ネコハラ 目の前の机には、綺麗に整列されたカードが並んでいる。上二段がモンスターカードで、その下は魔法カード、さらに下にはトラップが、レベルや種類ごとに分けられているのだ。隣には端末が置かれていて、並べられたカードの内容が、そっくりそのまま書き写されていた。
視界を埋めるカードを眺めながら、僕は頭を抱える。ここに並んだデッキレシピは、二枚カードが足りなかった。空いた枠に入れるトラップカードを、どうしても決められなかったのだ。
「うーん」
机の隅に広がる空白を眺めて、僕は小さく呻き声を上げる。机の隅には、カードの山とひっくり返されたストレージケースが転がっていた。家中のカードを引っ張り出してみたのだが、しっくりくるカードが見つからなかったのだ。試しにルチアーノにも相談してみたけど、つまんないと言われて断られてしまった。
こういうときに、パートナーが頼れないのは大変だと、僕は改めて感じる。ルチアーノはデュエルを戦闘手段として使っているものの、デュエリストとしてデッキを考えたりするタイプではないのだ。神から与えられたカードこそ完全だと思っているようで、あまり構築を変えたがらない。
そんなこんなで、僕は一人で悩んでいたのだ。レシピ提出の締め切りは明日だから、今日中には内容を決めておきたい。そう思ってデータベースを開いたら、検索が止まらなくなってしまった。
端末を片手に唸り声を上げていると、ルチアーノが近づいてきた。机の上に広げられたカードを見ると、呆れたようにため息をつく。
「まだやってるのかよ。よく飽きないな」
「カード一枚が、勝負を大きく変えるかもしれないからね。気を抜いたりはできないよ」
答えると、僕は再びストレージに手を伸ばした。検索でヒットしたカードがないか、山の中を探そうと思ったのである。しかし、その手は、ルチアーノによって叩き落とされてしまった。
「どうしたの?」
不思議に思って尋ねるが、彼は黙ったままだった。冷たい目で僕を見下ろすと、向かい合わせに膝の上に座る。机と椅子の背に挟まれた僅かなスペースで、僕はルチアーノと密着することになった。
「ルチアーノ……?」
冷たい瞳で見つめている彼に、恐る恐る言葉を発する。しばらく待ってみるが、返事は返ってこなかった。怒らせてしまったのかと怯えていると、不意に顔を近づけられる。
キスをされるのかと身構えたが、その推測は外れのようだった。ルチアーノの頭は僕の顔から少し外れた、肩と顔の間に着地したのだ。温かくてずっしりとした感触が、僕の肩へと伝わってくる。密着した身体からは、低く響くモーター音が聞こえてきた。
動けない僕の身体に、子供にしては長い腕が回される。それは背中をくるりと回って、反対側の肩の辺りへと伸びてきた。触れ合う体温に触発され、僕の肌も少しずつ温度を上げていく。恐怖とは別の理由で、心臓がドクドクと音を立てた。
「ねぇ、どうしたの?」
再び尋ねると、彼は小さく身じろぎをした。少しの間を開けてから、震える声で口を開く。
「……そんなに大事かよ」
「えっ……?」
耳を掠めるような小さな声に、思わず聞き返してしまう。何の話をしているのか、すぐには理解できなかったのだ。ぽかんとする僕を見て、ルチアーノはさっきよりも大きな声で言う。
「そんなに、デッキが大事かよ」
じっとりとした、拗ねたような声だった。つまり、彼は寂しくて僕の上に乗ってきたのだろう。そういえば、デッキを考えはじめてからはずっと考え込んでいたし、ルチアーノの言葉にも生返事で答えていた。僕のそんな仕草が、彼には不快だったに違いない。
なんだか、猫みたいだ。不意にそんなことを考えて、口元が緩んでしまう。素直に甘えられないから、作業を邪魔して気を引こうとするなんて、インターネットで語られる猫そのものだ。最近読んだ記事に『ネコハラ』という単語があったことを思い出して、今度は声が漏れてしまう。
「なに笑ってるんだよ」
くすくすと笑みを漏らす僕を見て、ルチアーノが不満そうに顔を上げた。至近距離で合わせたその顔は、ほんのりと赤くなっている。こうして見ると、彼は年頃の子供のようだ。その無言の訴えが可愛らしくて、僕は口元を緩める。
「なんか、猫みたいだなと思って。寂しいから膝に乗ってくるなんて、猫の甘え方でしょう?」
「……誰が猫だよ」
不満そうに頬を膨らませる姿は、やはり猫みたいだ。背中に腕を回すと、猫を撫でるように手のひらを滑らせる。
「最近の飼い猫は、甘えん坊な子が多いんだって。飼い主が家で仕事をしてると、机に乗って邪魔してくるんだ。オスの猫の方が甘えん坊になりやすいみたいだよ」
語りながらも、僕は微笑みを浮かべていた。この記事を読んだとき、僕はルチアーノを思い出したのだ。甘えん坊で、自由気ままで、子供っぽい男の子。僕の邪魔をしてくるのに、素直に寂しいとは言えない男の子。そんな彼のことが、僕は好きでたまらないのだ。
「誰が、甘えたがりなオス猫だって……?」
僕の言葉が気に入らなかったのか、ルチアーノは低い声で言う。明らかに眉を吊り上げると、鋭い瞳で僕を睨んだ。
「そんなことを言うやつとは、もう遊んでやらないよ。今日は一人でデッキでもいじってな」
吐き捨てるように言うと、膝の上から立ち上がった。とことこと足音を響かせて、どこかへと向かっていく。家から出ていってしまうのではないかと思ったが、浴室へ向かっただけだった。
お風呂に入っても、ルチアーノの機嫌は治らなかった。僕がお風呂に入り、寝室へと移動してからも、背を向けたまま何も語ろうとしない。沈黙に耐えられなくなって、僕の方から話しかけた。
「ルチアーノ」
声をかけても、隣からは何も聞こえてこない。布団の中に沈んだ小さな背中が、目の前にちょこんと横たわっているだけだ。いつもならかわいいと思うその後ろ姿も、今は寂しさだけを感じさせる。
「ごめんって。機嫌治してよ」
謝ったところで、何も反応はなかった。捨てゼリフを吐いた以上、簡単に許すのはプライドが許さないのだろう。厄介な性格ではあるのだけど、かわいいから許せてしまう。
「ルチアーノってば、返事してよ」
重ねて声をかけるが、返事は返ってこない。彼のプライドは、寂しさよりも強いのだろう。こうなったら、明日の朝まで触れさせてもらえそうにない。
やっぱり、ルチアーノは猫みたいだ。寂しがり屋で、甘えん坊で、気まぐれで、構ってほしいときは邪魔をして来るのに、機嫌を損ねると返事すらしてくれないのだから。でも、僕はそういう彼が好きだから、何も文句は言えそうにない。今だって、寂しさを感じながらも愛おしさを感じているのだから。
明日になったら、改めてルチアーノに謝ろう。一晩経って気持ちが落ち着けば、彼も話くらいはしてくれるはずだ。布団に顔を埋めると、僕はゆっくりと目を閉じた。