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    kai3years

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    kai3years

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    路傍のブルーダリア「青は、好きじゃない」

     そう告げると、自身も目の中に青を持つ男は、デカいしゃっくりを寸前で飲み込んだような顔をした。

    「珍しいな。お前が好き嫌いを口にするの」
    「そうか?」
    「そうだろ」

     少し笑って、男は手にしていたティーカップを、店主に返した。白磁に青で、花と果実を描いた、繊細な作品だ。それを恭しく受け取りながらも、長い耳をぴんと立て、エレゼンの店主は忙しなく、店内に視線を巡らせている。サンクレッドとこの男にはなんてことのない会話だが、店主にとっては客の、しかも、天下に名の知れた英雄殿の、お連れのお好みときている。青の使われていない商品をさりげなく必死に探す姿は、かなり焦っているようで、少しばかり申し訳なかった。
     イシュガルドの宝杖通りだ。サンクレッドが使っているカップを割ってしまったと、わざわざリンクパールを通して伝えてきた男から、待ち合わせ場所に指定された。やはり茶器の品質はイシュガルドが抜きん出ているし、割ってしまったカップもここで買ったものだったから、とのこと。サンクレッド本人は飲めれば器など何でもいいし、そもそも男が割ったと語る「サンクレッドが使っているカップ」なるものが存在していたことすら初耳ではあるのだが、確かに、言われてみれば、男の部屋で茶を淹れるとき、なんとなく手を伸ばしていたカップがあったような気もする。白地に黄色で、誰にでもできそうな塗装がされたものだった。そこらの店で適当に買った品だと思っていたが、まさかイシュガルド産だったとは。しかも、連れて来られた店は、貴族向け寄りの品揃えだ。

    「でしたら、こちらなど……」
    「ああ、いいから。気を遣わせちまって悪いね。ゆっくり見させてもらえるか」
    「かしこまりました。では、ご用の際には、お申し付けください」

     優雅に一礼をして、店主はすうっと裏へ消えた。流石に鷹揚と言うべきか、引き際を弁えている。隙あらば小銭を盛らせようとするウルダハの商人とは雲泥の差だ。尤も、どちらが泥なのかは、判断の分かれるところだろうが。

    「で?」
    「ん?」
    「青が嫌いな理由は?」

     続いていたのか、さっきの話が。

    「嫌いだとまでは言ってない」
    「お前の『好きじゃない』は、もう『嫌い』だろ」

     そこまで自分は好き嫌いを口にしたことがなかったろうか。珍しい魚でも見つけたように、こちらを見る男の目は、わくわくと煌めいている。つい先刻まで吟味していた食器への興味はとっくに失せて、期待に満ちた体の熱気が、頭に落ちる雪を融かしていた。
     なるほど、このための人払いか。確かに、イシュガルドの商人ならば、こちらの話が終わるまで、ゆっくり見させてくれるだろう。ウルダハならば二分で「決まったかい!?」と戻ってくるところだが。

    「ガキの頃、俺が『やんちゃ』して生きてきたのは、知ってるな?」

     少しばかり、声を潜める。商店街で大っぴらに話せる過去は持っていない。本当は、この男にだって知らせるつもりはなかったのだが、リムサ・ロミンサのアドミラルブリッジで、盛大にバラされたのだ。今となっては微笑ましいような気さえする、懐かしい記憶である。

    「そうなる前には、ガキなりに、真っ当に働いて口を糊しようと思っていた時期もあってな」
    「いい子じゃないか」
    「やめろ、むず痒い。第一、すぐ諦めたんだ」

     リムサ・ロミンサは、単純な街だ。物を言うのは、何よりも、力。それは即ち、子供イコール弱者の式を指し示す。
     今でこそ提督の采配により、孤児の保護などもおこなわれているが、かつてのリムサ・ロミンサでは、家のない子供は使い捨ての労役、家のある子供は身代金目的の誘拐対象でしかなかった。そんな境遇で痩せぎすの浮浪児がまともに働こうなどと、貶される謂れこそなくても、あまりに甘い見通しだった。
     日銭と呼べるかどうかも怪しい硬貨の数枚で使いたおされ、サンクレッドの清らかな意思は、瞬く間に摩耗した。働くには体力が要り、体力を付けるには食事が要り、食事をするには金が要る。疲れに強張る体を休めるため、まともな寝床も必要だった。仕事をすれば金は入る。しかし、絶望的に、足りない。寝転がっているだけならばなんとか耐えられた空腹は、体を動かして働くと、その威力を倍にした。働けば働くほど飢えることを、サンクレッドはすぐに悟ったが、それでも、いつかはなんとかなると、可哀想にも、楽観していた。真面目に働きさえすれば、きっと、取り立ててもらえると。そんなふうに夢見ることで、己を騙そうとしていたのだ。

