ファンサービス スタジアムの座席からは、賑やかな歓声が聞こえてくる。この会場に集まった人々の多くが、彼のステージを楽しみにしているのだ。MCが会場を盛り上げると、観客たちは大声で囃し立てる。床を揺るがすほどの大声援が、会場全体に響き渡った。
僕は、ステージの袖から会場を眺めていた。モニターに映し出された映像が、断片的に観客席の様子を伝えてくれる。座席には人がぎっしりと座っていて、一部には横断幕まで出ていた。
隣に立つ遊矢は、少しも表情を変えていなかった。この光景も、彼にとっては見慣れたものなのだろう。口元に笑みを浮かべて、静かに観客席の様子を眺めている。そこに滲み出ている感情は、溢れるほどの期待と興奮だった。
僕は、彼のステージに呼ばれていた。舞網市で開かれる、プロデュエリストによるエキジビションイベントに、ゲストの一人として呼ばれてしまったのだ。僕がランサーズの一員であり、彼と対等に戦えるほどの実力を持っていることが、主な選定理由なのだと言う。それは嬉しいことなのだけれど、僕はガチガチに緊張していた。
当たり前だ。僕はプロデュエリストでもなければ、人前に出ることを好んでいるわけでもない。それどころか、少し前までは人前でデュエルなんてできなかったのだ。エキジビションのゲストとしてステージに立つなんて、考えたこともなかったのだ。
「○○○、緊張してるのか?」
隣から、男の子の声が聞こえてきた。顔を上げると、遊矢が僕を覗き混んでいる。瞳はキラキラと輝いていて、ステージへの期待で満ちていた。
「そりゃあ、緊張するよ。僕は、大会なんて初めてなんだから」
僕が答えると、彼はにこりと笑った。太陽のように輝く笑顔を向けると、諭すような声で言葉を続ける。
「難しく考えるなよ。いつものように、オレとデュエルするだけなんだ。楽しもうぜ」
「そうだけど……」
そんなことでは、僕の不安は解けなかった。視線を下に向けたまま、会場のざわめきに耳を傾ける。こんな大勢の観衆の中に出ていくなんて、想像しただけでも心臓が縮こまってしまう。
「なあ、耳を貸せよ」
緊張したままの僕を見て、遊矢は優しい声を上げた。心配するような、穏やかな表情を浮かべて、そっと僕を見つめている。
「こう?」
僕は身体を屈めた。足を折り曲げて、顔が彼よりも低くなるように調節する。いつもは見下ろしている彼の顔が、今は同じ高さにあった。
遊矢は、僕に顔を近づけた。綺麗な緑色の髪が、僕の目の前へと迫ってくる。何を言われるのだろうと思っていたら、不意に軌道が変わった。
彼の唇が、僕の額に押し付けられる。ふわりと柔らかい感触がして、すぐに離れていった。ゆっくりと、彼の顔が遠ざかっていく。呆然として顔を上げると、いたずらっぽく笑う少年の姿が見えた。
「緊張は解けた?」
遊矢が、甘ったるい声で言う。いたずらをするような、誘惑するような態度に、心臓がどくんと音を立てた。僕が反応できずにいると、会場から彼の名を呼ぶアナウンスが聞こえてきた。
「じゃあ、行ってくるよ」
優しく笑うと、彼はステージへと駆けていく。その姿を、僕は呆然としたまま見つめていた。
遊矢は、いつの間にあんなことを覚えたのだろう。プロデュエリストとして活動するうちに、ファンサービスの仕方を覚えたのだろうか。それにしてはやりすぎだ。僕は、驚きで心臓が止まりそうになったのだから。
モニターの中には、遊矢の姿が映し出されていた。明らかに自分よりも年上の対戦相手に対して、いつものエンタメデュエルを繰り広げている。彼が口上を唱える度に、観客は歓声を上げた。
気がついたら、緊張はすっかり解けていた。彼の口づけとエンタメデュエルが、僕の心を溶かしてくれたのだ。このデュエルが終わったら、僕もこの舞台の上に向かう。初めての大舞台が、少しだけ楽しみになった。