秘め事 夕食の準備を整えると、僕はテレビのリモコンを手に取った。赤外線をセンサーに向けると、電源ボタンに指を伸ばす。状態を示すランプが緑に染まり、画面に薄く灯りが点った。少しの間を開けてから、弾けるような色彩と音が生まれる。
部屋中に響き渡る笑い声が、正面から僕の耳を突き刺した。大音声にびっくりして、慌ててリモコンの音量ボタンを押す。どうやら、この時間に放送されてるのは、ゴールデンタイムのバラエティ番組らしい。画面には饒舌に喋る芸能人の姿が映し出され、色とりどりのテロップが発言を面白おかしく脚色する。番組はそうやって明るい雰囲気を醸し出しているが、その会話に中身らしきものはなかった。
手元のリモコンを前に伸ばすと、僕は番組表を表示させる。横並びに表示された一覧の中から、面白そうな番組を探そうと思ったのだ。しかし、一通り番組名を眺めても、これだと思うタイトルは見つからない。もっと詳しく情報を得ようと、僕は椅子から腰を上げた。
「君って、飯を食う時にはいつもテレビを見てるよな。そんなに面白いか?」
画面の前に近づく僕の姿を眺めながら、ルチアーノが呆れた声で呟く。正面の席に座っていた彼は、僕の行動の一部始終を見ていたのだ。どうやら彼の中では、僕が相当のテレビ好きとして捉えられているらしい。確かに端から見たらそうなのかもしれないけど、そう思われるのは少し心外だった。
「確かに、僕はいつもテレビをつけてるけど、面白いから見てるわけじゃないんだよ。僕がテレビをつけるのは、部屋に音を鳴らしたいからなんだ」
後ろを振り返りながら言うと、ルチアーノは怪訝そうな表情を浮かべる。椅子に腰かけたまま目を細めると、わけが分からないという顔で呟いた。
「音を鳴らしたい? 君は、よく分からないことを言うんだな。飯を食ってる間くらい、静かにしていればいいじゃないか」
正面から正論を返されて、僕は苦笑いを浮かべてしまう。確かに、食事をしながらテレビを見るなんて、あまりマナーがいいとは言えないだろう。食べ物への向き合い方はおろそかになってしまうし、テレビの内容も頭に入ってこない。でも、無音の中で生活するのは、なんだか寂しい気がしたのだ。
「そうなんだけど、やっぱりテレビをつけたくなっちゃうんだ。僕はひとり暮しだから、部屋が静かだと余計に寂しいんだよ」
言葉を選びながら答えると、僕は再び画面に視線を向ける。ボタンを操作してカーソルを動かすと、ひとつひとつ番組紹介を読んでいった。しかし、どれもこれも単純なバラエティばかりで、気の引かれるようなものはない。悩みながらリモコンを動かしていると、背後から声が聞こえてきた。
「……だったら、僕を話し相手にすればいいだろ。僕は、君の恋人なんだから」
「えっ?」
予想外の言葉が聞こえてきて、僕は思わず後ろを振り返る。しかし、当のルチアーノは、何食わぬ顔で机の上を眺めていた。あまりに平然としているから、さっきのは幻聴だったのかと思ってしまう。何も言えずに呆然としていると、ルチアーノは不満そうに鼻を鳴らした。
「何見てるんだよ。とっとと戻って飯を食いな」
鋭い声で言葉を吐かれて、僕は慌てて視線を逸らす。結局、彼の言葉が本物だったのかは、最後まで分からないままだだった。音を立てる心臓を押さえつけると、チャンネルを衛星放送へと切り替える。番組表を眺めていると、その中に気になるものを見つけた。
それは、ロボットについての解説番組だった。専門的な知識が多く盛り込まれた、少しマニアックなものである。元から、こういう専門的な知識を伝える番組は、衛星放送で流れることが多いのだ。リモコンの決定ボタンを押すと、画面はその番組へと切り替わった。
僕の視界に飛び込んできたのは、黒い背景に並べられた機械のパーツだ。右上のテロップを見る限り、最新のロボットを構成する部品らしい。ひとつひとつズームされていくパーツのそれぞれを、落ち着いたナレーションが解説していく。さっきまで賑やかなバラエティが流れていたから、その温度差にびっくりしてしまった。しばらく黙って画面を眺めると、僕はゆっくりと席に戻っていく。
