永遠の命 目を開けると、部屋の中は真っ暗だった。どうやら、夜中に目を覚ましてしまったらしい。いつもは朝までぐっすり眠ってしまうから、こういうのは珍しい。枕元の時計を確認しようとして、身体に違和感を感じた。
何か温かいものが、僕の背中に貼り付いている。後ろを振り向かなくても、その正体が何であるかくらいは分かった。柄にもなく夜中に目を覚ましてしまったのも、これが原因になっているのだろう。
ルチアーノが、僕の背中に顔を押し付けていた。子供の高い体温が、じわじわと僕の身体を温めている。その身体は小刻みに震えていて、時折鼻を啜る音が聞こえてきた。大方、悪い夢でも見て目を覚ましたのだろう。彼と一緒に過ごすようになってからは、こういうこともよくあるのだ。
「ルチアーノ?」
声をかけても、返事は返ってこなかった。涙を流していることを悟られたくないのだろう。強情な彼らしい反応だ。そんなことをしても、隠し通すことなどできないのに。
「どうしたの?」
もう一度尋ねると、彼は僅かに身じろぎをした。しばらく間を置いてから、観念したように口を開く。
「別に、どうもしてないよ」
聞こえる声が鼻声なことから、本心はすぐに察せられた。これ以上は触れられたくないだろうし、何も言わずに目を閉じる。変な時間に目が覚めたから、眠たくて仕方なかったのだ。
背中にルチアーノの温もりを感じながら、うとうとと船をこぐ。意識が薄れてきた頃に、突然頬をつねられた。離れかけていた意識が、一瞬で現実に引き戻される。驚きで心臓が止まるかと思った。
「痛いよ」
答えると、ルチアーノは不機嫌そうに鼻を鳴らした。僕の態度が気に入らなかったのだろう。だからと言って頬をつねることは無いと思うのだが、文句を言っても仕方ない。
再び目を閉じると、眠りの世界に落ちていく。今度は、邪魔されることなく眠らせてくれた。僕の意識が完全に薄れるまで、彼は僕の身体から離れなかった。
身体の上に、何かが乗る感触で目が覚めた。ゆっくり目を開くと、眩しい光が差し込んでくる。いつの間にか朝になっていたみたいだ。あの後の僕は、一度も目を覚ますことなく眠れたのだろう。
「起きろよ」
真上から、甲高い子供の声が聞こえてきた。伸ばされた両腕が、力強い手つきで僕を揺すぶる。
「う…………ん…………」
鼻から漏れる吐息は、ほとんど言葉にならなかった。眠気に襲われて、目を開けることすらできない。昨夜は変な時間に目が覚めたから、眠気が取れていないのだ。
「起きろって」
ルチアーノは再び僕を揺らす。寝かせてほしいのに、簡単には諦めてくれないようだ。いつもならこっちが折れるところだけど、今日の僕は寝不足なのだ。彼が諦めるまで、強引に無視を続けることにする。
「起きろよ!」
頬を叩かれて、ついに僕は瞳を開いた。彼の一撃には、一切手加減というものがなかったのだ。ばちんと音がして、叩かれた場所がじんじんと痛む。これには反応せざるを得なかった。
「何するの? 叩かれたら痛いんだよ」
抗議の声を上げてから、僕はルチアーノに視線を向ける。その姿を捉えたら、次の言葉が出せなくなった。彼は、両目を潤ませて僕を見ていたのだ。いつものような余裕は全く無く、不安そうに僕の顔を覗きこんでいる。僕が目を開けたことを認識すると、目を吊り上げて怒鳴り付けた。
「何で無視するんだよ。死んだのかと思っただろ!」
怒りの籠った態度で、ぺちんと僕の頬を叩く。今度は手加減してくれたようで、そこまで痛くはなかった。
僕は混乱した。僕には、彼に怒られる理由が理解できなかったのだ。ルチアーノだって無視をすることはあるのに、僕だけが怒られるのは理不尽だと思った。
「待ってよ。どうしてそんなに怒ってるの? 僕はただ、眠かっただけなんだよ」
そう言うと、彼はぽろぽろと涙を溢した。予想もしなかった反応に、心臓が締め付けられるような思いがする。まさか、泣いてしまうなんて。いったい何があったのだろう。
「何でだよ。何で怒られないといけないんだよ。僕は、君を心配してやっただけなのに」
荒れた声色で捲し立てながら、彼は涙を流し続ける。頬を伝った透明な雫が、ぽとりと布団の上に落ちた。
僕はゆっくりと身体を起こした。彼は僕の上に乗っているから、顔と顔が至近距離まで近づく。両腕を伸ばすと、その小さな身体を抱き締めた。
しばらくの間、彼は静かに涙を流していた。長い時間をかけて呼吸を整えると、そっと息を吸い込む。声を震わせながらも、何とか口を開いてくれた。
「夢を見たんだ。君が、命を落とす夢を。君は朝になっても起きてこなくて、様子を見に行ったら、呼吸が止まって死んでた。君は骨になって、永遠にこの世からいなくなってしまったんだ」
その言葉は、僕の心臓を貫いた。それこそが、彼の夜泣きの理由だったのだろう。それなのに、僕は眠気に負けて邪険な扱いをしてしまった。何てひどいことをしてしまったのだろうと、自分の思慮の浅さを後悔する。
「それで、僕は気づいたんだ。君がいなくなったら、僕は独りぼっちになってしまう。…………僕には、それが恐ろしいものに感じるんだ、って」
淡々とルチアーノは語る。感情を抑えたその言葉の中には、隠しきれない不安や恐怖が込められていた。声が震えているのは、泣いていたせいだけではないのだろう。
「ごめん。僕は、ルチアーノにひどいことを言ったよね。そんなことがあったなんて知らなかったから。本当にごめん」
謝罪の言葉を並べながら、僕は彼を抱く腕に力を込める。顔と顔が近いから、息づかいまでがはっきりと聞こえてくた。
彼は、永遠の命を生きている。彼の話によると、彼らは人間の歴史が始まった頃からこの世界に存在しているらしい。彼らにとっての人間は虫のようなもので、歯牙にかける必要もないくらい小さくて弱いものだったのだ。
それなら、僕は彼にとって初めて情をかけた人間になるのだろう。偶然出会い、気に入られ、作戦を共にするようになっただけの、取るに足らない存在。それが、彼にとっての僕だったはずだ。しかし、いつの間にかそれは覆され、彼にとって僕は必要不可欠な存在になってしまった。そうさせたのは、やっぱり僕なのだろう。僕が彼を愛したことが、彼にエラーを起こさせてしまったのだ。
「僕にも、永遠の命があれば良かったのに。そうしたら、ルチアーノを独りぼっちにしなくて済むから」
僕は呟いた。そうでもしなければ、のし掛かる責任に耐えられなかったのだ。神の代行者という立場に生まれた存在を狂わせてしまったなんて、ただの人間に背負えることではない。どんなに薄っぺらい言葉であっても、弁明をしなければ落ち着かなかった。
「やめときなよ。永遠の命なんて、ろくなもんじゃないぜ」
僕の腕の中から、ルチアーノが小さな声で答える。その言葉の中には、彼が背負ってきた重みが込められているような気がした。
結局、僕には彼を救うことはできないのだ。僕は彼を愛しているけど、それは彼を苦しめる枷にしかならない。避けられない現実が、ただただ悲しかった。