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    v_annno

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    v_annno

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    🔗🐑
    VSFパロ
    HITMANみのあるサイコパス隊長と資料室勤務のふーちゃん

     VSF本部を歩く時、サニーはいつも「すごく滑りやすそうな床だな」と考える。時代遅れのLEDをテカテカと跳ね返す、幾度の世紀を跨いで今なお現役のリノリウム床だ。フローリングやアスファルトと違い、取っ掛かりのない滑らかなそこはふとしたことで・・・・・・・簡単に歩き難くなってしまうだろう。
     みんなはそうは思わないのかな。お気に入りのブーツで床を蹴りながら、サニーは行き交う人間を何となく見回した。
     ふらふらと左右に揺れる金髪が、照明を跳ね返して眩く光る。それを煩がったのか、向かいからやって来た人間がこちらを睨んだ。サニーは相手の顔色など露とも知らず、「目が合ったな」とだけ思ってそちらに笑顔を向ける。日向ひなたに咲く花のような邪気のない笑みに気圧されて、睨んだ方が顔を逸らして逃げて行った。
     そのみっともない姿を、空色の瞳が映すことはない。彼の目は既に「Archives」としたためられたルームプレートに吸い寄せられている。
    「失礼しま~す」
     古ぼけた扉をノックし、返事を待たずに押し開ける。文句を言われるだなんて思いもしなかったし、思った通り文句を言う者などいない。瞬時にサニーへと向けられた幾つもの非難の視線は、VSFと銘打たれたプロテクターを見た途端そそくさと外される。
     組織の花形部隊の、しかも隊長であるサニー・ブリスコー。自前の金髪と同じだけ輝かしい、それが彼の肩書だった。
     特殊警察VSFは、インターネット上の犯罪を専門にした機関だ。しかし「たかだかネットの犯罪」などと言われた前時代と比べるべくもなく、その重要性、危険性は否応なく高まってしまっている。ハックやクラックは毎秒国家を襲い、政府の失墜をつけ狙う。開発されるウイルスや電子ドラッグの悪意は留まるところを知らず、それらを扱うネットマフィアや電脳宗教、テロリストの鎮圧においては多くの命が犠牲となった。サニーも、自分と同じだけ生き延びている隊員なんて見たことがない。
     それだけ危険で──それだけ目立ち、内外問わず人気が高い。対して相手は、署内で最も扱いの悪い資料室Archivesの職員。争いが起こる訳もないカードだった。
     彼らを馬鹿にするつもりはなかったが、邪魔をされないのは当然だとも感じている。俯く職員たちの醸し出す緊張感を一顧だにせず、サニーは比較的開けた道をゆっくりと進んでいった。
     1階と地下に居を構える資料室は、他部署と比較にならない部屋面積を誇っている。けれど広々とした印象は全く無く、雑然としていて狭苦しい感覚ばかりを抱かされる。天井近くまで伸び上がり、壁の殆どを埋め尽くす本棚がその一因だろう。そこには分厚い背表紙にびっしりと文字を書き込まれた、見るからに安っぽいファイルがたっぷりと詰め込まれている。その圧迫感の強い光景を見る度、サニーは前髪の下で眉間に皺を寄せてしまう。
     だが、そこから感じ取れるのは几帳面さと、仕事に対する誇りだけだ。真逆の雑然さを醸し出しているのは、壁際やカウンター裏、デスクの横に詰まれて山を作る段ボール箱の方である。
     元は直角だった筈の角は潰れ、哀れにひしゃげて草臥くたびれたボール紙の群れ。本棚の潔癖さとは裏腹の惨状は、当然だが資料室職員の仕業ではない。──ちょうど今、乱暴に扉を蹴り開けた奴。それと似たような輩が、何人も寄ってたかってやったことだった。
    「おい、しまっとけ‼」
