その後の2人 やってしまった。俺はなんて意志の弱い男なのだろうか。
試合の後、俺は木兎さんと約束通り食事をする。木兎さんは珍しく静かな個室を予約してくれた。俺はいつも通り、気を遣わなくていいと伝えたが「試合後だとテンション高くて声大きくなっちゃうし!」と言うので俺も木兎さんの提案を飲むことにした。ミーティングがある木兎さんより先に個室に着いた俺は、静かで薄暗い個室を見渡した。仕事でもこんな落ち着いた個室を使うことは無いし。何というか、カップル向きっぽい。席も向かい合わせじゃなくて、ベンチシートだし。木兎さん、よくこんな店知ってたな。来たことあるのかな? そう思うとなんだかモヤモヤしてきたが、俺は今日、木兎さんに会うことに後ろめたさがある。
木兎さんとの約束を破ってしまったからだ。
2つまでと言われたおにぎりを、4つ食べたのだ。コースなんか予約されていたら、流石に入らない。
俺だって2つにするつもりだった。悩みに悩んで、おにぎり宮の出店スペースへ向かった。その時、ちょうどお客さんが途切れたタイミングだったので宮治に話しかけられたのだ。
「アカアシ君! いつもありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。美味しいおにぎりをありがとうございます」
出店する度に買っていれば、顔見知りとなり今では軽く言葉を交わす関係だ。同い年なのはお互い知ってるし。俺は一番気になっていた秋の新作と、お気に入りの定番、悩み抜いた2個を購入すると、渡された袋は予想外に重かった。
「あぁ、これおまけ」
「え?」
「いつも沢山買ってくれるし。新作自信あるんで、食べて感想教えてや」
「あ、ありがとうございます」
俺が言い終わると同時に「すみません」と他の客もやってきたので、俺は店を後にした。にこやかに笑う宮治の個人的な連絡先は知らないが、お店のホームページからメッセージを送るか、木兎さんから宮侑経由で伝えればいいだろう。
とにかく俺はうっかり、おにぎりを4つ食べることになったのだ。美味しいおにぎりを残すなんて無常なことはできないし、帰りまで時間がかかる。持ち帰るわけにもいかない。せめて保冷バッグでもあればと思いつつ、その場で全て食べたのだった。迷って諦めた新作ももちろん、全て美味しかった。しかし、しかしだ。もし、木兎さんがコースで注文していたらその料理を残してしまうかもしれない。予約を木兎さんに任せていたので、席だけなのか料理も予約されているのか俺はわからないのだ。
不安を抱えつつ、珍しいカップル向きの個室も何か作品づくりの参考になるのでは? と、せっかくなので部屋の写真を何枚か撮っていると、奥から元気な声が聞こえてきた。
「予約してるボクトです!」
「あかあ、えっと、一緒の人が先に入ってるはずです」
木兎さんの声はよく通るので、店員さんの声は聞こえないが木兎さんの声はよく聞こえた。店員さんが案内してくれるだろうが、お店も暇じゃないと思うので俺は個室から顔を出した。
「木兎さん、お疲れさまです」
「あかーしー!!」
俺に気付いた木兎さんは手を大きく振って、嬉しそうだ。夜の室内だというのに、笑顔が眩しくて俺は目を細めた。
「お待たせ〜。 悪かったな、待たせて」
「いえ、こういう個室は珍しいので観察してました」
「部屋の観察? マンガに出すの?」
試合後の食事は、木兎さんはジャージのままが多いが今日は私服に着替えてたし髪もセットし直している。服は、流石に見たことあるが靴と時計が見覚えてないものをしていた。何というか、ちゃんとしてるな。
「描くのは先生たちですから、わかりませんが…… 担当している先生たちはみんなこういったお店、苦手そうなので」
