占い 一度端末に視線を落とすと、僕は目の前の路地を見つめた。キョロキョロと周囲を見渡して、目印になりそうなものがないかを確かめる。何度確かめても、そこに並ぶのはシャッターの閉じた建物ばかりだった。いくつか古ぼけた看板が立っているが、営業しているのかすら分からない。
もう一度端末に視線を落とすと、僕は前へと足を踏み出した。光の当たらない路地裏を、ナビだけを頼りに進んでいく。画面の中で進んでいく矢印は、確かに目的地へと近づいていた。
「なあ、本当にこっちであってるのか? 自力で行くのは諦めて、僕に任せた方がいいんじゃないのか?」
しばらく歩を進めたところで、背後からルチアーノの声が響いた。静寂を掻き消すほどの音量に、僕は身体が跳ねてしまう。高鳴る心臓を押さえつけると、斜め後ろを歩くルチアーノへと視線を向ける。静かに抗議の視線を送ると、少し遅れてから口を開いた。
「もう、急に大きな声出さないでよ。びっくりするでしょ」
「君が驚きすぎなんだよ。これくらい普通だろ」
またもや周囲に響き渡る声で、ルチアーノは言葉を続けた。ただでさえ耳をつんざく程の甲高い声が、周囲のビルに反響して大きく広がる。物音ひとつしない路地裏では、その声は何倍も大きく聞こえた。頭が痛くなりそうで、僕の方が声を潜めてしまう。
「静かなところなんだから、もう少し静かに話してよ。人間の心臓は、機械ほど強くはないんだよ」
「仕方ないなあ。君はびっくり系が苦手だから、大きい音はダメだよな」
きひひと笑い声を上げながら、ルチアーノはようやく声を潜める。ホッと胸を撫で下ろすと、僕は再び前へと歩を進めた。周囲を取り巻く風景は、相変わらず薄暗い路地のままだ。物音ひとつ聞こえなければ、生き物の気配すら感じない。
「で、本当にこっちで合ってるのか? どう見ても何もないだろ」
さっきよりも声を潜めたまま、ルチアーノは再び質問を重ねる。マップに視線を向けると、僕はルチアーノの問いに答えた。
「でも、ナビが言うには、この道が近道みたいなんだよ。きっと、ここを抜けたら、商店街に戻るんじゃないかな」
しかし、僕がどう答えても、ルチアーノは納得してくれない。ちらりと端末に視線を向けると、冷めた声で反論した。
「そもそも、ナビそのものが間違ってるんじゃないのか? この時代の技術なんて、すぐに不具合を出すだろ」
そう言われてしまうと、一気に自信がなくなってくる。最先端の科学技術と言っても、ルチアーノの能力と比べたらおもちゃのようなものなのだ。データが正確だとは限らないし、誤作動だって起こすだろう。僕たちが歩いているこの道も、突き当たりは行き止まりかもしれない。
「そうかもしれないけど、とりあえず進んでみようよ。ここからだったら、引き返しても同じくらいの距離だからさ」
説得にもならない言葉を告げると、僕は前へと歩を進める。僕に聞こえるように溜め息をつくと、ルチアーノも後をついてきた。十字路を右に曲がると、ナビに従って歩を進める。どんどん入り組んでいく路地を、僕たちは当てもなく彷徨った。
「お客さん、迷ってますね」
どこからか響いてきた人の声に、僕はびくりと肩を震わせる。心臓が大きく跳ねて、ドクドクと血液を送り出した。驚きすぎたせいか、唇からは悲鳴すら出てこない。隣に立つルチアーノが、素早く臨戦態勢の構えを取った。
深呼吸で息を整えると、僕はぐるりと周囲を見渡す。声が聞こえたはずなのに、人の気配はどこにもなかった。僕たちを取り囲んでいるのは、四方を覆うシャッターのみである。気のせいかと思い始めた頃に、再び人の声が響いた。
「こちらですよ、お客さん」
今度の声は、さっきよりもはっきりと聞こえてきた。身体をくるりと回転させると、声の出所らしき方向に視線を向ける。ルチアーノが僕に歩み寄ると、身を守るように前へ出た。彼の後ろに隠れるようにして、僕も相手と対峙する。
