頬に落ちる温かな水滴に視線をあげた。
その雫は静かに1滴、2滴と落ちてくる。
溢れるようなものでも流すようなものではない。雨戸いを伝い落ちていくような涙。
それが井田の涙だときづいたのは頬に落ちた雫が顎をつたい、首をつたっていってからだった。
「井田、泣いてんの…」
あの井田が。
10数年一緒にいるのに井田の涙を見たのはこれが初めてだった。
だから目の前の光景がまず信じられなかった。
「え?」
自分自身が涙を流したことにさえきづいてないのか、頬を拭った手をひっくり返しひたすら眺めている。
「ほんとだ」
気づいてなかったのかよ。
乱暴に拭われた涙の跡に手を寄せると条件反射のように井田の体が僅かに強ばった。
「なんでお前が泣くの」
優しく拭う後から後から雫はゆったりと繰り返し落ちてくる。速くも遅くもないスピードで、大きくも小さくもない形で。
「わからん」
止まらない雫は掌だけでは足りない気がしてベッド脇のティッシュに目をやった。
頬においた手は井田の手によってしっかりと掴まれてしまった。
強く握る手から汗が滲んでいる。小さな震えが掌越しに伝わって、握り返したくなった。
「…こんなふうに触りたくなかった」
喉からつっかえるようにして出た低い音が、今にも擦れそうなほどの危うさで耳に届く。
「…ごめん、もうしない」
手の甲を圧迫していた力が抜けていく。
手の甲に残った跡が井田の必死さを伝えていた。掌に残った雫の跡も、掠れるように消えた声も、全部、全部、井田の本心だった。
(なんで気づかないんだよ、俺)
のそり、と動いた体を引き留めたくて手首を握る。きっとこの手の甲に残った跡よりももっと強く赤くその印は残ってしまうだろう
「井田、ごめん…俺また自分のことしか考えてなかった。」
手首を引き寄せると頬に残った涙の跡を掌の代わりに舌で舐めとる。
目尻にキスをすると、しっかりとまっすぐこちらを見ている目と目が合う。
「はなれ、たくない」
言うまいと思っていたこと。
そんなこと思ってないと、自分の中で取り消していた言葉。
井田を困らせるからなんて尤もらしい言い訳つけて隠してたのは自分の幼すぎる心だ。
幼稚でわがままで浅はかな自分だ。
「井田といるのがもう普通になっちゃったんだよ。情けないけど、本当は全然自信ない。井田が寂しいって言った時に頑張れよって背中押してやれるのかって。俺が寂しくなってどうしようもなくなった時我慢できるのかなって…。でもさ、そんなん関係ないんだよ。大人なんだから寂しいとか寂しくないとかそんなこと言ってる場合じゃないだろ。寂しいって言っても転勤は消えないし、」
「でもさ、離れる日が近づくにつれわかったんだよ。井田が触るたびに、体が近づく度にどんどん寂しさの穴がここに増えてって…どうしようもなくなって…だから触るなって言った、したくないって言った…井田がどんな気持ちになるのかまで考えてなかった」
「勝手だよな、」