ゲーム その日、僕の心は高ぶっていた。ずっと楽しみにしていたゲームソフトが、ついに発売日を迎えたのである。それは僕が子供の頃から続いているシリーズで、ハードが変わる度に新作を出し続けていた。その最新作となるソフトが、数年ぶりに発売されたのだ。
情報が公開されたときから、僕はずっとこの日を待ち望んでいた。子供の頃に遊んでいたゲームなんて、大人にとっては青春そのものなのだ。絶対に発売日に買いたいし、ネタバレを見る前にクリアしたい。そんな思いから、予約開始と同時にゲームショップに走ったくらいだ。
真昼の繁華街を駆け抜けると、中心部に位置するショップを目指す。ゲームショップなら近場にもあるのだけれど、こっちの方が店舗別特典が良かったのだ。最近のゲームや音楽CDは、企業によって特典が違うのである。せっかくおまけをもらえるなら、やはりいいものを選びたかった。
駆け足でビルの階段を上ると、目的の階に辿り着く。平日の昼間ということもあって、店内の人影はまばらだった。真っ直ぐにレジへと直行すると、端末を開いて予約情報を見せる。機械でコードを読み込むと、店員さんはお店の奥へと向かっていった。
しばらく待っていると、店員さんが戻ってくる。その手に抱えられているのは、ゲームソフトのパッケージだった。中央の部分が膨らんでいるのは、特典が巻き付けられているのだろう。僕が選んだのは、主要キャラクターのキーホルダーだ。
「こちらでお間違いないですか?」
ソフトの箱を斜めに傾けると、店員さんは確認を求めてくる。しかし、パッケージはビニールで覆われていて、タイトルの文字は微かにしか見えた。貼り付けられた伝票に僕の名が書かれているから、これで合っているのだろう。マニュアル通りの対応なのだろうが、少し困る要求だった。
「はい」
簡潔に答えると、そのまま商品のバーコードを読み込んだ。会計を済ませると、台の下から取り出したレジ袋に詰めてくれる。受け取った袋からは、パッケージの重み以上の重さを感じる。早く家に帰って、ソフトを起動したくて仕方がなかった。
お店の防犯ゲートを潜ると、駆け足で階段を駆け抜ける。建物の外に出ると、真っ直ぐに大通りを駆け抜けていった。心臓がドクドクと高鳴って、胸元が落ち着かない感覚がする。期待に満ちたこの時間が、ゲームを遊ぶ上で一番楽しいのだ。
一切の寄り道をせずに家に帰ると、机の上に荷物を置いた。急いで手洗いとうがいを済ませると、部屋からゲーム機を持ってくる。今回のソフトは携帯用ハードだから、どこでも遊ぶことができるのだ。リビングのソファに腰を下ろすと、胸を高鳴らせながらパッケージを開けた。
パッケージを机の上に避難させると、本体の電源ボタンを押す。ホーム画面からソフトのコマンドを選ぶと、ゲーム本編を起動させた。綺麗なグラフィックのオープニングムービーが、僕の期待を膨らませてくれる。オープニングが終わると、大きくタイトルロゴが表示された。
ボタンを押してゲームを進めると、キャラクター作成画面が出てきた。いつからか、ストーリーを進めるタイプのゲームでは、自分の代理となる主人公を作れることが主流になっていたのだ。大人向けのゲームとなると、細かいパーツまで自由に変えることができた。
コントローラーを操作すると、僕はゲーム機の画面と向き合う。ストーリーもののゲームにおけるキャラメイクは、一番と言っていいほど大事なものなのだ。これからゲームをクリアするまでの時間、僕はこの主人公と向き合うことになる。自分が魅力的だと思えるキャラクターにしなければ、後で後悔することになるだろう。
十字ボタンを交互に動かしながら、僕は真剣に考え込む。最初に決める重要事項は、主人公となるキャラクターの性別だ。自分の代理となる存在なのだから、男を選ぶのが順当な判断だろう。しかし、女性アバターを選んだ方が、メイキングのパーツが多いのだ。
