雷 その日は、ごく普通の一日だった。日中はデュエルコートでデュエルの特訓をし、帰ったら簡単な食事を取ってから、お風呂に入って汗を流す。寝る前にはルチアーノと雑談を交わし、電気を消して布団に入ると、肌に触れるだけのスキンシップを取るのだ。いい具合いに夜が更けたら、目を閉じて眠りの世界に入るのが、僕たちの日々の日課だった。
異変が起きたのは、世間が寝静まった頃のことだった。団地が暗闇に染まった真夜中に、奇妙な音を聞いて目が覚めたのだ。ゆっくりした動きで布団から首を出すと、耳に雨の音が響いてくる。通り雨と言うには勢いに満ちた、叩きつけるような音色だった。
しばらく周囲の様子を窺ってから、僕は再び布団に潜り込む。恐らく、僕が目を覚ました原因は、この叩きつけるような雨音だろう。局地的な豪雨に見舞われることは、日本に住んでいればよくあることだ。耳を塞ぐように枕に頭を乗せると、僕は再び目を閉じる。
うとうとし始めた頃に、耳に轟音が聞こえてきた。大地や建物を揺らすほどの、低くて重い音色だった。衝撃が走るズシンという音が響くと、ゴロゴロと鳴る雷鳴が迫ってくる。目と鼻の先ほどの距離に、大きな雷が落ちたようだった。
心臓を貫くような衝撃に、僕はパッチリと目を開ける。すぐそこまで来ていた眠気は、どこかへ消え去ってしまっていた。前触れもなく眠気から引き戻されて、心臓がバクバクと音を立てる。それは驚きを通り越して、心臓が止まるかと思うほどだった。
恐る恐る布団から顔を出すと、窓の外へと視線を向ける。外は雨が降っているだけで、雷の落ちた名残はなかった。大きく息をついてから、心臓を押さえて寝返りを打つ。再び目を閉じようとすると、窓の外が眩しく煌めいた。
光を知覚すると同時に、地面を貫くような轟音が響き渡る。ズドンという大音量に続いて、宙がゴロゴロと音を鳴らした。振動が身体を貫いて、僕は思わず身を縮める。全てが過ぎ去った後には、バクバクと響く心臓の音だけが残されていた。
大きく深呼吸をすると、僕はその場で首を動かした。僕が目撃した雷は、すぐ近くに落ちているみたいだった。ここまで明るい閃光も、身体を押し潰すような雷鳴も、これまでの人生で聞いたことがない。全身が恐怖に震えていて、しばらくは眠れそうになかった。
心臓が落ち着くのを待ちながら、僕はごろんと寝返りを打つ。隣に眠っていたルチアーノが、ごそごそと衣擦れの音を立てた。あまりにも雷の音が大きかったから、彼も目を覚ましてしまったのだろう。声をかけようと身体を伸ばすと、再び空が光を放った。
さっきの轟音を思い出して、僕は思わず耳を塞ぐ。布団の中で縮こまると、すぐに雷の音が聞こえてきた。やはり近くに落ちているのか、耳を塞いでもその音は大きい。周囲が静まるのを待つと、僕はようやく顔を上げた。
布団の中を這いずると、僕はルチアーノの背中に手を触れた。そのまま腕を回すと、彼の背中に顔を埋める。寝間着越しに伝わる彼の体温が、ゆっくりと僕の身体を暖めてくれる。表面に耳を押し当てると、モーターの鈍い音が聞こえてきた。
「なんだよ」
ベッドに横たわっていたルチアーノが、小さな声で呟いた。僕の予想通り、彼も目を覚ましていたようだった。背中に張り付いた僕が鬱陶しいのか、もぞもぞと身動ぎをしている。返す言葉を考えていると、再び空が光を放った。
ルチアーノの身体を抱き締めると、襲ってくる大音声に備える。さっきよりは離れてくれたのか、音はそこまで大きくなかった。安心して息をつくと、ルチアーノを抱き締めていた腕を緩める。雷の衝撃に耐えようと、無意識に力を込めてしまったらしい。
「なんだ。雷が怖いのか? 君も、案外子供なんだな」
そんな僕の様子を見て、ルチアーノはからかうような声を上げる。機械の身体を持っているだけあって、彼はこれくらい平気なようだった。くすくすと笑う声色も、普段と何も変わっていない。少し悔しくなりながらも、僕は正面から反論した。
「違うよ。怖いんじゃなくて、びっくりしたの。急に大きな音がしたら、誰だってびっくりするでしょ」
しかし、僕の言葉を聞いても、ルチアーノはくすくすと笑っていた。人間のような反射を持たない彼には、音に驚くという感覚が理解できないらしい。こんなに近くに雷が落ちているのに、怖いと思うこともないのだろう。羨ましさを感じると同時に、少し恐ろしくも感じた。
「それは、怖がってるってことだろ。君はびっくり系の映画にも弱いからな。本当に、怖がりで困るぜ」
全然困ってない様子で吐き捨てると、僕の手の上に手のひらを当てる。一回り小さな手のひらに包まれて、僕の指は熱を持った。ルチアーノと他愛のない会話を交わしたおかげで、心臓も落ち着いてきたようである。このまま震えも収まってくれたら、僕は安心して眠りにつけるだろう。
そうしている間にも、外では閃光が瞬いている。距離はどんどん離れていっているようで、音が聞こえるまでの時間が広がっていた。ゴロゴロと音が響いても、僕の心臓は弾んだりしない。ルチアーノの温もりが、僕に安心感を与えてくれるからだ。
彼の背中に顔を埋めると、僕は静かに目を閉じる。心の底から安心したら、急に眠気が蘇ってきた。時間感覚がおかしくなっているが、今は真夜中で、普段ならば眠っている時間なのだ。人よりも多く睡眠を欲する僕にとっては、眠くて仕方ない時間なのである。
「ルチアーノ」
「なんだよ」
小さな声で名前を呼ぶと、彼も小さな声で返事をする。さっきまで笑っていたものの、声色にからかうような響きは残っていなかった。微睡みに身体を預けながら、僕は彼に問いかける。
「今日は、このまま寝てもいい?」
僕の頭の下で、彼の身体が揺れるのを感じた。僕にこうして甘えられるのは、彼にとって不快ではないらしい。勿体ぶるように間を置いた後に、彼は嬉しそうな声を返してくる。
「仕方ないな。特別だぜ」
その声が思ったよりも甘ったるくて、僕は口角を上げてしまう。いつのまにかこの男の子は、いくつもの特別を許してくれるようになったのだ。言わば、ルチアーノの温もりというものは、僕だけが触れることを許された体温なのだ。特別な温もりに包まれたまま、僕の意識は眠りの世界に落ちていった。