バニーの日 家に帰ると、ルチアーノが待ち構えていた。僕が部屋に入ってきたと分かると、ゆっくりとソファから立ち上がる。いかにも怪しい笑みを浮かべると、僕の前まで歩み寄ってきた。
「お帰り。待ってたよ」
「ただいま。……どうかしたの?」
嫌な予感を感じながらも、僕は帰宅の挨拶を返した。彼の方から出迎えてくれたのだから、無視するわけにはいかないだろう。それは彼も分かってるようで、勝ち誇ったように口角を上げた。正面から僕を見上げると、嬉しそうな声で用件を告げる。
「今日は、君にプレゼントを用意したんだ。とっておきの品だから、喜んでくれると思うぜ」
「プレゼント?」
彼の態度とは対照的に、僕は眉を歪めてしまう。ルチアーノが持ち込むプレゼントは、大抵がろくなものではなかったのだ。僕を辱しめるためのアイテムだったり、罰ゲームの道具なのである。浮かび上がった嫌な予感は、すぐに確信へと変わった。
「そんなに警戒するなよ。今日のプレゼントは、罰ゲームの道具じゃないんだぜ」
にやにやと笑みを浮かべながら、彼は手のひらを横に突き出す。集まってきた光の粒子は、平べったい形のビニール袋へと変化した。無造作に袋を掴むと、そのままの流れで僕に差し出す。
「ほら、中身を見てみろよ」
言われるがままに、僕は袋の口を開いた。真上から覗きこんで、中に入っているものを確認する。平らな形を作っていたのは、綺麗に折り畳まれた洋服だった。はっきりとは分からないが、シャツとスラックスの上下セットなのだろう。
「これは、服なの?」
警戒しながら尋ねると、彼は甲高い笑い声を上げる。彼の行動を疑うあまりに、間抜けな質問になっていたのだ。袋の中身が服であることは、形状から明らかである。僕の聞きたいのはそんなことではなかったのだが、彼は追及の余地を与えてはくれなかった。
「どう見てもそうだろ。馬鹿なこと言ってないで、とっととシャワーを浴びて着替えな」
あしらうように言われて、僕は部屋から追い出されてしまう。ルチアーノは、どうしても僕にこの衣装を着せたいようだった。いつもは僕が彼にコスプレを要求しているから、断る権利などどこにもない。仕方なく、僕は洗面所へと向かった。
シャワーで全身の汗を洗い流すと、押し付けられた袋に手を伸ばす。下着を身に付けると、中からシャツとスラックスを取り出した。まだ何かが残っていることに気がついて、僕は袋の中を覗き込む。底に転がっていたのは、うさぎの耳のついたカチューシャだった。
「えっ?」
びっくりして、口から間抜けな声が出てしまった。ここにルチアーノがいたら、思いきり笑われていただろう。でも、僕には理解ができなかったのだ。こんな冴えない男にバニーボーイ衣装を着せて、ルチアーノは楽しいのだろうか。
とはいえ、押し付けられてしまった以上、つけないという選択肢はないだろう。僕が何もつけずに戻っていったら、ルチアーノは確実に機嫌を損ねてしまう。
覚悟を決めると、僕はそのカチューシャを取り出した。鏡とにらめっこしながら、うさぎの耳を頭へと取り付ける。重そうな見た目をしていたが、意外なことにぐらつきは少なかった。バランスを崩さないように気をつけながら、ルチアーノの待つリビングへと向かう。
「着替えたよ」
声をかけると、ルチアーノはこちらを振り返った。舐め回すように僕に視線を走らせると、満足げな声で呟く。
「ふーん、なかなか似合ってるじゃないか」
彼は楽しそうにしているが、僕は恥ずかしくて仕方がなかった。こういう衣装は美しい人が着るからこそ、芸術的な意味を持つのである。僕は容姿が整っているわけでもなければ、フォーマルを着こなせるようなスタイルを持っているわけでもない。そんな状態でバニー衣装を着たって、笑いの種になるだけだ。
「ほら、そこの席に座れよ」
頬を染める僕を気にもせずに、ルチアーノは淡々と指示を出した。言われるがままに席につくと、ルチアーノが正面の席に座る。顔を見られるのは恥ずかしいのだが、耳が落ちるから下は向けない。正面から見つめ合う形になったまま、僕は僅かに視線を逸らした。
「君には、僕の相手をしてもらうよ。コンセプトバーの真似事だ。君もこういうのは好きなんだろ」
楽しそうに言葉を並べながら、ルチアーノは机に並べた瓶に手を伸ばす。栓抜きを手に取ると、軽快な音を立てながら蓋を開けた。瓶を傾けた先には、おしゃれなワイングラスが並べられている。中に注ぎ込まれた液体は、綺麗な薄ピンクに彩られていた。
その光景を見て、僕の脳裏に何かが横切った。似たような光景を、僕はどこかで見たことがあるのだ。記憶を遡ろうとしていると、向こうから声が聞こえてきた。
