髪 ルチアーノと一緒に行動することは、高いリスクを伴う。普段は忘れがちだが、命の危険を感じる度に、僕はその事を自覚した。あまり詳しいことは知らないが、彼の所属する組織は町の運営を牛耳る権力のトップらしい。人間の地位を操ることは日常茶飯事であり、時には生命さえを奪ってしまうらしいのだ。一般人である僕でさえ、何度か恐ろしい噂を耳にした。
そうなると、僕も無事ではいられない。当然と言えば当然なのだが、ルチアーノたちを憎む刺客たちは、僕のことも組織の一員だと思うらしい。情報を求めて問い詰められたことや、デュエルを挑まれたことも一度や二度ではなかったし、時には命を奪われそうになることもあった。デュエルはまだいいが、命を狙う相手の攻撃となると、僕にはまともな反応ができない。ルチアーノに助けてもらってなんとか生き延びているけど、次ぎはどうなるか分からなかった。
その日も、僕たちは敵らしき人間に絡まれていた。彼らは二人組の男で、黒い服を身に纏った姿で、僕たちの前に現れたのだ。不思議な話だが、こうして僕たちの前に現れる刺客たちは、大抵が黒ずくめの服に身を包んでいるのだ。刺客は黒を纏うものと言うルールでもあるのだろうか?
その男たちが最初に捉えたのは、僕の姿であったようだった。遠巻きに僕たちを見つめると、足を止めて何かを語り合う。ここは商店街の一角だ。黒ずくめの男が屯ろしていたら、嫌でも視界に入ってしまう。控えめに視線を向けると、はっきりと目が合ってしまった。
男の一人が、つかつかと足を鳴らしてこちらへと歩み寄る。数メートルの距離まで近寄ると、隣のルチアーノに視線を映した。しばらくお互いに睨み合うと、男が先に口を開く。
「お前たちは、イリアステルだな」
その言葉に、ルチアーノは身に纏う空気を変えた。どうやら、この男たちの目的はルチアーノらしい。鋭い瞳で相手を見ると、彼は淡々とした声で返した。
「それがどうかしたの?」
「俺と、デュエルをしろ」
男がデュエルディスクを展開する。それに応じるように、もう一人の男が距離をおいた。黒いコートがひらりと揺れる。
「いいよ。その代わり、場所を変えさせてくれないか?」
そう言いながら、ルチアーノは路地裏へと歩いていく。後に続くように、二人の男も路地裏へと入っていった。置いていかれても困るから、僕も彼らの後に続く。
──君は、後ろから見ていてくれ。あまり近づきすぎるなよ。嫌な予感がする。
脳裏に、ルチアーノの声が聞こえてきた。アンドロイドである彼は、声を発せずに意思を伝えることができるのだ。この手段を使ってくるということは、何らかの確信があるのだろう。
僕は、路地の入り口で立ち止まった。奥の方でルチアーノと男がデュエルディスクを構えている。もう一人の男は、建物の前に立って二人の姿を見ていた。
「いつ始めてもいいぜ。返り討ちにしてやるから」
ルチアーノが自信満々な声で言う。その言葉を合図に、二人のデュエルが始まった。
男は、なかなかに強かった。隙の無い攻撃で相手を攻め、適格な対策で反撃に備える。ルチアーノもやられてばかりではないから、大胆不敵に反撃した。男は、ルチアーノがシンクロを封じてくると分かっていたらしい。通常モンスターと魔法・罠の組み合わせで、ルチアーノの守りを剥がしていった。
僕は、目の前のデュエルに夢中になってしまった。ルチアーノは未来の技術を持ったアンドロイドである。彼の頭脳には無数のデュエルのデータが詰め込まれているから、扱う作戦も並大抵のものでは無いはずだ。それなのに、男は余裕の態度で彼の戦略に対応している。僕や遊星と同じくらいか、それ以上の手練だった。
デュエルを見ていると、不意に、背後から足音が聞こえてきた。不思議に思って周囲を見ると、もう一人の男がいなくなっている。しまったと思って振り返ると、黒ずくめの人影が見えた。
