タイトル未定「旅行?」
白を基調とした対面キッチンに立つ杉元は、リビングのソファに座り部屋着のスウェット姿でくつろぐ尾形にそう告げた。
男の二人暮らしにしては洒落たキッチンで、尾形が杉元と同棲する前から住んでいる2LDKの賃貸住宅だ。
一人暮らしの尾形はいつか杉元と一緒に暮らすために広めの部屋を借りていた。杉元とは長い間、セフレの関係だった。
初めて身体を重ねた時は酒のせいもあってか、流れるように流されるようにもつれ込み、そのままセフレという関係になった。
それ以来、杉元とは会えばセックス、呼び出せばセックス、時には呼び出されてセックス。
だが、ずっと杉元のことが好きだった尾形は、その関係に終止符を打つべくこの部屋を借り、杉元に一緒に住まないかと告げる機会を伺っていた。
「一緒に住むってことは、そういうことだからな」
ふたりの関係が少しだけ進んだ。もちろん杉元は「そういうことって、どういうことだよ!」と尾形にツッコミを入れた。普段は尾形に突っ込まれている方なのに。
尾形は杉元の作る料理が嫌いではなかった。本当は大好きだが、素直になれずにいた。
杉元が料理をすることが好きだと知っていたので、部屋を探すときもキッチンが綺麗で広めのところを勝手に選んでいた。
杉元のために選んだキッチンで、杉元は他の男と旅行に行くことになったと尾形に告げる。
旅行に行くとは果たして正しい日本語なのか。頭痛が痛いのように言葉が被っていることが尾形は気になった。
旅行……。その言葉を聞いたとき、尾形は自分が誘われたのだと思った。
だが、それは勘違いで、こいつは友人と旅行するんだと。淡く期待してしまった尾形の中にあるピュアな部分はガラスのように砕けた。
「そうそう、二泊三日。白石と房太郎と。すげー楽しみ。海なんて久しぶりだし、旅館にでかい温泉もあるんだよ。温泉まんじゅうとか温泉卵とかあるかな。観光地だし、おみやげ屋さんとかいっぱいありそうだな」
今日は仕事の後、飲みに行くと言っていた杉元。帰宅するとキッチンで酔いを覚ますため水を飲み、友人との旅行すると話してきた。飲みの席で「旅行してえ」だの、「海に行きてえ」だの、と話が盛り上がりその場で宿を探してトントン拍子に決まってしまったらしい。杉元の一番の友人である白石は無職だ。尾形も知り合いで何度か一緒に飲んだことがある。房太郎とは面識はあるものの、チャラくて馴れ馴れしく尾形は苦手だった。たしか房太郎ってやつはフリーランスで仕事が調整できるとかなんとか。あとは杉元が休みを取ることができればいいだけで、うまい具合に予定が合ったらしい。
尾形が仕事で出張に行くときはことごとく杉元の仕事が忙しい時と被り、出張から戻っても疲れを癒すどころかイチャつく時間も無かったっていうのに、トントン拍子で旅行の予定が決まるだと? 何故だ、と尾形は苦虫を潰すような顔をした。杉元はそんな尾形の表情には気付いてもない。
杉元は尾形と同棲し始めてからも白石と房太郎と飲みに行くことはあったが、外泊なんて初めてで、相手があのふたりだと思うと尾形の胸の中ではもやもやとした嫌な感情が生まれた。
『俺とだって旅行なんてしたことない。せいぜいラブホで朝までだ。それも一緒に住み始めてからはセックスするのも自宅だから外泊なんてしていない。ましてや温泉だと。
温泉といえば浴衣だろう。浴衣。絶対似合うだろ。可愛いだろ。浴衣着て部屋で飯とか食うのか? 酒が入って酔いが回ってきたらお前、アイツらを誘惑したりするんじゃねえだろうな。浴衣の隙間から乳首がチラッと見えたりしたら……。み、見たい。』
杉元はまだ何か話しているようだが、尾形の耳には全く入ってこず、要らぬ妄想が頭をよぎる。不満は募るものの、悶々としてもそれを口にすることはなかった。
キッチンでまだ水を飲みながらスマホをいじっている。帰り道にコンビニで水を買うついでにプリンも買ったと、ベリベリとプリンの蓋を開けて食べ出した。
