お正月 机の上には、炊き込みご飯と天ぷらが並んでいる。僕の実家の名物とも言える、ばあちゃんの得意料理だった。周りを取り囲んでいるのは、ゆで卵とハムが乗ったサラダに、根菜中心の煮物だ。まだ正午を過ぎたばかりだと言うのに、夕食のような豪華なメニューだった。
「ルチアーノくん。海老は食べる?」
正面に座った母さんが、菜箸を片手に声をかける。僕の隣に座っていたルチアーノが、困ったように顔を上げた。ちらりと僕に視線を向けてから、戸惑ったように首を縦に振る。にこやかな笑顔を見せると、母さんは天ぷらに手を伸ばした。
「カボチャもおいしいわよ。一緒に取っておくから、食べてみて」
「ありがとうございます……」
小さな声で答えると、ルチアーノは困ったように箸を動かす。彼が口に運んでいるのは、お茶碗に盛られた炊き込みご飯だ。箸の先で一口ずつ掬い取ると、もそもそと静かに咀嚼する。そんな彼の姿を見ると、父さんがサラダを持ち上げた。
「二人とも、サラダは食べるか? よかったら取り分けておくよ」
「ありがとう。もらっておくね」
簡単に返事を返すと、僕はお皿を差し出した。二枚の取り皿の上に、色鮮やかなサラダが並んでいく。そうこうしているうちに、母さんの方から天ぷらのお皿が帰ってきた。聞かれたのは海老だけだったのに、お皿の上にはカボチャやさつまいもが並んでいる。
「ご飯のおかわりもあるから、たくさん食べてね」
次に声をかけたのは、僕たちの横に座るばあちゃんだ。まだ食事が始まったばかりなのに、既におかわりのことを話している。少し困惑したような表情を浮かべると、ルチアーノは小さな声で答えた。
「ありがとうございます……」
そんな彼の姿を見ながら、僕は微笑みを浮かべていた。困ったように言葉を返す姿は、まるで借りてきた猫のようだ。一人で向き合うには心許ないのか、机の下で僕の服の裾を握っている。何かを言いたそうな態度で引っ張られるが、助け船を出したりはしなかった。
久しぶりに食べる実家のご飯は、慣れ親しんだ味わいがした。普段から出来合いの品ばかり食べているから、余計にそう感じるのだろう。人の手によって作られた食べ物は、人の温もりの味がするのだ。ありがたみを噛み締めながら、一口ずつ丁寧に運んでいく。
そんな僕の食べっぷりが気に入ったのか、ばあちゃんは次から次へと食べ物を勧めた。僕の胃袋は無限ではないから、もらったり断ったりを繰り返してやり過ごす。こんな食事の風景も、僕の実家では日常茶飯時だ。上手くあしらえるようにならないと、この家では生きていけないだろう。
五人がかりで食べ続けても、お皿の上は空にならなかった。いくら食べても無くならないほどに、たくさんの食べ物が用意されていたのである。さらにはデザートまで出てきそうになったが、丁寧に言葉を重ねて断った。ここで胃袋を満たしてしまったら、夕食のすき焼きが食べられなくなってしまう。
「ありがとう。じゃあ、僕たちは部屋に戻るね」
食後の挨拶を済ませると、僕はルチアーノの手を引いて二階へ向かう。まだ緊張が残っているのか、彼は一言お礼を告げただけだった。階段を上っていくと、女性陣の賑やかな声が遠ざかっていく。部屋に入ってドアを閉めると、彼は小さな声で不満を漏らした。
「なんなんだよ、君の家族は。次から次へと、僕に飯を食わせようとしてさ」
「それが、僕たちへのおもてなしなんだよ。食べたくなかったら、断ってくれてもいいからね」
「そんな、簡単なことみたいに言うなよ。僕には、一般家庭のやり取りなんて分からないんだぞ」
困ったように答えるルチアーノがかわいくて、僕は僅かに口角を上げた。彼を実家に招待するのは三回目だが、まだ他所の家という感覚が強いのだろう。それは僕の家族も同じようで、なんとか距離を縮めようとしている。早く馴染んでもらいたいから、僕からも手出しはしなかった。
「それは、これから覚えていけばいいんだよ。ルチアーノの事情は、母さんたちも知ってるから」
