愛情ドリンクを飲まないと出られない部屋 真っ白な部屋の中に、二つの人影が横たわっている。片方は年端のいかない少年で、長い赤毛を後ろでひとつにまとめていた。もう片方は、赤いジャケットに身を包んだ青年である。赤い帽子が転がり落ちて、前髪の長い黒髪を乱していた。
不意に、赤毛の少年、ルチアーノが身じろぎをした。ぱちりと目を開けると、俊敏な動作で立ち上がる。何度か部屋の中を見渡すと、隣に眠る青年に視線を向けた。
「またここかよ」
不快そうに呟いてから、青年の隣に腰を下ろす。うつ伏せに寝転がっているその身体を、思いっきり前後に揺すった。
「おい、起きろよ」
青年が小さく呻き声を漏らす。何度か身じろぎをしたが、目を覚ましはしなかった。不満そうに溜め息を付いてから、ルチアーノはもう一度手を伸ばす。寝返りを打たせて正面を向けると、頬を思いっきり叩いた。
「起きろって!」
パチン、と、甲高い音が部屋に響き渡る。両目を開けると、青年は慌てたように飛び起きた。
「何するの? 急に叩いたらびっくりするでしょ!」
抗議の声を上げる青年を、ルチアーノは不満そうな目付きで見つめ返した。頬を膨らませると、尖った声色で怒鳴り付ける。
「君が起きないからだろ。こんなところで寝るなんて、危機感が足りてないんじゃないか?」
言葉を聞いて、青年は初めて周囲を見渡した。自分を取り囲む真っ白な壁を見て、ぽかんと口を開ける。ルチアーノに向き直ると、慌てた様子で声を上げた。
「なに? どうしたの、ここ?」
「僕が知るわけないだろ。大方、例の部屋の類いだろうけどな」
胸の前で腕を組むと、ルチアーノは目を細める。異常事態には慣れているようで、余裕綽々な態度だった。
青年が何かを口にしようとした時、背後から大音声が聞こえてきた。
──ピンポンパンポン
「なに!?」
青年が飛び上がりながら後ろを振り返る。そこには、大型のモニターが取り付けられていた。画面が白く点灯し、部屋の壁と部屋の中を照らし出している。真っ白な画面は、周囲の壁と一体化していた。
「だいぶ凝った作りなんだな。僕たちが起きてから鳴ったということは、監視カメラでも付けてるんじゃないか?」
「何でルチアーノはそんなに冷静なの?」
「君が慌てすぎなだけだろ。僕の協力者なんだから、いい加減修羅場慣れしろよ」
言い合いをしていると、モニターが光の色を変えた。白い背景の中に、カラフルな文字が現れる。妙に凝った文字で書かれていたのは、このような文章だった。
──相手の愛情をドリンク化したものを相手に飲んでもらわなければ出られない部屋
「はぁ?」
先に声を上げたのはルチアーノだった。心底呆れているような声が、彼の唇から零れ落ちる。眉はハの字に下がっていて、視線は冷えきっていた。そんな彼の視線をよそに、画面は淡々と切り替わる。そこに出てきたのは、このような説明文だった。
──これから、お二人の愛情をドリンク化したものを差し上げます。量も味わいも、お二人の気持ち次第です。お相手には、この愛情ドリンクを飲み干していただきます。
「愛情のドリンク化……?」
文字を目で追いながら、青年も困惑したような声を漏らす。しばらくすると、文章は次のものへと切り替わった。
──ドリンクを飲み干したら、脱出成功になります。捨てたり、自分で飲んだ場合には、不正行為として新しいドリンクをお出しします。お相手の愛情ですから、ちゃんと飲みきれますよね?
「はぁ?」
冷めた目でモニターを眺めながら、今度はルチアーノが声を上げる。モニターは淡々と次の文字を表示した。
──気持ちというものは、形を持ちません。この機会に、相手の想いを再確認してみてはいかがでしょう? お相手と協力して、脱出を目指してくださいね。
一方的に伝えると、ぷつりと画面が消えた。ぽかんとした顔をしながら、青年とルチアーノが顔を見合わせる。
「で、そのドリンクってのはどこにあるんだよ」
ルチアーノの言葉と同時に、二人の前の床がガコンと音を立てた。天板が左右に開き、中から台のようなものが浮かび上がる。そこには、二つの瓶が並んでいた。
「これが、ドリンクか?」
ちらりと視線を向けて、彼は顔色を変えた。慌てて台の前に駆け寄ると、並んだ瓶を持ち上げた。
「どうしたの?」
青年が後を追う。しかし、彼は片手を上げて青年を制した。
「来るなよ。そこで待ってろ」
そう言って、彼は手元の小瓶を持ち上げる。グラス程度の大きさの瓶の中には、『ルチアーノ』という名前と共にオレンジ色の物体が入っていた。左右に振ってみるが、ほとんど動きは見えない。中身は多くはないが、重みがあるのは確かだった。
「やっぱりだ……」
ルチアーノは小瓶を睨み付ける。部屋の主が言うには、その小瓶は彼の想いの具現化なのだという。固体かと思われるほどに重いのは、自身の愛の重さということになる。
もはや、飲み物とは言えない形状だったが、彼は素直にそれを自分のものとして受け入れた。突きつけられても動じない程度には、自分の愛が重い自覚があったのだ。ルチアーノは、その青年に強い感情を抱いている。彼の存在がなくては生きられないくらいには、その青年に依存していたのだ。
