メールで送られてきた時間通りに玄関が開いた。怪獣の行進のような足音が背後で止まったかと思うとそのまま抱きしめられる。
「いらっしゃい輝二」
「…ん」
腹に回っている細腕に自分の手を重ねとんとんと叩き、開いていた文庫本は当分読めそうにないなと栞を移動させてから閉じた。背中に顔面を抑えた輝二がくぐもった声でつぶやいた。
「…フラれた」
「………は?」
すかすかの声が出た。だって今なんて言ったんだ。「フラれた」って聞こえた気がしたんだけど…。先日輝二から『付き合う奴が出来た』って報告を受けたばかりだ。その時はこんな可愛くてめんどくさい子と付き合うなんて苦労するんだろうな、でも他でもない大事な分身の幸せを願って、そうか良かったねと返したのに。話を聞いてる感じ告白は男のほうからで、押しに弱い輝二はこれも経験と承諾したようだ。好きとか恋愛事にはまったく関心を示さないけど、女子高生として”誰かと付き合う”っていうことに興味はあったからね。
なのに、だ。振り返って確認した顔は隠そうともしてない不機嫌を張り付けたまま、早く吐き出したい文句を詰め込んだ頬を膨らませている。
「…腹立つ、なんなんだあいつは」
「そんな怒ってどうした…フラれたって、なに?どういうこと?」
両脇を持ち体制を変える。胡坐をかいた上へ、なるべく制服のスカートのひらひらを崩さないように横向きに座らせた。言われたことはないけど輝二はこの体制が好きで、二人きりのときはだいたいこうして俺の脚の間にうまってる。片ひざの上で投げ出された足をばたつかせるから、せっかくキレイに座らせたのに制服にしわが寄っていく。
「こら、パンツ見えるぞ」
「そう。それなんだって」
何が。文脈なんてない返答に困惑する。超能力があるわけじゃないんだから主語を言えよ。抱きかかえられた状態で腕組をして、不満げな声で話し出した。
「さっき、アイツの家に呼ばれて行っていたんだ。一緒に勉強しようって言われたから」
「……」
付き合ってる女の子に勉強しようって家に呼ぶなんて、そんなの”そういう”お誘いでしかないのに、多分この子は本気で勉強するつもりだったんだろうな。そんなとこが可愛くも心配になる。俺の表情を呼んだ輝二が「…なんだよ」とさらに不貞腐れた。
「今、バカにしてるだろ」
「してないしてない」
「はい嘘、わからないと思ってるのか?私だぞ」
突き付けられた指を握り笑ってはねのけた。そのまま指を絡ませ言葉を待つ。
「…私だって薄々感づいていたさ。けど、もしかしたらほんとに勉強するつもりかもしれないだろ…」
だんだんと自信なさげになっていく声にそんなわけないだろて言いそうになる。この子の親友の拓也に知られたら目くじら立てて怒り狂い「お前ってほんッッッと馬鹿だな!」と怒鳴り散らしているだろう。拓也に怒られるほうが堪えるときがあるから、今後のためにもこの話は共有しておこう。
「はぁ…で、それで男の家に行ったんだ」
「行った」
さも当たり前のように言ってのける姿に頭が痛くなる。危機感を持ってくれお願いだから。数年前までは大差なかったが、今じゃすっぽり覆いつくせる体格差に不安が顔を出す。
「で?どうせ抱かせてとか言われたんだろう」
「……」
顔ごとそらされた目線が問いかけを肯定する。結果は決まり切っていたはずなのに、むしろ男側に憐れみすら感じた。
「…たしかに、言われた」
「なんて返したの?」
俺の手を弄びながら言葉をぽつぽつとこぼし始める。
「…ちょっと、気持ち悪いなって思ったけど…これがフツーなんだろうなって思って…その…」
最後の「ベッドに連れてかれた」って声は小さくてこの距離じゃなきゃ聞き逃していた。そうか、ちゃんと応えたんだと頭を撫でてやる。心地よさそうに目を細める姿は猫みたいだ。
「じゃあ輝二は、なんでそんな不機嫌なの?セックス気持ちよくなかった?」
「セッ?!…輝一の口からそんな言葉聞きたくなかった…」
輝二は俺に夢見てる節がある。そりゃ俺だって年頃の男なわけだから自慰だってするし、少なからず興味はある。ただそこまでガツガツしてるわけじゃないし、抜くのもめんどくさいなぁって気持ちで仕方なくやってる感じだ。クラスメイト達には合わせてニコニコしているけど、内心なんでそんなに必死なのかわからない。