「赤葦は? イヤだった?」
木兎さんは俺の隣に座ると、背中を丸めて上目遣い。この人、こういうことが自然にできるの凄いよな。俺にはできない。
「いえ、俺は別に。 ただ、この個室は狭いのでカップル向きっぽですよね」
目を合わせると、固まってしまうので俺は目線を外して水を飲んだ。
「木兎さんは特にですが……俺も平均よりは体大きいので、もっと広い部屋の方が良かったんじゃないですか?」
席は2人掛けのソファで、つめて座るか、子供なら3人座れるかな、というサイズだ。俺たちが2人で座るには少し狭かった。2人で行っても大きいテーブルに通される事が多いので。
「あー、うん。今日はちゃんと話したいと思って!」
「ちゃんと?」
「何でもない!! 赤葦、何食べる?」
メニューを取って立てながら広げた。メニューで隠れた木兎さんの表情は俺からは見えないが、声が少し落ち着きがない感じがする。
「あ、あの今日ってメニュー何か予約してたりします?」
「いや、席だけ」
俺はおにぎりを4つ食べたことは内緒にしているので、コースが予約されてないことがわかりホッとした。大したことじゃないとはいえ、木兎さんとの約束を破ったことが後ろめたい。世界を照らすこのスターが俺のために時間を作ってくれているというのに。
「そうですか、良かったです」
これで食べきれないは回避できる。俺が安心していると、木兎さんがメニューの上から顔を半分だけ出して俺をじっと見た。
「え、もしかして、赤葦、あんまり食べない? このあと予定ある? 誰か会ったりする?」
どうしてあんまり食べないことと、人に会うことが結びつくのだろうか? あいにく俺は関西に友達などいない。
「いいえ」
「そっかー! 良かった。じゃ、食おうぜ!俺、腹減ったんだよー」
「今日も大活躍でしたからね。素晴らしかったです」
「おう!」
嬉しそうな木兎さんに俺は「最初は軽めに頼んで、後から追加しましょう」とさり気ない誘導で最初の注文で切り抜けたのだった。
ある程度、アルコールが進んだ俺は油断してしまった。ほとんど食べ物に箸を付けなかったのだ。そんな俺に気が付いた木兎さんは、俺をじっと見つめた。ヤバい、これはバレた。
「赤葦、全然食ってねぇじゃん」
俺と違ってどんどん食べすすめる木兎さんは、頬を膨らませている。小動物みたいで可愛いな。いや、違う、何とごまかすべきか。
「体調悪い?」
箸を置いた木兎さんは、体を寄せると俺の額に手をあてた。
「熱は……ないか?むしろ、冷えてね? 大丈夫かよ?」
突然の行動におどろいたが、木兎さんは俺の額から手を離すと、その手を自分の額に当てて温度を確かめる。
「普通ですよ」
「常温か」
「飲み物じゃないんですから、平熱って言うんですよ」
「あー、そうだ、ヘイネツ」
うんうん、と頷きながら言葉を確認している。バレーはともかく、仕事とか心配になる。
「いつもなら俺と同じくらい食べるのに、全然食わないじゃん。無理に付き合わせてるなら、悪かったよ。断れないよな、先輩だもんな」
木兎さんは少し下を向き、膝の上で組んだ手の指を落ち着かないのかくるくると回していた。最近はすっかり普通だったから、しょぼくれたところなんてしばらく見ていなかったので元気のない木兎を見るのは調子が狂う。なんか、自分が悪者みたいに思えてきた。
「別に、先輩だから仕方なく来たわけじゃないです……」
確かに木兎さんと俺は先輩後輩だけど、先輩だから断れなかったというわけではない。俺が木兎さんに会いたかったのだ。ただのファンとして試合を見るのも好きだけど、自分が木兎さんにとって価値のある存在だと思いたかった。俺は木兎さんが頼んでくれた名前を忘れたカクテルを飲み干した。ピンク色した甘いカクテルだった。