しばらく考え込んだ後に、僕は確定ボタンに手を伸ばす。選んだアバターの性別は、自分と同じ男だった。僕の家に置かれているゲームは、全てルチアーノに見られる可能性がある。ここで美少女を作っていたら、からかわれたりするかもしれないのだ。
一度方向性が決まると、キャラメイクはサクサクと進んでいった。自分が思う理想のヒーロー像を、ゲーム画面の中に作り上げていく。キャラクターの外見が決まると、満を持して決定ボタンを押した。主人公を作るだけなのに、たっぷり三十分もかかってしまっていた。
ここまで進めると、ようやくゲーム本編が始まる。画面全体を多い尽くすように、ムービー演出が映し出された。それは世界観を見せる引きのカットから入って、主人公を映し出すカットへと移っていく。しばらく眺めていると、主人公を操作できるようになった。
ゲーム機のボタンに手を伸ばすと、マップ上の主人公を動かしていく。このシリーズのゲームには慣れているから、操作で困ることはひとつもなかった。サクサクとチュートリアルを進めると、ストーリーの本編へと入っていく。世界の平和を巡る壮大なストーリーが、これから描かれていくのである。
物語の続きを追うように、僕は真剣にゲームを進めた。今作は前作と世界観を共有していて、前作の登場人物が出てくるのだ。主人公を導いてくれる組織の代表も、前作に出てきた人物である。作中では数十年の時が経っているから、若者だったそのキャラクターも軍人らしいおじさんになっている。彼からゲームの進め方やコツを聞きながら、なんとか序章をクリアした。
キリのいいところでセーブすると、本体の電源を落として周りを見る。夢中になって進めているうちに、景色はすっかり夕方になっていた。家に帰ってきたのが昼過ぎだから、三時間くらいの時が経過していたことになる。そろそろ家のことに手をつけないと、ルチアーノが帰ってきてしまうだろう。
重い腰を上げてソファから立つと、僕はベランダに向かった。洗濯物を取り込んで畳むと、今度は掃除道具入れへと向かう。中央から引っ張り出したのは、ハンディタイプの掃除機だ。この家は一人暮らしには広いから、曜日を決めて掃除をしないと埃が溜まってしまうのだ。
日課になっていた家事を終えると、今度は夕飯の買い出しに出かける。買い出しと言うと聞こえはいいが、スーパーで出来合いの品をを買ってくるだけだ。ゲームを受け取りに行ったときに買えばよかったのだけど、僕にそんな発想はなかった。心が浮き足立っていて、他のことなど考えられなかったのだ。
外出用の鞄を手に取ると、家から一番近いスーパーに向かう。時刻が夕方になってくれたおかげで、多くのお惣菜に割り引きシールが貼られていた。葉物のサラダを手に取ると、今度は料理や揚げ物のコーナーへと向かう。魚のフライの詰合せとカボチャの煮物を選ぶと、買い物カゴの中に放り込んだ。
レジで会計を済ませると、真っ直ぐに家への道を歩んだ。いつの間にかすっかり日が暮れて、上空を星が彩っている。僕が家に着くよりも先に、ルチアーノが帰っているかもしれない。そう思って、できるだけ早い足取りで家路を目指す。
案の定、僕の視界に入った自宅のリビングは、煌々と光を放っていた。外が暗くなっていることもあって、中の光景が丸見えである。子供が一人でいる姿を見せつけているなんて、強盗に襲ってくださいと言っているようなものだ。彼には絶対に言えないが、被害に遭わないか心配だった。
足早に室内へと上がると、真っ直ぐにリビングへと向かう。ソファに座っていたルチアーノが、くるりとこちらに顔を向けた。
「おかえり。今日は休みだって言ってたのに、どこに行ってたんだ?」
「ちょっと、夕飯の買い出しに行ってたんだよ。お昼に買いそびれちゃったから」
