瓦礫の砦 目を閉じ、座禅を組み、太陽光をその身に受けるさなか、石蕗丸はまぶたの向こうで無を見つめ、身体の方は光の感触を意識していた。己を軸として光が流れ、揺らぎ、粒子が集まっては弾ける。ただそれを繰り返している。
光につられたのか、はたまた暖かさに惹かれたのか、頭に小鳥がとまったらしい。髪を摘まれ爪を立てられ少々こそばゆい感触こそはあるが、気まぐれで羽を休めに来た彼らを邪険にはしなかった。
石蕗丸はその場から動くことなく、燦々と注がれる日光の吸収を続ける。
────すると、すぐ近く、至近距離と言ってもいい場所で芝を踏む音が鳴った。聞こえた足音から推し量れる挙動は動物のそれではなく。
「!」
石蕗丸が反応するよりも早く、髪を摘んでいた小鳥が慌ただしく空へ逃げた。両の目をカッと見開き、すぐさま背後にて芝を踏んだ人物を振り返る。咄嗟に動けるように組んだ膝を解き腕を浮かせ……すぐに下げた。
(なんだ)
人がひとりいた。長い髪を束ねた小綺麗な女性で、おそらくだが敵意は持っていない。しかし、ここに居るということは間違いなく天照の関係者だろう。警戒心をあらわにする石蕗丸に対してその人がごまかすように微笑むが、表情はぎこちなさの方が目立っていた。
知らない人だ。すぐに立ち去らないので、もしかして用事だろうか。
しばし睨み合い(睨んでいるのはこちらだけだが)が続く。こちらを覗き込む視線から読み取れる意図が不明瞭で、少々居心地が悪く、その人の眼をまっすぐ見据え、石蕗丸のほうから口を開いた。
「貴女は?」
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封印より目覚めてからいくらかの時間が経過した。
人間への警戒心が薄らいだとはいえ、心の根幹に染み付いた蟠りを拭い去った訳でもなかった。痰が喉につかえて気持ち悪いとでも言おうか。人間に合わせた感覚で例えるならば、残った気持ちはそういうものだった。
ソリが合わないと感じる人間と接する度に不快な出来事を思い出し、呑気な様相が脳裏に浮かび、「彼奴」の声までもが頭の中で反響してしまう。じつに不愉快だ。
彼奴は、あの人間は、閃天石蕗丸という刀に嘘をついた。道具にした。向けてきた笑顔も言葉もすべて嘘塗れだったのだ。たった一人のエゴで封印され、人の手をつぎつぎに渡った末に、自分は永いあいだ瓦礫の中にて眠っていた。
面識、相手への解釈。そういうものが揃っていて、ある程度の信用がやっと生まれる。相手がどんなに言葉を尽くそうと、態度で示してくれようと、自分側から返せる態度がソレだ。
必要な警戒だとは思う。けれどそうする内心は決して穏やかとは言えなくて。面倒なものだ、不義理なのでないかと、自責のように考えてしまうことも多々あった。
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「お前、そろそろ固定でバディ組めばぁ?」
ぐうたらと寝そべる兄が眼下に居た。彼はすぐそばのベンチから起き上がりもせず、くぁと伸びをしてあくび混じりにそう言った。脚を組み直しながら尻を引っ掻く姿も相まって、とても刀神だとは思えない姿をしていた。
(なんとも、まあ。他人事だからと簡単に言ってくれる……)
兄は薄い唇に犬歯をひっかけつつ「そうさなぁ」と言葉を繋げた。石蕗丸は気怠そうな兄の話に耳を傾けながら、無言で手に持つクッキーシュークリームを齧った。空いた穴から溢れそうになったカスタードクリームを舌で慌ててすくい取る。なめらかで、バニラの香りが効いた心地の良い甘さをダイレクトに味わった。
「継続で臨時やってみて、感触が良いんなら固定も視野にいれちゃあどうだ~って話よ」
「……あの方の実力であれば、質のいい妖刀と刀神は幾らでも選べるでしょう。俺じゃなくてもいい筈です」
「まぁーたそういうコト言う~。ちったァは仲良くなったんだろ?」
「そうかもしれませんが、ちょっとですよ。……たったの少し打ち解けただけ」
そう。少し。たったの少しだが、ひとりの人間との距離が近づいた。
彼女は、朱野貴瑛という人間はとてもまっすぐな人だった。
努力と探求を惜しまない人。
頭がよく、心優しく正義感のある人。
嘘をつかない人。
臨時バディとして共に仕事をこなす中でソリが合わないという事もなかった。
それに彼女は人のことをよく見ている、けれど、少しばかり人を見すぎだと感じる瞬間もあった。ものは言いようで、感じ方はおそらくみなが違う。
