出られない部屋　目を覚ました時、周囲を見知らぬ壁に囲まれていた。ゆっくりと身体に力を入れて、冷たい床から起き上がろうとする。痛みを感じないところを見ると、身体に傷を負っているわけではなさそうだ。なんとかその場に座り込むと、首を回して周囲を眺める。
　僕のすぐ隣には、白装束に身を包んだルチアーノが横たわっていた。僕たちの四方を取り囲んでいるのは、眩しいくらいに白い壁である。ひとつには頑丈そうなドアが取り付けられていて、別の壁には大きなモニターがついている。もう何度目にしたか分からない、怪しくて恐ろしい部屋だった。
「ルチアーノ、起きて」
　戸惑いがちに声をかけながら、僕はルチアーノの身体を揺らす。電源が切れたかのように転がっていた彼が、微かに唸り声を上げた。人形のようにぱちりと目を開くと、素早くその場から起き上がる。何度か周囲を見渡した後に、彼は呆れたように言った。
「またこの部屋かよ。全く、何度やっても飽きないんだな」
　面倒臭そうに立ち上がると、彼はモニターの近くへと歩み寄っていく。いかにも慣れきった態度だったが、このような反応になってしまうのにもわけがあった。僕たちがこの部屋に閉じ込められるのは、今回が初めてではなかったのである。何度も同じような部屋に閉じ込められては、奇妙なミッションを強制されていた。
「今回は何をやらされるんだろうね。変なことじゃないといいんだけど」
　不安を抱えながら呟くと、僕はルチアーノの隣へと歩み寄る。この部屋が普段通りの仕様だったら、そろそろ条件が明かされるはずなのだ。真っ直ぐにモニターを見つめると、反応が起きるのを待ち続ける。数分ほど間を開けた後に、ようやく画面が点灯した。

──相手のかっこいいところを言わないと出られない部屋

　真っ白な画面が映ったかと思うと、ポップな文字が浮かび上がる。このやたらと賑やかな文章が、今回のお題であるようだった。詳しい説明が出てくるまで、僕たちは黙って画面を眺める。浮かんでいたタイトルが薄れると、今度は少し小さい文字が浮かび上がった。

──この部屋は、相手のかっこいいところを言わないと出られない部屋です。ルールは簡単、相手のかっこいいところを10個上げなければ出られません。普段はなかなか言えない言葉も、脱出のミッションになれば伝えられるのではないでしょうか。二人の愛の力で、脱出を試みてくださいね。

