願い綺麗だった。心奪われるくらい。
私はどうしてもそれが欲しくて堪らなくて、貴女のようになりたいと願って、ようやく手に入れる事ができた。なのに、どうして、周りの人は汚い物を見るような目でじっとりと睨みつけ、蔑むのだろう。
そうやって自分を肯定しないと全てが無意味のように感じて虚しくなる。だから、涙が込み上げないように、縋るように、星屑に願いを込めた。
⚪︎
パンケーキの甘い香りで目が覚めた。キッチンにはエプロンを身につけた愛らしい彼女がいる。後ろから抱きつくと、彼女は驚いた様子で振り返り、それから微笑んでくれる。
「おはよう、ヘカテ」
「おはよ!ねえ、ぜんぶ私の?食べていい?」
「もちろん。貴女とテミス、兄弟みんなの分よ」
「…そう」
不貞腐れて言うと、頭を撫でてくれた。「そう拗ねないで。苺を乗せてあげるから」と優しく話すから、私は笑顔で頷いた。
陽の光が差して、小鳥のさえずりが聞こえると、部屋から皆が出てきた。「ヘカテは早起きだね」と[ ]が言う。世間の長男はしっかりしていると聞くが、コレは寝ぐせがひどいしだらしない。呆れながら「貴方が遅いだけよ」と返した。
兄弟で小さなテーブルを囲み、バタートーストとトマトサラダを食べる。次男の[ ]は好き嫌いが多いので、トマトを皿から掬っては長男の[ ]に押し付けた。
「あっ、こら。ダメでしょう」
「ママ。こんな赤くて奇妙な丸を食べたら、泡を吹いて倒れちゃうよ」
「えっ!」
[ ]が口を押さえてごくりと喉を鳴らす。しまった、と言う顔で。
「嘘に決まってるでしょ。[ ]ってホント騙されやすいよね」
「な、なんだ。嘘かあ。[ ]、心臓に悪いからやめてよ」
「ふん」
[ ]はそっぽを向く。彼女はため息をつき、「喧嘩しない!」と怒った。拳の鉄槌を受け、二人が悲鳴を上げる。私は苺がたっぷり乗ったパンケーキを頬張ってそれを見つめていた。気になる事がひとつ。
「ねえ、テミスは?」
「それが部屋から出てこないのよね。何度も呼んだけど、ご飯は要らないって言うの」
「私、呼んでこようか」
「お願いできる?」
大好きな彼女に頼まれて、私は嬉しくなった。ご飯を全部平らげて、階段を駆け上がる。名前を呼んでノックをしたが、やはり出てこない。
(変だなあ)
昨日まであんなに元気だったのに。具合が悪くなったのかな。ぐるぐる考えながら扉を押すと、鍵が空いていることに気がつく。
「テミス?」
ぐったりと横たわっていた。慌てて顔に手を当てると、火傷しそうなほど熱かった。どうすればいいのか分からなくて、泣きながら彼女に縋りついた。
「テミスが死にませんように」と願った。宝石の木から、星屑が溢れるのが見えた。
⚪︎
結局、テミスは風邪を引いただけで、大きな病気ではなかった。私はそれを聞いてほっとする。
兄弟にうつらないように奥の部屋へ隔離したらしい。ひとりぼっちで寂しくないのだろうか。いや、きっと寂しいだろう。あとでこっそり会いに行こう。
お医者さんが彼女の肩を抱いて言う。
「安静にしていれば治りますよ。…少し話をしても?」
「ええ、分かりました」
「少し待っててね」と背中を押されて、部屋の外に出る。三人並んで話が終わるのを待っていた。扉に耳を当てても、微かに音が聞こえるだけだった。何やら深刻そうな顔をしている。
「僕が弱いから、助けられなかった。気づいてあげられなかった」
[ ]が俯いて呟く。「貴方のせいじゃない。それに、もう元気になったってレアさんが言ってたでしょ」と慰めても、首を振る。
「もう。めんどくさいなあ。[ ]も何か言ってよ」
いない。私は急いで走った。[ ]は奥の病室の前で突っ立っている。
「ちょっと、勝手に行かないでよね!」
「ヘカテ。ボク、帰らなきゃいけないんだ」
「何言ってるの。レアさんが来るまでは」
「そうじゃなくて。…ボク達、本当の家族じゃないから」
「は?」
何かが崩れる感覚だった。だらだらと汗が流れて、うるさいのは心臓の音だと気づいた。[ ]は真っ直ぐ、私を見る。まって、どういうこと?意味が分からない。
「やめて。そんなに私が嫌いなの?」
「好きとか嫌いとかそういう問題じゃない。とにかくボクはメイカイに行かなきゃ」
「メイカイって何。ねえ、話を聞いて」
手を払いのける。
「キミが嘘つきなのか、ママが嘘つきなのか、もう分かんないよ」
顔をくしゃりと歪ませて[ハ ス]は叫んだ。
気がつけば、私は病室のベットにいて、近くに鏡のカケラが落ちているのを見た。
「…あれ?」
夢だったのだろうか、そう思い、頬をつねってみると、ちゃんと痛みを感じる。全て鮮明だったのに、どうしてか名前を思い出せない。兄弟はいないはずなのに…
