手相 お風呂から上がると、ルチアーノが待ち構えていた。ベッドの上に胡座をかき、入口の方を向いたまま雑誌を広げている。部屋に入ってきた僕に気がつくと、にやりとした笑顔で片手を上げた。
「おい、ちょっと来いよ」
呼ばれるがままに、僕はルチアーノの側に歩み寄った。隣に腰を下ろすと、手元の雑誌を眺めながら問いかける。
「どうしたの?」
「手を貸しな。手相を見てやる」
そう言うと、彼は強引に僕の右手首を掴んだ。力一杯引き上げると、手のひらに視線を向ける。よく見ると、さっきまで見ていた雑誌のページは、手相占いに関しての記事だったらしい。雑誌を無造作に投げ捨ててから、僕の手のひらを注視した。
「ふーん。君は、生命線がはっきりしてるんだな。これは、図太くて活発なやつの証だぜ。運命線もはっきりしてるから、猪突猛進って感じなんだろうな。……へえ、感情線は短いのか。君が冷静だなんて、到底信じられないぜ。あと、頭脳線も短いな。お手本のような猪だ」
僕の手のひらを眺めながら、ルチアーノはぶつぶつと何かを語る。手相の話なのだろうけど、僕にはさっぱり分からなかった。雑誌を覗き見しようとするが、距離があるから文字までは解読できない。仕方なく、僕はルチアーノの話を遮ることにした。
「ちょっと待ってよ。そんなに一気に言われても、全然理解できないって。せめて、もうちょっとゆっくり話して」
抗議の声を上げるが、ルチアーノは少しも気にする様子はない。ちらりと僕に視線を向けると、冷たい態度でこう言った。
「別に、君に理解してもらおうとは思ってないよ。君の記憶力だったら、明日には全部忘れるんだろ。そんなやつのために説明したって、時間の無駄になるだけだ」
「そうかもしれないけど、説明くらいはしてくれないと気になるよ」
どれだけ懇願しても、ルチアーノは僕の言葉など聞き入れてくれなかった。再び手のひらに視線を戻すと、光に当てながら手相を調べていく。にやにやと笑みを浮かべると、楽しそうに声を上げた。
「なんか、面白い線はないのかよ。ますかけ線とか仏眼とか、いろいろあるだろ。…………なんだよ。何もないじゃないか。君も一般住民だから、さすがに成功者の線はないのか」
一頻り手相を見分すると、ルチアーノは楽しそうにきひひと笑った。すごく失礼なことを言われているが、突っ込むのも面倒なので黙っておく。気が済むまで遊び終わったら、勝手に満足してくれるだろう。そう思っていたら、ルチアーノが手のひらを重ねてきた。
ルチアーノの小さな手のひらが、僕の手のひらに密着する。彼は子供の身体をしているから、それは僕よりも一回りくらい小さい。声をかけるべきか悩んでいると、ルチアーノが小さな声で言った。
「それにしても、君の手は大きいよな。骨もごつごつしてるし、大人の手みたいだ」
「そうだね。僕はもうすぐ大人だから。手の大きさだって、ルチアーノよりも大きいよ」
慎重に答えると、ルチアーノは再び僕の手を取った。自分の手のひらに乗せると、じっくりと指先を眺めている。機嫌を損ねたのかと心配になったが、表情は怒っていなかった。
「君は、いつも爪を短くしてるよな。デュエリストだから、カードを痛めないようにってことか?」
僕の指先を眺めながら、彼は不意にそんなことを言う。突然の言及に、動揺して答えが浮かばなかった。僕の口から飛び出したのは、歯切れの悪い言葉だけだ。
「それは、まあ、それもあるね」
僕のあからさまな動揺を見て、ルチアーノは怪訝そうな表情を浮かべた。一瞬で眉を寄せると、怖い顔で僕に詰め寄る。
「なんだよ。他に理由でもあるのか?」
「まあ、なくはないよ。……あんまり言いたくないけど」
中途半端に答えると、彼は余計に疑ったようだった。すぐ近くまで顔を近づけると、お腹の底から言葉を吐き出す。
「僕に隠し事をする気か? 君って、なかなかに勇気があるよな。どうなっても知らないぜ」
彼が何を考えているのかは知らないが、その予測は的はずれだった。僕が爪を短く切っているのは、ルチアーノとスキンシップに及ぶためなのだ。彼の肌を傷つけてはいけないから、常に爪を短くしているのである。とは言っても、肌の表面だけなら、そこまで慎重になることはないのだろう。しかし、僕の人差し指は、もっと繊細なところに触れるのだ。
そんなことを考えていたら、なんだか恥ずかしくなってきた。話を切り上げようと、僕は彼の足元の雑誌を手に取る。
「そんなことよりも、ルチアーノの手相を見せてよ。僕の手相を見たんだから、ルチアーノも見せないとダメだよ」
同じように手首を掴もうとすると、彼はにやりと笑って僕の手をかわした。きひひと甲高い声を漏らすと、自信満々な顔で僕を見る。
「僕の手相を見たところで、何の役にも立たないぜ。僕の手相は、人間のデータをコピーして作られたか、人間の記憶を元に神が作り上げた人工物なんだ。僕の性格と一致しているとは限らないし、歳を取ったからといって変化はしないぜ」
ルチアーノの言葉を聞いて、僕は一瞬動きを止めてしまった。彼の口にした内容は、確かに一理あると思ったのだ。生まれたときから人工的にデザインされた手相は、本物の運命ではないのかもしれない。そもそも、手相に本当の運命というものがあるのかも分からないのだけれど、彼の手相は僕たちの手相とは違うと思えたのだ。
「そうだね。ルチアーノの手相は、あの男の子のものなんだ……」
小さな声で呟くと、僕はそっと手を離した。おとなしく聞き入れられるとは思わなかったのか、ルチアーノも驚いたような表情を見せる。気まずい沈黙に包まれた後に、彼がはっきりとした声で言う。
「僕には、占いなんて要らないんだよ。僕の未来は、僕がこの手で掴み取るんだ」
それは曖昧な言葉だったが、彼が口にすると、本当にそうなるような気がしてきた。結局のところ、僕が気にしたところでどうにもならないのだ。ルチアーノの運命を決めるのは、誰でもないルチアーノなのだから。
「そうだね。ルチアーノは、科学の世界を生きてるから」
彼の言葉に答えるように、僕も曖昧な言葉を吐く。隣のルチアーノが、呆れたようにため息をついていた。