振り返った輝ニが大声を出し、不安げに揺れる瞳から大粒の涙が溢れ落ちたのをみて、拓也は失言を繰り返してたことをようやく悟った。
遡ること数時間前、時刻は16時過ぎ。着替えのカバンを肩にかけた輝ニが拓也の住むマンション下で佇んでいた。家を出るとき送ったメッセージは既読になっているから、どれくらいで到着するかわかっているはずなのに出迎えはなかった。輝ニ自身気にする質ではないがさすがに返せよと、着いたことを知らせた未読のままの文字を撫でた。「今日、家に誰もいないから」と誘ってきたのは拓也の方だ。まだ高校生の身分で行けるとこは限られてくるのでこういう申し出はありがたい。そういうことを拓也とやることにはやる気持ちを胸にひめ、エントランスでインターホンを鳴らした。
玄関先で呼び鈴を鳴らすと、上裸で緩いズボンを履いた拓也が扉を開ける。
「っ、おい…さすがにその格好は…」
「べつにいいだろ〜?あちーんだって」
呼び鈴を鳴らしたのが輝ニだとわかっていたからだが、万が一隣人や業者等だったらどうするんだ、確認ぐらいしろとため息をついた。内心「今日はヤるんだろうな」という心持ちでいたため、同性だとしても目のやり場に困るっていうのも理由の一つだ。
「なんで既読つけなかったんだよ」
「え?あ、ほんとだ…気づかなかった…」
自室へとペタペタ裸足で歩きながらスマホを確認する拓也。常にマナーモードにしている輝ニの端末とは違って通知音がなるはずなのに、タイミングでも悪かったのかと思考を巡らせる。
「わりーわりー!クラスの奴に借りたのすっかり忘れててさ〜没頭してたんだわ」
エアコンで冷えた室内へ入り、椅子に座りながら机の上の雑誌を手で撫でてみせる。
「なに借りたんだ?」
「えっとねー…これぇ」
顔をにやにやさせ今しがた撫でた冊子の表紙を得意げに見せつけら、輝ニの顔が引きつった。
「じゃじゃーん!グラビア雑誌で〜す!」
声たからかに紹介してみせる姿に呆れ半分胸のモヤつきを感じながら再びため息をはいた。思わず「そうか」とそっけない返事をしてしまい、内心しまったと思った。「嫉妬してる?」「興味ないって」そう言っておちょくられるぞ…今の反応は失態だったなと考え、だが一向に返ってこない声、おそるおそる目線をやると足を組みながら雑誌をペラペラ巡り何かを探していた。ちくり、また胸がいたんだ。
「ちょーっとまってな……あったあった。これこれ♪どう?」
「…なにがだ」
見開きで、栗色の緩いパーマをかけた女性がベットに入ってるページを見せられた。カーテンから差し込む自然光の中で柔らかく笑いかける女性は、その豊満な身体をシーツに包ませ、まるで事後のような雰囲気を醸し出していた。局部等は一切写っていないが、漏れ出る色気が拓也は大層お気に召したようだ。鼻歌を歌いそうなぐらい上機嫌で再びページをめくり、今度は特集の1ページ目を見せてきた。
「これとかさ!めちゃくちゃ良くないか?!やっぱり男のロマンだよな〜」
『魅惑のGカップ』『清楚美人』『大人の女性の色香』紙面に書かれた文字を目で追ってしまい、輝ニは激しく後悔した。
当たり前だが胸はない。美人だと言われることはあっても清楚とはかけ離れてる。同い年って年齢は変えられない。
年頃の男児だ、女体に夢を見るのも仕方ないのはわかるが、自分との約束そっちのけで紙の中の女性たちに夢中になってる状況が面白くない。「興味ないな」と返事を返し、わざとらしくどかりと床へ座る。
「ええ〜一緒にみよーぜ〜?なっなっ、どんなのがいい?」
「っ…しつこい!」
椅子の上からブー垂れる拓也に更に苛つき、思わず大きな声を出してしまった。ざわつく気持ちを落ち着かせようと嫌な汗が滲む襟足部分を雑にかき混ぜる。
「なんだよ、怒んなくてもいいじゃんか…」
「別に怒ってない…」
そう、怒ってなんかはないのだ。気持ちが悪いのは外が暑かったからで、一緒に食べようと買ってきたプリンを早く冷蔵庫に仕舞わなきゃという気がかりがあるからで、好きそうなアクション映画見つけたぞと報告したいのに出来てない現状が嫌なだけで。