淡々と言葉を返しながら、机の上に買い物袋と鞄を置く。両手が自由になると、真っ先に部屋のカーテンを閉めた。今度は洗面所に向かって、手早く手洗いとうがいを済ませる。再びリビングに戻ると、レジ袋の中のものを取り出した。サラダを机の上に置くと、フライと煮物を温める。電子レンジが空くと、今度はパックのご飯を放り込んだ。出来合いの品だけで構成された、普段と変わらない夕食である。
食事の用意が整うと、僕は箸を手に取った。フライを白米の上に乗せると、大きく口を開けて放り込む。ゲームの続きが気になってしまって、ゆっくり食べてなどいられなかったのだ。次から次へと口の中に放り込むと、素早く食事を終わらせた。
食事の後片付けを済ませると、置いてあったゲーム機を手に取った。ソファに腰を下ろすと、電源を入れてボタンを操作する。これからルチアーノがお風呂に行くから、ゆっくりゲームができるはずだ。真剣に画面と向き合っていると、隣から声が飛んできた。
「おい、さっきから何をやってるんだよ」
耳元から響く声にびっくりして、僕は思わず顔を上げる。隣に座っていたルチアーノが、僕の手元を覗き込んでいた。彼もゲームが好きだから、プレイ画面に興味があるのだろう。ゲーム機を少し傾けると、視界に入るように位置を調整した。
「これは、今日発売されたゲームだよ。僕が昔からやってたゲームの、数年ぶりの最新作なんだ」
「ふーん。君にも、好きなゲームがあったんだな。あんなに下手くそなのに」
僕が説明すると、ルチアーノは辛辣な言葉を返す。事実ではあるのだが、少し心が痛む口振りだった。落ち込みそうになる気持ちを持ち直すと、僕はきっぱりと言いきった。
「好きと上手い下手は違うんだよ。僕だって好きなゲームくらいあるんだから」
画面を自分の方へ戻すと、再びボタンを操作する。しばらくすると、キッチンに設置された給湯器から、聞き慣れたメロディが聞こえてきた。隣に座っていたルチアーノが、おもむろにソファから立ち上がる。ちらりとこちらを振り返ると、僕を見下ろしながら言う。
「風呂に行ってくるからな」
「うん」
生返事を返しながらも、僕の指先はボタンを操作していた。ルチアーノがお風呂に入っている間は、ゲームを進める絶好のチャンスだ。今のうちにシナリオを進めて、第一章くらいまでは進めておきたい。目標を決めると、僕は一心にゲームに向き合った。
何かに集中していると、時間が経つのは早いものだ。さっき部屋から出ていったばかりのはずなのに、あっという間にルチアーノが戻ってきた。足音を立てながらリビングに入ると、背後から僕に声をかける。
「上がったぜ。…………なんだよ。まだやってたのか」
「あれ? もう上がったの? 早かったね」
答えながら振り向くと、僕は言葉を失ってしまう。背後にある壁掛け時計は、一時間も時間を刻んでいたのだ。ゲームに集中しすぎて、時間が経つのも忘れてしまったらしい。我ながら恐ろしい話だった。
「何言ってるんだよ。時計が読めなくなったのか?」
僕の姿を見て、ルチアーノは呆れたように言う。のめり込みすぎるのも怖いから、先にお風呂に向かうことにした。ゲーム機の電源を落とすと、踏んだりしないように机の上に置く。ずっと画面を見ていて目に負担をかけたから、身体を休ませる必要があるだろう。
入浴の準備を済ませると、手早く服を脱いで浴室に入る。シャワーで身体を清めると、湯船の中に身体を浸す。身体に染み渡る温もりが、降り積もった疲労を実感させてくれる。ゲームしかしてなくても、身体は確実に疲労するのだ。
充分に身体が温まると、ゆっくりとした仕草で立ち上がった。浴室の扉を開けると、用意していたタオルで身体を拭く。寝間着に着替えてリビングに戻る頃には、ルチアーノの姿はなくなっていた。普段の日課通り、僕の部屋へと向かったのだろう。
