12/2「一二三、今日が何日かわかるか?」
首を傾げる俺っちの視線の先で、独歩はこの世の終わりのような声で告げた。数日前に俺っちの奥の奥まで蕩かせる準備のお手伝いをしてくれた指先はピカピカに磨かれていて、壁にかかっているカレンダーに向けられている。
とっくに世の中は電子化だ。なのに弊社ときたらとブツブツ言いながらも得意先に配って回っているらしい彼の所属している企業名が印字されているカレンダーは、それでもちゃんと日毎にスペースが取られているから俺っちはお気に入りだ。キッチンにかけておいて、お互いの予定を書き込むのが密かな楽しみ。そういう日なんじゃね? って時にはハートマークにしちゃったりして。
さてどうしよう。どれだけ覗き込んでも今日がなんの日か思い当たらない。何かの記念日なら職業柄バッチリ把握しているこの俺っちが、だ。
「ごめん。さっぱりわかんねーや。なんかあったっけ?」
俺っちとは正反対に独歩はイベントごとというものをひどく忌み嫌う。世間に流されるのが嫌だとか、企業の戦略に俺は最後まで屈しないとか、彼がぶつぶつと呟いていたのは幾度となく聞いてきたけれど。
バレンタインとか、クリスマスとか。それこそ俺らがガキの頃から毎年繰り広げられているにも関わらず、諦めが悪い彼は今度こそ巻き込まれまいと薄い肩を丸めて街中を歩くのだ。そんなポーズを取りながらもささやかなプレゼントを毎年準備してくれるところがまた、彼らしいところでもあるのだけれど。
「今年も残り僅か。年末へのデッドレースが始まるんだ……」
記念日云々ではなく、単に今から始まる年末進行を憂いているらしい。俺っちもクリスマスは毎年死ぬほど忙しいから気持ちはわからんでもない。俺っちは肝臓、独歩は胃。互いに内臓へ絶大なる負担をかけながら新年へと向かっていく。
「もう年末かー。今年も早かったなァ」
「一気に忙しくなるわけじゃないんだよな。少しずつ、真綿で首を締められるようにいつも以上に業務が増えていって、気づいたらとんでもないことになってるんだよ。ただでさえ忙殺されているのに早めに休みに入る取引先やクリニックも多いから……」
「ちゃんとメシは食えよー? クリスマス近くなると俺っちもそこまで余裕なくなっからさ、悪ィけど」
どんなに忙しくても食事の準備だけはしておきたいところだが、さすがの俺っちもそこまで気が回らなくなることが多い。子どもじゃないんだから大丈夫だという独歩の言葉も尤もではあるのだが、仕事に追われるあまり自分のことを疎かにするタイプだと分かっているからこそ。
自分が家にいる時はいいのだ。どんなに忙しくても独歩はちゃんと帰ってくるから。けれど例えばバースデーだとか、今回のようにクリスマスだとか。大型イベントだったりグループ内での新店舗立ち上げだったりで俺っちが仕事に追われるようになると、途端に独歩はこのマンションに寄り付かなくなる。再会する度にコンビニのパンツが増えているのだ。どれだけ泊まり込んでいることやら。
「……心配すっから。約束してな」
そっと触れた頬はまだこけていない。腕を回した腰もまだ痩せ細ってはいないのを確認して力を込める。顔を埋めたシャツは同じ柔軟剤の香りがして、でも俺っちが着ているものとは少しだけ違う匂い。
「お前こそ。もう若くないんだからな」
「ひっでー! まだ肌もキープしてっし!」
「内臓は消耗品なんだよ……まあなんだ、飲みすぎないようにな」
お返しとばかりに髪を撫でてくる指先からじんわりと熱が移ってくる。
俺の年は明けそうもないだとか、仕事に殺されるとか。そんなことを言いながら息も絶え絶えに奔走しているくせに、クリスマスには必ず味噌汁を準備してくれている。それこそ帰る時間すら惜しいほど忙しさを極めている年末だというのに。小さなプレゼントの箱と、肝臓を労わるドリンク剤に独歩も日頃からお世話になっている胃薬が入ったビニル袋。それに加えて具が入っていたらラッキーな塩分多めの味噌汁。
二日酔いに苦しんでいた新人時代の俺を慮ってコンビニでインスタントのものを買ってきてくれた時から、毎年欠かさず準備されていた。しじみ入りのものを俺っちが接待でグロッキーだった独歩に作ってあげた時にいたく感動したらしく、苦手なのに頑張って作ってくれるのだ。しじみが入っていたことは一度もないけれど、塩気の多いあの味がふと恋しくなる時が今年もきっとある。
心配しているはずなのに、いつのまにか心配されている。それはきっと、長子として育った環境だけでなく、生まれ持った優しい性格もあるのだろう。
直接の言葉ではなくても、こうやって独歩に助けられてきたのだ。きっと彼は、気づいてもいないだろうけれど。