その声の主は、シャッターに埋もれるように座っていた。ビルとビルの間の僅かなスペースに、小さなブースを広げていたのだ。目の前には布のかけられた机が置かれて、怪しげな水晶玉が設置されている。本人は黒いローブに全身を包んでいて、姿は少しも分からなかった。
「お前、何者だ?」
相手を威嚇するように、ルチアーノが鋭い声を飛ばす。尊大な態度で凄まれても、相手は余裕を崩さなかった。ルチアーノがただの子供の姿をしているから、油断しているのかもしれない。そうだとしても、その落ち着きは異様だった。
「お客さん、迷ってますね」
ルチアーノの問いには答えずに、再び同じ言葉を繰り返す。高いようでいて低くもある、ミステリアスな雰囲気の声だった。これだけ言葉を紡いでいるのに、男か女かすら分からない。質問に無視で答えられて、ルチアーノは不満そうに鼻を鳴らした。
「おい、質問に答えろよ。お前は何者だ?」
同じ問いを繰り返されて、相手はようやく動きを見せた。身体を少し斜めに動かすと、真っ直ぐにルチアーノの顔を見つめる。瞳はフードに隠れていたのに、ルチアーノは怯えたような瞳を見せた。
「私は、ただの占い師ですよ」
淡々と言葉を紡ぐと、そこで一度言葉を切る。にやりと口角を上げると、自信に満ちた声で言った。
「貴方を占って差し上げましょう」
「占い師? そんなやつが、なんでこんなところにいるんだよ。仮にも商売をしてるのなら、もっと人のいるところに行くはずだろ」
相手の答えを聞くと、ルチアーノは正面から反論する。彼の言うことはごもっともで、こんなところに占い師がいるのはおかしかった。しかし、相手は真っ直ぐに僕たちを見たまま、余裕に満ちた笑みを浮かべている。神秘的な気配を纏ったまま、静かに言葉を紡ぐ。
「問題はありませんよ。迷える者たちは、自然とこの地へ導かれて来ますから」
その言葉を聞いていると、信用できるような気がしてしまった。この人は特別な占い師で、僕の訪れを待っていたのかもしれない。僕がここに迷いこんだことさえ、運命の導きだったのだろう。そう思うと、好奇心は止められなくなってしまった。
「ねえ、迷ってるって、どういうことなんですか? まさか、今ここで道に迷ってるってことを言ってるわけではないですよね」
ルチアーノの手を振り払うと、僕は前へと歩き出す。置いていかれたルチアーノが、慌てた様子で後を追った。後ろから僕の腕を掴むと、何とか引き留めようと試みる。
「おい、何してるんだよ。どう見ても怪しいだろ」
しかし、今の僕には、立ち止まるつもりなどどこにもなかった。ルチアーノを引きずるように歩いて、占い師の前で立ち止まる。さっきよりも距離が縮まったことで、相手の口元がはっきりと見えた。こちらも声と同様に、性別の分からない外見をしている。
「水晶の導きを望みますか?」
「…………はい」
僕が頷くと、占い師は満足げな笑みを見せた。僕に見下ろされる位置のまま、目の前の水晶に手を翳した。そんな僕たちのやり取りを見て、ルチアーノがわざとらしくため息をつく。僕の斜め後ろから、呆れたような声が聞こえてきた。
「あーあ。どうなっても知らないぞ」
ルチアーノの声は聞こえていないようで、占い師は静かに水晶を見つめている。しばらくすると、自信に満ちた声で口を開いた。
「見えましたよ」
威圧的にすら感じる鋭い声に、僕は思わず居ずまいを正してしまう。もったいぶるように間を開けてから、占い師はゆっくりと語り始めた。
「貴方は、悩んでいるのではないですか? 。自身の置かれた環境が、本当に正しいものなのかと。歩んだ先に待っている未来が、本当に輝かしいものなのかと。そして、迷っていますね。示された進路を進むことが本当に正しいことなのかどうかを」
静かに紡がれる言葉が、僕の耳へと入り込む。その言葉の重みに、息が止まりそうになってしまった。占い師が語っている内容は、明らかに僕とルチアーノのことだろう。この特別な占い師は、僕の悩みを言い当てたのだ。
