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きみのそばで会おう
ベッドに寝転がったまま、シーカーストーンを取り出し、映し出された画面を覗く。
すべての塔を解放したから、地図は欠けることなく表示されている。さまざまな地名に、散らばる祠のアイコン。端から端まで、ずいぶんと色々なところへ行った。祠も百二十個を終え、ご褒美と称して特別な服をもらった。トワはこれに似た、緑の衣を着ていたと聞いている。オレには似合うと思えなくて、一度袖を通したきりだ。
馬宿や村などでよく頼みごとをされたけど、最近は声を掛けられない。神獣も解放し、英傑の魂はみんな無事に解放出来た。白銀種の魔物を倒して、手元にはかなり強い武器が集まった。もちろんマスターソードもある。コログの森での剣の試練は、なんとか終えている。
だんだんと、やることが思いつかなくなってきた。
「すべてが終わったら……」
様子見を兼ねて、何度かハイラル城に乗り込んだことはある。城はひどく朽ち果て、魔物が住み着き、かつての栄華の姿はなかった。オレは上へ下へと探索し、魔物を倒した流れでハイリアの盾、なんてものまで手に入れた。至るところにガーディアンがいて、うっとうしかったくらいか。最初はかなり迷ったが、そのうち道も覚えた。
だから城に行くことは怖くはない。なのに最近、オレの足が向かないのはきっと。
「なにしてんだ? きょうはどうするんだ?」
二階に上がってきたトワが、オレを覗き込む。ふわりとしたいい匂いがするから、朝飯が出来たので呼びに来たのだろう。もう、そんなに時間が経っていたのか。
「トワ、ここ座って」
「飯、冷めるぞ?」
「いいから座って」
シーツの空いた場所をぽんぽんとしつこく叩けば、首を傾げながらも座ってくれる。早く食べたいけど、いまはトワの近くにいたい。だから起き上がり、シーカーストーンを放って、捕まえるように後ろから抱きついた。
ほんのり小麦の匂いがするから、机にはパンが並んでるのかな。硬い背中はじんわりと温かくて、トワがここにいるのを実感する。離れがたくて、ぎゅっと力を込めて身を寄せる。
「どうしたんだ?」
「どこにも行きたくない」
出来るなら、ハテノ村の外れにあるこの家で、ずっとのんびり過ごしていたい。ひとりじゃなくて、もちろんトワと一緒に。食材の蓄えやルピーは十分にあるから、不可能じゃない。なんて考えるだけで、実行する気はないんだけど。
トワはなにも言わず、肩に預けてるオレの頭を撫で、ゆっくり待ってくれている。
「オレがハイラル城に行って、ゼルダ姫を助けたら」
「うん?」
「トワは、いなくなるのかな」
寂しいひとり旅を狼姿で、時に人の姿でずっと一緒にいてくれた。探索してる時に魔物に遭遇すると、狼姿のトワは勝手に攻撃してた。助かってたけど相手は選んで。特にガーディアンに突っ込むのは、やめてほしかった。盾反射の練習は出来ないし、守りきれないので、おとなしくしていてください。オレ、待てって言ったよね。先輩にきつく言いたくないけど、あの時だけは邪魔になってた。
少しも聞いてくれなかったことを思い出したら、おかしくて吹き出していた。
「なにいきなり笑ってんだよ」
「だってトワ、狼の時だとほんとなんにでも突っ込んでいくから」
それでも楽しい日々には変わりなくて、手放したくなくなってるんだよ。
トワがオレの髪をがしがしと乱暴に掻き混ぜる。これはきっと、恥ずかしくて照れてる。その顔、見たかったなあ。照れるトワは可愛い。たまに無自覚でオレの嗜虐心を煽るから、少し困るけど。
「どうなるんだろうな。お前が姫さんを助けて、俺の役目が終わると」
「あれでも一緒に戦ったり、祠とか探してくれたし」
「あれでも、は余計だ」
本当のことを言っただけなのに。今度は拗ねた声色が聞こえ、だらしなく頬が緩む。愛しくて、この背にますます寄りかかる。
「やっぱり、元の世界に戻るんだろうな……」
ああ、トワもオレが姫を助け出したら、終わりと思うんだ。この旅の最終目的地だしな。
先輩は突然、この世界に現れた。そして記憶を失くした危なっかしいオレが、使命を果たせるよう支えてくれた。その助けが要らなくなるから戻る、とても単純なことだ。
ハイラル城にトワは入れない。ある場所を境にぴたりと立ち止まり、ついてきてくれなくなる。向かう時はいつもこのハテノの家で待ってもらうので、トワとは一緒に戦えない。つまり、厄災ガノンを倒す時は傍にいない。
「トワがいなくなるのなら、城には行きたくない」
「……ブレ」
「いって! なんで?」
じんじんと痺れるほど、トワの指で勢いよく額を弾かれた。村で子供たちの相手をしていたからか、こういうことが上手い。見事にきまって、痛いおでこを押さえる。
「それを聞いた俺に行かなくていいと、言われたいのか?」
静かな口調と、まとう空気が冷たくてひやりとする。
「俺がそんなこと言うと思うか?」
「……言わないと思う」
オレのわがままを、トワは割となんでも叶えてくれる。でも、いまみたいな時は、ちゃんと止めてくれる。大体私情を優先して、行かなくていいとオレを甘やかすのは、解釈違いだから。うん、言わなくてよかった。
「わかってるなら、いいんだよ」
そう、全部わかってる。不満を垂れたところで、どうにもならないことだとわかってる。