「うわあ。君は、こういう番組ばっかり見るよな。機械の中身なんか、君が見ても分からないだろ」
画面に映し出される映像を見て、ルチアーノが不快そうに顔をしかめた。彼がここまで嫌悪感を示すのも、当然と言えば当然だろう。この番組が紹介しているのは、人型アンドロイドの内部システムについてなのだ。ルチアーノからしたら、他人の臓器を見せられるようなものなのだろう。
「やっぱり、ルチアーノから見ると、こういうのは嫌なものなの? 僕からしたら、結構興味深い話なんだけどな」
僕が尋ねると、彼はそそくさとテレビから視線を逸らす。少し眉の下がった顔と、真正面から目があった。普段ならドキドキしてしまうところだが、今の僕にそんな能天気なことを言っている余裕はない。僕の前に座っているルチアーノは、明らかに機嫌を損ねた表情をしているのだから。
「まあ、嫌とまでは言わないけど、見てて気分のいいもんじゃないよな。君だって、手術風景の無修正動画を見せられたら、目を逸らしたくもなるだろう」
所在なさげに僕の手元を眺めながら、ルチアーノは淡々と言葉を続ける。確かに、そんな生々しい例え方をされてしまったら、目の前の映像がグロテスクなものに思えてきた。テレビの中ではパーツの紹介が終わって、内部システムの組み立て作業に入っている。器具を使ってパーツを繋ぎ止めていく姿は、確かに手術シーンを映したドキュメンタリーのようにも見える。
「確かに……そうかも……」
生々しいことを考えてしまって、僕は思わず箸を止めてしまった。胸元がぞわぞわと蠢いて、口の中に唾液が溢れ出す。こうなると、さっきまで普通に食事をしていたことが不思議に感じられた。あからさまに表情を変えた僕を見て、ルチアーノが勝ち誇った声を上げる。
「だろ。こんなもの、食事中に見るもんじゃないんだ。変えさせてもらうからな」
テーブルの隅に置かれていたリモコンを取ると、赤外線センサーを前へと向ける。危うく番組を変えられそうになって、僕は慌てて彼の腕を掴んだ。その手からリモコンを強奪すると、少し離れたところに置く。
「待ってよ……!」
「なんだよ。気分が悪いんじゃないのか?」
僕の仕草が気に障ったのか、ルチアーノが鋭い瞳で僕を睨んだ。緑の瞳が僕を捉えてきて、思わず一瞬だけ怯んでしまう。しかし、すぐに気を取り直すと、僕は思い切って言葉を発した。
「確かに、生々しいものだって思って見ると、気分のいいものじゃないよ。でも、ちゃんと知っておきたいんだ。これはルチアーノの身体に関係のあることだから」
「…………そうかよ」
小さな声で呟くと、ルチアーノは再び椅子に腰を下ろす。さっきまでの威勢が嘘のような、妙に大人しい態度だった。少し違和感を感じながらも、僕はテレビに視線を向ける。早く食べないと冷めてしまうから、少しずつ食事を口に運んだ。
画面の中では、少しずつロボットの中身が組み立てられていた。とは言っても、詳細は企業秘密で見せられないそうで、放送されているのは電子機器の塊と外側だけだ。機械を繋ぎ合わせて作られたパーツたちを、防御用の装甲で覆っている。あっという間に、それは人間の形になった。
最後に紹介されたのは、一際細かい電子機器の集まりだった。ロボットの中で最も重要なパーツらしく、装甲で丁重に保護されている。どうやら、これがこのロボットの動力源、人間で言う心臓に当たるパーツらしかった。
「へぇ。ロボットって、こんな風に動いてるんだ……」
サンプル動画として紹介されている骨格を眺めながら、僕は小さな声で呟く。それまで部屋の中を見ていたルチアーノが、ちらりとそちらに視線を向けた。ぎこちない動きの骨格を眺めると、吐き捨てるように言葉を発する。
