ナマモノ売りは慎重に 久楽間 潮とは、町でハンカチを落として「すみません、落としましたよ」と声を掛ければ、「触んないでくれない?」と嫌そうな顔を浮かべハンカチをもぎ取って去っていく素質を持つ(否、この表現は誇張であり、流石の潮でも「どーも」と嫌な顔をしながらもお礼を言ってくれる。余談だが、拾われたハンカチはごみ箱へ捨てられるまでがセットだ)。
そんな彼は人の感情を逆なですることを得意として、意図せず敵を作ってしまうタイプの人間であった。本人もその自覚があるため、極力人と関わらないようにしているが、生きているだけで他人との接触は生まれる。現に今も帰宅時に路地裏を通ろうとしたが、目の前で立ち往生する不良に「邪魔なんだけど」と脊髄反射で楯突いてしまうのだった。
「なんだテメエ。調子乗ってんのか?」
「別に乗ってないけど。第一、自分が調子乗ってるからそうやって言っちゃうんじゃないですか? まあこんな汚い路地裏でたむろするくらい、自分たちが汚れちゃってる自覚があるってことなんでしょうけど」
喧嘩も特に強くない潮にとって、この状況は不利なことに変わらない。自分で首を絞めてしまっている状況に、潮の脳内パンダは「君、ほんとう普通に喋れないの?」なんて呆れられてしまうほどだ。
わざわざ路地裏を通らずとも、帰り道の選択肢はいくらでもある。迂回すれば済むところに突っ込んでいったのは他でもない潮本人で、本人自身が一番この状況に呆れ果てている。
──ほんと、全部嫌になるよ。このまま死んだら家族の元に……ないね。死後の世界みたいな夢物語は都合良く作られた話だ。死んだら何も残らない。それに、むーちゃんとの約束だって、酸性雨先生の新作だってあるんだからまだ死ねないや。
苛立っている目の前の不良たちが、指をぽきぽきと鳴らしながら近づいてくる。漫画みたいな行動につい口元が引くつくが、笑えない状況なのは確かで緊張が走る。
ふと、不良たちの後ろで白い何かが揺れた。視力の弱い潮はそれが何なのか一向に分からなかったが、軽快な足音を立ててこちらへ向かってくるのはなんとなく分かり、更にその後に聞こえた台詞に「噓でしょ」と思わず声を漏らした。
「パーンチ」
「はっ? ヴおぁぐうぉァああああ!!」
「あ、兄貴ぃーーー!!!」
透き通ったように心地の良い声から緩く発せられるの同時に、潮の前にいた男はトラックに撥ねられたのかと思うくらい一瞬にしてぶっ飛んでいった。あまりに綺麗に十メートルほど弧を描いて飛んで行く姿に潮も目で追うが、男が地面へ落ちる前に誰かに抱えられて「ぴぎっ!?」と鳴き声を上げてそのまま一緒になって空へ飛んだ。
人気のない場所までパルクールの要領で駆け回り、ようやく落ち着くと幾成はお姫様抱っこで抱えていた潮をゆっくりと降ろした。下手なアトラクションより怖かったせいで潮の膝はがくがくと笑っており、抱えられている最中も下を見ないように目も瞑っていたので体はフラフラである。
これがもし幾成以外であれば、助けられた身だとしても罵倒は止まらなかっただろう。ただ潮は幾成に驚くほど甘く、怒ることも当然なく助けられたことを素直に感謝した。
それはそれとして、潮は今しがたやってしまった幾成の行動に若干冷や汗をかいていた。
「あ、畔川さんっ、アイドルなのに殴っちゃってよかったんですか……?」
今の彼はただのアンドロイド(違法)でも囚人でもなく、アイドルである。元囚人といえど暴力沙汰は避けなければならず、自分のせいで巻き込んでしまったことに潮は申し訳なさでいっぱいになった。
しかし、幾成は少しだけ口角を上げ自慢げに言ってみせた。
「アイドルとは、時折見せるギャップがスパイスになると千弥からお聞きしました」
「そ、うだけどそうじゃないっ」
優しすぎる潮のツッコミが、陽の傾いた空に響いた。
この後、妙に感じる視線から逃げながらHAMAハウスに戻った二人は揃って千弥たちの部屋へ向かい、主に潮が「ちょっと」と文句を言おうとするが「二人とも鬼バズってるよん♪」と出鼻をくじかれる。
向けられた液晶をとりあえず見てみると、そこには幾成にお姫様抱っこされている自分の姿(目を瞑りどうみても可愛い子ぶっている)が映っていて、やりようのない怒りに頭が痛くなるのだった。