     薄汚れた段ボール箱をカウンターに叩き付けながら、それに負けない横柄な怒声を上げる。心底嫌そうに、職員の一人がデスクから立ち上がった。
    「こちらに部署と名前、内容物の記載を」
    「見て分かんねえのかよ⁉ てめえで書いとけ、使えねえナードだな‼」
    「規則です。ご自分で記載をしてください」
     耳障りな声、カウンターを拳で叩く音。こらえた声色で、職員が再度告げる。
     これが、彼ら資料室職員の仕事なのだ。VSFが押収した証拠や作成した資料の整理、保存、管理、及び閲覧の手助けを行うこと。サイバー犯罪対策の大御所が、まさか能天気にそれらをクラウドコンピューティングできる訳もない。VSF本部資料室においては、全く古めかしいことに、時代に逆行した紙とペンによる情報管理が行われているのだ。
     ホログラムディスプレイが主流のこの現代、毎日デスクに齧り付いて手と服の袖をインクで汚す彼らが、仮にも仲間からどんな扱いを受けているのか。それは今この時を見れば、よくよく理解できるだろう。
    「うるっせえなあ座ってるだけのモヤシどもがよ‼ こっちはてめえらと違って忙しいんだ‼」
    「あんたの方がうるさいよ」
     振り返って声を掛ける。喧しい奴がサニーに向けて睨みを飛ばしたが、プロテクターを目にした瞬間に押し黙る。血走る目は、先程の資料室職員と同じように慌てて逸らされた。
    「どうもありがとう」
     黙ってくれた礼を言うが、いらえはない。こそこそとオフライン端末に情報を打ち込み、背中を丸めて扉から出て行った。ついぞサニーの日向の花のような笑みを見返すことはなかったが、別に気分を害することではない。流石に「彼」が居なければ舌打ちの一つもしたかもしれないが……目当ての男は、いつも通りきちんと奥の部屋に収まっていた。
    「Hi~,Archivist!」
     嬉しくなって挨拶をすれば、紙束やファイルを積み上げた一際大きなデスクの向こうから溜息が返される。うっそりと銀の頭が持ち上がり、長い前髪の合間を抜けて目が合った。淡く紫を滲ませた銀の目は、しかし少々不機嫌そうだ。
    「……まずは礼の意味を込めて挨拶を返してやる。よぉサニー、元気だったか?」
    「礼? 俺は何かお礼をされるようなことをしたっけ?」
    「お前にとっては大したことじゃないんだろうさ。だが俺は助かったよ。わざわざ喧嘩をしに出て行かなくて済んだんだからな」
     言いながら資料室の室長は、座ったままぐうっと伸び上がる。安いオフィスチェアの軋みに紛れて、背骨の鳴るいい音がした。それを耳聡く聞きながら、サニーは首を傾げる。何度記憶を探ってみても、思い当たる節がない。口をへの字に曲げて問い返した。
    「Archivist、さっきから何の話をしてるの?」
    「あぁ、それだそれ」
     黒ずんだ袖の先が、思い出したように天板を叩く。先ほど耳を汚した煩いものとは違う、硬い音が奏でられる。地味な制服の先から飛び出している、真っ赤な義手の立てる音だ。
    「サニー、俺は前から言ってるよな?」
    「…………うん? うん、何をだっけ?」
     硬質な手の音と、低音の中に金属的ないななきが混じる声にうつつを抜かしていた所為で反応が遅れた。にこりと笑えば半眼を寄越される。左目の周囲に入っている赤いタトゥーが、にわかに存在感を増した。
     サニーは、彼の持つ赤い色が以前から好きだった。銀の髪の下にある肌は白々として、銀のまなこの中心にある瞳孔も白い。どんな虹彩を持ち合わせていようが真っ黒な筈のそこを白濁させるのは、死後48時間が経過した遺体だけ。
     血の気を失くした死体の目に、心電図にも似た赤い三角波が走っている様が好きだった。まだ俺は生きているぞと性懲りもなく主張するかのような、真っ赤な血液の迸り。それはサニーの背筋をゾクゾクと粟立たせ、口の端をどうしようもなく吊り上げさせてくれる。
     まあ勿論、彼はきちんと生きているし、目はサイバネティックスを入れているだけだとは知っている。彼はサイボーグなのだ。
