きょうもあしたもきのうとおなじ その日の訓練が終わり、ロッカールームには全身に纏わりつくような熱気と湿気が漂っていた。帰り支度を済ませたアイスマンは、ベンチに腰を下ろしたまま手持無沙汰に胸元のドッグタグを弄る。
帰りたい。アイスマンの心中はその一言だった。今日はどっと疲れた。軽く一杯引っ掛けるでもなく泥のように眠りたい。無論そんなアイスマンの行く手を誰が阻んでいるわけでもなかったが、ロッカールームで話し込んでいるスライダーの存在がアイスマンの足を留めていた。耳を滑る声々も疲れた頭では何一つ理解できなかったが、どうせまた女の事か何かだとその騒音がアイスマンの興味を惹くことはなかった。
キィ、カタン、とドアが閉まる音に遠退いていた意識を取り戻す。その音に気を留める者はいなかったが、誰かが出て行ったようだ。アイスマンもその姿を見てはいなかったが、辺りを見回す限り音を立てた人物には心当たりがある。マーヴェリックだ。
このままここにいたところで埒が明かない。アイスマンは恐らく自分と同じ境遇であろうマーヴェリックの後を追うために腰を上げた。ロッカールームを出る前にちらりとスライダーに視線をやるが、相変わらずこちらに気づく様子はない。終わりが見えない雑談に声を掛けるでもなく、アイスマンはその場を後にした。
「マーヴェリック」
数フィート先を小さな頭が上下しているのを見つける。声を掛けられたマーヴェリックは幼さが残る顔に眉根を寄せ、不機嫌を隠そうともせずにアイスマン を振り返った。
「……なんだよ」
「いや、お前が一人なのは、あー……珍しいと思って」
話し掛けておきながらアイスマンは特に話題がないことに気づく。同じく海軍のアビエーターであるこの男とは、存外共通の話題が少ない。それ以前に互いのことをあまり知らないのだ。アイスマンはそのことに思い至ったが特に言及することもしなかった。
「お前だってそうだろ。いつも連れてる忠犬はどうしたんだよ」
「あぁ、話し込んでたからな。もう少しかかるだろ」
「ふうん…飼い主に呼ばれたらついてくるんじゃないのか」
アイスマンが口を挟む前にマーヴェリックが続ける。
「……スライダーのせいで、帰れないんだけど」
ロッカールームで騒ぐ一団の中には確かにグースの姿もあった。マーヴェリックは初めこそニコニコと話を聞いている風だったが、そのうちグースに構われなくなったことに機嫌を損ねてその場から離れたであろうことはアイスマンにも容易に想像できた。
「お前が帰ろうって言えばグースはついてくるだろ」
「それって、おれがすごく我儘みたいじゃないか?」
予想もしていなかった言葉に目を見張る。恋するティーンじゃあるまいし、と自分より低い位置にある頭を見ながら思案したアイスマンだったが、普段の二人を思い返してみると似たようなものかと口を噤んだ。
「考えすぎだろ」
戻るか、とロッカールームへ踵を返す。子供じみたことで真剣に悩むマーヴェリックへの憐憫が、アイスマンの頭を冷やしていた。
ロッカールームに足を踏み入れると相変わらずむっとした空気が流れていたが、さっきまでの喧騒は失われていた。ガタンッとベンチを倒さんばかりの勢いで大男が二人立ち上がる。
「あ、おいアイス! どこ行ってたんだよ」
どっか行くなら声掛けろよな、と腕を回してくるスライダーに、アイスマンは肩の力が抜けるのを感じる。知らずに体が強張っていたらしい。
「近い。鬱陶しいんだよ、お前は」
邪険な言葉とは裏腹にアイスマンは弛緩した体をスライダーに預けた。ロッカールームの出口では、同じように肩を抱かれたマーヴェリックがグースにきらめく笑顔を向けていた。