「俺さ、他の人がどう思ってるかとか考えるの苦手。苦手つーか、あんまり興味ない。でも、赤葦には興味あるから赤葦がどう思ってるのかは知りたい」
それはいつもよりも早口で、でも、いつもより少し小さな声で木兎さんは言った。ボールを打つ熱い手で俺の手を掴みながら。この人の前では、些細な嘘も隠し事もしたくない。
「俺、内緒にしていたことがあって」
「う、うん? あ、あのね、俺も内緒にしてたことがあって」
木兎さんに約束したおにぎり2つを破ってしまい、そのせいで夕飯があまり入らないことを伝えようと決意した時だった。
「じゃ、内緒にしてたこと『せーの』で言わない?」
「え?」
眉を下げつつも、瞳を輝かせる木兎さん。これは、きっとバレーで未発表の情報先行解禁かもしれない。後輩モードだった俺はファンのスイッチが入った。一瞬にして酔いも抜け、姿勢を正して木兎さんに体を向けた。おにぎりの件は謝ろう。そして、木兎光太郎の新情報をいただこうではないか。狭い個室、身長の高い俺たちにサイズがあっていないので、テーブルの下で膝が触れた。
「わかりました。合図は木兎さんにおまかせします」
「わかった。じゃ、いくよ」
2人揃って息を吸う。
「せーのっ」
「すみません、おにぎり4つ食べてしまいました」
「好きです。付き合って下さい!」
「え?」
「やっぱおにぎり目当てじゃん!!」
あまりの温度感の違う秘密に固まる俺と、そんな俺の膝に倒れ込み泣き出す木兎さん。いったい何だこれは?
おにぎりより俺の方が、赤葦を幸せにできる!
美味しいご飯も大切だけど、俺のことも大切に思って!
狭い個室で俺の膝で泣く木兎さんはいつの間にか、俺の腰に手を回しているので身動きが取れない。
「あの、俺はどうすればいいのでしょうか?」
「俺の告白の返事してよ」
木兎さんは少し顔を上げて、俺に目線を送る。告白の返事、木兎さんが俺のことを好き、だと。俺は木兎さんを初めて見た日のことを思い出した。スターだと思った。運命の出会いと言ってもいい。付き合う、付き合わないとはそういうのを抜きにしても、俺の人生を変えたんだから運命の出会いだ。
「俺、男ですよ」
「知ってる」
「東京です。仕事も忙しいし、付き合っても会う頻度とか変わりませんよ」
「それもいいよ」
「もうバレーも離れてます。ただのファンです」
「ただのとか言うなよ、スゲーファンじゃん。熱心じゃん」
「スゲーファンで、個人の木兎光太郎と同じくらいプレーヤーの木兎光太郎が好きなので口うるさいこと言いますよ?」
「あ、今、俺のこと好きって言った」
ここまでのやり取り、息してたっけってくらいで駆け抜けた。なんだか息苦しい、ちゃんと呼吸できてなかった。
「好きか嫌いかで言ったら、スゲー好きです」
「じゃ、付き合おうよ。俺見たもん、夢で。赤葦とならどんな試練も乗り越えられるって」
俺は前に見た夢を思い出した。妙にリアルな感覚で、木兎さんと謎解きで白い部屋から脱出する夢。不思議なことに、同じ日、木兎さんも同じ夢を見ていたというあの夢だ。
「試練というより、謎解きでしたよね?」
「細かいっ!」
体を起こした木兎さんは頭を抱える。思ってることが顔に出るとこも、好きだな。好きなとこ10個じゃ足りなかったな。そんな夢を思い出していると、木兎さんが一度大きな咳払いをした。俺は反射的に木兎さんを見た。
「赤葦が俺のこと嫌いなら諦めるけど、嫌いじゃないなら付き合ってよ。絶対幸せにするし、俺のことも絶対好きにさせてみせるから」
木兎さんは頭を下げて、俺に握手を求めるように手を出した。
やっぱりそうだ。彼はなんて意志の強い男なのだろうか。
俺は「よろしくお願いします」と熱い手を取った。