    「いいか、サニー。俺はお前と初めて会った時にちゃんと名乗った、そうだよな? だってのに何でお前は俺を役職で呼ぶ? 俺がArchivistだっていうならこの部屋にいる奴ら、お前を除いた全員がArchivistだ。呼び方の変更を要求する」
    「あぁ、それかあ。うん覚えてるよ、勿論」
     後付けの人工物を、実に人間臭く取り回しながらサイボーグはサニーを糾弾した。なるほど何度も聞いたことのある要求だ。時に迂遠な皮肉で、時に下品なスラングで、何度も何度も言われている。
     だが、現状その要求に応えようという気にはならない。サニーはいつもの、麗らかな日差しの如き笑顔で以てそれを跳ねのけた。
    「まあいいや。そんなことよりArchivist、また面白いアニメを教えてよ。長いやつだと嬉しいんだけど」
     ハアーッ。大きな溜息が返される。だがいつものことだ。彼は諦めるのがとても早い。
    「オーケイ、オーーーケイお前はそういう奴だ。知ってるよ。人が死ぬ作品がいいんだろ? ……しかし、長編か」
    「うん。次の任務先が遠くてさ。片道8時間くらい掛かるらしいんだよね」
    「おいサニー」
     へらりと堪えれば、銀瞳が紫色を強めて睨む。
    「どんな小さなことだろうと任務の情報をバラすな。どこで誰が聞き耳立ててるか分からん。特に、本部との連携が取りづらい場所へ行くなら猶更なおさらだ」
     こちらを突き刺す視線を、笑顔で見返す。視線は逸らされない。白い瞳孔は確かな意志と感情をもって、特殊部隊の隊長に刃を突き立てている。堪らずサニーは笑った。
    「あは! 心配してくれてるの、Archivist?」
     強く固定されていた瞳が、小刻みに揺れた。硬質な印象の細面が、思い切り不機嫌を露わにする。ぴったりと閉じ合された唇からは、犬の唸りじみた声が漏れ聞こえた。
    「……顔見知り程度だとしても死なれちゃ寝覚めが悪いだろ。せめて勧めたアニメの感想くらいは言いに帰って来い」
    「勿論そのつもりだよ。ここで撃ったってあっちで撃ったって、弾の強さは変わらないから安心して」
    「それは……そう、だろうが……」
     いよいよ眉根は強く寄せられ、視線もとうとう外れてしまう。それが酷く惜しく感じられて、サニーは急かしてしまった。
    「ねえ、早く教えて? そろそろ行かないと怒られちゃう」
    「あ、あぁ、そうだな、すまん。少し待って……」
     バン、と酷い音が鳴った。感情に揺れる低音が、突然の騒音に途切れてしまう。肩越しにちらと振り返れば、謝罪もなく資料室を闊歩する人影が目に入った。サニーが身に付けているのと同じVSFと刻まれたプロテクターが、ずかずかとこちらに近付いて来る。
    「隊長ッ‼ まもなく作戦時刻ですッ‼ こんな所に居る場合では、」
    「こんな所とは随分な言い草だな。どうやら君の所の隊長は、部下の躾も出来ないらしい」
    「なんだとッ‼ 貴様ッ、資料室の分際でッ‼」
     フルフェイスのヘルメットから、気色ばんだ声がくぐもって響く。おやと思い、怒鳴りつけられた方に視線を戻す。喧嘩っ早い性質の資料室室長は、素知らぬ顔で紙にペンを走らせていた。きっとアニメの題名だろう。待ちきれなくなって覗き込むが、赤い指先に追っ払われてしまった。
    「ブリスコー隊長、君の所の仔犬パピーがうるさくてかなわん。躾が出来ないのならリードに繋いで所定の場所に待機させておいてくれ」
    「ん? あぁ、ごめんね。まだ入ったばっかりだから、大目に見てやって欲しいな」
     サニーがおざなりに口を開けば、背後の仔犬も渋々黙る。赤い義手はさらさらと文字をしたためた紙を破り、爪弾くようにデスクの上を滑らせた。
    「ご依頼のものだ。それを持ってとっとと仕事に戻れ。幸運を祈る」
    「どうもありがとう」
     くるりと回転する紙片を取り上げて礼を言う。筆圧に潰れた紙の凹凸を指先で弄んでいれば、サイボーグによる喧嘩用の澄まし面が僅かに歪んだ。皮肉を吐いていた唇が、粘膜を掠めるようにして動く。
