おぼめぽ回 4周目開始編目の前を歩く、自分よりも背の低い女の後ろ頭をじっと見る。長い三つ編みが左右に揺れている。
「ユーリ」
そう声を掛けると女は振り返った。
「はい。なんでしょう、覚者様」
「ずっと歩き通しだろ。疲れてないか?」
「まだ大丈夫ですよ」
そっけなく答えた。そっけないだけでなく、凛々しい眉と吊り目で俺を見るものだから出会って初日は怒っているか嫌われているのかと思っていたが、どうもそれが彼女のデフォルトらしい。
「そうか……」
会話が終わってしまい、ユーリと名付けたポーンはまた前を向いて歩き始めた。俺はその後をついて行く。
どうやら俺は記憶を失っているらしく、頭の中に残っているものと言ったら生活する上での一般的な事と自分の名前くらいだ。会話の引き出しが少なすぎる。とりあえず目についた物や思いついた事をネタに話しかけてみるが、少し話したくらいで会話が終わってしまう。
林に差し掛かり、緑のにおいが濃くなる。落ち葉を踏む音を聞きながら黙々と歩いていると、ユーリは振り向かずに俺に話しかけて来た。
「覚者様。少し考えていたのですが」
「ん?」
「もしかして、覚者様はお疲れ様なのですか?」
歩きながら首だけこちらに向けた。
「この地図によるともう少しで林を抜けるので、休憩に適している場所があればそこで一息つきましょう。それまで辛抱してください」
彼女は手にしている地図を俺に向け、木々が描かれていない部分を指を差した。
「あ、いや……」
まだ大丈夫、と言い掛けて俺は口をつぐんだ。早く街に行ってベッドで寝たいというのが本音だが、こうやって彼女への対応がよくわからないまま後回しにするよりは、ちょっと歩み寄ってみた方がいいのかも知れない。
「……そうだな。もし日が傾いて来ていたらそこで野営しよう。食べられる茸や山菜なんかの知識があれば教えて欲しいんだが……」
と言うと、彼女はフフ、と不敵に笑った。
「お任せください! 私はある程度の知識を持っていますよ」
***
「覚者様、右です!」
「うおおおッ!」
木々の間から狼達が駆けてくる。噛み付かんと飛びかかって来た狼の口に剣を叩き込み、振り抜いた勢いで次の狼を斬りつける。
「きゃいん!」
獣の悲鳴を聞きながら横目でポーンの……ユーリの様子を見る。彼女が杖を構えているのが一瞬見えた。
「しっつこいな!」
「覚者様、二歩お下がり下さい!」
後ろから聞こえた声に俺は二歩下がった。然程間を置かず辺りの気温が急に下がり、ユーリは杖の先で地面を抉り、「せやぁ!」と言う掛け声と共に天に向かって杖を振り上げたと同時に、大きな音を立てて巨大な氷柱が土と落ち葉を巻き上げて現れた。氷柱により狼達は宙に舞い上がり、数秒後にボトボトと落ちて来た。
ほんの数秒前までは俺達の叫び声と狼の鳴き声が響き渡っていたはずなのに、氷の一撃か、あるいは落下した際の衝撃で即死または致命的なダメージを負った様で、その場は数匹の狼がか細い声をあげながらピクピクと四肢を振るわせ、俺が肩で息をする声と風で揺れる木々の音だけになった。
「覚者様、お怪我はありませんか」
とユーリが杖を背中に背負いながら俺に近付いてきた。
「あ、ああ。なんとか」
そう言いながら先程まで俺がいた所に目を向ける。氷の発生源からそう遠くない位置で小さな氷柱……と言っても俺の膝くらいの高さのものが生えていた。下がっていなければ狼達の様に宙を舞わなくても俺の脚が大変な事になっていたであろう事は容易く想像出来て少し鳥肌が立った。
「リーダー格の狼は倒したので大丈夫でしょうが、数匹程逃しているので警戒はした方が良さそうですね。ゴブリンがいる痕跡もありますから」
とユーリは林の奥の方をじっと見ていたが、俺の方に向き直った。
「それにしても覚者様、先程は良い太刀筋でした」