軽く水分補給を済ませると、僕はリビングの電気を消した。部屋の外へと出るときに、ゲーム機を手に取るのも忘れない。今日のうちに、第一章くらいは終わらせておきたいのだ。急いで進めておかないと、インターネットにネタバレが流れ始めてしまう。
ベッドの隅に腰を下ろすと、僕は再びゲーム機を開いた。ボタンを操作すると、中断していたストーリーを進める。しばらくすると、隣に寝転がっていたルチアーノが、シーツの上から立ち上がった。僕の隣に座り直すと、肩に体重をかけてもたれ掛かる。
「いつまでやってるんだよ」
ゲームの画面を見下ろすと、彼は小さな声で言った。半ば呆れているような、気の抜けた声色である。そんな彼にちらりと視線を向けると、僕は弁解するように答えた。
「今日中に、この章を終わらせておこうと思ってるんだ。できるだけ、ネタバレを見ずに進めたいからね」
僕の手元を眺めると、ルチアーノは呆れたように息をつく。僕のゲームを進める手つきは、あまり上手いとは言えなかったのだ。何度もダメージをくらいながらも、ギリギリのところで攻略していく。完璧主義のルチアーノからしたら、理解に乏しい光景だっただろう。
「早く終わらせたいなら、攻略でも見ればいいのに。人間って変なことするよな」
結局、初日の僕の進捗状況は、あまり芳しいとは言えなかった。最初の章をクリアするだけで、夜遅くまでかかってしまったのだ。ルチアーノはとっくに飽きていて、別のゲーム機で遊び始めていた。なんとかボスを倒すと、僕は本体の電源を落とす。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
部屋の電気を消すと、僕は布団の中に潜り込む。眠りにつく前に、ゲーム機の充電をするのを忘れない。明日もデュエルから帰ったら、ゲームの続きを進めるのだ。
シーツの上に身を横たえると、僕は前の方へと手を伸ばした。目の前に寝転がる小さな背中を、右の手のひらで前後に撫でる。今日はゲームばかりしていたから、彼とのスキンシップをとっていなかったのだ。せめて、眠る前のこの時間だけは、彼の温もりを味わいたかった。
しかし、僕の邪な思惑を、彼は良く思わなかったようである。お腹に腕を回そうとすると、勢いよく跳ね返されたのだ。困惑して動きを止める僕に、ルチアーノは鋭い声で言った。
「いい加減にしろよ」
突然の怒りの言葉に、僕は何も言えなくなってしまう。手を布団の中で浮かせたまま、恐る恐るルチアーノの様子を窺った。僕の困惑が伝わったのか、彼は一瞬だけこちらを振り返る。その瞳には、燃えるような怒りが満ちていた。
「君は、散々僕を放ったらかしにしてたよな。それなのにスキンシップだけ取ろうなんて、ずいぶん虫が良すぎるんじゃないか?」
布団の中に顔を埋めたまま、彼は低い声で答える。核心を突くような一言に、ようやく僕にも理解が追い付いてきた。彼は、僕がゲームに夢中になっている姿を見て、寂しさを感じていたのだろう。夕方から積み重なった不満が、今になって爆発したのだ。
「ごめん…………」
伸ばしていた手を引っ込めると、僕は小さな声で呟いた。胸に押し寄せる罪悪感に、声が小さくなってしまう。自分のことに夢中になるあまりに、彼のことを考えられなくなっていたなんて。こんなに寂しい思いをさせてしまっては、恋人失格だと思った。
「分かればいいんだよ」
落ち込む僕に困惑したのか、ルチアーノは小さな声で言う。僕たち二人の間を、気まずい沈黙が流れていった。何も弁解する気になれなくて、僕もそのまま会話を終わらせる。一日の終わりだと言うのに、胸の中は薄暗い雲に満たされていた。
どうやら、自由気ままに見えるルチアーノにも、寂しさを感じる感性があるらしい。僕と一緒に暮らしている間に、彼にもそのような感性が生まれたのだろう。明日からは、もう少し彼との時間を大切にしなければならない。微睡みに身を委ねながら、僕はそう心に誓ったのだった。