    「……さっき俺が言ったことを忘れるなよ、サニー」
    「え? どれのこと?」
     まったく分からず尋ねるが、返ってくるのは「さっさと行け」とばかりに振られる真っ赤な指先だけだ。後ろから部下にも急かされ、仕方なくサニーは踵を返した。
     ドアまでの道すがら、俯く職員たちの窃視を感じ取る。「邪魔してごめんね」と微笑んでみせれば、陽の光を嫌う虫のようにさっと視線が逃げて行った。サニーはそれらに頓着しない。輝く頭が考えるのは、たった一つのことだけだ。
     古ぼけたドアを潜って廊下に出た後は、部下が何やら騒がしく話し掛けてきた。すべて耳から抜けていくだけの音に、適当な相槌を打っても何ら気付いた様子はない。半ば自動的に返事をしながら、空色の瞳は手の中の紙だけを見つめていた。
     頼りない素材に走る文字は、常日頃から自分の手で物を書く者らしい読み易さと、人間臭い癖が見て取れる。端末から投げかけられるフォントに慣れた目には、それらがとても特別なものに感じられた。
     書かれた文字を端末に記録すれば、シリアルバーの包み紙と同じようにゴミになる。一般的な常識に照らし合わせれば、部下の繰り言に付き合う方がよっぽど後の為になるだろう。
     けれど外界のすべてを棄ておいて、サニーはそんな紙切れ一つをただただじぃっと見つめていた。



    Peopleぴぽ、そこにいるの?」
     がらんとした倉庫に、甘ったるい声が響く。何ら後ろ暗い所のない企業だと偽装するため、置かれただけの大きな空箱。そこには「倉庫」としての機能を果たさせてくれるようなものはなく、捨てる手間を嫌った粗大ゴミばかりがある。照明器具に繋がるケーブルもとっくに朽ちて、スイッチを押した所で無駄な時間を浪費するだけだろう。ここを捜査する者も、何くれと理由を付けて捨て置きそうな場所だった。
     けれどサニーは、そこに喜んで足を踏み入れる。彼の欲しいものは、その中にあるからだ。
    Peopleぴ~ぽぅ~、出ておいで~?」
     子どもかペットにでも話し掛けるような、甘く優しい声色。けれどその足取りは荒く、安心させようという気遣いは全く以て見られない。その差異に当てられたのだろう、暗闇の中に隠れ潜んでいる者の息遣いがどんどん荒くなっていく。センサーなど使わずとも、サニーには居所が知れていた。
     敢えて無言で近付き、薄汚れた本棚を蹴り倒す。水気を含んで歪んだ人工木材のそれは軽い。勢い良く床に叩き付けられ、バラバラになって砕け散る。天井一杯に響き渡る騒音。隠れていた人間がとうとう悲鳴を上げた。
    「Hi~,People~♡」
     腰を抜かして後退りする人間に、サニーは笑って挨拶をする。光のない廃墟の中であっても、その笑顔は陽の光をたっぷり浴びた花のように清廉だった──この拠点を強襲し、並居るテロリストを皆殺しにして来たとは思えない程に。
     テロ組織に属しているとはいえ、恰好や行動を見るに非戦闘員なのだろう。恐慌を起こして叫びながら、無様に四肢を振り回している。何とか立ち上がってこちらに背を向けるも、足取りはヨチヨチ歩きとしか言いようのないものだ。
     空色の瞳はしばらくそれを眺めていたが、突然ハンドガンでその腿を撃ち抜いた。今思いついたとしか考えられないような唐突さだった。ギャッと叫んで倒れたテロリストも、何をされたか分からなかったに違いない。血と硝煙の臭いが遅れて広がり、埃臭さを際立たせた。
     薄白く汚れた床に足跡を刻みながら、サニーは敵に近付いて行く。もっと叫ぶかと思いきや、ショックと痛みが強過ぎたらしく過呼吸を起こしているようだった。かひゅうかひゅうと喘鳴する背中へ、人を踏みつけるのに特化したお気に入りのブーツを乗せる。そしてそのまま、片手に下げていた銃の引き金を絞った。
     音を立てるトリガー、壊れた笛の音のような悲鳴。けれどそれでおしまいだ。
    「ありゃ?」
     金の頭を傾けて、サニーは間の抜けた声を漏らす。引き鉄を弾いたが銃弾は発射されない。弾切れだ。