僕が答えると、ルチアーノは不満そうに口を閉じる。僕が両親に説明した『事情』が、あまり気に入っていないのだろう。僕は彼を紹介するために、マーサハウスの名前を出したのだ。天敵と出身を同じにされるのは、彼にとっては何よりの屈辱だろう。しかし、彼の状況を円滑に説明するには、そう語るしかなかったのだ。
「とりあえず、夜ご飯までは時間があるからさ。せっかくだし、何かして遊ばない?」
影を帯びた話を切り上げるように、僕は無理矢理言葉を紡ぐ。押し入れから昔のゲーム機を取り出すと、小さなテレビに繋いでいった。頬を膨らませていたルチアーノも、渋々といった様子で近づいてくる。コントローラーを手渡すと、何も言わずに受け取った。
準備を整えると、恐る恐る本体の電源を入れた。もう十年は昔のハードだから、ちゃんと動くか心配だったのだ。しかし、そんな不安をよそに、テレビにはホーム画面が表示された。スロットにソフトを押し込むと、本体が大きな音を立てた。
僕が選んだのは、子供の頃に遊んでいたパーティーゲームである。当時小学生だった僕は、このゲームを学校の友達と遊んでいた。簡単に言うと、僕の幼少期の思い出のひとつである。恋人を連れてきた帰省で遊ぶなら、そういうゲームが一番だと思った。
「このゲームは覚えがあるぜ。去年もやってたよな」
コントローラーを手に取ると、ルチアーノは楽しそうに笑う。ゲームの仕度をしている間に、いつもの調子に戻っていたようだ。そういえば、去年の年末の帰省の時にも、このゲーム機で遊んでいたような記憶がある。僕はすっかり忘れていたのに、彼はよく覚えているものだ。
「そうだっけ。そんなことまで覚えてるなんて、ルチアーノの記憶力はすごいなぁ」
何気なく言葉を返しながら、僕はコントローラーを操作する。対人戦モードを選択すると、即決でキャラクターを選んだ。このゲームはキャラクターごとに特殊能力があるから、誰を選ぶかが重要なのである。ルチアーノはあまり分かっていないから、ランダムでキャラを選んでいた。
ゲーム本編が始まると、僕はその場で姿勢を正した。ルチアーノは初心者同然ではあるが、ゲーム全般に強いのである。本気を出して挑まないと、慣れているゲームでも負けかねない。子供の頃から遊んでいるゲームで負けるなんて、さすがの僕でもプライドが許さなかった。
なんとか必死に粘り続けて、僕は一位をキープする。後を追ってくるルチアーノが、悔しそうに唇を尖らせた。しかし、何を言われたとしても、僕に勝ちを譲るつもりはない。何度もやり返されそうになりながらも、僅差のところで逃げ切った。
「なんだよ。慣れてるなら、ちょっとくらい手加減しろよ」
コントローラーを放り出したルチアーノが、不満そうな声で言葉を吐く。子供のような姿に苦笑を浮かべながらも、僕は平静に言葉を返した。
「たまには、僕に有利なゲームがあってもいいでしょう。いつもは、ルチアーノが勝ってるんだから」
「いつものゲームだって、元はと言えば君の所有物だろ。いつも僕がハンデを負ってるんだ。そんなのずるいだろ」
捲し立てるルチアーノに催促されて、僕たちは二戦目に突入する。何だかんだ言われながらも、僕は手加減を加えなかった。手加減したらしたで、彼は機嫌を損ねるのだ。こうなったら、全力で攻撃するしかない。
「手加減しろって言っただろ。全く、人の話を聞けよな」
対戦結果を示した画面を眺めると、ルチアーノは頬を膨らませる。今回の勝負も、僅差で僕が勝っていた。しかし、今回は運がよかっただけで、次は負けてしまうかもしれない。こんなにすぐに追い付いてくるなんて、彼は恐ろしい相手である。
そうこうしていると、下の階から僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。ポーズボタンを押してゲームを中断すると、廊下に出て返事をする。どうやら、手土産に持ってきたお菓子を開けたらしい。部屋の中に戻ると、ルチアーノに声をかける。
「下でお菓子を開けたみたいだよ。食べに行こう」