影は、小走りに僕の方へと走ってくる。その手元に、きらりと光る何かが見えた気がした。それが刃物であることは、何度も修羅場を経験した僕にはすぐに分かってしまう。絶望に身体が震え、手足が動かなくなった。
せめてもの抵抗で、お腹を庇うように受け身を取った。男から見て横向きになるように身体を捻り、その場にしゃがみこもうとする。今にも刺されるんじゃないかと思った時、身体に衝撃が走った。
全身のバランスが崩れて、地面に両手をつくように倒れ込む。皮膚の表面が擦れて、抉られるような痛みが走った。急いで体勢を直すと、男の向かってきた方角に視線を向ける。そこには、デュエルディスクをつけたままのルチアーノの姿があった。
「無事か?」
男の首を押さえつけながら、ルチアーノが僕に視線を向ける。髪を纏めていたカバーがほどけて、真っ赤な糸が宙に舞う。よく見ると、地面に落ちたカバーの近くには、切られたと思わしき毛が散らばっていた。
「なんとか……」
やっとの思いで答えると、ルチアーノはにやりと笑った。
「全く、君は何一つ成長しないんだな。刺客に狙われたらスタンガンを使えって、何度も言ってるだろ」
何事もなかったかのように、彼はそんなことを言う。刺客に命を狙われているというのに、無茶な要求だった。普通の人間には、そんな反射力は備わっていない。
「そんなこと言われても、すぐに反応できないよ。僕は、普通の人間なんだから」
「情けないなあ。君は僕のパートナーなんだろ。いい加減戦闘を覚えなよ」
喋りながらも、彼は男の首を絞めて意識を奪っていた。倒れた男を放り投げると、デュエルディスクを構えた男の元へと向かった。
腰まで伸びた赤い髪が、風に煽られてさらさらと揺れる。後ろ姿だけでも、彼が怒っていることがはっきりと伝わってきた。こつこつと足音を立てながら、一歩一歩、確実に距離を詰めていく。向かい側に立っている男が、怯えたように後退りした。
「やってくれたな。デュエルを出しに不意討ちなんて、デュエリストとしての誇りが足りないんじゃないか?」
ルチアーノの声が、狭い路地裏に響き渡る。さっきまでとは明らかに違う、冷えきった声だった。子供とは思えない凄みに、男がびくんと身体を震わせた。デュエルディスクを畳もうとするが、ルチアーノはマーカーを発動した。
「逃がさないぜ。僕たちに喧嘩を売ったんだ。どうなるかは分かってただろ」
そこからの光景は悲惨だった。ルチアーノは、一切の手加減もなく男を攻め、相手のライフを削っていった。対する男は、ルチアーノの怒りに怯えているのか、冷静な判断ができていない。その差は歴然だった。
ライフポイントが尽きると、男はその場に倒れこんだ。意識を失った男を、ルチアーノは爪先で蹴り飛ばす。
「その程度の力で、僕に勝てると思うなよ」
男たちが倒れると、路地裏は静まり返った。ルチアーノはこつこつと足音を立てながら、僕の方へと近づいてくる。冷たい瞳で僕を見下ろすと、黙ったまま左手を差し出した。
「ありがとう……。ごめん」
手を取ると、奮える足で立ち上がる。何度襲撃を受けても、命を狙われる恐怖には慣れることができなかった。そもそも、こんな経験慣れたいとは思わない。
ルチアーノは、黙って髪を纏めた。髪留めは壊れてしまっているから、どこかから取り出したヘアゴムで結ぶ。落ちた髪留めを拾うと、時空の歪みにしまいこんだ。
「髪、切られちゃったね。ごめん」
謝ると、彼はちらりとこちらに視線を向けた。もう、さっきまでの冷たい空気は消えている。いつもと変わらない、軽薄なルチアーノの態度だった。
「気にするなよ。これくらい、すぐに直せるんだから」
呟くように告げると、僕の手を離して歩き出す。置いていかれそうになって、僕も慌てて後を追った。目の前では、ひとつに結ばれた赤い髪が、ゆらゆらと左右に揺れている。その後ろ姿は、動物の尾のようにも見えたのだった。