「俺の分は?」
「あるわけねーだろ。てか、プリン食べたかったのか?」
そういうわけじゃない。
「お前がいない間、俺の飯はどうすんだ」
「あん? てめえで作れるだろ」
お前は何もわかっていない。
「寝る」
イライラする。尾形はキッチンに杉元を置いたまま自分の寝室へと行き、ベッドに入った。
同棲し始めてもうすぐ半年が経つ。
翌日も胸の中のもやもやは晴れなかった。
尾形よりも出勤時間が遅い杉元はまだ寝ていて、尾形はインスタントコーヒーを淹れると、キッチンの換気扇の下で煙草に火を点けた。部屋が臭くなるからと、一緒に住み始めてからはベランダで吸うようになった煙草。
胸の中に張り付く暗雲のような気持ちも煙と一緒に吐き出したかった。
イライラとモヤモヤがずっと纏わりついている。それからは、一緒に暮らしているのにあまり話さなかったし、自室で過ごす時間が増えた。自分の中でこの感情がうまく処理できなかった。
杉元は水着を買ったと尾形に見せてくる。なんでわざわざ見せに来るんだ、と尾形はまたイラッとした。それはよくある膝上くらいの丈のサーフパンツで派手な赤色をしていた。
イライラもしたが海で水着姿の杉元を想像をして少しムラムラもした。旅行の話以来、ヤッてない。
不満を溜め込んでいたが、性欲も溜まりに溜まっていた。
杉元が海なんかにいったら逆ナンされまくりだろう。女が寄ってくる様子が手に取るように想像できる。だが、心配なのは女じゃない。あの房太郎ってやつがいけ好かない。一度、杉元と外出しているときに偶然会ったことがあるが、やたらボディタッチが多いし、なぜか杉元は房太郎とあたり一緒にいてほしうない。そう思わせる男だった。
そんなことを考えてまた嫌な気分に覆われていく。尾形の視界に入るところで杉元は観光地のガイドブックを眺めている。
自分をほったらかしにして楽しい計画を立てている杉元を今すぐブチ犯して部屋に閉じ込めておきたいと思った。
「お前、あいつらと海なんか行って、ましてや温泉なんて。何かあったらどうするんだ」
来週にはバカンスへと旅立つからか、明らかに浮き足立っている杉元につい言ってしまった。
言われた本人は一体何のことやら、鳩が豆鉄砲を食らったようにきょとんとしている。
「何かってなんだよ」
子供じゃないんだし、なんもねーだろ。などと呟いている。本当にわかってないる様子の杉元。尾形はいらっとしてつい今まで我慢していたことを言ってしまう。
「だから、そいつらに下心があって何かあったらどうするんだよって」
またきょとんとしている。が、『何か』を察したのか驚いたように口を開けた。
「バッッッ! おまっ、バッカじゃねえの! 友達なんだから、何かとか、あるわけねーだろ!」
顔を真っ赤にして杉元は声を上げる。
「ははぁ、どうだかな。みんなお前のこと狙ってるかもしれんだろ」
こんなカラダなんだから。
尾形はソファから立ち上がると、杉元に顔を近づけておもむろに胸筋を鷲掴みにする。「ちょ、やめろって」
杉元は思わず尾形の腕を振り払う。
「ほんっとお前ってやつは……、そんなことしか考えられねえのかよ」
まだ少し顔を赤らめて、杉元は尾形からは顔を逸らし言う。形は腕を振り払われても無言で杉元の顔を見つめた。
何を想像しているのか容易にわかる杉元の表情と反して、尾形の表情に感情は出ておらず、杉元は尾形が何を考えているのかわからなかった。
それからはますます接する機会が減った。始めは尾形が杉元を避けるようにしていたが、今度は杉元の方からも尾形を避けるようになった。
さらにタイミングの悪いことに尾形に急な出張が入り、数日部屋を開けることになった。
内心クソッと思うが、ここ数日はほとんど顔を合わせないし必要な会話と相槌程度しかコミュニケーションがなかった。
出張から戻った翌日には杉元は旅行へ行くのか……。デスクのカレンダーを眺め、尾形は大きく溜息をついた。
続く