「ヘカテ、大丈夫?」
私にいるのは、たった一人の姉だけだ。
「うん。お姉ちゃん、私、どのくらい寝てた?」
抱きつかれたので、返事を聞くことはできなかった。
「…良かった」
啜り泣く声がしたから、何も言わずに抱きしめ返した。
疲れていたようで、すぐに眠ってしまった。呼吸をする彼女を見つめる。病室は暗くて不気味だから、好きじゃない。点滴の打たれた腕、動かせない両足、頭の中で鳴るノイズ。不安なものばかりが並んでいる。
息を吐いた。私も疲れているのだと思う。変な夢を見るくらいだから。それにしても。
「これは」
カケラを手に取り、じいと見つめる。私の顔が反射する。割れていること以外に変な所は見当たらない。
「ホント、なんなのかしら。片付けもしないで、私とお姉ちゃんが怪我したらどうするのよ」
近くにあった袋に投げ捨てた。粉々に砕ける音がすると、その中から悲鳴が聞こえて、私は猫のように飛び跳ねた。
「にゃッ!!」
「何のつもりだ、猫女。私を閉じ込める気か」
「お姉ちゃん、起きて。早く逃げましょう。やっぱり変よ。怪奇現象が起こる病室なのよ!」
「病人が逃げられるわけないだろ。落ち着け」
男にデコピンされる。
「いったぁ」
椅子にふんぞりかえり、まるでここが我が家というような態度をとる。なんなんだろ、この人。すっごく怪しい。
「あの、不審者さん。まさか鏡から現れた、なんておかしなこと言わないですよね」
「そうだと言ったら?」
「お姉ちゃん、どうしよう!私、ついにおかしくなっちゃったのかな!?」
「静かにしろ」
口を押さえつけられる。男はテーブルにある手土産のお菓子を勝手に食べた。
「…」言葉も出てこない。
「さて、本題に入ろう。キミに手伝ってほしいことがある」
「はあ…」
「こちら側に来てくれ」
?
「なにそれ」
「だから…こっちにいるキミが暴れてるんだ。迷惑だから止めてほしいんだよ。私の言ってること分かる?」
「いや全然分かんないけど。頭おかしいの?」
またデコピンされる。何なんだよコイツ!
「もー!分かったから、お姉ちゃんに何もしないなら行ってあげる!」
「よし」
彼は新しい鏡を取り出して、私の手を取った。顔だけ見れば王子様のようだが、やっていることはほぼ誘拐だ。しかも病人を。
「青い炎よ、我らを導きたまえ」
バチ、と火花が飛んで、辺りが炎に包まれた。「キャッ!?お姉ちゃん、危ない!」私は姉を抱きしめる。煙の匂いで目が覚めたのか、姉はうめき声をあげて立ち上がった。
「…え」
驚いて固まってしまう。
「おい、姉は巻き込むんじゃなかったんだろう。そのまま眠らせておけば良いものを」
「嫌よ。もう一人にしたくないもの」
「ヘカテ…?」
姉の腕を引いて、鏡へと近づく。わ、本当に入れた。水に触れているようで不思議な感覚だ。姉は混乱しながら「ねえ、どういう状況?」と眉をひそめる。「私にも分からないの…」と困った顔で返す。
「まあいい。人が多いに越した事はないからな。行くぞ、ヘカテ」
あれ、この人、何で私の名前を__________
⚪︎
眩しい光がさして、目を覚ます。そこはまるで別の世界…異国だった。真っ白な建物、青い屋根。水平線の見える広い海。ここ、絵本で見たことがある。
「ギリシャ…」
姉の手を握って、空を見上げた。頭上をカモメが飛んでいる。波の音、人々の声、全て鮮明に輝いて見える。
「綺麗だね、ヘカテ」
「姉さんは冷静すぎない?」
「お喋りしてる暇はないぞ。早く来い」
そう言って男は私と姉の手を掴んで、強引に船に乗せた。
「ちょっと、突然連れてきて…それに名乗りもしないで失礼じゃないの」
「ハァ…分かったよ。私はハデス」
「…それだけ?」
「何を求めているのか知らないが、必要以上の情報はやらないからな」
「感じ悪いなあ…」
ハデスに無視される。なんだコイツ、ほんとヤね。
「客室はこっちだ。二人で入ってくれ」
「ハデスは?」
「私には連れがいるからな。ぼっちではない」
「あっそ」
そんなんでドヤ顔しなくていいです。客室に入ってベットで横になる。振り回されて疲れてしまった。
「お姉ちゃんも寝よ。変なことばっかり起こるけど、きっと目が覚めたら現実に戻ってるはずよ」
「うーん…」
「お姉ちゃん?」
姉はハッとしてこちらを向き、微笑んだ。
「何でもないわ。ただちょっと、デジャヴだったから」
「デジャヴ…?」
「いえ、寝ましょうか。おやすみ、ヘカテ」
額にキスをされる。私達二人の、寝る時の挨拶だ。疲れていたからすぐ眠りにつけた。明日からはもう、こんなことごめんだ。
⚪︎
続きまた描きます!!