名前の由来 ルチ視点 ベッドの隅に腰をかけると、青年はちらりと僕を見た。身に纏っている寝間着が、ごそごそと衣擦れの音を立てる。再び前に視線を向けると、彼はもぞもぞと身じろぎをした。しばらくすると、再びこちらに視線を向ける。
明らかに、何か言いたげな態度だった。どうしたのだろうと思っていると、彼は思いきった様子で口を開く。
「ねえ、ルチアーノって、名前の由来があったりするの?」
彼の口から飛び出した問いは、あまり聞かれたくないものだった。不快感が胸を覆って、思わず眉を歪めてしまう。彼に視線を向けると、吐き捨てるように言い返した。
「なんでそんなことを聞くんだよ。テレビでそんな番組でも見たのか?」
図星だったのか、彼は気圧されたように口を閉じる。こちらに向けられた瞳は、不安そうに宙を揺らいでいた。彼が変なことを聞くときは、必ずテレビか雑誌の影響なのだ。パートナーの思考を言い当てた嬉しさで、無意識に口角が上がってしまう。
「ほら、やっぱりテレビの影響じゃないか。僕は神の代行者なんだよ。与えられた名前も、人間の名付けとは違うのさ」
口を封じるように告げると、彼は再び視線をこちらに向けた。真っ直ぐに僕を見つめると、はっきりした声で言葉を重ねる。
「違うよ。僕が見てたのは、企業の商品のネーミングの解説なんだから」
とんでもない言葉が飛び出して、僕は再び眉を吊り上げる。失言に気づいた彼が慌てた様子を見せるが、僕は少しも取り合わなかった。彼が言い訳をする前に、鋭い視線を突きつける。
「なんだって!? お前は、僕がそこら辺の売り物と同じだと思ってるのか?」
「違うって。テレビで紹介されてた名前は、ロボットの商品名だったんだよ。ものとかじゃなくて、命の宿った機械の名前なんだ」
慌てた様子で言葉を重ねるが、何もかもが無意味だった。彼がいくら言葉を重ねたところで、ものはものでしかないのだ。いくら命があるような振る舞いをしていても、機械である時点で金属の塊でしかない。人間という生き物は、そんな基本的なことすら分からないのだ。
「命の宿った機械なんて、この世のどこにもないんだよ。君が命だと思って接してるのは、ただの部品の詰め合わせでしかないのさ」
静かな声を作って言うと、彼は気まずそうに視線を下ろす。僕自身に関わることでもあるから、何も言い返せないのだろう。見せつけるようにため息をつくと、浮かぶ笑みを隠さずに言葉を続けた。
「それに、僕をロボットと同じにするなんて、失礼千万じゃないのかい? 僕は、神に作られた機械生命体なんだから」
反論の余地を失い、彼は完全に黙り込む。しょんぼりしている姿を見て、少しやりすぎてしまったのではないかと思った。まあ、ここまで言われたらこれ以上の深入りはしてこないだろう。黙っていてくれたなら、僕にとっては好都合だ。
「そうだね。ごめん」
小さな声で謝ってから、彼はその場で項垂れる。そこまで寂しそうな顔をされると、やりすぎてしまったんじゃないかと心配になる。いつもは懲りずに言い返してくるのに、今日はやたらとおとなしかった。
しばらくすると、彼は布団の中へと潜り込む。特にすることもなかったから、僕も彼の隣に潜り込んだ。背中合わせに寝転がったまま、僕たちは沈黙を保っている。ごそごそと鳴る衣擦れの音と、機械の稼働する音だけが、静かな部屋の中を満たしていた。
「ねえ、やっぱり教えてよ。ルチアーノの名前の由来」
たっぷりと間を置いた後に、彼は平然とした声で告げてくる。同時に響く寝返りの音を聞いて、僕は呆れ返ってしまった。背後から響く声も仕草も、普段の彼そのものだ。心配して損した気分だった。
「まだ言ってるのかよ。しつこいやつだな。人に名前の由来を聞くのなら、まずは自分の名前の由来を話したらどうだ?」
なんだか騙された気分になって、答える声も投げ槍になってしまう。機嫌の悪さが伝わったのか、彼は一瞬だけ間を開けた。自分でも嫌なことを相手に求めるなんて、彼は何を考えているのだろう。言葉を封じるなら、今がチャンスみたいだった。
「嫌なんだろ。なら、人の名前の由来も……」
「嫌じゃないよ。ちょっと、意外だっただけで」
言葉を重ねようとすると、彼は慌てた様子で言い返してくる。自分の羞恥心を犠牲にしてまでも、名前の由来を聞きたいようだった。そんなもの、聞いても何の役にも立たないというのに。人間は変なことを知りたがる。
「そこまでして知りたいのかよ。変なやつだな」
「知りたいよ。だって、名前には、名付け親からの愛が込められてるんだから」
呆れながら言うと、彼は真剣に言葉を返した。予想もしていなかった発言に、僕は言葉を失ってしまう。人間にとって名前とは、それほど重要なものなのだろうか。神の代行者として作られた僕には、到底理解できないことだ。
「どうしたの……?」
少しの間を開けた後に、背後から声が聞こえてくる。急に黙ったことに驚いたようで、声色も窺うような響きだった。動揺しただなんて言えないから、背を向けたまま平然を装う。
「何でもないよ。とっとと話しな」
「えっと、僕の名前の由来はね…………」
まだ困惑した様子ながらも、彼は言葉を紡ぎ始めた。辿々しい言葉選びながらも、名前の由来を語っていく。これまでは意識したこともなかったが、彼の名前にも明確な意味があったのである。それが親からの愛なのだと思うと、少し心が痛む思いがした。