小首をかしげ誤魔化しにかかる。不服そうだが今回もほだされてくれたようだ。ていうよりも、”元カレ”への不満のほうが大きいみたい。抑えきれない怒りを含ませた声が続いた。
「その…お、したおされて……脱がされて…。撫でられた太ももも気持ち悪かった…嫌だったけど殴らなかった」
偉いだろ?と見上げられても困る。当たり前だ。お前の拳は容赦ないからな。
「…それで、下着みたアイツがさ言いやがったんだ。”萎える”って」
しおらしく話していた声がだんだんと荒くなり、合わせて手にも力が込められる。開いてる手で突いて「あ、ごめん…」と解放され、再びゆるりと繋がれた。
輝二の下着は飾り気なんか皆無で、機能性や過ごしやすさに重きを置いているものが多い。スポブラやワイヤーが入ってないもの、パンツもローライズのものを好み、たまに俺の下着の口を縛って履いているぐらいだ。里見さんから以前に「可愛い下着送りたいんだけど、どう思うかな?」と相談を持ち掛けられたことを思い出す。輝二が好きで選んでるものだし、兄が妹に対して「もっと可愛いものにしなよ」っていうのもおかしな話だ。さすがに俺のを履くのは控えてほしいけどね。
「そんなこと言われても我慢したんだぜ?……おいこーいち」
「ああはいはい、偉いね輝二」
褒めろと催促され髪を撫でつける。さらりと顔に落ちた髪の束を耳へとかけてやり、それで?と続きを促した。
「……結果的にいろいろ耐えられなくて…だな…」
「……」
「…蹴り上げてから、そのまま蹴落としてた」
「……そっかぁ」
結局我慢できなかったんだな、上がったのは拳じゃなくて脚だったけど。無理やりは絶対に良くないし、いい判断だったんじゃないかなあ…ご愁傷さまです。
「そしたらアイツなんて言ったと思う?”こんな子だと思わなかった”だぜ?!」
膝を叩きながら興奮気味に言われても、本人じゃないんだからそんなの知らないよ。苦笑いする俺を置いてけぼりにしてぷんすか怒りながらまくし立てた。
「”ヤラらせてくれないの?”って言いうんだぞ!信じられるか?!意味わかんねぇ、男子気持ち悪い…!」
お前の言う気持ち悪いに抱きかかえられてるのわかってるのかな…多分理解してないねこれは。告げたところできょとんとしながら「だって輝一だろ?」っていうんだろうなってことは容易に想像がついた。
「それでフラれたと」
「あんな奴、こっちから願い下げだ!」
腕組をして鼻息荒く文句を放つ。輝二が誰かを好きになって結ばれて幸せになればいいなと兄心で背中を押したのに、まさかこんな結果になるなんて。「男=気持ち悪い存在」になってしまったらまずいぞ。俺はもちろん拓也たちのことも「男」なんて認識はしてないからさして生活に支障はないだろが、今後が不安だ。天井を見上げながらどうしたものかと思考を巡らせる。
そうだ、俺も「男」じゃないか。
閃いた名案を可愛い片割れに告げる。
「じゃあさ、俺としてみようか」
「…?なにを?」
「セックス、俺とならできるんじゃない?」
目を丸めた後数回瞬きをして、顎に手を置いて考えだす。
「……」
「なに、気持ち悪い?」
「それは、ないけど…」
「元は一つなんだし、気持ちいいと思うよ?」
だって、俺だよ?双子で、ずっと過ごしたわけじゃないけど、繋がっていたのはお互いわかってるじゃないか。
握られたままの片手は心臓のあたりを触り、もう一方で薄い腹を撫でる。
「ここに、俺を入れてくれる?」
「っ……なんかヤラシイよ輝一」
「ヤラシく言ってるの…。で、どうする?」
小さい口を引き結んだままうんうんうなり、結論を出した。
「…そう、だよな……うん、やってみるか」
そんな「コンビニ行こうぜ」みたいなノリで承諾しちゃっていいの…相変わらず変なとこで抜けているよね輝二って。お前の処女だぞ?でもまあ、捧げたいって思える相手がいるわけじゃないし、トラウマを植え付けられないようにちゃんとしてあげなきゃな。そう思った俺は、かき分けた前髪の間から額にキスを落とした。