ルチアーノを先導するように、僕は部屋を出て階段を下りる。一人で取り残されるのは不安なのか、彼も後からついてきた。リビングの机の上には、色とりどりのお菓子のパッケージが並んでいる。僕が持ってきたものだけでなく、母さんたちが用意したらしいものも並んでいた。
「これは、友達からもらったお土産だよ。良かったら食べてって」
お盆に並んだお菓子を指差すと、母さんはにこやかに笑顔を見せる。僕の後ろに佇むルチアーノが、戸惑ったように席についた。相変わらず、両親の前に出ると、彼は借りてきた猫のようになるのだ。安心させるように隣に座ると、僕もお菓子に手を伸ばした。
用意してもらったお茶を飲みながら、貰い物だというお菓子を開ける。それは、個包装のビニールに包まれた、小さなアップルパイだった。僕でも甘味が強いと感じるほどの、強烈な甘さを発している。隣の様子を窺うと、ルチアーノは僅かに顔をしかめていた。
「おやつ休憩が終わったら、ゲームの続きをやるからな。次は僕が勝つんだから」
ちびちびとパイに口をつけながら、ルチアーノが僕に囁きかける。彼の対抗意識は、この程度のことでは消えないようだ。苦笑いを浮かべると、彼を落ち着かせるように言葉を返した。
「分かってるよ。でも、手加減はしないからね」
こそこそと話している僕たちを見て、向かい側に座っていた母さんが顔を上げた。僕たちの方へ笑いかけると、朗らかな声色で声をかけてくる。
「二人とも、ゲームをやってるの? 良かったら、私も参加していい?」
「え!? 母さんが?」
予想もしなかった言葉に、僕は口を大きく開けてしまった。母さんがゲームをする姿なんて、僕の記憶にはほとんど残っていない。そんな僕の困惑を悟ったのか、母さんはさらに言葉を続けた。
「○○○が小さい頃は、ゲームに付き合ってたんだよ。それに、ルチアーノくんとも遊びたいからね」
その言葉を聞いたら、さすがの僕にも意図が分かった。つまり母さんは、ルチアーノと親しくなりたいと思っているのだ。不慣れなゲームに参加しようとするのも、それが一番の手段だと思ったからだろう。
「…………ってことらしいけど、ルチアーノはどう?」
僕が声をかけると、ルチアーノは困ったように視線を上げる。少し考えるように間を開けると、小さな声で答えた。
「僕は、問題ないですけど……」
「じゃあ、決まりだね」
彼の言質を取るように、僕は大きな声で話をまとめる。せっかくの機会なのだ、ゲームも大勢で遊んだ方が楽しいだろう。それでルチアーノが家に馴染んでくれたら、僕にとっては嬉しいことこの上ない。
そんなこんなで、おやつを済ませた後の三戦目は、母さんを交えての勝負になった。恋人の家族と遊ぶことに遠慮があるのか、ルチアーノはめっきり口数を減らしてしまう。時々口を開いたかと思うと、すぐに黙り込んでしまうのだ。借りてきた猫のような姿に、僕は思わず笑みを浮かべてしまった。
「じゃあ、私は下に戻るから。後は若いお二人さんで遊んでね」
一通りのゲームが終わると、母さんは一階へと降りていく。窓の外はすっかり日が暮れていて、夜の気配が漂っていた。これから、母さんとばあちゃんは、すき焼きの支度に取りかかるのだろう。大晦日はすき焼きを食べるのが、この家の長年のお約束なのだ。
「次こそは、決着をつけてやるからな。ほら、コントローラーを持てよ」
母さんの姿が見えなくなると、ルチアーノは調子を取り戻したように言う。その極端な態度の変化が、面白くて仕方なかった。大人と対峙するのは慣れているはずなのに、相手が僕の家族となると、彼の反応はこんなにも違うのだ。
「もう、このゲームは十分遊んだでしょ。せっかくだから別のにしようよ」
「なんだよ。勝ち逃げする気か?」
ゲームを片付けようとすると、ルチアーノは問い詰めるように食い下がる。そこまで求められたら、さすがに嫌だとは言えなかった。コントローラーを手に取ると、画面の前に座り直す。そうして始まった四戦目は、僅差でルチアーノの勝利に終わった。
「ほら、僕の勝ちだぞ。君の連勝記録も、とうとうここでおしまいだな」
