ベルIF後日談 王国が、帝国を下した。
その一報はまたたく間にフォドラ中を駆け巡った。
「…………そうか」
部下からの確かな筋の報告を聞いて、ユーリスは低く呟く。帝国は大敗した。エーデルガルトは討たれ、おそらくは最後まで彼女を守るべく抗った彼らも。
「……姐御って、帝国の出身でしたよね」
気遣わしげな顔をする部下にユーリスは頷いた。ベルナデッタのフルネームまでは知らないだろうし、ここでは『姐御』が通り名になっているとはいえ、彼女が帝国出身の兵士だったらしい、くらいのことは仲間内で暗黙の了解となっている。
「ああ。あいつにはまだ……いや、時間の問題、か」
これほどの大事件。いくら彼女が引きこもりとはいえ、耳に入らないはずがない。何より慌ただしげな空気に察してしまうだろう。帝国が押されていること自体、彼女は前々から気にしていた。
「こっちのことは俺らに任せて、お頭は奥さんとこいてやってくだせえ!」
どん、と胸を叩いた部下にふっと笑う。まったく、自分はつくづく人に恵まれている。
「ああ。しばらくは頼んだ。悪いな、こっから忙しくなるって時に」
「いえ! こんくれえ、お頭が今まで俺らにしてくださったことに比べれば全然っすよ!」
足早に部屋に戻ると、ベルナデッタはぼんやりと窓を見上げていた。この部屋は半地下になっていて上の方に窓がついている。降り注ぐ太陽光が、彼女の僅かに濡れた頬を照らしていた。手元には作りかけの刺繍がある。
「……針持ったままぼんやりしてっと怪我するぞ」
「あ……そう、ですね。片付けなきゃ……」
危なっかしく震える手を見て、ユーリスはその手を捕まえると刺繍針を取り上げた。机の上に置いておいて、ぼんやりと俯くベルナデッタの顔を覗き込む。
「……もう聞いたのか」
「わ、わかり、ますよ。外でも、みんな、話してる、声が……ッ、ここ、まで……ッ!」
ぼろりと大粒の涙を溢したベルナデッタを抱きしめた。声を上げて号泣し始めたベルナデッタの涙と鼻水が胸元に押しつけられるのを感じながら強く強く抱き寄せる。
小一時間泣き続けたベルナデッタが、やがて泣き疲れたようにグスグスと鼻を鳴らし始めたところで背を撫でた。
「少しは、落ち着いたか?」
「ッ……お、落ち着けるわけないですううう! みんな、みんな、ベルのせいで!」
叫ぶ声も弱々しく掠れている。
「お前のせいじゃねえよ」
「あたしが、あたしが逃げたりしたから……! ドロテアさんは……! エーデルガルトさんも、ペトラさんも! ヒューベルトさん、カスパルさん、リンハルトさん。フェルディナントさんだって」
「自惚れんな。お前がいりゃあ、全員助けられて帝国は勝ってたってか? んなわけねえだろ。戦争ってのは、一人の英雄の力だけで勝てるようなもんじゃねえ」
「けど! ベルが逃げなかったら死ななかったかもしれないじゃないですかあああ!」
「代わりに、お前が死ぬからか?」
「ッ……なんで、そんなこと言うんですか。あたしだって生きて、みんな、誰も、死なないで……そしたら」
「…………そうだな。そしたら、良かったな」
「ッ……う、うあっ……」
またしゃくり上げ始めたベルナデッタの背を優しく叩く。
「お前に、悪いとこなんてねえよ」
何度でも言ってやる。何度言っても、納得なんてできないだろうが。それでもそう言って、こうしてそばにいてやるくらいしかできない。
「…………わッ、わかって、るんです。ベルは弱くて、何にもできなくて、期待にも、応えられなくて。あたし最低です。自分が、生きてたことに、ほっとしてる。みんなは、死んじゃったのに。せめてあたしも、最後まで、一緒に戦わなきゃいけなかったのに」
「んなことねえよ」
「なくないです!……ッユーリスさんに、あたしの何がわかるって言うんですかああああ!!」
ベルナデッタがキッと顔を上げる。泣き腫らした瞳がユーリスを睨みつけていた。だがすぐに怯んだような顔をする。ユーリスとて死者に残されて来た側だと気付いたのだろう。
「……俺と来たこと、後悔してんのか?」
