卒業式 町を歩いていると、袴姿の女の子を見かけた。人のまばらな平日の駅前を、赤や紫の和装を身に纏った女の子たちが、何人かの集団で歩いている。僕よりも少し年上で、でも、大人という感じではない年頃の女の子だった。
その姿は、町の中では妙に異質だった。単調で無機質な風景の中で、その集団だけが色を持っているように輝いている。見慣れない姿に、ついつい視線を向けてしまった。
「何じろじろ見てるんだよ。まさか、見蕩れてるのか?」
隣を歩くルチアーノが、じっとりとした声を発する。気まずさと恥ずかしさで、慌てて視線を女の子から逸らした。いくら異質な格好をしているとはいえ、男に見られるのは気分が悪いだろう。変な人だと思われるのは嫌だった。
「別に、見蕩れてるとかじゃないよ。袴を着てるなんて、珍しいなと思っただけで」
答えると、ルチアーノは小さくため息をついた。それは呆れからなのだろうけど、僕には安心しているように見えてしまった。
「なんだ、そんなことか。当たり前だろ。今は卒業式シーズンなんだから」
横目で女の子たちを見ながら、ルチアーノは淡々と語る。彼の言葉を聞いて、僕はようやく今が三月であることを思い出した。
「そっか。三月だから、学生は卒業式なのか」
納得したように呟く僕を見て、ルチアーノはまたため息をつく。今度は、それが呆れだとはっきりと分かった。
「また忘れてたのかよ。君は世間の出来事を忘れすぎじゃないか? 一応、ついこの前まで学生だったんだろ」
「そうだけど、今はこんな暮らしをしてるから、あんまり実感が湧かないんだよ。ルチアーノは全然関係ないのに、よく覚えてたね」
「まあな。この時期になると、卒業式で仕事を休むやつが増えるんだよ。全く、穴埋めをさせられる独身者の気持ちも考えてほしいものだね」
女の子たちから離れるように、ルチアーノは先へと進む足取りを早める。彼の取引相手は企業の上層部が多いから、年頃の子供を持つ親も多いのだろう。彼は彼で大変そうだ。
しばらく歩くと、今度はスーツ姿の男の子が歩いてきた。卒業証書を持っているから、彼も大学の卒業生だろう。この辺りは住宅地だが、近くには大学があったはずだ。
「それにしても、どうして女の子だけ和装なんだろうね。男の子も和服を着た方が、統一感があって綺麗なのに。……僕も一度は着てみたいな」
何気なく呟くと、ルチアーノはおもむろに顔を上げた。キラキラと光る緑の瞳が、真っ直ぐに僕を射抜く。
「そんなに和装が着たいなら、着せてやろうか? 衣装の当てもあるし、大抵の着付けはスタイリストがやってくれるぜ」
にやりと笑みを浮かべながら、ルチアーノは楽しそうに言った。こうして一緒にいると忘れがちだが、今のルチアーノは秘密結社幹部兼プロデュエリストなのだ。僕が憧れるような衣装も、仕事で身に付けていたりするのだろう。
「それは魅力的だけど、和装を着てどうするの? 僕が写真を撮っても、何の役にも立たないよ?」
「役に立たなくても、記念にはなるだろ。フォトウエディングならぬ『フォト卒業式』だ」
自分の発言が面白かったのか、彼はきひひと笑い声を上げた。そのまま、しばらくくすくすと笑い声を上げている。楽しそうな様子だったが、僕にはその言葉が引っ掛かっていた。
「卒業式って言っても、何から卒業するの? 僕は学生じゃないし、卒業する年でもないんだよ」
僕の言葉を聞いて、彼は笑い声を引っ込める。再び僕の顔を見ると、からかうような声色で言った。
「そんなもの、適当でいいんだよ。そんなに理由がほしいなら、『人間社会からの卒業』とかどうだい?」
「どういうことなの、それ? ルチアーノは変なことを言うなぁ」
突飛な発言に、僕は首を傾げることしかできない。そんな僕の様子が気に入らなかったのか、ルチアーノは不満そうに口を尖らせた。
「今、僕のこと馬鹿にしてただろ。全く、上司の好意をなんだと思ってるんだか」
他愛もない会話をしているうちに、周囲の景色は住宅街へと変わっていった。ここまで来たら、目的地はもうすぐだ。大学からも離れてしまったみたいで、学生らしき男女を見かけることもない。興味がそれてしまったのか、ルチアーノはそれ以上話を続けなかった。
目的地に着くと、ルチアーノはくるりとこちらを振り返った。僕に視線を向けると、にやにやと口角を上げる。
「まあ、考えときなよ。君の卒業式なら、いつだって開いてやるからさ」
ぽかんとする僕を見て、ルチアーノはきひひと笑い声を上げる。返事を考えているうちに、彼は建物の中へと入っていってしまった。
結局、僕はルチアーノの誘いを断った。ルチアーノのパートナーとはいえ、僕はチームニューワールドのメンバーではないのだ。趣味の写真を撮るために、わざわざ和装を用意してもらうのは、少し申し訳なく思ったのだ。
そう伝えると、ルチアーノは退屈そうな顔をした。ちらりと僕に視線を向けて、投げやりな口調で言葉を吐く。
「なんだよ、つまんねーの。せっかく、面白いものが見られると思ったのにさ」
薄々感づいてはいたが、彼は僕をおもちゃにするつもりだったらしい。いつものことではあるものの、正装を笑われたら立ち直れなくなっていただろうから、結果的に断って良かったのかもしれない。そんなことすら思った。
「イベントの装いは、当事者としてやるからこそ意味があるんだよ。成人してないのに振袖を着た写真を撮ったって、変な気持ちになるだけでしょ」
僕の言葉に、ルチアーノは不満そうに目を細める。呆れたような、拗ねたような声で呟いた。
「結婚もしないのにフォトウエディングを予約したやつが何を言うんだよ」
「それとこれとは別なの!」
即座に反論するが、自分でもよく分からなかった。今上げたふたつのケースは、根底的には同じなんじゃないだろうか。考えるだけ無駄だから、そこで話を終わらせる。
ルチアーノにはそんな風に理由を告げたが、本当は口実でしかなかった。本当の理由は、僕の胸の中に秘められたままになっている。直接ルチアーノに告げることさえ、抵抗のあることだったのだ。
ルチアーノは、人間社会からの卒業式をすると言った。彼の提案だから、それはただの言葉遊びではないのだろう。のこのことついていったら、僕は本当に何かから卒業させられてしまっていたのだ。
人間社会からの卒業。そんな怖いことを、簡単には決めることができない。僕はまだこの世界に未練があるし、遊星たちとの繋がりだって切りたくない。いくらルチアーノを愛していると言っても、僕は人間なのだ。人ではないものの世界に入るには、まだ早すぎるだろう。
それにしても、僕はとんでもない相手を愛してしまったものだ。何度目かさえ分からなくなったその言葉を、心の中で繰り返したのだった。