自分の瓶を元の位置に戻すと、ルチアーノは隣の小瓶に手を伸ばした。そこに入っているのは、青年がルチアーノに捧げた愛情を具現化させたドリンクであるはずだ。これからルチアーノが飲むことになるものである。
彼が気にかけていたのは、青年のドリンクの形状だった。ルチアーノのドリンクが重みを持っていることは、変えられない事実である。しかし、自分のドリンクだけが重みを持っていて、相手のドリンクが軽かったら、彼の自尊心は傷つくのだ。青年に見られてしまう前に、ドリンクを確認したかった。
持ち上げた小瓶は、ルチアーノのものと変わらない大きさだった。中に入っているのは、赤黒い色をした液体だ。粘度も相当高いようで、左右に振ってももたもたとした動きしかしない。自分のドリンクと同じくらい重そうな姿に、ルチアーノはホッと息を付いた。
「もう、来てもいいぜ」
振り返りながら言うと、青年はすぐに寄ってきた。不思議そうな顔をしながら、ルチアーノの前に並んだ小瓶を眺める。
「どうしたの? 何かあった?」
「ちょっと気になることがあってね。確認してたのさ」
平然と言うと、彼は自分の小瓶を差し出した。青年は両手で受けとると、まじまじと中身を見つめた。
「これが、ルチアーノのドリンクなの?」
呟いてから、容器を左右に振る。ほぼ固形の中身は、彼の力でも微動だにしなかった。怪訝そうに首をかしげてから、小さな声で呟いた。
「なんか、ドリンクっていうよりもゼリーみたいだけど」
それを聞いて、ルチアーノは不満そうに鼻を鳴らした。じっとりとした目で青年を見上げると、手に取った小瓶を見せつける。
「なんだよ。君のドリンクだって大概だぞ。これを見てみろよ」
瓶の中では、赤黒い液体が揺れていた。ドリンクとは思えないほどの粘度も相まって、その物体は凝固した血液のようだ。全体を眺めると、彼は戸惑ったように目を逸らした。
「それが、僕のドリンクなの?」
「どう見てもそうだろ。ここに名前も書いてあるぜ。…………君って、こんなに愛が重かったんだな」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは青年に瓶を突きつける。自分のドリンクも固形なのだが、すっかり棚に上げている。愛の重さを突きつけられて、青年は頬を染めた。
「あんまり見せないでよ、恥ずかしいから……」
小さな声で言うと、羞恥心を隠すようにルチアーノのドリンクを開けた。大きな口から、甘い匂いが漂ってくる。ルチアーノの愛は甘い味をしているらしい。ご丁寧に添えられていたスプーンを手に取ると、ドリンクの中に差し込んでいるく。それはゼリーのような感触でスプーンを受け入れた。
一口分を掬い上げると、ゆっくりと口に運ぶ。少ししか食べていないのに、砂糖菓子のような甘さが口に広がった。砂糖をそのまま食べてるのかと思うほど甘ったるいのに、不思議と負担には感じない。スプーンを突き刺すと、すぐに二口目を口に運んだ。
「甘くておいしいよ。ルチアーノは、こんな気持ちでいてくれたんだね」
隣では、ルチアーノが青年のドリンクに口をつけていた。シロップをさらに濃縮したような液体が、彼の舌を襲う。舌先で僅かな量を舐め取ってから、青年に抗議の視線を向けた。
「なんだよ。これ。シロップを煮詰めたような甘さだな。君の気持ちは、ちょっと重すぎるんじゃないのかい?」
「ごめん……」
勢いに押されて、青年は小さな声で謝る。彼は彼で、自分の想いが重い自覚があったのだ。赤黒い色さえも、愛憎を表したものなのだろう。心当たりがありすぎた。
「それくらいルチアーノを愛してるってことだよ。今だけは我慢してくれないかな」
言葉を並べながらも、彼はゼリーを口に運ぶ。元々甘味が好物なこともあって、すぐに食べ終えてしまった。
「これを飲むのかよ。げぇっ…………」
顔をしかめながらも、ルチアーノは瓶に口を付けた。どれだけ嫌でも、飲み干さなければ部屋からは出られないのだ。鼻をつまんだり、休憩を挟んだりしながらも、なんとか中身を減らしていく。半分を越える頃には、彼は死にそうな顔をしていた。
「大丈夫?」
心配そうな顔をしながら、青年がルチアーノを覗き込む。彼は、不満そうな顔で青年を睨み返した。
「大丈夫なわけないだろ。全く、愛が重いのも考えものだね」
文句を言いながらも、時間をかけて中身を空にする。瓶を台の上に戻すと、天井に向かって宣言した。
「飲んだぞ。とっとと鍵を開けな」
彼の声に応えるように、モニターが『mission clear』の文字を映し出す。彼らの背後で、カチリと鍵が開く音がした。
「ほら、行くぞ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ルチアーノは出口へと向かっていった。置いていかれないように、青年も慌ててその後に続く。肩を並べると、青年はルチアーノに声をかけた。
「ルチアーノ」
「なんだよ」
「ありがとう。僕の愛を飲み干してくれて」
ルチアーノの視線が、ちらりと青年を見上げる。照れたような顔付きだった。
「別に、君のためじゃないぜ。この部屋から出るために、仕方なく飲んだだけだ」
頬を赤く染めながら、ルチアーノはとがった声で言う。そんな彼の姿を見ながら、青年はにこりと微笑んだ。