君と暮らせたら(訳も知らないで) 気がついたら調味駅のホームのベンチに座っていた。たしか、ツボミちゃんとカフェで話してて…泣いてるツボミちゃんに驚いて…そうだ、思い出した。
「好きな人から自分の好意そのものを否定される気持ち、わかった?モブくんはお師匠さんにこういうことをしたんだよ。君の超能力も含めて大事にしてくれてる人に対して。恋がなんなのかとか言ってないで、まず謝りに行ったら?」
真っ赤になって泣いててもツボミちゃんは綺麗だな、なんて見当違いなことを考えながらも、自分がとんでもなく傲慢で師匠に甘え過ぎてることは理解できた。
頭グラグラになりながらも、話を聞いてくれてありがとう、と彼女の分の会計も含めたお金をテーブルに置いて店を出てきたところまでは覚えてる。でもいつの間に調味駅に帰ってきたのか、日もとっくに暮れてる。気温が下がって、少し冷えてきた。
「兄さん!?」
今着いた電車から降りてきた人の中から、見慣れた人がこっちに近づいてきた。律。
「どうしたの兄さん、こんなとこで…顔色悪いね?大丈夫?薄着だから冷えたんじゃない?」
立ち上がろうとしてもフラフラしておぼつかない僕を見かねて、肩を貸して立ち上がらせてくれた。
「…ごめん、律。心配かけちゃて。少しショックなことがあってボンヤリしちゃってた」
「…霊幻さんのこと?」
律は僕が師匠と一緒に暮らすとなった時あまり良い顔はしなかった。でも僕の希望なんだと言ったら折れてくれた。部屋の保証人にもなってくれた。あ、そうだ…あの部屋を僕だけ出るなら保証人は別の人に変えてもらわなくちゃ…。
「霊幻さんから連絡もらってるよ。兄さんが家を出るかも知れないから保証人も変えると思うって。あの人、実家の家族とかに頼める人っているのかな……何があったの?」
律には、師匠とセックスしていたことは言ってない。師匠のことがすごく好きで大事だから将来も含めて一緒に暮らすつもり、とは言ってあったけど、性的なことまで話すのは師匠のプライバシーにも関わるし、師匠からも「親御さんには言うな、俺が殺される」って言われて、そんなことないと思ったけど師匠が怖いと思うなら家族には隠しておこうと黙っていた。(多分、お母さんは気がついてるけど。)
「うん…僕が師匠に甘え過ぎてしまって、それに気がついたら師匠のそばにいるのがいたたまれなくなっちゃって…」
誤魔化してる。本当は、師匠に弟子としてだけ愛して欲しい、それ以外の好意は要らないって駄々をこねて出てきただけだ。こうやって言葉にすると情けなくて泣けてくるな。でも本当にそうなんだ。僕は師匠に弟子としてしか愛されたくない。僕をただの影山茂夫にしないで欲しい…。
「僕が言うのもなんだけど、あの人は兄さんを甘やかすのが生き甲斐というか、それ以外にあの人に価値ないでしょ。兄さんの人生に付き合わせてあげてるんだから、どんどん世話させて搾り取ればいいじゃないかと僕は思っちゃうけどね。もちろん、兄さんがあの男を見限って出ていくというなら大歓迎だよ」
少し怒気をはらみつつも、僕を和ませようとしていつもの調子で話してくれる。
「いや、律の方が僕のこと甘やかし過ぎでしょ…。そんな風に言われたら、僕は自分のこと恥ずかしいままで生きててもいいのかなって思っちゃうよ」
「兄さんはどこも恥ずかしいとこなんてないよ!」
駅を出てタクシーに乗る。律は僕を実家まで連れて帰ってくれるみたいだ。世話かけてしまってるな。
後部座席で並んで座ると子供の頃を思い出す。律が免許を取って以降は、実家の車を出す時は律が運転席に座ることが増えた。
律が僕の手をギュッと握って小さな声で話しかける。
「…兄さんがあの人のことを本気で好きなのはわかってる。同性でも調味市はパートナーシップ制度もあるし、兄さんがそうしたいなら霊幻さんにYESと言わせるまで僕も協力するから、自分がおかしいとか思わないで。弱気になって諦めないで。僕は兄さんの味方だ。それにあの男だって絶対に兄さんのことを愛してるんだ」
自分の話なんだとわかるまで時間がかかってしまった。
「……ごめん、違うんだよ律、僕がワガママを言ってるだけなんだ」
「何を言ってるんだよ!こんなに深く兄さんの人生に侵食しておいて、今さら結婚はイヤだとか、そういう類の愛じゃないとか、そんな逃げ口上は僕は許さない!兄さんが他に恋人も作らずに一緒に暮らすことを選んだ時点で、覚悟を決めていて然るべきだ。兄さんがあの人を特別に…、一番大事に思ってることは周知の事実なんだから」
律が師匠を責め立てるつもりで放った言葉はすべて僕に向かって突き刺さった。そうだ…僕が決めたことなんだ。師匠のことを独占したくて同居することを受けさせたのも、師匠に恋人を作らせないようにしてたのも。