楽しそうに笑い声を上げながら、ルチアーノは自慢げに僕を見上げる。しかし、どれだけ誇らしげな顔をしても、そこまでの格好はつかなかった。彼は何度も再戦を要求して、ようやく勝ちを取ったのである。全体的な戦績を見たら、圧倒的に僕の勝利なのだ。
僕が言葉に困っていると、下の階から声が聞こえてくる。本日のメインディッシュである、夕飯のすき焼きの用意が整ったのだ。コントローラーを机に置くと、僕はルチアーノに声をかけた。
「ほら、ご飯の用意ができたみたいだよ。早く下に行こう」
「ちえっ。こういうときだけタイミングがいいんだから」
不満そうな表情を浮かべながら、ルチアーノも僕の後に続く。リビングの机の上には、カセットコンロと鍋が置かれていた。周囲を取り囲んでいるのは、たくさんの野菜と少しお高いお肉だ。僕たちが席につくと、父さんがコンロの日をつける。
そこからの展開は、昼間と全く同じだった。母さんたちは代わる代わるに菜箸を持つと、僕たちにお肉を取り分けようとする。放っておくとわんこそばのようになってしまうから、僕たちは適宜断りながら食事を進めた。
お腹がいっぱいになると、今度はお風呂の時間だ。今日は五人もの人間が集まっているから、早いうちに入らないと後が詰んでしまう。こういう時に一番風呂を勧められるのは、その家での年少者になる。声をかけられると、ルチアーノは含み笑いを浮かべて僕を見た。
「僕から入るのか? 君の方が早く寝ちまうんだから、先に行った方がいいだろ」
「さすがに、そんなに早く寝たりはしないよ。……そんなに言うなら、一緒に入る?」
からかいにからかいで返すと、ルチアーノはあからさまに顔をしかめた。身を引くように距離を取ると、半分は本気の声色で言う。
「嫌だよ。君と一緒に入ったら、変なことされそうだからな」
着替えを取りに行く後ろ姿を見ながら、僕は少し落ち込んでいた。僕からのお風呂のお誘いは、そんなに信用が無いのだろうか。確かに、一緒に入る時にはスキンシップを取っているけど、それは同意があるからだ。そういうつもりのない相手にセクハラをするほど、僕は無遠慮じゃないつもりなのだ。
「ねえ、○○○」
そんなことを考えていると、後ろから声が聞こえてきた。夕食の片付けを終えた母さんが、キッチンからこっちへ戻ってきたのだ。僕の隣まで歩み寄ると、真っ直ぐにこっちを見つめてくる。真面目な雰囲気に、僕の方が気圧されてしまった。
「どうしたの?」
「私がゲームに参加したの、やっぱり迷惑だった?」
少し間を開けた後に切り出したのは、夕方のことについてだった。そんなことかと言いそうになるのを、言葉を飲み込んで堪える。母親にとって、子供の恋人との関係というのは、何よりもデリケートなことなのだろう。
「迷惑じゃないよ。ルチアーノにとっても、いい体験になったと思うし」
「そう。ならよかった」
僕が答えると、母さんは安心したように息を吐く。僕の目の前を通りすぎると、ソファに腰を下ろしてテレビを見始めた。僕もこれ以上言うことはなかったから、荷物の片付けをすることにする。階段に足をかけると、再び声が聞こえてきた。
「後で年越しそばを茹でるから、十一時になったら降りてきてね」
「分かったよ」
階段を上がって部屋に入ると、置きっぱなしのスーツケースに手を伸ばす。ルチアーノが寝間着を取った形跡が、ありありとその場に残っていた。一度中身を取り出すと、畳み直して入れ直した。反対側の空いているスペースには、母さんからもらった食料品を詰める。
しばらく時間を潰していると、ルチアーノがお風呂から上がってきた。彼と入れ替わりに部屋を出ると、今度は僕が浴室に向かう。十分に温まってから部屋に戻ると、ルチアーノはゲーム機に向かっていた。昼間に対戦したゲームを、今度はコンピューター対戦で遊んでいるらしい。
「次こそは、君をボコボコにしてやるからな。覚悟してろよ」
真っ直ぐに画面を睨み付けると、ルチアーノは真剣な声で言う。僕に勝ち越しされたことが、相当悔しかったようだ。隣に腰を下ろすと、彼のプレイングを見守る。要領を掴んできたのか、効率よくゲームを進めているようだった。