勇者であるオレにしか出来ない、ガノン討伐と姫を救い出すことから逃げる気はない。勝手にいなくなってしまう、この世界の仕組みが気に入らないから、行きたくないだけ。ずっと一緒に旅をしてきたんだ、最後までいさせてよ。
「このままだと、ガノンに八つ当たりしてしまいそう」
「お前なあ……」
ふいにこつりと、オレの頭にトワの頭が重なる。さっきから一転して雰囲気が戻り、柔らかくなっている。オレはこっちのほうがいい。
「もう厄災ガノンを倒したあとの心配して、ずいぶんと余裕だな」
始まりの塔でハイラル城に巣食うガノンの姿を見た時、あんなに大きくて、禍々しい化け物を倒すとか無理って思ったなあ。目覚めたばかりで、自分のことさえよくわかっていない時に、されるお願いじゃない気がする。
「敵わなくて、一回帰ってくるかもしれないのに」
「あー、そんなこと、あるかも……?」
その可能性は失念してた。一度、世界を救ってる勇者の言葉だから、説得力がある。トワもそんなこと、あったのかな。もしかしてオレ、すごい思い上がってたかも。
めちゃくちゃ別れを惜しんで旅立った家に、のこのこと戻ってくるのは恥ずかしいな。トワはわざとらしくどうしたんだ、忘れものかって聞いてきて、オレの羞恥をこれでもかと煽ってきそうだ。普段のお返しとばかりに、言外につついてくる気がする。オレがトワを弄るのはいいんだよ、だって可愛いし。
「そんなに俺がいなくなるのがいやなら、今度はお前が来いよ」
「どこに」
「俺がいる世界に」
「え〜、だってトワが住んでた村、すごい田舎なんでしょ」
「ここだってそうだろうが」
牧場があり、自分達で作物を育て、小さな雑貨屋がある外れの村。トワの話を聞いてると、共通点は多いから言い返せない。このハテノ村も、のんびりした田舎だよなあ。
「来いとか簡単に言ってくれますね」
「ブレなら案外、出来るかもしれないじゃないか」
行けるものなら行ってみたい。来いと言うからには、もちろんオレを傍に置いてくれるよね。そうじゃないと困る。
こうなったらシーカーストーンの力が暴走したりして、オレをトワの世界に飛ばしてくれないかな。だって厄災ガノンを倒して姫を助け出したら、勇者はもういなくてもよくないか。インパやプルア、ロベリーなど、ゼルダ姫を知る人は他にいるわけだし。
とても勝手なことだけど、思うだけだから。
「とりあえず、いまは飯を食おうぜ」
「うん、お腹すいた」
「すっかり冷めてるだろうな」
せっかく温かい食事を用意してくれたのに、引き止めたオレが原因だ。ごめんなさい。せめて温め直せるものはオレがすると伝えて、先に降りていく。
「……ブレ、ーーな」
「えっ、なに?」
階段を駆け降りる音に掻き消され、トワの声はよく聞こえなかった。振り向いて聞き返しても、人の良さそうな笑みを浮かべるだけで教えてくれない。はぐらかされてたまるか。すごく気になるから降りてきたトワに詰め寄るも、するりと避けていく。
そして軽い足取りで、並べたふたつのグラスにミルクを注いでいる。さっきの、聞こえてたよね。
「なんて言ったの? もう一回言って」
「やだ、一度しか言わない」
「お願いだから、もう一回言ってほしい」
とても大事なことを聞き逃した気がするから、諦めきれずに食い下がる。
注ぎ終えたところでトワの表に滑り込み、この腕の中に捕まえてやった。オレが言い出したらしつこいのは、トワもよく知ってるでしょう。言うまで離さないと伝えるように、もっと強く抱きしめる。
「わかったよ。いつまでも飯が食えないし、言うよ」
かたん、と瓶が机に置かれる音がしたと思えば、オレの背中に腕が回されていた。今度は逃さないように耳をすます。
「ありがとな、って言ったんだよ」
「……どういたしまして?」
なぜ、トワにありがとうを言われるんだろう。むしろ言うのはオレじゃないか。飯も食わずに、オレのどうしようもないぐだぐだに付き合ってくれたのだから。
「ブレって俺のこと、ほんとに好きなんだなあ、と思ったから」
本当は離れたくないくらい好きだし、こんなに想ってないと抱かないよ。それこそ、指で数えきれないほど。受け入れてくれるトワも、そうでしょう。ひとりで楽しそうに笑うから、息が当たってくすぐったい。
「トワもオレのこと、好きでしょ」
「そう、っ、んむ」
改めて言葉にされると少し照れくさい。だから余計なことをいうその唇は、塞ぐことにした。
オレに合わせてと、トワの頭を思いきり引き寄せる。ほんの僅かでもオレのほうが小さいの、やっぱり悔しい。ミルクは飲んでるし、いまからでも伸びてくれ。
唇を舐めて食み、開いた隙間から舌を侵入させる。上顎をつついて歯列をなぞれば、待ちきれなくなったトワの舌に誘われる。あとは唾液と一緒にねっとり絡めて、じゅっと吸って、混ぜるだけ。触れ合わせるのは気持ちいいから、いつまでも続けていたくなる。
「トワ、オレもありがと」
「、ん?」
話をして、聞いてもらったからか、心がずいぶん軽くなっている。トワが優しい嘘をつかなくてよかった。気休めはいらないから、それでいいと思う。
オレひとりで怨念にまみれたでかい化け物倒して、姫を救うんだよ。そのためにめちゃくちゃ頑張った勇者にはさ、少しくらい融通をきかせてくれてもいいのに。女神さまも導師さまも冷たい。
いつか来るその日に、その時に、オレのことを想っていてくれたらいいな。オレも、忘れないから。
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