「あとなー…そうこれこれ!このぷりっとした日焼けしたおしり!たまんねぇよなぁ…」
「……」
「うーっわやっば……腕からはみ出てんじゃん…巨乳ってやっぱすげぇんだな……」
「……」
「ああ〜包まれてみたいなぁ〜」
ぶつん。
自分の中で何かが切れる音がした。
黙ったままだった輝ニがすくっと立ち上がった。それを視界に捉えた拓也が疑問符を浮かべながら「どうした?」とまのぬけた声を返しす。
「………ぇる」
「ん?なんて?」
「俺、帰るわ」
「っ、は?いやいやいや今来たばっかじゃん」
部屋の脇に置いた荷物を肩にかけ直し、ドアノブへと手をかける輝ニにぎょっとする。拓也自身、久々に一晩二人きりになれる機会に期待していたから、来てそうそうに帰宅宣言を出され困惑した。
「体調でも悪いん?」
「大丈夫だ。あ…これ、夜にでも食べてくれ」
「2個あんじゃん…え、一緒に食べよーよ」
「い、いから…俺、行くから」
静止の声に振り返りもしない輝ニが心配になり、椅子から飛び降りて慌てて腕を掴んだ。エアコンのせいなのか大分冷え切っている。
「なぁこーじぃ、どうしたんだよ?なんか変だぞ?」
「っるさい、はなせよ…」
背を向けたまま弱々しい声を出され、これはただ事じゃないぞと、先程までの浮かれた気持ちの上から焦りがにじみ出す。そういや俺、今日まともに輝ニに触れてなかった…。それどころか、玄関先で合せたきり顔も見ていない。
静寂が続いた。数秒だが戸惑ったままの拓也には永遠にも感じられた。耐えきれず「なんか、あったのか?」と声を絞り出す。
「っ!お前がッ!……ッくそ」
腕を力いっぱい振りほどき、輝ニが振り返った。上手く言葉にできないのか、前髪ごとぐしゃぐしゃにまぜ、態度とは裏腹の弱々しい眼差しが拓也を映し出す。
「……」
「…どうしたんだよ、なあ輝ニ」
ふり払われた手前、迂闊には触れなくなった両手を広げながら言葉を待つ。
「………そんなに、」
「…うん」
「…いいなら、そっちいけよ……」
「……うん?」
普段の彼からは想像も出来ないような声音でボソボソと話しだした。だが、何のことを言ってるのかまったく見当もつかない拓也は更に困惑する。その姿に苛つきやら不安感やらが増した輝ニの目から、ついに大粒の涙が溢れ落ちた。
「そんなにいいならさっさと女を選べばいいだろ?!」
ガンと、頭を殴られたかと思った。袖を折って出ている腕で涙を拭うが、拭っても拭っても溢れ落ちていく。その姿が痛々しくて見ていられない。
「ぁっ輝ニ!」
「くそっ!やめろよ触るなッ!!」
ほとんど変わらない体格だ、サッカーで鍛えた体幹で腕の中で暴れる輝ニを抱きしめるが今にも振りほどかれそうだ。やばい、やばいやばいやばいぞこれは…。冷や汗が背中を伝う。ここで逃げられたら、もう二度と手に入らないんじゃないかと焦りが拓也を襲う。
力負けしたのは拓也の方だった。胸を強く押され床へと尻もちをつく拓也に向かって、輝ニは息を荒くしながら叫んだ。
「胸も尻もないし、柔らかくなんかない!」「お前が好きだって言うから髪だって染めてないのに!」「日焼けしづらい体質なの知ってるだろ?!あてつけかよ!」「なんで紙にばっか話かけてんだ!」
また頭をガンと殴られた気になった。尻もちをついたままヒュッと短く息を吸い、さっきまでの自分を思いだす。クラスメイトたちと共に読んで盛り上がったから、輝ニともと考えた過去の自分を殴りたい。乗り気じゃなかった彼を置いて嬉しそうに語ってたなんて、本当に馬鹿野郎だなと後悔の波が押し寄せてきた。カラカラの喉から絞り出して、なんとか名前を呼ぶ。
「こぉ、じ…」
「くそっ……止まらないっ、止まれよッ…!」
擦られたせいで真っ赤になっている目が胸をまた傷ませた。腰を浮かせ、こすり続ける腕を引いてバランスを崩した輝ニの身体を抱き止める。
「…ッズ……ンッ……」
「ああもう、泣くなよ……俺が悪かったって…」
「…ないて、ない………クソっさわるな…ッ!」