彼の様子を見守っているうちに、刻々と時間は過ぎていく。気がついた時には、とっくに十一時を回っていた。ルチアーノのゲームが終わるのを待ってから、僕は彼に声をかける。
「そろそろ時間だね。年越しそばを食べに行こうか」
「年越しそば? あんなに食ったのに、まだ飯を食うのか?」
僕の言葉を聞くと、彼は呆れたようにそう言った。そばを食べると聞いて、どんぶりを想像したのだろう。さすがの僕でも、食後にそれほどの量は食べられない。
「違うよ。年越しそばは、ご飯として食べるものじゃないんだ。来年がいい年になるように、縁担ぎとして食べるんだよ」
「それくらい知ってるよ。僕が言いたいのは、まだ食い物を食う気なのかって話だ」
ぶつぶつと呟くルチアーノを引っ張ると、僕は一階へと下りていく。既にそばを茹で始めているのか、キッチンからはいい匂いが漂っていた。こちらを振り返ると、母さんはにこやかに笑う。
「ちょうど良かったね。もうすぐできるよ」
椅子に腰をかけて待っていると、カウンターの上にお椀が乗せられた。席を立ってお椀を手に取ると、それぞれの席の前に並べる。中に入っているのは、数口で食べられるくらいの量だった。手を合わせて食前の挨拶をすると、お椀の中身を持ち上げた。
久しぶりに食べたそばの味は、シンプルながらも美味しかった。お腹が膨れていたはずなのに、さらりと胃の中に収まってしまう。隣のルチアーノはというと、齧るようにそばを啜っていた。夕食もたくさん食べさせられていたから、身体に負担がかかっていないか心配になる。
そばを食べ終わる頃には、年越しの瞬間が近づいてきた。テレビの中の出演者たちが、時間を気にしてそわそわし始める。大晦日の夜に放送されるのは、どれもこれも生放送ばかりなのだ。ぼんやりと画面を眺めていると、ついにカウントダウンが始まった。
画面の左下に表示された数字が、少しずつ数を減らしていく。それはやがて一分を切り、ついには三十秒を切った。画面の中の出演者たちが、大きな声でカウントダウンを唱和する。やがて最後の数字を告げると、彼らは一斉に声を上げた。
『あけましておめでとうございまーす!』
そんなテレビに応えるかのように、僕たちは顔を見合わせる。素早く視線を交わすと、口々に新年の挨拶をした。
「あけましておめでとう」
「おめでとう」
口ではお祝いの言葉を告げながらも、僕は机の下に手を伸ばす。手探りでルチアーノの身体に触れると、こっそりと手を握った。彼も不快ではなかったようで、ぎこちないながらも握り返してくれる。誰も見ていない机の下で、僕たちはしっかりと手を握った。
翌朝、僕が目を覚ますと、隣にルチアーノの姿が無かった。布団から上半身を這い出すと、周囲の光景を確かめる。窓から差し込む朝の日差しが、僕の部屋を眩く照らし出している。一通り室内を眺めてみるが、人影はどこにも見えなかった。
重い身体でベッドから出ると、大きく伸びをしながら時間を確認する。アナログ式の壁かけ時計は、九時近くを指していた。昨日は夜遅くまで起きていたから、朝までぐっすり眠ってしまったらしい。足早に部屋から出ると、リビングへと続く階段を下りた。
廊下と室内を隔てる扉を開けると、温かい風が吹き出してくる。ぼんやりと向けた視線の先には、ルチアーノの後ろ姿が見えた。テーブルを取り囲む椅子に腰をかけながら、母さんと何かを話している。僕の足音に気がつくと、くるりとこちらを振り返った。
「おはよう。遅かったな」
にやりと口角を上げると、彼はからかうような声色で言う。普段のルチアーノと変わらない、余裕に満ちた態度だった。彼の隣に歩み寄ると、椅子を引いて腰を下ろす。机に並んだおせちに視線を向けながら、僕は流れるように挨拶をした。
「おはよう」
「おはよう。今から、お雑煮を用意するからね」