    「諦めたきっかけは、荷運びだ。港に着いた青燐水を、倉庫に運ぶ仕事だった」

     重労働だ。空気の入る余地さえないほど、ぎっちりと詰め込まれた樽は重く、屈強なルガディン族でさえ、足腰を傷めることがある。だからこそ「使い捨て」のできる、浮浪児の需要が存在した。ほかの仕事に比べれば、払いもほんの少し、よかった。誤差のようなものだったが、当時は、その誤差が必要だった。
     樽の下ろされた桟橋には、サンクレッドと似たり寄ったりの格好をした子供が集まり、覚束ない足取りで、めいめい樽を運んでいた。少し運んでは休む者、二人がかりで運ぼうとする者。いずれも体力や腕力の不足で致し方ないように見えたが、知ったことではないとばかり、怒声が飛ばされていた。
     罵られるだけならば、まだいい。しかし、大人といういきものを、サンクレッドは知りつつあった。彼らは、ああいう態度を「怠慢」だとして、報酬を減らすのだ。ただでさえ僅かな「高給」を目当てに集まってきたというのに、重労働の末に減らされたのでは、たまったものではない。
     だから、サンクレッドは、独りで運んだ。息が切れても、休まなかった。極度の疲労は頭を沸かせて、途中からは自分が特に、目立っているように思えてきた。あいつはどうも、ほかの役立たずたちとは違うようだ、と。そんなふうに見られているような気がして、密かに、ほくそ笑んだ。
     ありもしない妄想だと、今なら、考えるまでもなく、わかる。子供を労働力とするような輩に、まともな目などない。彼らの視界に引っかかるのは、働きが悪い奴のみで、働きが好い奴がいたとて、気にも留めはしないのだ。
     しかし、当時のサンクレッドは、どうしようもなく、幼かった。都合の好い妄想に浮かれて、次々と、樽を運んだ。骨ばかりの脚が、腕が、とっくに限界を迎えていることにも、気付かなかった。
     そして、最悪の結末は、当然のこととして、訪れた。

    「見事に腕からすっぽ抜けてな。足の上に落ちたもんで、思わず、樽を倒しちまった。で、これまた運の悪いことに、蓋の締まりが緩くてな」

     五感に焼きついた光景は、今でもありありと思い出せる。足の指の骨を砕いた、途方もない重みと、痛み。自分自身の劈く絶叫。目と鼻を突く刺激臭。痩せた子供の軽い体がへたりと頽れる一方で、樽は桟橋そのものを揺るがすように、どうと倒れた。そして、港中の視線が、サンクレッド──を通り越し、中身を撒き散らす樽に集まった。
     迸る青。溢れる青。涙で歪んだ視界に広がる、青い空、青い海、青い水。桟橋を青く染めながら転がっていった重い樽は、どぼぅん、と大きな音を立て、海の底へと呑まれていった。ああ、ああ、と狼狽えながら、せめて桟橋に残った分は回収しようと手を伸ばし、青い水溜まりに踏み入って、派手に転んだ雇い主。その顔さえも、青かった。

    「当然、めちゃくちゃに殴られた」

     密封されたまま沈んだのなら、引き揚げようもあったろう。しかし、サンクレッドが落とした樽は、蓋が開いていた。無論、サンクレッドのせいではなく、蓋を閉めた者の落ち度だったが、そんなことを慮ってくれる大人は、存在しなかった。サンクレッドが落としたときの衝撃で、蓋が開いたのだ。誰一人として見ていなくとも、それが、共通認識となった。
     一樽分の青燐水を、まるまるお釈迦にした疫病神。ほかの子供たちが恐怖のあまり竦みきっている中で、サンクレッドは怒鳴られ、殴られ、骨の折れた足を踏まれた。腹を蹴られて僅かに残った胃の中のものを吐き出すと、青燐水を汚すことを恐れた腕に掴まれて、海へと投げ捨てられた。
     泣いているのは、サンクレッドではなく、雇用主の男だった。絶望にわなわなと震えながら、残った僅かな青燐水を必死に掻き集める姿は、確かに哀れで、気の毒だった。集まってきた大人たちは、雇用主の肩を叩き、慰める言葉をかけて、青燐水を掬う作業を、自発的に手伝った。まともに泳ぐことすらできず、足掻くサンクレッドを横目に見ながら。

     ──ああ、なんてこった。勿体ねえ。

     誰が、吐き捨てたのか。水の入った目と耳では、判別までは、できなかったが。

     ──このひとしずくはな、お前らクソガキ十人の命より、価値があんだよ!

