器用な君と、不器用な君とで「あー、ファルガー? その後ろの何?」
「見ての通り浮奇さ。ただ少し拗ねてるんだ」
「……拗ねてない」
「いいや、お前は拗ねてるね!」
所用を終え、closedの看板が上がっている浮奇のバーにやってきたアルバーンは、身内特権で躊躇なく入店した。そしてファルガーの腰に纏わり付く浮奇とそれを全く気にも留めずグラスを傾げるファルガーの姿を目にすることになったのである。ファルガーが言っている通り、浮奇は不満を隠そうともせずファルガーの腰にぎゅうぎゅうと抱きついており、アルバーンの姿を見留めるとより一層腕に力を込めたようで、ファルガーはその腕に優しく自身の腕を重ねた。ファルガーが俺とお前の酒を飲んでるんだぞ、と嚥下したすぐ後の低い声で囁けば浮奇は思うところがありながらも腕を緩めたらしい。ありがとうなんて言いながら再び酒を煽るファルガーは、まるで浮奇のトレーナーのようだ。彼は浮奇にしか指示を出さないし、浮奇も彼からの指示しか受け付けない。
「何があったの?」
「ああ、いや、大したことではないんだがな」
「ふーふーちゃん、女の子に告白されたんだよ」
「へぇ?」
「それも、すごく可愛い子」
「確かに可愛らしい子ではあったが……いや、あれは告白なのか……?」
アルバーンはファルガーの座席から一つ開けて右隣に座った。今日の浮奇の調子を考えると、ファルガーのすぐ隣に座るのは悪手だと思ったのだ(それにアルバーンにはファルガーに躾けてほしいと強請った“前科”がある)。
浮奇はそれをじっとりとした目つきで見届けると、気だるげにカウンターの方へ入って行き、いつものでいいよね、と手早くアルコールを作ってアルバーンの前に滑らせて出した。相変わらず浮奇は器用だ。するりとカウンターから出てきた浮奇は、再びファルガーに抱きついた。今度は、腕に全身を預けて至近距離で問い詰める。
「ふーふーちゃん、惚けるの? どう考えてもふーふーちゃんのこと好きだったよ、あの子」
「現代でサイボーグが物珍しかっただけじゃないか?」
「ふーふーちゃん、鈍感! おれにはわかるんだからね!」
「ふうん? そうなのか?」
まともに取り合わないファルガーは、きっと心の底から好奇心で声をかけられたと思っているのだろう。ファルガーにはそういうところがある。どこか自分の価値を見誤っているような、過剰に低く見積もっているような。二人のやりとりしか聞いていないアルバーンだったが、なんとなく浮奇の言っていることの方が真実のように思えてきた。
多分、その女の子はファルガーのことが本当に本気で好きなのだ。
「だってあの子、ふーふーちゃんのこと考えるおれとおんなじ顔してたもん……」
浮奇はそう呟き、ファルガーの左肩に額を押し当てた。ファルガーはグラスをカウンターに置いた後、空いた右手で浮奇の頭を撫でる。しばしの静寂。こういう時、ファルガーは何を言おうかずっと考えている。今回は特に難航しているようだった。長く重い空気が張り詰める。見かねたアルバーンは少し口を挟むことにした。
「恋をしてる人が、世の中で最も美しいって言うよね」
「ああ、そうだな」
「ファルガーにほんとに恋をしてたから、その女の子はファルガーにも第三者の浮奇にも可愛く見えたんだよ」
「……」
「ねぇファルガー? 君は今さっき『可愛らしい子』って言い方をしたね。その『可愛らしい』って、どんなの? 思わず手を差し伸べてしまいたくなるような、そんな可愛さ? 自分が側で守ってあげなきゃって思うような可愛さ? それとも、ただ世間一般論を述べただけ?」
アルバーンにはわかる。浮奇は、不安なのだ。
自分と同等にファルガーに熱烈な思いを寄せる彼女に、ファルガーがどう対応するのか気になって、自分はどうなってしまうのかと心配で、今にも息が詰まってしまいそうなのだ。
「……そうか、なるほど、なるほどな。よくわかった、ありがとうアルバーン」
ファルガーが少し考えたのちに低くつぶやいた。
「告白を告白とも思えなかったところに全て答えが出ているな」
ファルガーは自分の中できちんと考えがまとまったようで、もう一度酒を煽ると、静かに浮奇に語りかけた。
「俺は幸運だな。世界で一番綺麗な浮奇の、世界で一番美しい顔ばかり見てきた」
「……!」
「お前は俺と一緒にいる時、本当にずっと俺のことを考えてくれてるんだな」
「ふーふー、ちゃん」
「彼女もありがたいことに俺を好きになってくれたんだろう。でも、浮奇には敵わなかったんだ。俺は多分あの瞬間、無意識に、無自覚に浮奇の方が可愛いと、大事にしたいと思ったんだ。でもその考えは俺にとって当たり前すぎることで……。だからあの子には悪いけど、告白されただなんて夢にも思わなかった」
ファルガーは言葉を選びながらゆったりと語る。彼にとっての当たり前は、こんな機会がなければきっと気がつけなかった当たり前だ。そして、何よりも大切な当たり前。アルバーンは甘くなっていく空気に居た堪れなさを感じ酒を一口胃へ流し込む。何故か、入っていないはずのグレナデンシロップを思い浮かべた。とても甘くて、それでいてとびきり真っ赤なもの。グレナデンシロップは、今ではエルダーフラワーやキイチゴ、カシスなどが用いられているが、本来はザクロが原料だ。一度口にすれば、此方には帰ってこれなくなるという『黄泉竈食ひ』の、あのザクロ。果たしてどちらがどちらに帰れなくなるのか。そのことは神様だってきっと知らない。
「俺は俺が思うより、お前が思うよりずっとお前のことが好きだ。浮奇、愛してる」
アルバーンと反対方向にいる浮奇を見て言ったファルガーの表情はわからなかったが、その愛おしいと思っている愛が煮詰まったような密度の高い、濃ゆい声はアルバーンの耳にも届いた。
これは熱烈な愛の告白。当たり前を指でなぞって見つけた本心からの愛だ。
その言葉に浮奇は嬉しそうにはにかんで、「気付くの遅いよ、ふーちゃんのばーか」とファルガーに身を預けた。
器用に嫉妬する君と、不器用に愛する君とで