の小さい人間じゃないんですよ。弱い犬ほどよく吠えるって言うでしょう。まるであなたのためのような諺ですね?(中略)レスバってもの自体が下卑た人間のすることであって、その土俵に上がるようなことは兄さんの人生には必要ないんです(中略)とにかく、たとえ遊びであっても兄さんに向かってあのような尊大な口を聞かないでください。以上です。」
「すいませんでした、ハイ」
僕は兄さんが淹れてくれたお茶をすすった。
おわり