落ち着かせるように背中をゆっくりと撫でる。むき出しの肩に輝ニの涙が伝う。よほど悔しいのか、悪態を付き続ける輝ニになんて声をかけたらいいかわからない。口を開けては閉じ、開けては閉じ考える。ここでヘマをしたら彼を傷つけたままにしてしまうことは容易に考えられた。
「お前に泣かれるの俺、弱いんだって……」
「そんなの知るかっ…!」
「ああもう……好き、大好きだから…」
「うるさいうるさいッ!どっかいけッ!」
駄々をこねる様は子供のようで、こういうときこいつも弟なんだなと感じる。聡明で口の回る彼が少ない語彙で子供の癇癪のように声を荒げる様は、拓也を妙な気持ちにさせた。涙で張り付いた髪を耳にかけ、濡れてる頬、でこ、まぶたへと口を寄せる。繰り返されるリップ音に徐々に落ち着きを見せる輝ニ胸をなでおろし、伝えるべきか悩んだ言葉を告げた。
「………まじで空気読めないこと言うんだけどさ………勃ちそう……」
「ッ、しんじらんね…ッ!ほんとサイアク…離せバカ!!」
「わー!わー!違うそうじゃないって!!」
「何が違うんだ!何も違わないだろクソ野郎!」
「口わるー…いてっ!叩くなって!だって仕方ないだろ?!明るい部屋で輝ニの泣き顔見て反応しちゃったんだって!」
腕の中で胸をドカドカと叩き、痛みに顔を歪めた拓也が開き直りだした。さっきまでの悲しみが段々と薄れていく。というより、呆れてなにも言えない。なんでこんな奴のために俺はしんどくなってるんだ…ああそうか、好きなんだったと腑に落ちる。馬鹿らしさすら感じ、いつの間にか涙は止まっていた。
「………わかってるのか、いまの状況」
だが、ケロッとされるのはしゃくだ。そう考えた輝ニは、涙こそ止まったが不機嫌全開の声音で問いかけた。
「…めちゃくちゃわかってる、まじでごめん…お前の気持ちも考えないで、無神経なこと言ってた……」
「………」
スンッと鼻を鳴らしたのを聞いて、泣き続けてると勘違いした拓也がその身体をキツく抱きしめる。
「………ほんと、ごめん…。俺、女がいいとかそんなんじゃなくて…ただ純粋に、源輝ニって人間が好きなんだ…。触りたいのも、興奮するのも、えっちなことしたいのも…輝ニだけなんだよ……」
絞り出すような声、本当に反省して後悔しているのがわかった。深く長いため息を吐いた輝ニの腕が、拓也の背中へと回される。
「っ、こーじ!」
「……」
「……許して、くれる…の?」
「………どうかな」
そんなぁ〜と泣きそうな声を出す姿は大分情けない。だが、自分の機嫌を全力で伺う姿を見ていると気分がだんだんと晴れていった。
「……いい。許す…」
「えっ、ホントか?!」
「…」
「いやどっち?!」
「…許す。けど条件がある」
肩に手をおいて抱擁を緩めさせる。二人の間に距離ができ、輝ニが握った拳で軽く拓也の胸板を叩いた。鈍い痛みに顔をしかめた後何を言われるか、今度は拓也の顔が不安で曇りだす。だが許さない、別れる、触るな、それらが飛んでこないだけマシだと自分自身に言い聞かせた。
「まず一つ目」
「何個あんの?!」
「……一つ目!」
「うっす…」
ギロリと睨まれたのも恐ろしいが、赤くなった目からまたいつ涙が溢れるかという恐れのほうが勝り黙って言葉を待つ。
「駅前から離れたとこのカフェの、やたら長い名前のパフェ」
「……あー、オッケーわかった。喜んでご馳走させていただきマス。」
輝ニの口角が少しだけあがる。『夢盛り〜森の精霊とユニコーンの戯れ〜』ネーミングセンスどうなってるの?って話した特大パフェは、ふんだんにフルーツを使われており、諭吉でお釣りがくる程の値段だ。急な出費予定が痛い。断る選択肢なんかない拓也は引きつりそうな笑顔で頷いた。
「それともう一つ。全部処分するから」
「…?なにを…」
腕の中から抜け出し、辛うじて結わえられていた髪ゴムをほどきながら部屋の一角に設置されたチェストをコツンと叩いた。
「一番下の棚」
「ヴッ……お前知ってたのかよ…」
「当たり前だ…隠すにしたってもう少しあるだ……ろ……」
