冬の乾燥した空気が開けたベランダの扉から入ってきた。鋭く刺すような冷気に「さっぶ!」と声を上げた拓也が、並んだベランダ用のサンダルへと足をさしいれる。
すぐに閉めようと手をかけた扉は、輝ニによって阻止された。
「うっわ…寒いな…」
「え、なに…輝ニも出るの?」
日も落ちて、拍車がかかった寒空の下わざわざベランダへ出た理由は拓也の手元にある。握られた長方形の箱とターボ式ライター。換気扇の下で吸えば?と声をかけられるが、拓也は頑なに外へと出たがった。喫煙者でもない輝ニがそのニオイに慣れたとしても、2人の部屋でニオイが少しでも残ってしまう事に拓也は申し訳無さを感じるからだ。確いう輝ニは、確かにいい気持ちはしないが、ぷかぷか煙を吹かす姿を気に入っているから見ていたいという気持ち込みでの声かけだった。そんな事知る由もない拓也は、今日も今日とて外へと足を運んでいる。
「…別にいいだろ、俺がどこにいようが」
「んーいいけどさぁ…ニオイつくじゃん」
黒髪を一束手で掬いながら、少し潰れた箱から一本を取り出した。重力に従って元の位置に戻ってきた横髪に身をよじりながら「別に、」と口を開いた。
「今更気にしないさ…それに、拓也一人だと退屈だろうと思ってな」
「お〜?お優しいですなぁ俺のカレシさんは〜」
「労ってくれてもいいんだぜ?」
「へぇーへぇー」
一人部屋に残されるのが寂しいくせに、と思ったがわざわざ言おうとはしなかった。クスクスと笑いを滲ませた唇でフィルターをはさみ、伏せ目になりながらライターの背を押す。ターボ式を選んだため、強風じゃない限り先端に火をつけることは容易かった。吸い込みながら紙と葉を燃やし、手元に火種が生まれる。
「あっやばい!灰皿忘れた!」
「ごめん!持ってて!」と、火を灯したばかりだというのに、一口も肺に入れることなく輝ニへと手渡され、バタバタと室内へと戻っていった。忙しない奴だなとため息を吐きながら、指で挟んだ1本へと目を向ける。自分には無縁だったはずのそれは、街中でも嗅ぎ分けられるようになっていた。
程なくして戻ってきた拓也の手元には、中身を前日のゴミで捨てて空っぽになったステンレス製の灰皿が乗っていた。
「わりィわりィ」
「ったく、何で忘れるんだよ」
「だって、いつもベランダに置いてたからさぁ」
普段は脇へとおいやっているのだが、今朝まで雨風だったから回収していた事を忘れていた。話を降っておいて、ふぅ~んと、興味無さげな返答を返した輝ニは何を思ったのかその一本を自らの唇へと挟んだ。
「え、吸うの…?」
「……」
じじじ…と音をたて火種がわずかに進行する。その姿に目を丸めながら隣へと立ち並んだ。
頬を少しだけ膨らませた輝ニが、ニヤリと笑い、あろうことか口内の空気を拓也の顔面へと吹きかけた。
「ふぅー」
「ッ、わ!バッカ!なにすんだよ!!」
煙が目に染みて声を荒げる拓也に、けらけらと笑い声をあげる。
「信じらんねぇ…えぇ〜…俺、お前怒らせるようなことした…?」
「んー?いいや、してないぞ」
だったら、なんでこんな事をしてくるんだろう。用済みだと言わんばかりに、への字に曲がった本来の持ち主の唇へと戻される。腑に落ちないなと考えながら、顔を顰めたまま煙を吸い込んだ。
「たーくや」
「ん〜?」
輝ニとは逆側に向かって吐き出した紫煙が群青の空へと消えていく。まだ少し赤い目で隣を見やれば、微かに上機嫌な輝ニが微笑んでいた。
「何かでみたことがあったんだ」
「何の話?」
「タバコを顔面に吹きかけるってやつ」
「……ッ、ゲホッ!」
一瞬浮かんだ疑問符は直ぐ様正解へと導かれた思考に消え去った。
盛大に咳き込んだ拓也の指を引き寄せて口へと含んだ。ちゅく…ちゅく…と淫口を彷彿とさせる舌と唇の動きに思わず見入ってしまう。
「ッ、ちょ…輝ニ…ッ!」
「…ふっ……先、戻ってるな」
最後に爪の先へ口づけ笑みを残す。束ねた黒髪を翻しながらベランダの扉がピシャリと閉められた。
タバコの煙を顔面へと吹きかける、それは『今夜お前を抱く』の隠語である。
受け入れる側の輝ニは、組み敷かれながらもその魅力で拓也を翻弄させていた。その隠語はあながち的外れでもないなと、内心苦笑いを浮かべた。
それとは別に『今夜は可愛がってくれ』ともあるから、今日はどういう行為をご所望なんだろうかとも考える。
それは今からベッドの上で聞けばいいことだ。寝室で準備してくれているパートナーを頭に浮かべながら、残り半分のタバコを吸い込んだ。