　まるで饒舌な人間であるかのように、モニターは淡々と言葉を並べる。半ば呆れながら隣を見ると、ルチアーノも眉を潜めていた。そのままお互いに顔を合わせると、少しの間だけ黙り込む。先に口を開いたのは、やはりルチアーノの方だった。
「なんだよ、これ！」
「落ち着いてよ。そんなに声を上げたって、ミッションをこなさないと出られないんだから」
「僕は落ち着いてるよ！ だけど、こんなことで閉じ込められたらムカつくだろ！」
　僕の制止を振り切ると、彼は捲し立てるように言葉を重ねる。甲高い声が耳元で響いて、頭の中がぐらぐらと揺れた。突き刺さるような衝撃を感じて、僕は微かに表情を歪める。幸い、ルチアーノは気づいていなかったようで、目の前のモニターを睨み付けていた。
「そうかもしれないけど、でも、叫んだって出られないんだよ」
　必死に言葉を重ねると、ようやく彼は口を閉じる。乗り出していた身体を引っ込めると、その場で床に胡座をかいた。横目で様子を窺いながら、僕もその隣に腰を下ろす。苛立たしげにモニターを睨み付けると、彼は突きつけるように言葉を発した。
「なら、君から言えよ」
「え？」
　言葉の繋がりが分からなくて、僕は呆然と口を開ける。勘の鈍さに苛立ちが増したのか、ルチアーノが足を揺らしながら鼻を鳴らした。横顔を眺めながら思考を巡らせて、僕はようやく答えに辿り着く。しかし、僕が口を開くよりも先に、ルチアーノが甲高い声で言った。
「だから、今回のミッションだよ。そんなに余裕をかましてるなら、君が先に言うべきだろ」
　鋭い声で言葉を並べると、彼はこちらに視線を向ける。仮面の外に晒されている緑の瞳は、怒りによって細められていた。こちらに向けられた幼い横顔は、羞恥に赤く染まっている。そんな姿を見せられてしまったら、さすがに嫌だとは言えなかった。
「分かったよ。じゃあ、言うね。……デュエルが強いところ」
　覚悟を決めて息を吸うと、僕は思い付いた言葉を口にする。隣に座っていたルチアーノが、恥ずかしそうに顔を逸らした。目の前で自分のことを語られているのだから、羞恥心を感じるのも当然だろう。しかし、ここで言葉を切っていたら、この部屋から出ることはできないのだ。
「えっと、大人びてるところ……不思議な力が使えるところ……肉弾戦も強いところ…………」
　無理矢理頭を回転させると、僕は必死に言葉を並べる。必死に好きなところを考えているうちに、胸の底から羞恥心が込み上げてきた。本人に聞かれながら想いを語るなんて、本来なら告白を伴う一大イベントだ。頬が熱くなるのを感じながら、僕は口を動かした。
「身体が機械でできてるところ。…………ほら、次はルチアーノの番だよ」
　なんとか十個の項目を並べ終えると、僕はルチアーノに話題を振る。こんなに恥ずかしい思いをしたのだから、彼の語る言葉を聞いておこうと思ったのだ。僕は全て聞かれたというのに、ルチアーノだけがかわすなんて納得がいかない。そう思って正面から彼を捉えるが、実際は思うようにいかなかった。
「……分かったよ。ほら、あっち向いてな」
「嫌だよ。僕は全部聞かれたんだから、ルチアーノも教えてくれないと」
　なんとか逃れようとするルチアーノを見て、僕は威圧するように言葉を返す。しかし、神の代行者としてのプライドを持つ彼は、そう簡単に折れてはくれなかった。腹立たしげに僕を睨み付けると、腰に手を当てながら言葉を返す。
「この部屋の脱出条件に、聞かせなきゃだめってルールはなかっただろ。これは上司の命令なんだ。部下はおとなしく聞いてろよ」
「そんなのずるいよ。僕だけ恥ずかしい思いをするなんて、どう考えても不公平でしょ」
　モニターの前で睨み合ったまま、僕たちはしばらく言葉を交わす。しかし、どれだけ主張を繰り返しても、僕たちの意志は変わらなかった。僕は彼の語る内容を聞きたいし、彼は何も聞かれたくないのだ。数分に渡る睨み合いの末に、ルチアーノは僕に手を伸ばしてくる。
「全く、手間かけさせやがって」
　面倒臭そうに呟いたかと思うと、彼は僕の頭に手を触れた。子供らしい小さな手のひらが、僕の耳を覆い隠してくる。不思議な力によって遮断されているのか、僕の耳には何も聞こえてこない。身の安全が確保されたと分かると、彼はようやく口を動かした。
「ルチアーノ！ それはずるいよ！」
　彼の行動に納得がいかなくて、僕は大きな声を上げてしまう。外部の音が遮断されているからか、その声は内部で籠ったように響いた。当のルチアーノはというと、平然と口を動かしている。しばらく言葉を並べた後に、彼はようやく手を離した。
「ほら、これで開くだろ」
　ほんのりと頬を赤く染めながら、ルチアーノは平然とそう呟く。しかし、僕の方はというと、納得いかない気持ちでいっぱいだった。僕の告白の言葉は全部聞かれたのに、ルチアーノは何も教えてくれなかったのだ。扉の確認もそっちのけに、僕は彼に詰め寄ってしまう。
「ルチアーノだけずるいよ！ 僕は全部教えたんだから、ひとつくらいは聞かせてくれてもいいでしょ！」
「それは、君が勝手に教えてきたんだろ。とりあえず、部屋が開いたか確かめるぞ」
　僕の怒りを受け流しながら、ルチアーノは扉の方へと歩いていく。重そうなドアノブに手をかけると、思いきった様子で扉を押した。いつの間にか鍵は開いていたようで、扉はつっかえることなく開いていく。完全に解放されると、彼は僕の方を振り返った。
「ほら、行くぞ」
　一言だけ言葉を告げると、彼は廊下へと歩を進める。それ以上詰め寄ることができなくて、僕はおとなしく後に従った。