    「あちゃー、かっこつかないなあ」
     腰回りのポーチをパタパタと叩いてみるが、替えのマガジンはとっくに無い。仕方なく、ハンドガンをホルスターに突っ込んだ。溜息を吐きながら傍らの棚に手を伸ばし、放置されていた錆びだらけのハンマーを手に取る。見た目は悪いが、ずっしりとした良いハンマーだ。しばらく矯めつ眇めつしてから、サニーは振りかぶってそれを敵の後頭部へ叩き込んだ。
    「よし、これで最後かな」
     生温かい死体から足を下し、ぐるりと肩を回す。今回の任務は当該施設にたむろするテロリスト共の殲滅だ。
     国家プロジェクトである国民総電脳化政策を奴らに頓挫させられてから、上の寄越す指令オーダーは年々過激さを増していた。明らかにやり過ぎだと眉を顰める者もいるが、サニーとしては大変やりやすくて助かっている。誰を殺し、誰を生かすかを考えながら事に当たるなんて面倒臭くて仕方がない。躊躇なく人を殺せるという一点のみで特殊部隊に召致された身としては、自身の特性を最大限活かせる仕事内容だった。
     倉庫を出、本館への通路を歩きながら鼻歌を歌う。ここに来るまで輸送機の中で何度も聴いた、アニメのテーマソングだ。サニーは人生における退屈な時間を減らしてくれるこの娯楽が大好きだ。
     リズムを刻む足の下で、不意にバキンと硬いものの潰れる音がした。ちらと視線をやれば、それは少し前にグレネードでバラバラにしてやったサイボーグの腕だった。“生肉”から噴き出した血液か、それともオイルか何かが鉄くずを赤黒く染めている。
     それを目にしたサニーの思考回路が、別方向へとシフトする。考えるのは、大好きな娯楽の情報を教えてくれる、あの銀髪のサイボーグのことだ。
     彼の“後付け部品”について訊いたのは、確か初めて会話した時。両目はバイオケミカル、毛髪は人工繊維。首には呼吸器とインターフェイス。両腕に加えて両脚も交換されていて、それらを制御するために背骨もサイバネティックスに交換されているらしい。“生肉”はほとんど胴体部トルソーにしか残っていないのだと言っていた。
     そこから察するに、彼の戦闘能力は決して低くない。娼婦用の、安価でイリーガルなサイバネでさえ完全生肉の人間を圧倒できるのだ。戦闘用でないにしろ、メーカー正規品で身を固めた彼が弱い訳がない。特殊部隊の中に入っていても不思議ではない筈だ。実際、サニーの部下にもサイボーグはいる。資料室勤めをなどするよりずっと給金も良いし、隊員特価でもっと性能の良いサイバネに換装することも出来る。本部からの評価だって変わるだろう。
     だというのに、彼は好き好んで、あの狭苦しい部屋の奥に半機械の体を潜ませている。非協力的な連中を口でやり込めながらリストを作り、地下の資料倉庫では媒体に沿った保存方法を指揮し、部下たちに声を掛けてはストレスを発散させてやっている。
    「不思議だなあ」
     歩みを止めないまま、歌うように呟く。これまでの人生、サニーは苦も無く出来ることだけを仕事にしてきた。今この時ですらそうだ。定められた場所で動くものを潰す作業を、サニーはとても気に入っている。だから、出来るというだけで仕事を選ばないあのArchivistがとても不思議で、嫌がられながらもそう呼ぶことを止められない。そうすれば、彼のことをもっと知れるような気がして。
     とても不思議だ。サニーは今までそんなこと、人間Peopleにしたことはなかったのに。
    「隊長ーッ‼」
     呼ばれて、ふと顔を上げる。気付けばとっくに本館の中へと戻って来ていた。時代遅れのLEDに、リノリウムの床。VSF本部とよく似た施設は、弾痕と凝固し始めた血溜まりに塗れている。
     危ない危ない。血糊で足を滑らせたりしたら、取っ掛かりのないリノリウムではそのまま引っ繰り返ってしまう。そんな間抜けな怪我をしたら、アニメの感想を伝えに行った席で酷く馬鹿にされるだろう。
     ……いや、また叱られるか、心配されるのかな?