「ああ、初期のアンドロイドか。こいつは、僕たちからしたら大したことない代物だぜ。音は煩いし動きもぎこちないし、すぐに電源が切れるんだ。この時代の技術なんて、その程度のものなんだよ」
その辛辣な物言いに、僕は微かに苦笑いを浮かべた。彼もアンドロイドとして生まれ落ちた存在だから、機械に対しては思うことがあるのだろう。しかし、未来から来た人工生命体とロボットを比較するのは、なんだか酷なようにも感じてしまう。この時代と数百年後の世界では、使える技術が確実に違うのだから。
「そんなこと言わないでよ。このぎこちない動きのアンドロイドだって、現代人からしたら最先端の発明品なんだよ。こういう知識の積み重ねがあったから、ルチアーノは生まれてきたんでしょう」
「違うよ。僕は神によって産み出された代行者であって、ただのロボットなんかとは違うんだ。そんなものと一緒にしないでくれ」
フォローするような言葉を並べると、またしても突き放すような言葉が帰ってくる。ロボットと自分を同一視しているのかいないのか、絶妙に分かりづらい態度である。そもそも、神の代行者というのは、ただのロボットと何が違うのだろう。これまでに話を聞く限りでは、明確な違いがあるようには思えなかった。
そんな話をしているうちに、テレビの中では一台のロボットが出来上がった。若い女性の姿をした、いかにもロボットといった見た目のロボットである。スタッフが電源を入れると、彼女は音を立てながら動き始めた。視界に人間の姿を捉えると、いかにもな人工音声で話し始める。
彼らが何度か会話を交わしたところで、その番組は終了の時刻を迎えた。機械と人の会話の風景を背景にして、制作スタッフを記したテロップが流れる。次の番組のCMが流れ始めると、ルチアーノは席から身を乗り出した。
「終わったな。とっとと変えるぞ」
隅に寄せられていたリモコンを掴むと、テレビに向かって電波を飛ばす。別に、次の番組はロボットものではないのだが、そんなことは気にしていないようだった。地上波にチャンネルを合わせると、対して中身のないバラエティ番組を映し出す。再び賑やかな音声が溢れて、僕は思わず顔をしかめた。
「君は、前もこの手のロボット番組を見てたよな。人の秘密を詮索するのも、いい加減にした方がいいと思うぜ」
不満そうに顔をしかめながら、ルチアーノは尖った声を漏らす。どうやら、彼にとって機械の内部パーツは、見られると気まずいものらしい。あまり嫌な思いをさせるのもかわいそうだから、これからは控えようと思った。
「分かったよ。今度は、ルチアーノがいない時に見るね」
「そういう問題じゃないだろ。見るなって言ってるんだよ」
何度か軽く言葉を交わすと、僕は椅子から立ち上がった。空になった食器を流しに運ぶと、素早く洗って干し場に立て掛ける。洗い物を全て片付ける頃には、ルチアーノもソファに移動していた。
淡々と流れるテレビ番組を眺めながら、僕は頭の隅で考える。ロボットがあのように作られているのだとしたら、ルチアーノの中にもあのようなパーツがあるということだ。身体の奥深くには、僕たちでいう心臓のようなものもあるのかもしれない。そう思うと、どうしても気になってしまった。
「でも、ちょっと気になるな。ルチアーノの心臓の部分のこと」
ぼんやりとテレビに視線を向けたまま、僕は小さな声で呟く。僕にとっては何気ない一言だったのだが、ルチアーノはそうは捉えなかったようだった。あからさまに動きを止めると、ぎこちない動きでこちらに視線を向ける。不思議に思って視線を向けると、その頬は赤く染まっていた。
「…………変態っ!」
鋭い瞳で僕を睨むと、ルチアーノは喉から絞り出すような声で言う。しかし、どれだけ気迫を持って凄まれても、僕にはその理由が分からなかった。ルチアーノの視線を真っ直ぐに浴びたまま、僕は呆然と口を開ける。そんな僕の姿を見て、ルチアーノは大きく鼻を鳴らした。