せっせか集めたエロ本たちは、どうやらバレてたようだ。立て付けの悪い引き戸をガラリと開けた輝ニの動きがピシリと固まった。
あ、やべ……。輝ニに着せようとドンキでかった猫耳メイド、そこに押し込んでたんだった……。
「〜〜〜拓也ァ!」
「はい!!」
「追加だ!これはお前が着てみせろよ?!」
新品未開封の袋のまま投げつけられる。顔面に見事直撃、ナイスコントロール。怒りをむき出しにした声にNOなんて言えるはずもなく、痛む顔面をさすりながらこくりと頷いた。髪をくくり直した輝ニが、メイド服をのかしたことによって姿を表した複数ある中から一冊を取り上げてみせる。
「……な、に…すんの…?」
輝ニの、男にしては細い腕に力がこもる。文字がところ狭し書かれた冊子を開き、そのまま引き裂いた。ザッ!無慈悲にも真っ二つになったエロ本、今度はハサミでザクザク切っていく。バラバラになっていくのを、口を開けたままただ黙ってみてるしか出来なかった。鼻息荒く残り全てを紙くずに替えた輝ニが、それら全てをぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱へとぶちこんだ。
「いいか?!この際言っておくが、隠れてこんなもの集められるのは不愉快だったんだ!」
「……」
「次見つけたら、ただじゃおかないからな!!」
隠さなかったら今日みたいに泣くじゃん…、とは口が裂けても言えなかった。まさに恐妻、こめかみを冷や汗が伝う。
「それもさっさと持ち主へ返しとけよ?!…おい返事は?!」
「もちろんすぐ返します!!」
正座に居直り、背筋をピンと伸ばして答える。内心、頑張って集めたのにぃ…とゴミ箱の中に沈んでる今しがた可燃ゴミへと変貌を遂げたエロ本達を思って泣いていた。ちなみにどの冊子にも黒髪長髪の貧乳の女優が乗っていることを輝ニは知らない。泣きじゃくり、怒りに震え、声を荒げてと、疲労がどっと出たのか輝ニはフラフラしながらベットへと腰を落とした。沈黙が流れる。
「……なぁ、ほんとごめんな」
先に口を開いたのは拓也のほうだった。何度目かわからない謝罪の言葉は、口にするたび重みを増していく。怒り心頭で雑誌を切り刻んでいたとは思えない力がこもってない手でベットを叩き、横に座るよう促された。お許しがでた犬のようにパアッと顔を明るくさせすぐに移動した。二人分の体重をのせたベットがきしりと音をたてる。
これは、このまま流れ込めるんじゃないのか…?そう考え生唾を飲み、そんな拓也の浅ましい考えを読み取ったのか伸ばされる手の甲をベットへと押さえ付けた。
「しばらく、そういうことはしないから」
「…そういう、ことって……えっちなしって、こと?」
「キスもしないし手も繋がない」
「ッ!!」
あんぐり口を開いて、声も出さず絶句する拓也。1万近くするパフェを奢ることより、猫耳メイドを着ることより、お宝をゴミされたことより、何よりも堪えた。
「フンッ…反省しろよ」
「う…そ、だろ……え、輝ニは我慢できるのかよ?!俺は無理なんだけど!毎晩右手と仲良ししなきゃいけないなんて、寂しすぎるんだけど?!」
「っ、毎晩?!」
ここで二人の性欲の差が浮き彫りとなった。輝ニと出来ない日お世話になっていたものはゴミ箱の中にあるし、抱きしめたときの匂いや感触を思い出しながら抜くことも少なくはない。なのに、それら全てが禁じられたのだ。「そりゃないぜ〜」と声を震わせながらすがりつこうとするが、それすらも許されなかった。
「いつ?いつまで我慢したらいいの?!」
「俺の気が済むまでだ」
「それまで輝ニも自分で抜いて我慢するってことか……」
それはそれで…とぼやく頭を叩く音が響く。
拓也は学んだ。怒らせたら後がめんどくさいこと、輝ニの涙には弱いこと、そしてなによりこんなにも愛されてるんだってことを。
当分は、腕の中で涙を流した姿を思い出しながら抜いちゃうんだろうな…
そう考えながら、そっぽを向き続ける輝ニの機嫌が早く直るようどうしたものかと思考を巡らせるのだった。