     内心首を傾げていると、小銃を抱えた部下が足音を立てて走り寄って来た。どうやら激戦を繰り広げていたらしい。プロテクターには破損が見られ、ヘルメットのバイザーには穴が空いており裸眼がサニーを映している。メディカルキットを使用した形跡も見られた。
    「ご無事で何よりです、隊長ッ‼」
    「あぁ。こちらの状況は?」
     満身創痍の部下を労うことなく、サニーは淡々と報告をさせる。「把握しとかないと怒られる」という消極的な意識から出た指令に、部下は悲壮な声で応答した。
    「……っ、強襲部隊の生き残りは……貴方と自分のみです、隊長」
     まるでアニメの登場人物みたいな喋り方だな。場違いな感想を胸の内で呟き、口からは「そうか」とだけ吐き出す。これで面目は保てただろうと勝手に判断して、止めた歩みを再開する。
    「た、隊長?」
    「後のことは後続部隊の仕事だ。俺達は撤収しよう」
     まだ話足りないのか、狼狽えた声を上げる部下に泰然と言い捨てる。足は一切止めない。サニーの意識はとっくのとうに、帰りの輸送機で見るアニメの続きに向けられていた。
     迷いのない足取りに、遅れて乱れた足音が追いかけてくる。白々しい灯りが戦闘の傷痕を照らす廊下に、しばし噛み合わないステップだけが跳ね返る。
    「……隊長は、凄いですね」
     それに飽きたのか、部下がおしゃべりを始めた。サニーは適当に相槌を打つ。
    「へえ、そう思うのか」
    「勿論です、こんな、こんなに沢山の人が死ぬ任務……自分なんかより、ずっと練度の高い先輩が、簡単に死んじまうような任務に、隊長自ら出てきてくれる。すごく、勇気が貰えるんです」
     はあ、そう。溜息みたいな返事は聞き取って貰えなかったらしい。サニーにしてみれば、それしか出来ない、それが好きで堪らないからやっている仕事でしかない。それを随分と過大評価してくれるものだ。半笑いに口の端を引っ張られる。背後の一人語りは、更に熱を帯びていった。
    「生身の体でこんな危険な任務を率先して受けて、しかも毎回生きて帰って来る。貴方はVSFの、我が国の英雄だ。貴方以上に信頼できる人はいません。あのサイバネ野郎に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいですよ」
    「……あの、サイバネ野郎?」
     妙に、喉の引っ掛かる声が出た。背後の熱は上がるばかりだ。
    「あの資料室のサイボーグですよ! あれだけ体を弄繰り回してる癖に、あんな時代遅れの部署に引き籠ってるビビリ野郎! 生身よりずっと頑丈だってのに、ご自慢のサイバネが泣いてますよ。どうせ痛いのが怖くて前線に出て来れねえんだ‼」
     あぁ。
     こいつ仔犬パピーか。
     ようやく、この生き残りが資料室まで迎えに来ていた部下だと思い至る。サニーは足を止めて、半身振り返った。割れたバイザーの向こう側で、片目がきょとんと丸くなる。
     それを見ながら、サニーは笑った。太陽の恩恵をたっぷり受けた野の花のように、明るく笑って──ホルスターからハンドガンを抜く。
    「まだ生き残りがいたみたいだ」
    「っ⁉ 本当ですか⁉ 自分が見てきます、隊長はここで……」
     肩から下げた小銃のグリップを握り直し、今にも飛び出そうとしていた仔犬がぴたりと動きを止める。まっすぐ己に向けられた、ハンドガンを目にした為だ。
     灰色の虹彩の中で、真っ黒な瞳孔が広がった。
