おやすみのキス 両目を開いた時、周囲は夜の闇に覆われていた。差し込んでくる月明かりを見て、今が夜中であることを理解する。こんな時間に目が覚める時は、隣で男の子が泣いているのだ。少し心配になって、さりげなさを装って寝返りを打つ。
そこに横たわっているのは、小柄な男の子の背中だった。首まで布団に潜り込んだ上で、顔を隠すように俯いている。身体の上を覆う布団は、小刻みに震えていた。
今夜も、ルチアーノは涙を流しているらしい。彼は夜というものが苦手で、夜中に涙を流してしまうのだ。それには彼の記憶が関わっているようなのだけど、嫌がって何も話してくれない。触れられたくないことは分かるけれど、やっぱり心配になってしまった。
「ルチアーノ」
少し迷ってから、僕は彼に声をかけた。暗がりに横たわる背中が、もぞもぞと何度か揺れ動く。重くて湿った沈黙が、僕たちの間を包み込んだ。しばらく続いた後に、小さな声が返ってくる。
「なんだよ」
ぶっきらぼうな返事に、僕は言葉に詰まってしまった。声をかけたはいいものの、何を話したらいいのか分からなかったのだ。泣いていることに触れられたら、彼は嫌がるだろう。だからといって、自然に返せる言葉など無い。
「眠れないの?」
結局、僕にはそんなことしか言えなかった。隣からは、重い沈黙だけが返ってくる。鼻を啜るような音がした後に、小さな声が聞こえてきた。
「別に」
そのまま、再び沈黙が訪れる。何も言葉をかけられないまま、静かに時間だけが過ぎていった。隣からは、ルチアーノの鼻を啜る声が聞こえてくる。それは胸を締め付けられるように切なくて、いてもたってもいられなくなった。
何か、彼にしてあげられることはないのだろうか。寝惚けた頭を巡らせて、いい案がないかを考えてみる。どんなに言葉を重ねたところで、彼は嫌がって口を閉ざしてしまうのだ。言葉で伝えられないなら、行動で示すしかなかった。
「ルチアーノ」
再び声をかけると、彼はもぞもぞと身じろぎをした。面倒臭そうな返事が、布に埋もれた後ろ姿から返ってくる。
「今度はなんだよ」
「こっち向いて」
僕の言葉は、彼にとっては唐突だったようだ。露骨にため息をつくと、鼻声ながらも強い口調で言葉を返す。
「何でだよ」
「いいから」
言葉を重ねると、彼は渋々寝返りを打った。布団から顔を出すと、気だるそうに身体を転がす。布団の中に隙間ができて、冷たい風が入り込んできた。
ルチアーノの顔が、僕の前に向けられる。薄暗がりにぼやけてしまって、表情はよく見えなかった。それでも、すんすんと聞こえる吐息から、彼が泣いていることははっきりと分かる。
両手を前に伸ばすと、ルチアーノの身体を引き寄せた。僕よりも高い体温が、寝間着越しに肌へと伝わってくる。頬の回りに手を添えると、少し強引に顔を上げさせた。月明かりに照らされて、緑の瞳が煌めいている。
「寂しい夜のおまじない。してあげるよ」
そう言うと、僕はルチアーノに顔を近づけた。乱れた髪を払い除けると、晒された額に唇をつける。小さな音を立てると、すぐに唇を離した。
「なんだよ、これ」
すぐ真下から、ルチアーノの声が飛んでくる。僕を見上げる緑の瞳は、怪訝そうに揺らいでいた。端が少し光っているのは、涙に濡れているからだろう。髪を整えるように頭を撫でると、優しい声で答えた。
「おやすみのキスだよ」
答えると、ルチアーノは不満そうに唇を尖らせる。細められた瞳で僕を見ると、拗ねたような声で言った。
「子供扱いするなよ」
予想通りの反応に、僕は口角を上げてしまった。彼にとって、おやすみのキスは子供をあやすおまじないとして映るのだろう。僕が恋人への愛情表現として口付けをしただなんて、彼は想像もしていないのだ。
手を離すと、ルチアーノは鼻を鳴らしながら布団の中に顔を埋めた。不貞腐れる少年の姿を見ながら、僕はこっそり笑みを浮かべる。彼の後ろ姿からは、もう泣き声は聞こえてこなかった。寂しい夜のおまじないは、確かにその効果を見せていたのだ。