話を聞いているうちに、僕は彼の方を振り返っていた。この青年がどんな顔をしているのか、気になって仕方なかったのである。彼は僅かに頬を染めながらも、嬉しそうに口角を上げていたのだ。自分の名前の由来を語ることは、そんなにも嬉しいのだろうか。
「ふーん。君の名前は、そんな意味を持ってたんだな」
小さな声で呟くと、彼はこちらに視線を向ける。真っ直ぐに瞳を見つめると、催促するように言葉を吐いた。
「ほら、僕は話したよ。今度はルチアーノの番だ」
そこまで言われたら、おとなしく答えるしかないだろう。ここまでずっと粘ってきたのだから、彼が譲るとは思えなかった。覚悟を決めると、言葉を選びながらヒントを与えてみる。
「僕の名前の由来は、仲間の名前を知れば分かると思うぜ。偉そうな男がプラシドで、じじいの方がホセだ。ここまで言えば、ヒントとしては十分だろう」
直接的な解答を告げなかったのは、それを口にしたくなかったからだ。口にしたところで、その名も本当の名前ではないのである。僕にとって名前というものは、親からの愛などではなかったのだ。
「待ってよ。それじゃあ、名前の由来の説明にならないでしょ。ちゃんと教えてよ」
それだけでは分からなかったのか、彼が不満そうに声を上げる。彼にこの手の教養がないのは、とっくの昔から分かりきっている。僕にも答える気がなかったから、それ以上の追求はかわすつもりだった。
「なんだよ。こんなものも分からないのか? 全く、最近の若者ってやつは、教養が足りないな」
「そんなこと言われても、分からないものは分からないよ。誰もが知ってるような教養なの?」
「少なくとも、僕は知ってたぜ。まあ、分からないなら調べるんだな」
突き放すように告げると、僕は黙って目を閉じる。追求しても無駄だと思ったのか、彼もそれ以上は問いを重ねなかった。静かになった部屋の中で、僕は暗闇の世界を漂う。その夜は、なかなか眠りにつくことができなかった。
「調べたよ。ルチアーノの名前の由来」
翌日の夜、夕食を済ませた後に、彼は静かにそう言った。重要な話を打ち明けるかのような、覚悟を決めた声である。話を切り出したばかりなのに、その表情は緊張に震えていた。
「……そうかよ」
答える僕の声も、少し尖ったものになってしまった。コードネームに関する話をするなんて、僕にとっては初めてのことなのだ。ここまで深く関わる人間が現れたことも、未だに理解ができていないくらいである。踏み込んだ話をする機会なんてこれまでにはほとんどなかった。
「ルチアーノは、テノール歌手の名前なんだね。ルチアーノだけじゃなくて、仲間のみなさんも。過去の有名人の名前なんて、かっこよくていいなぁ」
僕の機嫌を取ろうとしているのか、彼はわざとらしい誉め言葉を吐く。何も分かっていない発言に、僕は大きく息を吐いた。かっこいいだなんて、人間とは本当に短絡的だ。僕の本当の名前を知ったら、絶対にそんなことは言えないだろう。
「僕たちの名前は、そんないいもんじゃないぜ」
「どうして? 有名人の名前をもらえるのは、創造主に愛されてる証じゃない?」
またも見当違いの発言が返ってきて、僕は不快に鼻を鳴らす。どうやらこの人間は、頭の中が平和ボケしているようだ。一から言葉で説明しないと、下らないことばかりを聞く羽目になりそうだった。
「僕たちの名前は、創造主がつけたんじゃないんだよ。僕のオリジナルである人間が、コードネームとして残したものだ。僕の本当の名前は、『ルチアーノ』なんて輝かしいものじゃない。誰にも救うことのできない、絶望の具現化なんだよ」
一通り言葉を紡いでから、僕は羞恥に襲われる。彼の言葉にむきになって、必要のないことまで口にしてしまった。視線を下へと逸らすと、黙って彼の反応を待つ。さすがの彼でも、ここまで言えば理解すると思っていたのだが、現実はそんなに甘くなかった。
「名付け親が創造主じゃなかったとしても、それはルチアーノがもらった大切な名前でしょう? ルチアーノのオリジナルだった人は、きっと音楽が好きだったんだね。だから、その名前を祈りとして残したんだ」
「違うよ。君は、何も分かっちゃいない。僕に与えられた名前は、呪いでしかないんだ。僕に名前の由来を聞くことは、僕の与えられた呪いを引っ張り出すことなんだよ」
何度も言葉を重ねると、ようやく彼は口を閉じる。僕の本気の絶望が、平和な人間である彼にも伝わったらしかった。この世に生まれ落ちた時から、僕の命は絶望に支配されている。それを思い知らせるのが、オリジナルの人間から与えられた名なのだ。
静かに席を立つと、僕は洗面所へと歩を進めた。薄暗い廊下を歩きながら、心のどこかで考えてしまう。もし、創造主に与えられたものであったら、僕はこの名を愛せたのだろうか。絶望そのものである自分を、受け入れることができたのだろうか、と。
どうせなら、この名も神に与えられたものであれば良かった。神によって与えられた、創造主の愛を示す名であれば。そうすれば、僕はもっと神を慕っていたし、自らを愛していただろう。そんな馬鹿げた世迷い事を、今の僕は考えてしまうのだ。