と拳を差し出してきた。そのままじっとしている。一瞬意味がわからなかったが、俺も同じ様に拳を差し出すと、ユーリは軽く拳をぶつけてきて、彼女はほんの少しだけ笑った。……合っててよかった。もし違っていて、冷めた視線を向けられていたら穴を掘って埋まりたくなっていたかもしれない。
***
「この茸は食べない方が無難でしょう」
「毒茸なのか?」
木の幹に生えている茸を指差しながらユーリが言った。
「いえ、断言出来ないのです。この見た目の茸は食用と毒を含むものがあり、両者ともとてもよく似ています。……ああ、私が食べれば早いですね」
と茸に手を伸ばそうとするから慌てて彼女の手首を掴んだ。
「い、いや、いい。別のものにしよう。お前が死んだら困るし……」
「ポーンは死にませんよ」
ごく当然の事の様に言う。
「そうだとしても俺の為に体を張って体調を崩してる所は見たくない」
そう言うと、ユーリは眉間に皺を寄せて
「そうですか? ……わかりました。覚者様がそう仰るのであれば……」
と手を引っ込めた。納得してはいなさそうだが、とりあえず思いとどまってくれてよかった。いくら不死と言われてもヒトの形をしているのだから、苦しみでもしたら気持ちの良いものではないだろう。なにより、手持ちの解毒剤の数も心許無い。(というかこの薬は茸毒にも効くのだろうか?)
ふと、彼女と目が合った。
「覚者様は優しい方なんですね」
無表情のままそう言われた。一応、褒めてくれてるのだろう。
「君は俺の相棒なんだろ? あんまり覚者がどうとかの実感は無いが……気にかけはするさ」
「そうですか。ありがとうございます」
彼女は軽く頭を下げた。
焚き火の跡を見つけた俺達は、日が傾き始めている事もあり、そこで休む事にした。乾いていそうな木の枝を集め、ユーリの魔法で火を付ける。
「魔法って便利だな」
「覚者は魔法は使用されないのですか?」
「どうだろう。魔法の使い方も何も覚えていないからな……」
「そうでしたか。申し訳ありません」
無言。パチパチと爆ぜる焚き火で肉や茸を焼いている。その内、香ばしい匂いが漂ってきたから茸を一つ取る。いくらか焦げているのだから流石に火が通ったに違いない。
「いただきます。……熱ッ」
ふうふうと息を吹き掛けながら少しずつ食べる。独特の風味と芳香が口の中に広がる。特に味付けをしている訳ではないが美味い。
ふと、視線を感じてそちらを見るとユーリが俺の方を見ていた。あまりの目力に食べ辛い、と思った。
「ええと……大丈夫だ。ちゃんと美味しいよ」
「それはよかったです」
「…………」
本当にジッと見てくる。
「君も食べていいんだぞ?」
「大丈夫ですよ。食事はポーンには必須ではありませんから」
「それならなんでそんなに見てくるんだ……」
「深い意味は無いのですが……」
顎に手を当てて考える様な素振りをし、彼女は俺ではなく焚き火の方を見ていたが十数秒後に俺の顔を見た。
「そうですね、覚者様の行動に様子に興味があります。まだ、どういう方なのかよく知りませんから」
「じゃあ、これ」
焼いていた肉と茸を一つずつ皿に取ると彼女に差し出した。ユーリはそれを受け取ったものの、目を軽く見開いてキョトンとしている。
「君の分だ。『必須じゃない』って事は一応食べられはするんだろう?」
「そうですが、覚者様が食べる分が減ってしまいますよ」
「じっと見てられる方が気になるから」
ユーリは皿に乗せられたものをしげしげと眺めると、肉を冷ましてから口の中に入れた。
「…………」
「…………」
しばらく咀嚼をしていたが、ごくり、と飲み込んだ。そして茸も同じ様に食べる。
「……なるほど、こういう味がするんですね。美味しいです」
そう言いながら彼女は焦げる前にと俺の皿によけた食材に目を向ける。
「もう少し食うか?」
「いえ、大丈夫です」
断りはしたものの、俺が食べ終えるまでじっと見ているものだから残りの半分を分け合って食べた。
この野営具には食器は一人分しか入っていなかった。街についたらもう一組買わないとな、と思った。