     青燐水にも、言わずもがな、色の青にも、罪はない。わかっている。しかし、それでも。放り込まれた海の中、死にもの狂いで水を蹴るサンクレッドの目の前で、大人たちの掌に受け止められる青い水滴は、まだ柔い心に刺さった言葉を、確かに証明するものだった。

    「言っておくが、トラウマなんて大層なものじゃないからな」

     考え込むそぶりを見せる男に、あらかじめ釘を刺す。嫌いだとすら言っていない。ただ、好きじゃない。それだけだ。この世は彩りに満ちていて、青でない色は、ごまんとある。目の前の食器に限ってさえ、使われる色は数えきれない。
     だから、敢えて、好きじゃない色を選ぶ必要はないだろう、と。伝えたかったのは、せいぜいが、それくらいのことだったのだが。

    「店主さん、いる?」
    「はい。こちらに」

     ぬるりと現れた店主の手に、男は、先ほど見ていたカップを改めて取り上げ、明け渡した。

    「これ、包んどいてくれ。ほかの店に寄ってから戻る」
    「かしこまりました」

     白に、青。細い筆致で花と果実を描いた、たおやかなティーカップ。候補から外れたとばかり思っていたものが、まさかの復活。

    「来い」

     行動の意図が読めない。この男の突飛な真似にはそこそこ慣れたつもりだが、今のこれは、何なのだ。強引の二文字で済ませるには少々きつい力でもって、腕を掴まれ、連れて行かれた先は、革製品の店だった。

    「いらっしゃいませ…… あら! お久しぶりです!」

     店頭の靴を並べ直していたのは、エレゼンの女性だった。品を見極める厳しい視線は振り向きざまに解けて消え、花開くような喜色を見せて、男に、弾んだ声をかける。

    「元気そうだな、エルド」
    「勿論です! 商売は体が資本ですからね。本日は何かお探しですか?」
    「ああ」

     そうだ、思い出した。この男は、本場グリダニア仕込みの革細工技術をもって、イシュガルドで幾つもの「名作」を生み出しているのだった。以前、街中で、この男の名が聞こえてきたので振り返ったら、革製品のブランドについてだったことがある。流石に英雄本人の作だとは思われていないようだったが、同じ名なので縁起がいいと、売れ行きに貢献しているらしい。当人は「有能なバイヤーがいてくれたからだ」と語っていたが、なるほど、では、この女性が。

    「こいつに似合う青い製品、片ッ端から持ってきて」
    「はァ!?」

     とんでもない言葉が聞こえて、思考が一気に吹き飛んだ。いきなり何を言い出すのだ。見ろ、彼女も困惑している。

    「………」

     困惑、している……のか?
     遠慮のない、鋭い視線が、サンクレッドの旋毛つむじから爪先までを往復する。花開くような喜色は消えて、彼女の表情は完全に、先ほど靴を並べ直していたときのそれに戻っていた。やがて、何か重大な使命を受けたかのように、こくりと頷く。

    「よくわかりませんが、了解しました」
    「いや、よくわからないのに了解を」
    「取り急ぎ、靴からご用意しますね。おみ足、失礼します」

     この女性もなんというか、やたらと思い切りが好い。冷たく濡れた石畳に、微塵の躊躇もなく膝を突き、サンクレッドのごついブーツから瞬く間に裸足を抜くと、てきぱきとサイズを測ったのち、恭しく戻してしまった。客の冷えを最小限にする気遣いが窺える。そして。

    「みんな、注目!」

     ぱん!と両手を打ち合わせる音が、高らかに響く。店内からぞろぞろと集まってきた目は、十を超えた。

    「我らがブランドデザイナーからの課題です! お連れの方に似合う青い製品をお見立てしてください! 最もお気に召した製品を選んだ者には、私から金一封、出します!」
    「マジすか!」
    「えっ、うわ待って、待ってください、これだけ片付けたらすぐに」
    「ご予算はー!」
    「問わない」
    「問わないそうでーす!」