    「た、たい、ちょう……? な、なに、なにを……」
    「止まれ。動くなよ」
     震え上がり、後退りし始めた足に命令を下す。馬鹿正直に止まる仔犬へ、サニーはへらりと笑いかけた。
    「お前がそこに立っててくれれば、相手にバレずに撃てそうなんだ。絶対に動くなよ。お前が動きさえしなければ、メットを掠める程度で済ませられるんだからさ」
     優しく言い添えてやるが、いつもの打てば鳴るような良いお返事はない。何やら弱々しい声を、もごもご漏らすばっかりだ。サニーは再び口を開く。
    「返事はどうした? 俺以上に信頼できる奴なんかいないんだろう?」
    「は……は、は……い……っ。じぶん、は……た、た、た、たい、ちょうを、しん、しんじ、しんじ、て……っ」
     その信じている隊長に、真っ直ぐ眉間を狙われていることくらい分かっているだろうに。愚直に立ち竦むその体は見て分かるほどにガタガタと震え、バイザーの穴から覗く目からは滂沱の涙が垂れ落ちている。体はとっくにサニーのおかしさに気付いているのに、馬鹿な頭が邪魔をしているのだ。
     間抜けな奴。
     胸中に吐き捨てた言葉には何の感情も宿らず、指先は軽やかに引き鉄を絞った。
    「BANG!」
     瞬間、部下の体が崩れ落ちた。勿論、撃たれたからではない。サニーのハンドガンに銃弾は残っていないからだ。
    「あはははははは!」
     死を前にした緊張感から解放された仔犬に向けて、高らかに笑う。まるで友人を驚かせて喜ぶような、無邪気な声を上げて笑う。廊下に頽れた両足の間から、臭う液体が溢れ出した。
    「あー面白れえ。嘘だよ嘘、生き残りなんていねえから安心しろよ~」
     声も出せない人間を視界に映すことなく、ホルスターに銃を戻す。日向の笑みを浮かべたまま。
    「輸送機に乗る前にパンツ替えとけよ。じゃあね~」
     返事はない。聞く気もない。等閑なおざりに片手を振って、サニーは帰営の足取りを再開させた。
     ついてくる足音がなくとも気にしない。それでおしまいだった。



    「Hi~,Archivist~」
     声を掛ければ、いつも通りに紙とインクと格闘していた顔が上がる。
     長い前髪の下から現れた、銀の瞳と白い瞳孔がハッとみはられた。短めの睫毛が羽ばたき、淡くにじむ紫を見え隠れさせる。万華鏡を覗き込むような心地でそれを眺めていたサニーに、随分長い間を開けてから低い声が返された。
    「……帰ってこれたのか」
    「もちろん。アニメの感想を言うって約束したでしょ?」
    「あぁ、そう、そうだったな」
     出立前に交わした約束を口に出せば、硬質な細面がほっと緩んだ。
    「お前にしちゃ随分と殊勝じゃないか、サニー。おかえりと言ってやろう」
    「うん、ただいま」
     資料室室長のご機嫌も、随分と麗しいようだ。いつもなら二言目には飛んで来る「役職名で呼ぶな」という文句もない。やっぱり約束を守ったのが良かったんだろうなと、サニーは陽だまりにいるような顔をして笑った。
     けれどサイボーグは、瞼を下げてそのバイオケミカルアイを隠してしまう。表情も、明るいものではなさそうだ。薄い唇が開き、吐息混じりの声を漏らす。
    「……激戦だったって聞いたからな。お前が無事で良かったよ」
     そうかな。いつも通りだよ。別に大したことなかったけどな。
     そういったことを返そうとした口は、無意味に開かれたまま終ぞ言葉を吐き出さなかった。何かが喉に詰まったような感覚を覚えて、困惑したまま何も言わずに口を閉じる。
