ラブレター「すみません……!」
町を歩いていると、背後から女の子の声が聞こえてきた。緊張しているような、張り詰めた声である。すごく近くから聞こえた気がしたが、知り合いのものではないようだ。僕では無いだろうと思って、気にせずに先へと急ぐ。
僕の対応は、何もおかしなことではない。ここはシティの繁華街で、僕の隣にはルチアーノが並んでいるのだ。僕に声をかけるのは、知り合い以外にいないだろう。
「あの、すみません……!」
今度は、さっきよりも大きな声が聞こえてきた。やっぱり、僕のすぐ近くから聞こえている気がする。こっそりと周囲を見渡してみるが、振り返る人は見当たらなかった。もしかしてと思うけれど、ルチアーノがいる手前、立ち止まることなどできない。後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、無視して足を進めた。
「あの、○○○さん……!」
今度は、はっきりと聞こえてきた。聞き間違いじゃなければ、声の主は僕を呼んでいる。さすがに通りすぎることはできなくて、僕はその場に足を止める。隣を歩くルチアーノも、怪訝そうに足を止めていた。
声のした方を振り返ると、おとなしそうな女の子の姿が視界に入った。恥ずかしそうに頬を染め、視線を逸らすように俯いている。彼女は僕の胸元に視線を向けると、小さな声で尋ねた。
「○○○さん、ですか……?」
「そうだけど……」
回答を聞くと、彼女は慌てたように鞄を開けた。挙動不審な態度に、ルチアーノが怪しげな表情を見せる。僕の袖を引っ張ると、強引に耳を近づけた。
「なんだ? 知り合いなのか?」
そんなことを聞かれても、僕には分からなかった。WRGPへの出場を決めて以来、僕はたくさんの人と顔を合わせているのだ。一人一人の顔なんて覚えられない。
「わかんない」
答えると、彼は眉を寄せた。何かを言おうとして、小さく整った口を開く。言葉を発するより先に、目の前の女の子が動き出した。
「あの、これ、受け取ってください……!」
震える声で言うと、僕に向かって四角い紙を差し出す。それは少し厚みがあって、縁にピンクのラインが引かれていた。
「え……?」
「お願いします!」
混乱しながら見つめていると、僕の手に紙を握らせてきた。大人しそうな声とは裏腹に、強引な態度である。さすがに恥ずかしかったのか、すぐにどこかへと去っていってしまった。
「なんだったんだ……?」
怪訝そうに目を細めながら、ルチアーノは女の子の去っていった方を見る。僕はというと、手元に残された紙切れを見ていた。差し出された時には分からなかったが、それは、手紙の入った封筒らしい。ひっくり返すと、かわいらしいハートのシールで封がされていた。
「えっ?」
目の前の光景に、間抜けな声が出てしまう。見間違いじゃないかと思ったが、何度見ても、そこにあるのはハートのシールだった。封筒にハートのシールを貼るなんて、目的はひとつしか思い付かない。つまりこれは、ラブレターと呼ばれるものだった。
僕は、慌てて手紙を鞄に入れようとした。こんなものをもらって、ルチアーノに気づかれでもしたら、どうなるか分からない。ただでさえ嫉妬深い男の子なのだ。気分を損ねるのは確実だろう。
しかし、僕の目論みは果たせなかった。手紙を仕舞うよりも先に、ルチアーノに見られてしまったのである。彼は眉を歪めると、僕の手を掴んで動きを止めた。
「何隠そうとしてるんだよ。何を渡されたのか見せてみな」
こうなってしまえば、もう逃げられない。仕方なく、僕は手元にあった封筒を見せた。きちんと閉じられた封と、ハート型のシールが、ルチアーノの目の前に差し出される。それが何であるかに気づくと、彼は大きく両目を開いた。
「これ、ラブレターってやつか?」
「たぶん、ね……」
彼の問いに、僕は頷くことしかできない。確信は持てないが、そうであるとしか思えなかった。案の定、ルチアーノは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「なんで隠そうとしてたんだよ。疚しいことでもあったのか? 本当は知り合いだったとかさ」
「違うよ! ラブレターなんか見せたら、ルチアーノが嫌な気持ちになると思ったから、家で見ようと思っただけだよ」
「隠された方が嫌に決まってるだろ! 疚しいことが無いなら、こそこそせずに見せろよ!」
そこまで言われたら、僕には何も言い返せなかった。全部、彼の言う通りなのである。しょんぼりとする僕を横目に、ルチアーノは手を伸ばしてきた。
「それ、貸しな」
言うが早いか、封筒を手からもぎ取っていく。慌てて取り返そうとする僕をかわすと、中央から真っ二つに引き裂いた。
「あっ……!」
声を上げるが、もう遅い。ルチアーノはビリビリと封筒を破ると、中の便箋ごとバラバラの紙切れにしてしまった。細かい欠片を落としながら移動すると、側溝の中に紙屑を落とした。
「ちょっと、ダメだよ。こんなところに捨てちゃ」
注意するが、彼の耳には少しも届いていない。満足そうに鼻を鳴らすと、胸を張って僕を見上げた。
「僕のものに手を出そうなんて、百万年早いんだよ」
僕は大きく息をつくと、側溝の中を覗き込んだ。紙切れはあちこちに散らばってしまって、取り出すことはできなさそうだった。仕方なく顔を上げると、不満そうな表情のルチアーノと目が合う。
「なんだよ。ラブレターとやらに未練があるのか」
「別に未練はないけど、せっかく書いてくれたものなんだから、ちゃんと読まないと失礼でしょ」
「君は本当に真面目なやつだな。人のものを奪おうとするやつの手紙なんて、真面目に読まなくてもいいだろ」
彼はそう言うが、僕には納得ができなかった。僕たちの関係は公言していないから、誰もが知っている訳ではない。それに、あの女の子は、この手紙を渡すためにものすごく勇気を出してくれたはずだ。彼女の誠意に答えるためにも、ちゃんと中身を読んでから返事をしたかった。
「真面目に読みたいよ。想いを告げるって、すごく勇気がいることだから」
答えると、ルチアーノは迷ったように視線を下に向けた。すぐに顔を上げると、毅然とした態度で足を踏み出す。一瞬だけ後ろを振り返ると、鋭い口調でこう言った。
「とっとと行くぞ」
黙ったまま、僕も足を踏み出す。妙に重たい沈黙だけが、僕たちの間を支配していた。