「貴方に示されている未来は、破滅へと続く一歩となるでしょう。そちらの道を選んでしまえば、貴方は平穏な日常から外れることとなる。しかし、その未来を拒むことも、あまり得策では無いようです。貴方が幸福を掴みたいのならば、別の道を探さなくてはなりません」
真っ直ぐに水晶を見据えたまま、占い師はさらに言葉を続ける。黙って話を聞きながらも、僕は思考を巡らせていた。ここでの示された道というのは、ルチアーノに協力するという選択だろう。なら、別の道を探すというのは、どのようなことなのだろう。
「こんなもの、それっぽく聞こえる言葉を並べてるだけなんだよ。君は単純だから、こんな子供騙しに引っ掛かるんだ」
背後から聞こえてくるルチアーノの声が、僕の思考を乱していく。何かが掴めそうな気配がするのに、目前で消えていってしまうような感覚だ。目の前で考え込む僕の姿を、占い師は静かに見つめている。隣に立つルチアーノに視線を向けると、はっきりした声で言った。
「よろしければ、隣の方も占って差し上げましょうか?」
「はあ? 僕は……」
「いいんですか?」
ルチアーノが否定の言葉を吐くよりも先に、彼を制して問いを投げる。ここでルチアーノの占いを聞けば、ヒントが掴めるかもしれないと思ったのだ。そんな僕の思考を読んでいるのか、占い師は首を立てに振る。
「ええ、もちろんです」
一言だけ答えると、再び水晶に手を翳した。さっきと全く同じ仕草で、水晶の中に視線を向けている。その瞳の中には、いったい何が映っているのだろう。そう思っていると、不意に占い師が顔を上げた。
「貴方は、未来が見えません」
「え?」
予想外の言葉が飛んできて、僕は大きく口を開けてしまう。未来が見えないというのは、いったいどういうことなのだろう。頭の上に疑問符を浮かべていると、占い師は静かに言葉を続けた。
「彼には、運命というものが存在しません。未来も過去もなく、今という時だけを生きている。彼が本来生きるべき世界は、私たちとは異なる場所にあるのでしょう。私の力では、そこに触れることはできません」
淡々と紡がれる言葉に、僕は呆然と口を開ける。心当たりがあったのか、さすがのルチアーノも動きを止めていた。彼の未来が見えないのは、未来から来たアンドロイドだからだろうか。そんな疑問が浮かぶが、口に出すことはできなかった。
「どうでしょう。少しは、お役に立てましたか?」
正面から声が飛んできて、僕たちは現実に引き戻される。占い師に視線を戻すと、僕は鞄に手を伸ばした。
「はい。ありがとうございます」
「お代は要りませんよ。私には、彼の未来が見えませんでしたから」
財布を取り出そうとする僕を、占い師は言葉だけで制する。少し戸惑いながらも、僕は財布を鞄に戻した。不完全だったとしても、占ってもらったことに変わりはない。占い師に視線を向けると、改めてお礼を告げる。
「ありがとうございました」
ルチアーノの手を握ると、僕は再び路地を進む。人影が見えなくなるくらいに離れると、ルチアーノは大きく息をついた。
「なんだったんだよ、あいつ。どう見ても不審者ななりしてさ」
「不思議な人だったね。占いも当たってるみたいだったし」
告げられた言葉を思い出しながら、僕はしみじみと言葉を吐く。占いを信じ始めている僕に対して、ルチアーノは冷めきっていた。再びため息をつくと、吐き捨てるように言葉を続ける。
「あんなの、適当言ってるだけだって。君も、変なことばかり信じるなよ」
そうは言われても、信じざるを得ないような内容だったのだ。占い師の語った僕の未来は、確かにルチアーノのことを言い当てていた。しかし、それも当てずっぽうでしかなくて、僕が思い込んでいるだけなのだろうか。未来を証明することができない限り、その真実は分からない。
しばらく先へと歩を進めると、商店街の灯りが見えてきた。まるで別世界のような喧騒が、道の先に広がっている。この通りを越えたら、目的地はすぐ近くだろう。しっかりとルチアーノの手を握ったまま、僕たちは先へと歩を進めた。