まっすぐで、勉強熱心で、仕事と剣技はあくまでも模範的である。
けれど俗世の一部ではそれを愚直ともいう。己にも当てはまる言葉だ。貴瑛は自分と似ているところがあるような気がしてならなかった。
「……では。兄上はどうだったんですか?」
「おれ?」
「バディです。あの方とはどういう経緯で今の間柄になったのか。十年以上おそばに居るのでしょう? そこまで出来るのなら、よほどの経緯でもあったのだろう……と勝手ながらに推し考えていました」
言うと、兄はしばし思案するように空とにらめっこしていた。脚をまた組み直すかと見せかけ、遂に上体を起こして弟を真隣に座らせた。
「んー。まぁね。確かにあったよ色々と…………話すと引くほど長くなるから四十文字以内で言うと、ナンパはおれからだ」
四十文字どころか十文字以内ではありませんか……とツッコミを入れそうになった口を、手元にある残りのシュークリームで塞いでおいた。兄に指摘を入れたところで小ボケや揚げ足取りで反撃を食らうだけだと、この短い期間で石蕗丸はちゃんと学習していた。
「ふむ。それでは朱理殿は兄上が見初める程に強かったのですか?」
純粋な疑問だが、兄は石蕗丸が投げかけた問いに、いやぁまっさかあと否定の意味合いで手をひらひらと振った。
「アイツぁここに来るまでは刀の柄すら握ったことのない小娘だったさ。それも地に落とされ死にかけた鳥みたいな。……ありゃあ素質があっても活かせなかったら新人の内に死んでたろうな。そうなる前に見つけたのは運がよかっただけだろうよ」
「見つけた?」
傍から聞けば幸運なのは人間の方だろうに。兄の言い方はまるで、運がよかったのは自分の方だと言いたげな意味合いにも聞こえた。どこへ着地する話なのかよくわからず、石蕗丸は小さく首をかしげ、何故、と好奇心まじりの視線を兄へ送る。そんな弟の顔を見て兄はハハと笑い、まったりとした口調でバディとの思い出話を続けた。急かすなよ、と一言付け加えながら。
「おれの本体とか異能ってさ、すーっげぇ面倒くさいんだよ。相性が悪いとあっという間に汚染が進むの。だからもう自分でバディ選ぶのが一番の安全策ってワケ。朱理はたまたま相性が良くて……アレだよ。テレビのチャンネルとか、輸血における血液型みたいなモンだと思ってくれや」
「はあ……」
相槌は打ったが正直なところ意味が分からない。自分の生まれた時代にそのような概念は無かったゆえに、テレビも血液型の概念も、石蕗丸は知らないのだ。
────いいや。訊けば、いいのではないか?
分からない事があればすぐに訊くことが出来る。近い場所にそういう『人』が居るではないか。見落としていた事に思い至り、はっと口を開いてからまた閉じた。
口に押し込み、咀嚼して、飲んだカスタードクリームの甘さが未だに尾を引いていた。
「おれは朱理が弱かろうと強かろうと正直どっちでもいい。ただ、アイツの命の在り方が好きだと思ったから傍に居た。……そうする事に、いつの間にか十年くらい使ってたってだけさ」
「……」
好きになるという。命の在り方を。
バディとの馴れ初めを語る兄は、どことなく幸せそうにも見えた。この方はおどけてふざけていても刀神なのだと改めて思い知らされた。
人に近く親しい所に立っている癖に、ちゃんと人智を超えた者ではある。彼は長く永く、気の遠くなるような年月を世界と共に生きてきた刀神で、そうでない者とは見えているモノがこんなに違うものなのか。
四百年ほどを生きてきた兄がたったの十年を懐かしそうに語っているさまは、石蕗丸にとっては新鮮な光景で、未知でもあり、羨ましくもあった。
が、こんな自分に兄と同じことが出来るのか、と疑問に思い、とても怖くなった。
「そういう相手がツワにも見つかっといいな」
「……そうですね」
着慣れない服は新品のものだ。袖を通してみれば乾燥剤の無機質な香りがした。
肩や袖口に黄緑色のワンポイントが引かれた白いポロシャツ、それと七分丈の軽いズボン。ベルトを通す代わりにカラビナを掛け、そこに黒いフラットポーチを吊るした。
解くと少々邪魔な長さの髪をうなじで結って、身支度をさっさと済ませた石蕗丸は、天照の門前で待つ臨時バディのもとへ急いだ。
どこかで油蝉が歌っている。アスファルトの上で大気が歪み、無いはずの水たまりを見せてくる。
頭上より照りつける日差しは初夏のものから真夏へのものへ、目まぐるしいと感じるほどに早く、急速に歩幅を広めていた。