そして。それなのに対等なパートナーになるのはイヤだと狡く逃げ回ってるのも…
「僕なんだ…。律、違うんだよ。僕が師匠の気持ちから逃げてきたんだ」
「え…?」
「僕が、弟子としての僕だけを愛して欲しいってワガママ言ってるんだ。師匠は僕に恋をしてると言ってるのに…」
タクシーの中で沈黙が続いた。家に着き、車を降りて、玄関まで向かう。ドアを開けようとすると律がそれを止めて、僕の背中に呟いた。
「…それはさすがに、兄さんでも酷いと思う。あの人はあの人なりに覚悟を決めているはずなのに、兄さんは子供時代の延長のままであの人の人生を縛りたいって言ってるんじゃないか」
律の手が、僕の背中をそっとさすった。
「…僕は、兄さんがあの人を愛してると知ってる。だから、逃げないで。そんな兄さん見たくないよ」
今日はこのまま帰るから両親によろしく伝えてくれと言って、律は今乗ってきたタクシーにまた乗り込んで去っていった。タクシー代も払いそこねてしまった。
師匠に会いたい。会って、相談したい。僕はどうしたらいいのかを。
一晩寝て起きると、昨日の記憶は思ったよりちゃんと残っていた。誰に何を言われたかグチャグチャになって朦朧としたまま、風呂も入らずに寝てしまったのに。眠ると記憶が整理されるって師匠が言ってたな。
そういえば、師匠は僕が家を出る前提で律に連絡してたみたいだ。まだ自分の気持ちは見えないけど、そんな風に決めつけられてしまうのは困る。スマホを手にとり、まだ出ていくと決めてないから勝手に話を進めないで欲しい、という文面を打ち込むと、どの面下げてこんなこと言えるんだ、と我に返って全部消した。
会いに行こう、会ってまず謝ろう。師匠がどうしたいのかも聞かなくちゃ。部屋を解約するかどうかも、考えるのはそれからだ。
出掛け間際に母に「部屋の様子を見てくる」とだけ言うと、「喧嘩か何かあったかは知らないけど、霊幻さん、もうだいぶ堪えてると思うわよ」と返ってきた。「喧嘩」…残念ながら、あなたの息子はいい歳こいて痴話喧嘩すら出来ない未熟者なんです…と凹みながら家を出た。
師匠と二人で借りてるマンションの前まで来て、師匠のスマホに電話をかけてみた。出ない。鍵を開けて部屋に入ってみても師匠はいなかった。カレンダーを見ると相談所も休みのようなのに、家は空っぽで、生活してた気配も薄い。どこに行ったんだろう。あんまり帰ってないのかな。
仕方ないので相談所に行ってみた。やはり休業札が下がっている。超能力でそっと鍵を開けて中に入る。誰も居ない。
窓際のデスク、師匠がそこから僕に声をかけていた、あのいつもの光景を思いだす。
僕はまだ子供だった。師匠は大人に見えた。師匠はいつまでも僕よりずっと大人なんだと思ってた。
でも僕はいま、僕がこの相談所のドアを初めて開けた時の師匠の年齢を越えている。
師匠、本当はこんなにガキだったんですか?それなのに僕のことをあんな風に守ってくれてたんですか?
暗い室内から見る窓の外の光が眩しかった。もうすっかり春の陽気だ。
部屋にまた戻ってみるけど師匠はまだ帰ってない。スマホを取り出して見てみるけど、連絡は4日前にしたきりでなにも来ていない。
"ちゃんとメシ食ってるか?"
"大丈夫、実家なので朝と夜はしっかり食べさせられてます。ありがとうございます。"
それきり。
師匠はどこに行ったんだろう。別に僕が居ない時に用事で出掛けても何もおかしくない。ご飯も一人で外で食べてくればいいんだし。
日が暮れてきたからカーテンを閉めよう。明かりをつけたら外から部屋の中が見えちゃう。
でも、明かりをつけたら帰ってくる師匠に僕がいるとわかってしまう。僕が部屋に居ると気づいても中に入って来てくれるかな。顔を合わせたくなくて時間潰しにどこかにまた行ってしまうかも知れない。
そうか、師匠は僕に会いたくないのかも。だって、自分に恋しないでくれなんて言って出てった相手の顔なんて見たくないよね。
…なんてひどいこと言ったんだろう。
師匠の優しさに全身で浸かっておいて、僕をひとりの人間として見てるってことすら拒絶するなんて、師匠を人間扱いしてないも同然だ。
それなのに僕は期待していた、師匠は僕の帰りをここで待っていると。でも着信の折返しはおろか、昼前に送ったメッセージに既読すらつかない。
会いたいのに会えないなんて想像もしてなかった。
19時までは部屋で待ってみた。
外が暗くなったけど僕は明かりを点ける勇気が出なくて、メモに「様子を見に来ました。今日は帰ります。また連絡します。」と書き置きしてから部屋を出た。
師匠、いまどこにいるんですか?
会いたい。