雨と坂道〖記憶列車〗〖尾戸町木葉〗
蝉のさんざめく夏の日だった。
私は一人、海辺を歩いて昔のことを思い出していた。遠い日の幼なじみのことを。
飛沫をあげる水、きらきら眩しい光、緑の影で心地良い風を感じて瞳を閉じる。…心の中にずうと居るはずなのに、もう、顔も浮かんでこない。
「あら、木葉ちゃんいらっしゃい。待ってて。今お茶を──」
「いいの、すぐ帰るから!」
「あ、ちょっと」
おばさん家に遊びに行くのが、最近の日課になっている。といっても私には親がいないので、ここが本当の実家のようなものだけれど。
(昨日なんかお泊まりして、朝までぶっ通しで遊んだもんね!)
浮かれながら駆け足で行き(ゆき)、居間の襖を開ける。ふわっと涼しい風がやってくる。古い扇風機がかたかたと音を鳴らす部屋には、気だるげに床に寝そべる少年がいた。
こちらを見るやいなや、面倒そうな顔をしてそそくさ逃げようとするので、しっかりと捕まえてやる。
「おわっ」
「ふーん、甘いな。きみの考えることなんてぜーんぶ丸わかりなんだよ」
「なんだよそれ」
「さっさと降参して私の話に付き合うことだな少年!」
少年は不服そうに眉をひそめる。その場に座りこみ、麦茶を飲み干して、私に目を向ける。
「それで、今日はどんな長話を?」
「長話って言うんじゃないよ。せっかくこの私が貴重な時間を割いて、きみに楽しいひとときをプレゼントしようとしてるのに」
「はいはい、うるさいな」
「かーっ、何その態度!年上を敬いなさいよガキンチョ!」
くだらないやりとりをして、少年にウザ絡みするのが好きだ。だってこんなにからかいがいのあるヤツ、他にいる?いないよね。
少年の隣にどすりと座る。あぐらをかき、せんべいを手に取る「そう、聞いて欲しい話があってさ」途中でばり、と噛み砕く。醤油が濃くて美味しい。
「それ俺のなんだけど」
「まぁまぁ、いいじゃない。で、覚えてる?この前、昔の友達のことを話したでしょ」
「………うん」
何か言いたげな顔でじろりと私を睨んでいるが、気にせずに続ける。
「夢に出てきてさ。列車に乗ってここに戻ってくるの。あの時みたいに木陰で寝っ転がってお喋りしてる、そんな夢。それって、私が友達に会いたいから出てくるんだよね」
少年は首を傾げて「まぁ、そうなんじゃないの」と曖昧に答える。私はそれに頷いた。「やっぱりそうよね。なら、ここにも来るはず」私が笑顔で言うと、少年が不思議な顔をする。
「どういうこと?」
「列車、本当に来ると思うんだ」
「はァ?頭おかしくなったの?」
両手でぐりぐりと、少年の頭を強くおしてやった。すぐ下で悲鳴をあげている。
「いててて、やめろよ!」「観念したかね。全くきみは礼儀がなってないんだから」立ち上がって縁側(えんがわ)に立つ。息を深く吸って吐いた。
「いつか、きっと来るよ。私は信じてる」
振り返って少年を見ると、怪訝そうに眉をひそめている。まあ分からないよね、きみには。淋しさに目を伏せて、それから微笑んだ。
「明日、目が覚めたら、そこはもう別の世界で…りっちゃんも きぃちゃんも、皆がいる空間で花火を見るんだ。列車は一日で消えちゃうから、その前に、駅長には、私の願いを叶えてもらわなくちゃ」
「顔も声も覚えてないけど、たしかに、いたんだよ。だから会わないと…ううん、絶対に会う。それ以外は認めないから」
「ね、姉ちゃん…?」
戸惑いながらおろおろと私を見上げる。怖がらせてしまっただろうか、孤独に不安を感じて声が低くなっていた。
「あぁ、ごめん。大丈夫」と眉を下げて笑う。木の葉がひとひら舞い落ちて、手のひらにさらりと触れた。ふと、空を見る。
いつの間にか、夏になっていた。
〇