長編 エピローグ 微睡みの中で、僕は夢を見ていた。
ルチアーノと二人で、遠く遠くの観光地に遊びに行く夢だ。僕たちはしっかりと手を繋いで、人で溢れる大通りを歩いていく。遊園地で疲れるまで遊び、近くのホテルで一晩をすごし、翌日には海を見に行くのだ。ルチアーノは子供のように笑っていて、僕も心から楽しんでいた。この幸せな時間が、いつまでも続けばいいと願いながら……。
その世界から僕を引っ張り出したのは、ルチアーノの温かい手のひらだった。僕の頬に左手を当てると、慈しむように何度か撫でる。彼の人間そっくりな息づかいは、微睡みの中にいる僕にも微かに聞こえてきた。頬を何度か叩かれて、僕はようやく意識を覚醒させる。
「おはよう、○○○」
ルチアーノの柔らかい声が、僕の耳へと染み渡った。昨夜のうちに話を済ませているからか、彼の表情は晴れやかだった。その笑顔を見ていると、僕の心も少し軽くなる。にこりと笑みを浮かべると、可憐な笑顔に向かって挨拶を返した。
「おはよう、ルチアーノ」
シティ最大の規模を誇るスタジアムは、たくさんの人々の熱気で埋まっていた。この試合に勝ったチームが、WRGPの初代チャンピオンとなるからである。観客は応援するチームをイメージしたアイテムを持ち、大きな声で声援を飛ばしている。
そんな無数の人々に囲まれながらも、僕とルチアーノにはお互いの姿しか見えていなかった。対戦相手である遊星たちも、僕たちを応援する観客も、僕らの前では蚊帳の外である。僕たちにとってこの場所は、永遠の愛を誓う最期のステージでしかないのだ。その他大勢の人間たちは、この世界にとってはただの賑やかしである。
ルチアーノの放った一撃が、クロウの召喚したモンスターを破壊した。その勢いを保ったまま、がら空きになったフィールドに追撃を加える。ライフポイントがゼロになり、デュエルディスクが大きな音を立てた。
「決まった! 優勝は、チームニューワールド!」
MCの力強い実況が、スタジアムの空気を震わせる。会場に集まる観客の歓声が、僕とルチアーノの上に降り注いだ。目の前に立っていた遊星が、悔しそうに地面に足をつく。空気を震わせるような大声に囲まれながら、僕は空を見上げていた。
僕たちの上空を覆う青空に、暗い光が差し込み始めた。異変に気づいた観客が、空を見上げて叫び声を上げる。混乱は少しずつ会場に伝わり、スタッフの手に終えないほどとなった。影はくっきりと形を写し出し、見慣れた要塞の姿になる。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
隣に立っていたルチアーノが、嬉しそうに笑いながら僕の手を取る。温かい手のひらを、僕はしっかりと握りしめた。これから死を迎えるというのに、僕の心に暗い影は落ちていない。ただ、穏やかな感覚だけが、僕の内側を満たしていた。
「やっと、終わるんだね」
ルチアーノの横顔を眺めながら、僕は小さく言葉を返す。固く手を握りしめたまま、僕たちは光の中へと姿を消した。
その空間は、やはり白くて静かだった。生命の気配が一切しない、完全なる無の世界である。さっきまで騒音に囲われていたから、その静寂は僕の耳に突き刺さる。環境の変化に身体がついていけなくて、足元がふらふらしてしまった。
隣では、ルチアーノが黙ったまま下を見つめている。これから救済が待ち受けているというのに、その表情はどこか暗かった。何かを悲しんでいるような、迷いを含んでいる顔色だ。不思議に思っていると、彼は小さな声で尋ねる。
「本当に、これで良かったのかい?」
また、同じ質問だった。この期に及んでまで、彼は僕のことを心配しているのだ。どこまでも優しくて、不器用な男の子だった。
「良かったんだよ。ルチアーノが救われない世界なら、僕にとっては必要ないから」
彼の言葉を打ち消すように、僕ははっきりと想いを告げる。それが、今の僕の、偽りようのない本心だった。ルチアーノと一緒に生きられないならば、この世界は必要ない。彼が死を望むのなら、僕は一緒に命を終える。
「ひひっ。君は、本当に変なやつだなぁ」
小さく肩を揺らしながら、ルチアーノは呆れたように言葉を告げる。声に混じる震えの気配で、彼が泣いているのだと分かった。その涙の意味は、一体何なのだろう。いてもたってもいられなくなって、僕は彼の手を握り締める。
「ルチアーノは、手を繋ぐのが好きなんだよね」
彼の指先に指を絡めながら、僕は小さな声で囁いた。お互いの本心を明かして以来、彼は手を繋ぐことを好んでいる。それはきっと、彼の中に刻み込まれた記憶のせいなのだろう。彼が最期に満た両親の記憶は、彼と手を繋いで逃げる姿なのだから。
予想通り、ルチアーノは僕の手を握り返してくれた。ルチアーノの温かい手のひらが、僕の手のひらの上に重ねられる。しっかりと手を握り締めた時、足元がぐらりと揺れた。
「手を繋いでいると、思い出すんだ。パパとママに手を引かれて、街の中を走っていた時のことを。あれからずっと、僕はひとりぼっちだった。でも、今は君がいてくれる」
ひとしきり言葉を発すると、彼は僕を見上げた。キラキラと光る目元には、涙の跡は少しもない。彼が幸せを感じているのだと、僕にもはっきりと分かった。
「僕は、この手を離さないぜ」
僕を見上げたまま、ルチアーノが嬉しそうな声で言う。目の前に迫る可憐な笑顔を、僕は真正面から見つめ返した。きっと、これが僕たちにとっての幸せの形なのだ。誰にも否定することのできない。二人の永遠の愛なのだろう。
今度こそ、僕たちは幸せになれるのだ。幸福に満たされた心のまま、僕は最期の時を待った。