ベルナデッタは緩慢な動作で首を横に振る。
「…………違うんです。すみません……ユーリスさんに、こんなこと言ってもしょうがないのに。けど、あたし……あたしが、許せなくて」
「ああ」
「苦しくて」
「そうだな」
ぎゅっと胸元で握った手に、上から包み込むように手を重ねる。
「ッごめ、ごめんなさい。あたしっ、あたしだけ、生きて、生きてて良かったなんて。死にたくなくて。怖くて」
「ベル」
「ッ……」
「お前が生きてて、俺は嬉しいよ。ありがとな」
頭を撫でると、糸が切れたみたいに胸元に倒れ込んできた。
そのまま、しばらくじっと動かなかった。強張ったように胸元で握り締めたまま動かない手をさすりながら、背中を撫でる。
なんとなく懐かしかった。幼い頃、病から生還すると同じ病に罹った友人は皆死んでいた。『うちの子は死んだのに』みたいな目で見られることもあった。自分にはどうしようもないことだとわかっていて、それでも背筋をざわつかせるような罪悪感があった。あの時も、母に言われたのだ。「生きててくれて嬉しい」と。
ベルナデッタの頭が、不意にずるっと傾いてビクッと持ち上がる。
「……ん」
「眠いなら、寝ていいぞ」
「でも、まだ夜じゃないですよ」
「別に構わねえよ、目覚めたら夜食くらい作ってやる。お前ここんとこよく眠れてねえんだろ」
「え……なんで、そのこと」
「目の下のクマ見りゃあわかるよ。眠れそうなら寝とけ」
「けど……」
「怖え夢でも見るのか?」
ベルナデッタは逡巡するように黙り込んで、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「…………最近。夢に、みんなが出てくるんです」
「……ドロテアたちか?」
「ッ……はい。あたし、いっぱい謝るんですけど、なんにも言ってくれなくて。ただ、笑ってあたしのこと見てるだけで。の、呪われてるんでしょうかああああ。ベルだけ、逃げたから、生きてるから」
「……そいつらは、笑ってたんだろ?」
「はい」
「なら、大丈夫だろ。それに……案外お前みたいに助けられてどっかで生きてるかもしんねえぜ?」
可能性は限りなく低いだろうが、と思いながらそう言うと、ベルナデッタはようやく微かに笑った。
「そう、でしょうか。それなら、いいんですけど……あ、そういえばユーリスさん。今日は、お仕事はいいんですか?」
「お前が泣いてる時に仕事なんてしてられっかよ。連れて来ちまったのも俺だしな……」
「ッ違います! ベルが、ついて来たんです。ですから、あたしのことは気にしないでお仕事あるなら」
「はあ」
ため息を一つついて立ち上がると、椅子に座っていたベルナデッタを抱き上げた。
「ひえっ、あ、あの、なんでベルを持ってるんですかああああ!」
「うるせえ……ったく、普段図々しい癖にくだらねえこと気にしてんじゃねえよ」
そのままベルナデッタを寝台まで運んで放り出す。
「へぶうっ!?」
ぼふっと落ちたベルナデッタの隣に腰を下ろした。
「ほら、寝ろ。お前が起きるまで、手くらい握っててやるからよ」
手に手を重ねると、キュッと握り返された。
「…………ありがとう、ございます。あたし、今度夢でみんなに会ったらお礼言いますね。みんなが、ベルを守ってくれたから、あたしはユーリスさんと一緒にいられるんですもんね! だ、だから、ありがとうございます……って」
話しながら、またぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。指先で拭って、視線を合わせて笑いかけた。
「……なら、俺の分も言っといてくれよ。お前のこと守ってくれてありがとなってよ」
「はい……ッ! 絶対、言っておきますね!」
「ん。眠れそうか?」
「はい……少し、だけ」
体の方が限界だったのか、ベルナデッタは目を閉じるとすぐに寝息を立て始めた。
感触を確かめるように手を握って、痛みを堪えるように笑う。
「……これからは、俺が守るからよ」
だから。心配なのはわかるけれど、後は任せて欲しいもんだ、と心の中で呟いた。