キッチンに立っていた母さんが、僕の方へと言葉をかける。どうやら、この家でお雑煮を食べていないのは、寝坊をしていた僕だけらしい。母さんたちも遅くまで起きていたはずなのに、よく早起きができるものだ。家事をする女性と言うものは、みんなこうも強かなのだろうか。
お雑煮を待っている間に、僕はおせちへと手を伸ばす。隣に座っているルチアーノは、涼しげな顔で緑茶を飲んでいた。食事はあまり好まないはずなのに、きちんとお椀の中身を平らげている。僕の視線に気がつくと、からかうような声色で言った。
「何見てるんだよ。変態」
「見てないよ」
慌てて返事をすると、誤魔化すように黒豆を口に運ぶ。縁起物のひとつである甘い豆は、食べ慣れた味がして美味しかった。僕が物心ついた時から、おせちと言ったらこの味なのだ。豆を飲み込むと、今度は伊達巻に手を伸ばした。
この甘ったるい卵焼きも、僕の好物のひとつだった。僕が小学生だった頃から、この辺りの好みは変わっていない。最後に煮干しに手を伸ばした頃に、キッチンからお雑煮が運ばれてきた。
改めて両手を合わせると、お椀の中のお餅に手を伸ばす。温め直したばかりのお雑煮は、猫舌の僕には熱すぎるくらいに温まっていた。息を吹きかけて表面を冷ますと、思いきって口の中に放り込む。口の中を火傷しそうになりながらも、なんとか噛み砕いて飲み込んだ。
食事を終えてしばらくすると、僕は外出用の服に着替えた。やはり、元旦の午前にやることと言ったら、地元の神社の初詣に決まっているのだ。お昼もたくさんのご飯が待っているから、身体を動かさないと食べられないだろう。ルチアーノもそれは分かっているのか、僕の後を追いかけてきた。
「今年も行くのか、初詣ってやつ」
「行くよ。ちょっとでも歩いておかないと、お昼が食べられないからね」
言葉を返しながら、僕はコートを身を包む。田舎の屋外は特に冷えるから、しっかりと首にマフラーを巻いた。手袋をポケットに詰めると、僕はリビングに声をかける。
「初詣に行ってくるね」
「行ってらっしゃい。帰りに、これで好きなものを買いな」
出かけようとする僕たちに、ばあちゃんが千円札を渡してくれる。このやり取りも、毎年の恒例になっていた。せっかくだから、帰りにアイスでも買うことにしよう。
「今年ももらったな。もう大人なのに」
僕の隣に佇むルチアーノが、からかうような声で呟く。僕が普段から大人を主張していたから、面白くて仕方ないらしい。廊下を歩きながら、僕は淡々と言葉を返す。
「ばあちゃんにとっては、僕はいつまでも子供なんだよ。大人っていうのは、そういうものなんだ」
自分で言っておきながら、あんまり説得力を感じられなかった。追求されると困るから、とっとと先を急ぐことにする。玄関の扉を開くと、冷たい風が吹き付けてきた。思わず首をすくめると、ポケットから取り出した手袋をはめる。
あまりにも風が冷たいと、口数も少なくなってしまう。神社へと向かう十分ほどの道のりを、僕たちは黙々と歩いていった。繋いだ手のひらの温もりも、今はほとんど感じられない。鳥居の前に辿り着くと、手を離して一礼した。
毎年のことだが、神社の中は地元の人ばかりだった。隅に集まっているおじいさんたちと、帰省しているらしき家族連れの姿が見えるくらいだ。彼らの後ろに並ぶと、順番が回ってくるのを待つ。お賽銭箱にお金を入れると、心の中で願い事を唱えた。
無事にお参りを済ませると、次に向かうのはコンビニだ。ルチアーノも分かりきっているようで、何も言わずについてきた。足早に住宅街を横切ると、慣れ親しんだコンビニの扉を開く。温められた室内の空気が、冷えきった身体を温めてくれた。
「温かいね。せっかくだから、何か飲んで行こうか」
レジ付近に掲示されたメニューを見ながら、僕はルチアーノに声をかける。寒い中を歩いてきたから、身体の芯まで冷えきっていたのだ。温かいものを飲んで、身体を芯から温めたかった。
「僕は要らないよ。君だけ頼みな」
ちらりとメニューに視線を向けると、ルチアーノは小さな声で言う。確かに、カフェメニューのラインナップの中に、彼の好むものは無さそうだった。ホットのペットボトルが並ぶコーナーへ移動すると、ジュースのひとつに手を伸ばす。カフェメニューと一緒に会計を済ませると、ルチアーノへと手渡した。