     何かの大会が始まってしまった。

    「コート! 去年のコート何処やった、あのロングのやつ! 濃紺ベースの!」
    「雑貨もありですよね! コースターとか!」
    「このブレスレット、指輪もセットであったよな!? え、そっちだけ売れた!? こんなときに限って!?」
    「あっそれ私が目を着けてたのに!」
    「残念でしたー! 早いもの勝ちでーす!」

     俄かに活気づく職人たちを、思わず半歩、退いて眺める。賑わいは店内に収まらず、通りにまではみ出していた。なんだなんだと通りすがりに足を停めていく者まで出始め、サンクレッドは男の腕を掴み返して、隅へ引いた。この騒ぎの中心が自分であるとだけは、知られたくない。
     男は、あっさりと従った。ニヤついているようなら陰で一発ぶん殴ってやろうと思っていたが、俯きがちの顔は存外真摯で、毒気を抜かれてしまう。

    「お前、俺の話、聞いてたか」

     小声で、詰る。
     青は、好きじゃない。
     そこから望まれるままに、理由まで語ってやったというのに。

    「聞いてた」
    「だったら──」
    「忘れろと言っても、無理な類いの過去だろ、そいつは」

     お前に俺の何がわかる、と。
     使い古された表現でそれ以上を拒むには、互いに、わかりすぎていた。この男にも傷がある。サンクレッドが負ったものによく似たものも、数知れず。だから、わかってしまうのだ。傷の、本当に深いところまでは理解できなくとも、種類くらいなら、直感で。
     忌々しさを噛み締めて、深く、溜め息を吐く。察しのよさを責めるのは、流石にお門違いだろう。自分が迂闊だったのだ。そうとしか言いようがない。好き嫌いを口にするのは珍しいと、驚きすらされていたのに。無意識に戒めていたものを、隣にいるのがこの男だからと、軽率にも緩めてしまった。

    「それで?」
    「対抗馬を作る。山ほど」

     男がようやく、笑みを見せる。告げられた意図は案の定とでも言うべきもので、頭を抱えた。青く染められた思い出を、男は、新たに作ろうとしている。消去も上書きもできないならば、紛れさせてしまえばいいと、質より量で、サンクレッドを溺れさせる気でいるのだ。
     うんざりとした顔を隠さず、盛り上がる一方の店を見た。コート、ベルト、手袋、ブーツ、鞄、アクセサリー、雑貨。一角には着々と、青い製品が集まっている。本気でサンクレッドに似合うと思って選んだのだろうか、髪留めのようなものまで見えて、皺の生じた眉間を押さえた。

    「たかが色の好き嫌いだぞ」

     この男も、たったあれだけの言葉で何かを察したらしい、エルドと呼ばれた、バイヤーの女性も。わざわざギルを持ち出してまで、青い山を作ろうとしている。

    「ここまでする必要があるか?」
    「ほかの色なら、なかったかもな。けど、青ときたら、聞き流せない」

     頬が、引き攣る。責めはしないが、胸中、密かに恨むことくらいは、許されるだろうか。

    「娘の目の色を、気分好く思い出せないのは、つらいだろ」

     この男の察しのよさと、自分一人に砕かれる心。それを目の当たりにしてしまうと、喉が詰まるような気分になる。リーンの話を持ち出せば俺が黙ると思うなよ、と、憎まれ口を叩こうにも、実際に黙らされてしまう。
     拳を作って胸を叩くと、男は愉快そうに笑った。そのまま顔を近づけようとしたので、流石に、手で遮る。注目を避けて隅に来たのだ、改めて集める意味はない。

    「お前がうちで使うもの、ほかには何があるだろうな。この際、シーツも換えるか?」
    「やめろ」

     青責めにされることは覚悟したが、ペースくらいは調整したい。積まれた革製品のほかにも、さっきのカップだってあるのだ。今日のところはこれくらいで充分、というか、過剰だろう。帰る頃には疲労困憊しているのが目に見えているのに、その体を預ける先まで青にされては、休まらない。第一。

    「シーツの色なんて、お前の部屋では気にしたことがない」

     意図的に甘くした声で、冷たい耳に囁くと、どうやら一矢は報いたらしく、男の目が丸まった。
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