「ほら、君もグラスを持てよ」
差し出されたグラスに手を伸ばすと、指先で宙へと持ち上げる。反対側の席に座るルチアーノも、同じようにグラスを持ち上げていた。黙り込んだままの僕に視線を向けると、呆れたような声色で言う。
「それにしても、今日の君は大人しいな。何か喋ったらどうだい?」
「…………こういうこと、前にもやらなかった?」
僕の口から零れたのは、そんな場違いな言葉だった。突然投げかけられた問いかけを聞いて、ルチアーノは甲高い笑い声を上げる。グラスを目の前へと差し出すと、催促するように口を開いた。
「それは、そのうち分かると思うぜ。まずは乾杯だ」
頭の中で疑問を咀嚼しながらも、僕は目の前にグラスを差し出す。縁と縁がぶつかって、軽快な音が周囲に響いた。
「乾杯」
「……乾杯」
グラスを持ち上げると、中の液体を口に含む。それはほんのりと甘くて、上品な後味を残していった。口の中でパチパチと弾ける炭酸も心地よい。一気にグラスを空にすると、思わず呟いてしまった。
「おいしい……」
「気に入ったみたいだな。取り寄せた甲斐があったぜ」
楽しそうに笑いながら、ルチアーノもグラスを傾ける。グラスの中身を空にすると、僕の前へと差し出してきた。
「ほら、これはコンセプトバーなんだから、君が給仕をするんだよ。おかわりは、右から二番目のボトルをお願いしたいな」
「自分が用意したなら、自分で注いだ方が早いでしょ。どうして、僕にやらせようとするの?」
「見れば分かるだろ。バニーボーイだからだよ」
よく分からない理屈を並べながら、彼はグラスをゆらゆらと揺らす。指示された瓶を手に取ると、蓋を開けて瓶を傾けた。中から流れてきた液体は、さっきのものよりもはっきりした色をしている。ワインのようにも見えるが、炭酸のぶどうジュースか何かだろう。
目の前に広がる光景を見て、僕の頭を何かが横切る。瓶を机に戻したときに、ようやくその既視感の正体に気がついた。
「思い出した!」
声を上げると、ルチアーノは驚いたように顔を上げた。すぐに平然とした表情に戻ると、非難するような視線を向けてくる。
「なんだよ。急に大きな声を出して」
「思い出したんだよ。コンセプトバーごっこは、去年僕がやってたことなんだ。ルチアーノがしてることは、去年の僕の真似事なんだね」
前のめりになりながら言うと、彼は呆れたように息をつく。わざとらしくグラスを揺らすと、笑みを浮かべながら言った。
「やっと気がついたのか。他人にやらせたことを忘れるなんて、人間の記憶力は脆いよな」
「仕方ないでしょ。僕は機械じゃないんだから、全部は覚えてられないんだよ」
反論するように言葉を吐きながら、僕はテーブルの上に視線を向ける。改めて眺めてみると、用意された品は去年僕が用意したものと似通っていた。ワインに見立てたジュースの数々に、具材を乗せたクラッカーだ。全てが値の張りそうな品なのは、彼の経済力によるものだろう。
「そっか。ルチアーノは、僕に仕返しをしたかったんだね。去年の僕が、恥ずかしい格好をさせたから」
指先でクラッカーを摘みながら、僕は思ったままの言葉を口に出す。僕から顔を背けると、ルチアーノは小さな声で言った。
「恥ずかしい格好だったのは確かだけど、嫌だった訳じゃないぜ。ただ、見てみたかったんだよ。他人のバニー姿ってやつを」
ルチアーノの頬は、ほんのりと赤く染まっていた。去年のことを思い出そうとして、僕はその赤面の理由に気がついた。ルチアーノにバニーの衣装を押し付けたとき、僕は彼の姿に見蕩れていたのだ。彼がバニー衣装を押し付けてきたのは、バニーボーイというものに興味を持ったからなのだろう。
「ルチアーノも、こういうのに興味があるんだね。なんだか、意外だな」
感心したように呟くと、彼は恥ずかしそうに下を向く。わざとらしい仕草をしているせいで、動揺が筒抜けだった。
「別に、そういうものに興味があるわけじゃないよ。人間の文化とやらを知ってみたかっただけだ」
「そう。なら、そういうことにしておくね」
「なんだよ、その言い方」
怒ったように吐き捨てると、ルチアーノはグラスに手を伸ばす。残っていた液体を口に運ぶと、一気に中身を平らげた。グラスが戻されたところを見計らって、新しいジュースを注いであげる。せっかく気を使ってあげたのに、彼は不満そうにこっちを見ただけだった。
でも、今日はこれでいいのだ。今夜の晩酌は、ルチアーノが人間の文化を知るためのおままごとなのだから。彼が少しでもいい思いをしてくれたなら、僕も恥ずかしい格好をした甲斐があるというものだ。