     そう、いつも通りの大した事のない任務だった筈だ。部下が死ぬことも、たとえ生き残ってもPTSDトラウマを抱えて部隊に戻って来なくなることも、珍しいことでは全くない。何一つ心を揺さぶられることのない、いつもの仕事だったのに。
     じっと見つめる視線の先で、赤い指先がペンを弄んでいる。
    「あの若いのも、部隊を離れたんだろう? 命があるだけまだマシだが……残念、だったな」
     ふっ、と義手から顔を上げる。白いおもてはまだ俯いている。どう言ったものかと迷う口振りで話しているのが、あの仔犬パピーのことだと不意に気付いた。
     瞬間、妙に気分が悪くなる。サニーは感情の赴くまま、銀色の目が映す視界に自身の手を割り込ませた。
     天板に置いた勢いに、デスクが僅かに振動する。ギョッとしたように銀の頭が振り仰いだ。白い瞳孔が収縮する。間近で覗き込むサニーの顔が、影を作った所為だろう。
    「サニー?」
    「ねえArchivist、名前を教えてよ」
    「はあ⁉」
     仰け反り逃れようとする顔を、首根っこ掴んで引き戻す。滑らかな膚と機械の境目を指先でなぞれば、鳥肌がふつふつと立っていくのが指の腹に触れた。顰めた白い目元に、さっと朱が走る。
    「……おい、変な触り方をするな」
    「変な触り方? 何のこと?」
    「この……!」
     罵詈雑言を吐こうとして声にならず、開閉するばかりの唇が酷く近い。ついばんでみたくもあったけれど、今回は喋らせるのが目的だ。塞いでしまったら意味がない。それを忘れてしまう前にと、サニーはサイボーグを急かした。
    「Archivist、アンタの名前を教えてよ」
    「とっくに教えただろうが!」
    「もう忘れちゃったから聞いてるんだよ。今度は忘れないように、渾名あだななんかもあったら教えて欲しいな」
     舌打ち、短い幾つかの罵倒。けれど彼は諦めるのが早い。紫色を強めた銀瞳がじろりとサニーを見据えたあと、ふいっと顔を逸らす。そして溜息交じりに情報を吐いた。
    「……ファルガー。ファルガー・オーヴィド。友人の中には、ふーちゃんって呼んで来る奴もいるな」
     ファルガー、ふーちゃん。与えられたそれを頭の中で復唱してから、舌に乗せて音にする。
    「ふーちゃん」
     顔を逸らされていた所為で、それは形の良い耳を擽ったらしい。指に触れる鳥肌の数が増えたと思ったら、サイボーグアームに腕を捻りあげられていた。
    「休暇を病院で過ごしたいのか、My Sunshine?」
    「うーん、ご遠慮したいかな」
    「ならとっとと出ていけ。俺はまだ仕事で忙しい」
    「まだアニメの感想を言ってないけど」
    「後でな‼」
     掴んだ腕を放り捨てられ追っ払われる。サニーはそれに逆らわず、少し痺れる手を振って奥の部屋を後にした。
     戦々恐々集められていた職員たちの視線が、輝く金髪が現れるのと同時に慌てて散っていく。普段なら一瞥くらいはしていくのだが、今日はそれどころじゃない。古ぼけた扉を静かに閉めて、破顔する。
    「あはっ、デートの約束しちゃった!」
     浮かれた調子で、サニーはVSF本部の廊下に足を踏み出す。揺れる眩い金髪の下は、いつもと同じ日向に咲く花のようだった。
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