「これは、僕からの差し入れだよ」
「要らないって言ったのに。変なやつだなぁ」
ぶつぶつと呟きながらも、彼はボトルを受け取ってくれる。イートインスペースに腰を下ろすと、思い思いに飲み物に口をつけた。
しばらく身体を休めていると、ようやく身体が温まってきた。やはり、温かいものを口にすると、身体の内側から温まるのだ。カップの中身を平らげると、冷凍ケースでアイスクリームを物色した。
僕が選んだのは、ファミリーパックのアイスを二箱だった。お小遣いはたっぷり残っているから、少し贅沢に買い物ができるのだ。これだけ選択肢があれば、帰ってからも楽しめるだろう。レジ袋を下げると、僕たちは家路へと帰っていく。
リビングの扉を開けると、机の上には新しいお菓子が並んでいた。冷蔵庫にアイスクリームを押し込むと、並べられたラインナップを一瞥する。どれも美味しそうなものばかりだが、食べたらお昼が食べられなくなりそうだ。仕方がないから、これはお土産でもらっていくことにする。
実家で食べる最後のご飯は、残り物のお肉で作った焼きそばだった。いいお肉を使っているからか、シンプルながらも美味しく仕上がっている。あっという間に平らげると、デザートに買ってきたばかりのアイスを食べた。
「はい。今年のお年玉」
食事を終えてしばらくすると、ばあちゃんがポチ袋を差し出してくる。もう僕もいい年だというのに、今年もまたもらってしまった。なんとも言えない気分になりながらも、笑顔を浮かべながら受け取る。
「ありがとう」
「これは、ルチアーノくんに」
僕にお年玉を渡すと、今度はルチアーノへとポチ袋を差し出す。血縁の無い相手からの贈り物に、彼は困ったような表情を見せた。両手で袋を受け取ると、小さな声でお礼を告げる。
「ありがとうございます」
一連のイベントが終わると、そろそろ帰りの時間が近づいてきた。遅くなると電車が混むから、僕たちは早めに帰ることにしてるのだ。スーツケースに荷物を詰めると、半ば無理矢理チャックを閉める。入りきらなかった分は、紙袋に入れて上に乗せることにした。
「じゃあ、僕たちは帰るね。ありがとう」
玄関の前に立つと、僕たちは家族に挨拶をする。ルチアーノも一緒にいるからか、見送りには全員が出向いてくれた。一歩前に出ると、母さんが代表して言葉を発する。
「また、いつでも来ていいからね。ルチアーノくんも」
「ありがとう。また来るね」
「ありがとうございます」
挨拶を済ませると、僕たちは通りへと足を踏み出す。大通りの角を曲がると、どちらからともなく手を繋いだ。黙ったままバス停まで辿り着くと、看板の前で足を止める。
「相変わらず、賑やかな家だな」
道路へと視線を向けたまま、ルチアーノは小さな声で呟いた。余韻を噛み締めているような、落ち着いた声色だった。自らついてきたくらいだから、彼も実家への帰省は嫌いではないのだろう。
「でも、嫌じゃなかったでしょ」
からかうように答えると、彼は恥ずかしそうに下を向いた。ほんのりと頬を染めると、やはり小さな声で呟く。
「まあ、悪い気はしないよ」
それだけで、僕にとっては十分だった。ルチアーノをこの家につれてきた意味は、十分に果たされているのだろう。僕の家族は彼を受け入れ、一般家庭の温もりを与えてくれた。そして、当のルチアーノ本人は、それを悪くないと思っているようなのだ。
「なら良かった」
ささやかな会話を交わしていると、通りの奥にバスの姿が見えた。元旦は車の通りが少ないのか、バスも時間通りに運行している。田舎は車を持っている人が多いから、車内なはほとんど人がいなかった。
バスに乗り込むと、一番後ろの席へと向かう。ルチアーノを奥に座らせると、重くなったスーツケースを通路に置いた。僕たちが乗り込んだことを確認すると、バスはゆっくりと走り始める。ふと後ろを振り返ると、僕の生まれ育った町が、少しずつ小さくなっていくのが見えた。